東西に揺れるウクライナ

ヴィッケン・チェテリアン(Vicken Cheterian)
ジャーナリスト、在エレヴァン(アルメニア)

訳・萩谷良

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 米国のご機嫌を取ろうと、1600名の部隊をイラクに送るウクライナ。その一方で、政府は欧州連合(EU)にも取り入り、この国で起こった数々のスキャンダルの記憶を葬り去ってしまうつもりでいる。成果はまずまず。EUが進める衛星測位システム「ガリレオ計画」への参加交渉が始まろうとしている。ところが実際、10月31日に大統領選を控えたウクライナ政権が支援国と見ているのは、東欧諸国とロシアなのである。[フランス語版編集部]

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 ウクライナは、公式には「多角的」な外交政策を標榜しているが、じつは、ロシアと、北大西洋条約機構(NATO)と欧州連合(EU)との間を揺れ続ける振り子と言ったほうが実態に近い。この両極はそれぞれ、国内の異なる集団の意向を反映している。国の東部はロシア語地域であり、それに対して1945年にソ連に統合された西部では、ウクライナ民族主義が強い。

 今のように選挙前の時期になると、この振り子は東側に振れてくる。2003年9月、クチマ大統領は、ロシア、ベラルーシ、カザフスタンとともに、統一経済圏の設立協定に調印した。また最近では軍事政策の基本方針を変更し、NATOやEUへの加盟という目標を放棄した。また、黒海沿岸のオデッサと北西部のブロディを結ぶ石油パイプラインの使用方向を逆転した。オデッサ港で降ろされたアゼルバイジャン原油を欧州に送るのではなく、ロシア原油を黒海沿岸に送るということだ。

 1994年の選挙戦でクチマが掲げた、ロシアとの協力の緊密化を図るという公約は、まさに任期が終わる寸前になって、ようやく守られた。外交政策のあいつぐ失敗と、内政面でのいくつかの優先課題がその背景にある。10月31日の大統領選を目前に控えたクチマは、ロシア語地域の有権者を引きつけるためにロシアの支援を必要としている。後継者と目されるヤヌコヴィッチ現首相を当選させるには、彼らの票が欠かせない。しかも、クチマ政権の評判をすっかり落としてしまった一連のスキャンダル以来、欧州の首脳陣はこの政権に対して距離を置くようになっている。

 過去10年のウクライナは惨憺たる変化を経たと言わねばならない。1992年から2000年にかけて、国民1人あたりの所得は42%低下した。平均寿命は1990年から2000年の間に2歳半も縮んだ。総人口は1990年の5160万人から、2001年には4820万人にまで減った(1)

 2004年7月19日に南東部ドネツク地方で起き、労働者36名を死に至らしめた炭鉱災害は、労働現場の設備の老朽化と安全管理の危うさをよく物語っていた。それよりもさらに不安なのが軍の状況である。かつてはソ連邦の最先端を行く工業生産の中心地だったウクライナだが、いまでは資金の不足のため、軍は地元企業から新品の武器を購入することができず、交換部品すら手に入らないありさまだ。軍の指揮系統は完全に混乱状態にある。徹底的な軍部再編制が進められており、元は50万人だった兵員数が、約30万人に減らされようとしており、今後10年でさらに3分の1が削られることになっている。

 近年、事故が激増している。2001年10月には、テルアヴィヴ−ノヴォシビルスク間の旅客機がウクライナ上空で、発射演習中のミサイルに撃ち落とされ、乗客78人が死亡した。2002年7月には、航空ショーの最中に、スホイ27戦闘機が墜落して、観客85人が犠牲になった。さらに最近では、2004年3月に、マルチュク国防相が「軍がミサイル数百発を捜索中。使用不能化済みミサイルだが、行方不明」という告知を新聞に掲載した(2)。このニュースは、欧米諸国の指導者の間に、核汚染爆弾「ダーティーボム」と、それを発射するためのミサイルが危険な勢力の手に渡るのではないかという不安を呼んだ。

 クチマ政権の遺産の中でも最も憂慮されるのが、指導層の深刻な腐敗である。旧共産党幹部と州幹部は、もっぱら権力と富をめぐって仁義なき闘争に明け暮れ、目まぐるしく合従連衡を繰り返した。1億1400万ドルのマネーロンダリングと28件の付随的な罪状のもとにサンフランシスコで開かれているラザレンコ元首相の公判は、ウクライナ政府上層部の内紛と裏工作に満ちた暗部を明るみに出した。元共産党幹部のラザレンコは「天然ガス王」と見られていた。彼は1992年から95年までドニエプロペトロフスク州知事の地位にあり、その間に築いた権力と財力は、クチマ大統領にとって個人的な脅威と感じられるまでになっていた。この二人の男の闘争は、路上の「事故」、爆弾による襲撃、議員の暗殺などのかたちをとった。1999年に議員としての不逮捕特権を剥奪されたラザレンコは、米国に逃れ、そこで逮捕されることになる。

