| 「土地なし農民」がいるのはブラジルやラテンアメリカだけではない。南アフリカや、政府が白人農場主の土地を強制収用し、黒人農民に再分配したことで対内的、対外的な危機を招いたジンバブエでも、農民が社会からはじき出されている。アジアでこの悲劇を味わっているのは、インド、フィリピン、インドネシア、そしてカンボジアだ。この国では土地なし農民が急増し、国の安定を揺るがしかねない状況となっている。[フランス語版編集部] |
焼けつくように暑い乾季の午後、ヤム・ジェ氏は田舎道を急ぎ足で歩いている。アンコール観光への入り口の町シエム・レアプから数キロ南に下ったところ、どこまでも広がるこの黄色くなった土地には、どんな作物も育つはずがないかのように思える。干上がった田んぼ、荒涼とした風景だ。9人の子供を持つジェ氏は、自分の小さな農地で、数カ月後にはじゃがいも、とうもろこし、米がとれるだろうと言う。しかし、ここで作物を育てるなど、とても信じられない。いかんともしがたい水不足の問題はどうするのか。この疑問に彼は「もし雨季の始まりが遅れたらそうなるだろうな。だがこれまでいつもなんとかやっているよ」と笑いながら答える。ジェ氏には旱魃よりももっと手ごわい敵がいるのだ。 カンボジアほどに貧しい国では土地は大きな商品価値があり、農民にとっては唯一の財産だ。それがシエム・レアプでは、ホテル建設ラッシュで値段が10倍に跳ね上がり、投資家たちが舌なめずりして狙うようになった。住民の自活手段である農地を食いつぶしながら都市は南へ、そして東西へと、どんどん遠くへ広がっている。農民たちには、選択の余地がほとんど残されていない。自分の土地を売るか、取り上げられるかのどちらかだ。「去年、プノンペンから、この土地の権利書を持った人たちがやって来て、私の土地のなかで市街地に一番近いところを自分たちのものだと言ってきた。私がぜんぜん知らない間に郡長が勝手に売り払っていたよ」とジェ氏は話してくれた。 問題は、都市の住人が作成した権利書が法的に正当なものだったことだ。ジェ氏は、9割方の農民と同様になんの証書も持っていない。見せられるものといえば過去の納税証明書ぐらいだが、それで1980年からこの土地を占有してきたことを証明できるはずだと言う。この一件は役場に訴えられた。しかし、「もし彼らがこの土地を私から取り上げたいのなら彼らはそうするだろう。都市部がさらに広がれば、残りの土地も取り上げるだろう。こっちに何ができると言うんだい。今までずっとここで暮らしてきたというのに」と、ジェ氏は悲観的である。 これまで誰からも異議をはさまれず、父親から譲り受けた土地を所有してきたにもかかわらず、ジェ氏は土地なし農民の予備軍に数えられる。数年後には、農地を失った200万のカンボジア人たちの仲間入りするだろう。この声なき集団は急激に膨れ上がっている。NGOのオックスファム(1)とカンボジア開発研究所(CDRI)は、どちらもそろって、1984年には人口の5%、2000年には12%、2004年には17%という数値を示す。土地問題研究の第一人者、チャン・ソパールは、1996年から97年を境に土地なし農民が急増を始めたとし、「今や20%を超えている」と見る。 2004年現在、土地なし農民の過半数(60%)は、かつて一度も土地を所有したことのない世帯である。残りの40%は、強制収用されたか自主的に売却するかして、持っていた土地を失った。カンボジアで起きる訴訟で2番目に多いのが農地をめぐる紛争であり、最高裁判所まで持ち込まれる案件の60%を占める。 内戦がパリ和平協定によって公式に終結してから13年、最後の武力衝突からも6年が経っている。「無策のまま土地なし農民が30%にまで増えれば、政治問題になることは避けられない」とオックスファムは予測する。ここ数年、政権に対する別の恨みが農民の不満を掻き立ててきた。経済成長の主役となった都市部に比べ、人口の80%が住む農村部は停滞が著しく、両者の格差は劇的なまでに深まっている。全国に広がる贈収賄は、この国を平然とドル漬けにする援助国(2)にも黙認されていて、罰せられることもない。政治指導者たちは無責任の極みに達している。2003年7月の総選挙から2004年7月までの一年間、政治抗争に明け暮れたカンボジアは、国民を代表する政府も国会も不在の状態が続いた。