アメリカ政権と唱和するブレアの労働党

キース・ディクソン(Keith Dixon)
(著書『トロイのラバ:ヨーロッパと新アメリカ秩序』
クロカン出版「サヴォワール/アジール」叢書、ブロワシュー、2004年)

訳・内藤あいさ

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 冷戦が始まってから現在にいたるまで、アメリカ政権はイギリスの二大政党の方向変化に影響を及ぼそうと腐心してきた。その際にワシントンが財政面を含めて後押ししたのが、アメリカの利害関心に対して潜在的に敵対的であると長いあいだ考えられてきた労働党内の一部右派勢力だった。

 1960年代から70年代にかけて、「欧州・大西洋の一体性のための労働組合委員会」や「後継世代のための英米合同プロジェクト」など、文化面や政治面での様々な協力プログラムにより、アメリカから将来の政界や労働組合のリーダーとみなされた人々が厚遇された。それから四半世紀後、彼らの姿は新生労働党のアンソニー・ブレアを取り巻く指導的グループのうちに見出されることになる。

 アメリカの長期投資の最初の成果は、1983年にニール・キノックが労働党の党首に就任したことだった。この頃にはすでに、アメリカの保守革命の主張の一部を目ざとく採り入れた「新生民主党員」とイギリス労働党の「近代化主義者」との間に方向性の一致が見られるようになっていた。

 この「近代化主義者」たちは、アメリカ支配下の新しい秩序を受け入れるという点で、かなり大きく踏み込んだ。従来イギリス労働党は、経済・社会分野における国家の中心的な役割といったように、思想的に社会主義の影響が強かった。時として左傾化傾向を見せる労働組合との紐帯については言うまでもない。そのためイギリス労働党の考え方は、フランクリン・D・ルーズヴェルトやジョン・ケネディの後継者たちのイデオロギー世界とは非常に異なったところにある。しかしながら、新生労働党が民主党との結びつきを深めたのは、民主党が右傾化を始めた時期に相当する。

 マスコミによって作り上げられたネガティブなイメージを払拭できずにいた労働党は、アメリカ流の政治マーケティングに関心を向けた。1986年には、広報の専門家であるフィリップ・グールドが民主党を訪問し、彼らの広報体制に強烈な感銘を受けている。1993年1月には、ブレアとゴードン・ブラウンがクリントンの選対幹部に会うためにワシントンへ赴いた。翌年ブレアが労働党の党首に就くと、二つの党の「近代化主義者」の立場はますます接近するようになった。1996年4月、ブレアは民主党の公式の招待を受けてワシントンを再訪する。労働党が勝利しても問題はないと実業界を安心させるためだった。

 1997年5月に労働党の勝利が現実になると、両国の歴史上異例のことながら、これら英米の二つの政党は内政面で共通の立場を採った。例えば「官民パートナーシップ」といった概念が練り上げられた。1998年2月、ブレアは再度アメリカを訪問する。この時には、アンソニー・ギデンズをはじめとする新生労働党の知識人数人が同行した。ギデンズは「第三の道」を提唱していた。「右派左派を超えた」戦略を探っていくという意味だ。

ブレアのシカゴ演説

 新生労働党の指導者たちは、クリントン大統領が使ったテクニックに強烈な感銘を受けたようだった。彼が共和党を切り崩すために用いた戦略(トライアンギュレーション)は、それまでの民主党の(社会不安、税制、福祉面での)政策を切り捨てることになろうとも、有権者にアピールしそうな共和党の主張を取り込むというものだ。基本的な考えは、実にシンプルである。敵対者と効果的に戦うために、彼らが主張する政策の主要部分をそのまま頂戴するのである。「ウェルフェア・ツー・ワーク=勤労に向けた福祉」と名づけられた若年失業者に対するイギリスの新たな政策は、アメリカの「ワークフェア=勤労福祉」に直結する。「ゼロ・トレランス=寛大な処置は一切とらず」という考え方や刑事罰の強化もやはりアメリカに由来する。かつては公的部門の管轄とされていた分野(刑務所の運営や教育水準の管理など)が民間企業まかせになっているのも同様である。

 民主党と新生労働党の政治的な枢軸同盟は、現在も「進歩主義的な統治」に向けた連携の基本構造になってはいるが、ブレアにとって以前ほど中心的なものではない。「我が友ビル」ことクリントンはもはや大統領ではなく、民主党は連邦議会で少数派となっている。とはいえ、イギリスの首相とアメリカの首脳部の関係が現在ほど良好だったことはない。イギリスは政治的主権を放棄してしまったと論ずる者もいるほどである。ブレアはアメリカの利益を代弁する役割を熱演するあまり、それを自国の利益と混同するにいたったのだろう。

 1997年、イギリス外務省の修辞法が変化を見せた。大臣となったロビン・クックは、外交に「倫理的側面」を取り入れていくと確約した。ヨーロッパの左翼の理解では、これはイギリスが国益を守ることだけを主軸とする政策を捨て、とりわけ貧しい国々で(独裁政権の支持や武器の売却など)自国のイメージを悪化させた政策方針を見直すということだった。倫理的側面の国際行動分野における対応物として、人道的介入という考え方が提唱された。ブレアが「タカ派」陣営に加わるきっかけとなったのはコソヴォ戦争である。彼はベオグラードに対する軍事介入をアメリカに勧めるだけでは満足せず、(クリントン大統領と違って)地上部隊の派遣を検討していた。