新しい原子炉の稼働

 もう一つの怪事件に、「録音テープ・スキャンダル」がある。2000年6月に、調査ジャーナリストのゲオルギー・ゴンガーゼが惨殺死体となって発見された。そして、大統領が補佐官の一人と事件前に交わした会話を録音したとされるテープが出現し、そこで彼の抹殺があからさまに話されていたという事件である。さらに、クチマ大統領がフセイン時代のイラクと、レーダーおよびミサイルの売却協定を結んでいたとの情報(3)が暴露され(情報の真偽については論争が起きた)、米国との関係はひどく悪化した。クチマ政権は、イラクに駐留するポーランド軍の指揮下に1600名の兵士を送り込むことで、何とか米国の怒りを鎮めたのだった。

 これらすべてのことが、ウクライナのイメージを失墜させた。とりわけ欧米諸国の政府首脳は、今度の選挙の成り行き次第で対ウクライナ政策を考え直すと伝えてきた。現実には、EUはずいぶん前に、新規に加盟する旧東側諸国の第一陣にも第二陣にもウクライナは含まれないとの決定を下している。

 ソ連崩壊後の暗黒の時代にウクライナが欧米諸国から受けたものは、多数のウクライナ人が北米に移住しているこの国(4)の利害関係に対する無関心と軽視でしかなかった。「対テロ戦争」が始まり、石油価格が高騰するなかで、ブッシュ政権はロシアとの安定した協力関係を重視している。ウクライナがロシアの影響力を抑えるために推進したGUUAM(1997年に独立国家共同体加盟国のグルジア、ウクライナ、ウズベキスタン、アゼルバイジャン、およびモルドヴァが集まって結成した安全保障機構)の発展を後押しするのもやめている。GUUAMは今では空洞化してしまっている。

 20世紀に起こった恐るべき事件の数々は、第一次世界大戦からロシア内戦時の残虐行為、スターリン体制下の飢餓からナチスによるジェノサイド、ドイツ軍とソ連軍の決戦に至るまで、大半がウクライナの地をかすめている。たとえウクライナ人が、キエフのルーシ大公国はモスクワのルーシ大公国よりも由緒あるスラヴ国家だと誇ってみたところで、近隣の強国の間で分割されてきた歴史は否定できない。この国が地理的、民族的および歴史的な要因に根ざした2つの国民意識というジレンマを抱えていることも同様だ。このような状況にあっても、この国が民族主義と内乱の誘惑に屈しなかったことは、注目に値する。

 2004年8月9日に、ウクライナは象徴的な転機を迎えた。フメルニツキー発電所で新しい原子炉が稼働を開始したのだ。プロジェクトの費用は100%、ウクライナが負担している。1986年の爆発事故を機にチェルノブイリの1号炉と3号炉が閉鎖されたのち、欧州諸国は原発に代わる発電所の開発のために30億ユーロを拠出すると約束したが、その約束は守られなかった(5)。ウクライナはソ連崩壊直後、核弾頭1300発を持つ世界第3の核大国となったが、その後1996年に、これらのロシアへの移送と解体に関する協定を米ロと結んだため、もはや「核兵器クラブ」のメンバーではない。新しい原子炉の稼働は、この戦略方針の転換を示す。たとえ危険を冒すことになろうとも、ウクライナ政府はエネルギー問題を解決し、近隣諸国に強国のイメージを見せつけるために、原子力の復活を意図していると見ることができる。

 ウクライナは、スキャンダルを抱え、欧米から拒絶される一方で、ロシアには諸手で歓迎された。NATOとEUの拡大に直面したロシア政府は、支配圏としての旧ソ連諸国ブロックの形成を企図しており、ウクライナはまさにこの政策の中核となる。そこでロシアは、エネルギー施設や、工業、メディアへの投資をふんだんに行ってきた(6)。しかし、全体の趨勢は、ロシアよりも欧州との通商拡大に傾いている(7)。ロシアの利害や影響が今後とも大きいにせよ、ウクライナはこれからも、独立国として欧州の中で自らの位置を確保しようとし続けるだろう。

偏った選挙報道

 この点から見て、きたる大統領選挙は、ウクライナ国内の二大勢力の影響力を比べる上で決定的なものになる。現首相であるヤヌコヴィッチ候補は、ロシア語地域にある工業・炭鉱都市ドネツクの出身で、与党連合内のライバル諸派の大部分をまとめ上げ、現体制の後継候補となることに成功した。彼は国家の官僚機構、警察による弾圧、公営メディアなど、手持ちの「行政資源」を全面的に活用しており、東部とクリミア半島のロシア系有権者を票田とする。

 これに挑戦するのが、かつて首相や中央銀行総裁を歴任した、野党「われらのウクライナ」のユシチェンコ候補である。在職中に欧米寄りの改革派と見られていた彼は、変革の体現者として、民族感情の強い中部と西部の票を見込んでいる。もうひとり有力候補として、共産党のシモネンコ議長がいるが、同党はこれといった政策を打ち出せず、信頼を大幅に失っている。