行政府と司法府は、汚職にまみれているだけでなく、無能で、いいかげんで、役に立たないことで知られている。 タイ国境部の豪華なカジノ土地の私有権は1989年になってようやく法的に認められるようになり、1992年の土地法で制度化された。しかし、二つの大きな出来事で、状況が変わってしまった。一つは、ポル・ポト政権崩壊後の25年間で人口が急増したこと(カンボジアの総人口は当時から2倍の1300万人)、もう一つは、内戦によって北西部の大部分が農耕に利用できないままになっていたことである。この地域では農地のほとんどがクメール・ルージュなどの軍閥や軍の高級幹部の支配下にある。公権力は、内戦中あるいは終結直後に不法に獲得された私領地に対し、(軍を敵に回さないという)政治的理由と、(政治家がそこから大きな利益を得ているという)経済的理由から目をつぶっている。別の地方で、軍や有力者、つまり、最大与党のカンボジア人民党(CPP)やシアヌーク派の民族統一戦線(フンシンペック)の幹部たちが、現在でも必要とあらば力ずくで(3)農民から土地を強制収用していることについても、同じように「知らんふり」をしているのだ。 こうして、大規模な私有地が形成された。人口の7%ほどの最富裕層の農民が耕作地の35%から40%を支配していると見られる。一方で人口の50%を占める最貧困層が所有しているのは15%にも満たない。不透明な政策により、木材や食品分野の大企業(それもほとんどが外資系)が土地の権利を得るのを見て、農民は自分たちが締め出されてしまったという感を一層強くしている。カンボジアの国土1800万ヘクタールのうち500万ヘクタール近くの森林と100万ヘクタールの農地がこうして払い下げられた(4)。関係する住民の権利は考慮されることになっているが、実際にはほとんど尊重されていない。 これらの軍人や有力者たちのなかには、所有する土地をなるべく高く売りつけたり、シエム・レアプ、シアヌークヴィル、バッタンバンの都市周辺部の開発による値上がりを待つ代わりに、ゴムや胡椒の栽培でひともうけしようと企てる者もいる。しかし、その大多数は不在地主となり、土地を小作に出している。そうした土地には、対人地雷があちこちに埋まっていることもある(5)。取り上げた土地を元の所有者に売りつけることも珍しくない。 カンボジア最西端のポイペト地方では、軍の高官たちが広大な土地を不正に収用し、そこにカジノを建設して、莫大な富を蓄えた。タイではギャンブルは禁止されているので、毎日何百人というタイ人が国境を越えて大金を賭けにやって来る。バンコクから車で4時間、十軒ほどの豪華なカジノの周りにはホテルが建ち並び、18ホールのゴルフ場まで備わっている。マカオに次ぐアジアの賭博の一大拠点となったこの地方は、土地なし農民の比率が最大であり、全国平均を5%から10%も上回る場所なのだ。 土地なし農民の数が増える最大の原因は、取得可能な土地が年々減っているからだ。カンボジアの農地面積は年平均で0.5%しか伸びていないのに、農業人口は2.5%も増えている。毎年新たに労働市場に入ってくる20万人のうち、5分の4が農村人口だ。人口増加の圧力と大家族化のため、相続のたびに所有地が小さく分割されていく。多くの農民の子供たちは土地を持たず、これからも決して持つことはないだろう。土地を手にできた者も、じきに手放すことになるかもしれない。猫の額ほどの狭さの農地では、大家族を養いきれないからだ。 それに加え、いつまで土地を持っていられるかわからないので、その土地に投資しようとしない。数カ月後に、子供の一人が結核にかかり、土地を売るはめになるかもしれないのに、機械や灌漑設備、肥料にお金をつぎ込んだところで何になるというのだ。経済状態が安定しないために農地への投資が進まず、そのため、所有していることがますます難しくなっていく。 90年代終盤以来、土地を手放すケースの60%近く(6)が医療費で借金がかさんだ結果と考えられる。「私たちが受け入れている土地なし農民世帯の大半が家族のなかに一人あるいは複数の重病人を抱えていて、薬代や治療費を支払うためにやむなく土地を売り払ったのです」と、カンボジア人権同盟も言う。 農村開発か、都市開発かいったん土地を売ってしまったら、取り戻す見込みはほとんどない。窮地に際して土地を手放した農民は、たいていの場合その翌年には、自分が売った当の相手にとてつもない借地料を払って、同じ土地を借りることになる(7)。