 1999年4月、コソヴォ紛争の最中にシカゴで北大西洋条約機構(NATO)設立50周年記念式典が開かれた際、イギリスの首相は「国際共同体のドクトリン」という方針表明のごとき大演説を行った。この中で彼は「正義の戦争」を称揚し、新しい行動規範が必要とされるという「まったく新しい」世界を壮大に描き出してみせた。それによれば、グローバリゼーションには経済面と同様、政治と安全保障の側面があり、諸国には自分の手に負えない(市場の)力に従う以外に選択肢がない。「単独で行動できると考える政府はすべて道を誤ることになる。政策が市場に気に入られなければ、市場に罰されるのだから」。この決定論的なグローバリゼーションの見方は、ギデンズが数年前に『左派右派を超えて』という本(1)の中で提唱したものと同様である。

 グローバリゼーションはその非情なルールをもって、新たな国際的義務を強いるという。例えば貿易の自由化を断固として追求することは唯一の発展手段である。あるいは主権国家の内政不干渉原則に背くような国際安保戦略を推し進めることも必要である。「我々が直面している最も急を要する対外政策問題は、他国の紛争へ積極的に介入しなければならない状況を見て取ることだ(2)」。ブレアは介入に対する国連の承認には一言も触れない。1998年12月にイギリス政府がイラクに対する空爆に参加した時も、国連安全保障理事会の決議に依拠することはなかった。シカゴで明言されたのは、こうした方針転換である。そして、私たちはそれがイラクに引き起こした結果を目の当たりにすることになる。

唯一の裁きは神のそれ

 2003年7月、ブレアはアメリカ連邦議会での(金メダルを授与された際の)演説で、国際問題におけるアメリカの力の優位を認め、ヨーロッパがアメリカと協力するよう改めて呼びかけた。彼はまず、序幕としての2001年9月11日の事件、そして「第一幕」としてのイラク戦争に言及し、次いで「劇が終わるまでに他に多くの戦いがあるだろう」と述べ、軍事活動を続行することをうかがわせた。それらの指揮は、他の国々がどのような見解を示そうとも、必然的にアメリカが執ることになる。「アメリカの力が現在ほど必要であり、かつ誤解されたことはかつてない」

 この言葉に続くのが、単極世界の賞賛である。「アメリカに対する勢力均衡が必要だなどと主張する国際政治理論ほど危険なものはない」。「国際主義」に基づいて「価値感のために」介入する義務を負っているアメリカは「必要だが誤解された」大国であり、善のための軍事力である。アメリカ政権が「正義」の戦争を布告すれば、イギリスもこれに追随する。

 正義の戦争、価値観のための(軍事的な)戦いに関するブレアの理論は、古き良き帝国主義の教説を大いに思い起こさせる。当時もまた、文明的な「価値観」を引き合いに出すことで、「野蛮」な人々に対する介入を正当化していた。帝国主義がもたらした恩恵を擁護し、メディアにもてはやされる若い歴史学者、ナイアル・ファーガソンによれば、イギリスの植民地化による最終的な損得は、総合的には住民にとってプラスとなった。彼らは経済的な後進性と(インドの女性に見られるように)社会的な抑圧から脱出することができた。自由貿易や主権国家、民主制や「西洋的価値観」といった普遍的な善がもたらされたことも忘れてはならない。

 この修正主義は(特に関係諸国の歴史学者から強く論難されているのだが)、英米による「国際主義に基づいた戦い」の論拠とされ、セルビアやイラクに対する一連の爆撃の正当化に用いられてきた。ブレアの国際政治顧問は、こうした自由帝国主義の伝道者の一人、ロバート・クーパーである。2002年4月、「なぜ我々には今なお帝国が必要か」と題した論説で、クーパーはポストモダン植民地主義の必要性を訴えた。「帝国と帝国主義というのは軽蔑的な言葉になった。その義務を引き受けるつもりのある植民地勢力は皆無である。しかしながら、植民地化の機会、さらに言えば必要性は、19世紀よりもむしろ今日の方が高まっているのだ(3)

 イギリスの労働党の首脳部とアメリカの共和党出身の大統領の間には、政治思想上の違いがあるとはいえ、キリスト教の入り交じった経済自由主義という共通した基盤が存在する。2人の国家指導者は、市場の自由な活動を信奉し、家族、秩序、社会的な規律、そして神の威光を信じている。ブレアがイラクにおけるイギリス軍の損害について質問された時に軽率にも表明したように、唯一の裁きは神のそれなのだ。この労働党指導者は、自分には国の内外における使命(という語を彼はしばしば用いる)があるという信念を持っている。この点についてブレアがブッシュよりも控えめにしている(例えば第二次イラク戦争の開戦前夜の演説で、最後に「神のご加護を」と言うことはしなかった)としても、この2人が義務感からの介入を主張する時の価値観なるものは、共通の源泉から生まれ出ているのである。

(1) アンソニー・ギデンズ『左派右派を超えて』(松尾精文・立松隆介訳、而立書房、2002年)。
(2) 1999年4月4日のNATO設立50周年記念式典におけるブレアの演説より。
(3) Robert Cooper, << Why we still need Empires >>, The Observer, London, 7 April 2002.


(2004年9月号)

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