 しかし、未来の大統領が誰になるかよりも重要なのは、その人物がどのように選ばれるか、である。過半数の票を獲得して真の正統性を与えられるのか、それとも、民衆の意向に反して就任を強行するのか。ウクライナは、旧ソ連諸国の中では珍しく、選挙による政権交代が機能してきた国である。1994年には、独立を達成したあと勢力の衰えたクラフチュク初代大統領に替わり、元共産党幹部でドニエプロペトロフスクのミサイル工場の経営幹部だったクチマが、次期大統領となった。しかし、それ以降、民主的な改革は挫折を重ねた。欧州安保協力機構(OSCE)は1999年の大統領選挙について、きわめて批判的な報告を発表した。そこでは、現職候補が政府機関から盛大な支援を受けたこと、公営民営を問わずメディアが偏った報道をしたこと、学生と病院職員には上層部の監視下での投票が義務づけられたことなどが明らかにされている。

 大々的な民営化プログラムから利益を得て、現在も経済と政治を牛耳っているオリガルヒ(新興財閥)は、今回の選挙で独立候補が勝利した場合の逆襲を恐れている。彼らは明らかに神経質になっている。2004年4月に西部トランスカルパチア州ムカチェヴォ市で行われた地方選挙では、明らかに不正が見られたにもかかわらず、推定される得票状況からは落選のはずの政府寄りの候補者が、当局から勝利を宣言された。

 現職首相の立候補に対して、政府とオリガルヒの手中にあるメディアが強固な支持を与えているのも、これと同根だ。全国放送の5大テレビ局は、ヴィクトル・メドヴェドチュク大統領府長官か、クチマの娘婿ヴィクトル・ピンチュクの所有物である。マスコミュニケーション研究所の副所長セルギー・タランによると、選挙前のメディアは、「テムニキ」と呼ばれる「ほとんど軍隊ばりの厳格な検閲体制」を敷くのが常だという。メディア各社には大統領府から、取り上げるテーマ、それらを扱う際の角度、避けるべきテーマのリストが送られる。選挙日程が近づくにつれ、汚い手口も増えてくる。2004年8月には、ユシチェンコ候補が、ある会合に行くために車に乗っていたところ、トラックに突っ込まれそうになったと述べている。これは、政治やビジネスのライバルを消すためによく使われる手口である。

 だが政府も、何の議論もないまま、その意向を全面的に押しつけることはできない。ムカチェヴォの新市長は、不正選挙の1カ月後に、辞任せざるを得なかった。「(当局が)選挙結果をごまかすなら、大規模な抗議運動を覚悟しなければならない」と、ユシチェンコ選対のグリツェンコ副本部長は語る。「欧米のパートナー諸国は、自由選挙の重要性をいつも強調してきた。クチマとヤヌコヴィッチの政府は、ウクライナのNATOやEUへの加盟が遅れることになってもかまわないのだ。しかし、ああいう連中が、自分の財産や欧米の銀行に作った口座のことを気にかけているのは確かだ」。それで、彼らも少しは自重するにちがいない。

 今度の選挙で誕生する新大統領は、ウクライナ語よりロシア語に堪能な人物になるかもしれない。それでも、正統な大統領としての地位を固めるには、ロシアに対してウクライナの独立性を強めていく以外にない。EUも、ウクライナ政界に好感は持てないにせよ、この隣国を無視するわけにもいくまい。

(1) The Power of Decentralization, Ukraine Human Development Report 2003, United Nations Development Programme, Kiev, 2003, pp.14 and 99.
(2) Valentinas Mite, << Ukraine : Kiev says hundreds of Soviet-era missiles are missing, but not necessarily lost >>, RFE/RL, Prague, 29 March 2004.
(3) ニェザヴィシマヤ・ガゼータ紙、モスクワ、2002年3月29日付。
(4) 米国人120万人およびカナダ人100万人がウクライナ出身である。
(5) Oleg Ivanov, << Ukraine : to K2 and Beyond >>, Transitions Online (http://www.tol.cz), 16 August 2004.
(6) ロシアは、ウクライナ領内のセバストポリ港の使用協定が2017年まで有効であるにもかかわらず、自国領内のノヴォロシスク港を整備している。 ニェザヴィシマヤ・ガゼータ紙2004年8月11日付参照。
(7) 対ロシア貿易は、1994年にはウクライナの対外貿易全体の47.5%だったが、2001年には32%、2002年には30%となっている。Cf. Olexiy Haran and Rostyslav Pavlenko, << The Paradox of Kuchma's Russian Policy >>, PONARS Policy Memo 291, September 2003.


(2004年10月号)

All rights reserved, 2004, Le Monde diplomatique + Hagitani Ryo + Mori Ryoko + Saito Kagumi

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