2000年のバッタンバン州カコー村の借地料はたった1年分で土地の売値の6割から7割もした。このような金額では農業を続けようと思っても1年か2年がやっとである。土地を失い、土地なし農民となった彼らは、やがて仕事までも失い、土地なし失業者となってしまうのだ。仕事を失った農民の割合は40%を超えると見られている。ある者は、その土地で代わりの仕事をみつけ、漁師や日雇い労働者になる。そうでない者は地元を離れる。国民一人当たりの国内総生産(GDP)がカンボジアの20倍になるタイは、多くの土地なし農民がチャンスを試そうとする黄金郷である。カンボジア国内では、一人当たりのGDPが農村部の250ドルに対して、1000ドルに上るプノンペンなどの都市が、大量の人口をのみ込んでいる。首都の繊維産業は毎年2万人の労働者を吸収しており、その大半が女性である。バイクタクシーや道端での物売り、屋台食堂などの都会ならではの雑業も飛躍的に増えている。 今までのところGDPの年間成長率が約15%のプノンペンは、人口の急増にうまく対処してきた。しかし2005年1月に、これまでこの国が享受してきた繊維製品のアメリカ向け輸出割当が廃止されれば、そうはいかなくなるかもしれない。一部で予測されているように繊維産業が壊滅すれば、土地なし農民という社会問題が都市部でも激化するだろう。この危険性を政府当局は過小評価しているが、確かな現実である。 政府上層部で激しい議論が戦わされている。土地なし農民の流出に歯止めをかけるべきなのか。それとも、カンボジアのような都市化が進んでいない国では、このような人口移動は都市・農村人口比の「正常化」の初期段階とみなすべきなのか。「農村開発派」は農民が地元に残るように農村に多額の投資をすべきだと説く。都市開発派はこれを一蹴する。没落した農民を受け入れるよう都市を整備したほうが安上がりではないか。それに、農業が競争力を付けるには数十年かかるだろうが、都市を経済成長の中核にするのは短期間ですむ。 土地所有の集中化をどう見るかが、議論の争点になっている。「現実派」と呼ばれる論者によれば、土地なし農民という現象は農業の過渡期に現れる兆候であり、長期的には危険であるどころか良い影響をもたらすものである。この説が論拠とするのは、小規模の農地経営が農業発展の障害となるのは誰もが認めるところだという点だ。農地の分割が止まり、農民が採算の取れる程度に広い土地を持つようになれば、農業は発展に向けて離陸を始めるだろう。理由のいかんを問わず土地所有の集中化に異議を唱えれば、カンボジアの農業は何十年にもわたり、前近代的なままで新たな貧困層を生み出すだけだ。 政府は土地なし農民問題の解決が急を要するとわかっていたが、本気で取り組もうとはしてこなかった。1999年、土地管理を専門に担当する省を創設し、それに加えて翌年には省庁間土地評議会を作った。この評議会は世界銀行の支援を得て15カ年計画を打ち出した。大きな成果としては、国有地から何千区画かを最貧困層の農民に無償で分配するという斬新な取り組み(8)を定めた土地新法の採択があげられる。 もっとも、まだ実験段階にすぎないこの「社会福祉的な払い下げ」について、NGOは懐疑的である。「この法律条文の意図するところは賞賛に値するが、過去にも地雷が埋まった土地も含めた『無償』の分配があった。そして大半のケースでは縁故がものを言い、賄賂が横行して本来の目的を果たせなかった。対象のはずの人たちには分配されなかったのだ」と、カンボジア人権向上・擁護同盟(LICADHO)は過去の教訓を引く。 食糧の援助と配給政府の計画のなかで最も野心的で、最も自由主義的な発想に基づく土地管理運用計画(LMAP)が、2002年5月に始まった。世界銀行の融資とドイツ、フィンランドの支援を受け、「土地所有権の確定と効率的な土地取引市場の発展」を目指している。この事業は巨大で、15年間でカンボジア全土の土地台帳を作成し、所有権を持つ農民全員に権利書を発行するという。総計500万から800万の土地区画が地図化され、確定されることになる。「不可侵の権利書を保有することにより、農民は不法な強制収用を防止できるようになるだけでなく、資金の借り入れや投資のための安定した基盤を持てるようになるでしょう」と世界銀行は説明する。この計画には多くの反論が向けられている。第一に、費用が1億ドルと非常にかさむうえ、期限内に終わらせるのは不可能である。世界銀行は、カメルーンで20年以上前からさまざまな試みを重ねてきたが、いまだに検地計画を完了できないでいる。また、タイやレバノンでは、国土の半分を台帳に登記するだけでも50年かかった。それに実務問題として、農民が従来の取引方法を止めて、権利書を保有するというやり方に適応するかはわからない。 もっと深刻なのは、この計画が紛争を煽りかねないということだ。一例がインドネシアである。検地計画が実施されると、局地的に内戦に近い状態になってしまった。有力者たちがこの計画を利用して、土地が台帳に登記される直前に農民たちを追い出し、これを不法に自分のものにしてしまったのだ。犯罪の多くが野放しになっているカンボジアでも同じ現象が起こる可能性がある。 もうひとつの問題点は、土地所有権の確定が、匿名の融資関係者に言わせると「農民の生活不安を改善するものではない」ということだ。「土地なし農民に土地を戻すのはよいが、所有権の問題に固執するあまり、農業生産システムの徹底的な見直しという別の緊急課題に目が行かなくなっている。カンボジアの生産性は世界でも最低のレベルにある。この1億ドルで、例えば農村向けの融資制度を整備するなど、多くのことができたのではないだろうか」 カンボジアの土地なし農民たちは、潜在的な反徒なのだろうか。ヤム・ジェ氏はシエム・レアプの自分の土地で、それを自分から取り上げた町の住民に向かって武器を取るのだろうか。1967年にサムロートで起こった農民蜂起が、1970年の内戦勃発へとなだれ込む一連の流れの発端となったことを指摘する者は多い。しかしながら、当時の農民反乱に加担したと考えられる二つの要素が現状では見られない。ひとつは外国の干渉(1967年以降のアメリカと南ヴェトナム)、もうひとつは凝集力のある組織的な政治イデオロギー(60年代末期に地下に潜った共産主義活動家)である。 さらに、融資国とカンボジア政府が、社会騒乱を未然に防ごうと一致協力している。スローガンは、何をおいても国の安定を守る、である。多数のNGOが機能不全の国家に代わって社会のあらゆる分野で活動し、他方では世界食糧計画(WFP)が最貧困層に大量の食糧援助を行っている。そして政府自身も、端境期には定期的に米の配給を行っている。カンボジア人民党にとっては、それが政権維持に直結する。何百万もの読み書きのできない農民たちが同党の大きな支持基盤となっているからだ。 社会の不満が今のところうまく封じ込められているとしても、カンボジアにいる外国の協力使節団は懸念を隠さない。「現時点で見られるように、土地なし農民の増加が抑えられなければ、社会的、政治的に不穏な動きが起こる可能性が高い」と、ある在カンボジア大使館の内部メモに書かれている。このメモが思い起こさせるのは、2004年現在、カンボジアという二極社会で非常に激しくなっている都市部と農村部の対立こそが、1970年代に、民衆がクメール・ルージュに加入した最大の原因だったことだ。 「私は自分の土地を守りたい。政府なんて信じちゃいない。政治には関わりたくない」とジェ氏は繰り返す。だが、自分の土地から追い出されてもなお、彼の意見が変わらないと誰が言えるだろうか。
(1) カンボジアの土地所有状況に関する全国規模の完全な統計がないため、定性的調査が最良の情報源となる。最新のものは、Robin Biddulph, Poverty and Social Impact Assessment of Social Land Concessions in Cambodia : Landlessness Assessment, Oxfam Great Britain, Phnom Penh, February 2004. |
| (2004年9月号) All rights reserved, 2004, Le Monde diplomatique + Seo June + Okabayashi Yuko + Saito Kagumi |
現代カンボジア略史
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| (2004年9月号) |
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