常識礼賛

エドゥアルド・ガレアーノ(Eduardo Galeano)
ウルグアイ人作家・ジャーナリスト

訳・三浦礼恒

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 移ろいやすく、冷ややかな、この病んだ世界は、もうひとつ非常に厳しい病に侵されている。それは、対話や共同作業に開かれた広がりの欠如である。出会いや交流が今でも可能な集いの場は、一体どこに見出されるのか。常識を手がかりとして、それを探りあてることができないだろうか。この常識というものは、今では非常に稀で貴重になっているが。

 例えば、軍事支出について見てみよう。世界で毎日22億ドルが死の生産に費やされている。より明確に言えば、世界はこの莫大な金額を投じて、途方もない規模の狩猟を推進している。そこでは、狩る側と狩られる側が同一の種に属し、同類を最も多く殺したものが勝者となる。9日分の軍事支出があれば、食糧と教育、医療を欠いた世界中の子供たちに、それらを与えるに事足りる。

 第一印象として、こうした資金の蕩尽は、明らかに常識を踏みにじるものである。では、振り返ってみるとどうだろうか。公式には、この浪費は、対テロリズム戦争ということで正当化されている。だが、常識に言わせると、それはテロリズムにとって実にありがたい事態となる。アフガニスタンやイラクでの戦争が、テロリズムを大きく勢いづけたことを見て取るのに、特別な専門家である必要はない。戦争とは国家テロである。国家テロは私的テロによって肥え太る。逆もまた真なりである。

 アメリカ経済が回復し、順調な成長に立ち戻ったとの数値が、さきごろ発表された。専門家によれば、メソポタミアの地で行われた戦争に関連する支出を抜きにすると、この成長率は明らかにもっと低いものとなる。言ってみれば、対イラク戦争は経済にとって素晴らしい朗報にほかならない。それでは、死者にとってはどうだろう。常識を伝えているのは、経済統計の声だろうか。それとも「この戦争も、どの戦争も呪われている」と、うちひしがれた様子で語る父親、フリオ・アンギタ(1)の声だろうか。

 武器の製造と販売が最も多い5大国(アメリカ、ロシア、中国、イギリス、フランス)は、国連安全保障理事会において拒否権を行使できる常任理事国でもある。世界平和の番人が、武器供給の最大手と一致するなどとは、常識の侮辱以外に何と言えようか。

 いざという時に命令を下すのは、この5カ国である。この同じ顔ぶれが国際通貨基金(IMF)も牛耳っている。その大半は、世界銀行において最終的な決定を下す8カ国の中にも席を占める。世界貿易機関(WTO)でも同様であり、この機関で、規定上は存在する投票権が使われたことは一度もない。

 世界の民主主義に向けた闘いは、国際機関を自称する機関の民主化から始めるべきではなかろうか。常識は何と言うだろう。常識が意見を述べることは想定されていない。常識には投票権がなく、発言権についても大差ない。

 この地球上で起こった最も残忍な犯罪や最悪の加害の大半は、これらの国際機関(IMFや世界銀行、WTO)を介して犯された。その被害を受けた人々は「行方不明者」である。軍事独裁の恐怖の夜と霧の中に消え失せた人々のことではない。「民主主義の行方不明者」のことを言っている。ここ数年のうちに、我が母国ウルグアイでは、ラテンアメリカ各国や世界の諸地域と同様に、仕事、給与、年金、工場、土地、川が消え失せた。我々の子供たちまでもが、失ったものを探し求めて、祖先がやって来たのと同じ道を逆方向にたどり、追い立てられるように国の外へと消え失せてしまった。

 常識は我々に、このような避けられる苦しみを堪え忍ぶよう命ずるだろうか。あたかも時や死がもたらす宿命的な結果であるかのように、座して受け入れるようにと命ずるだろうか。

 受容、あるいは忍従か。この世界が少しずつ不公平になりつつあることを認めないわけにはいかない。そのひとつの例として、男女の賃金格差を挙げよう。確かに昔ほど極端ではないものの、この調子で行くと、つまり一向に早いとは言いがたいペースによれば、男女の賃金の平等が実現されるまでには475年を要する。ここで常識は何を助言するだろう。ただ待つことだろうか。私の知るところでは、それほど長生きできる女性は誰ひとりとしていない。

 常識から発し、常識へと至る真の教育は我々に対し、奪われたものを取り戻すために闘うことを教える。ブラジルの森林で何年も過ごした経験のあるカタルーニャ出身の司教ペドロ・カサルダリガ(2)は、こう語っている。魚を差し出すよりも釣りの仕方を教える方がよいということは正しいが、そうはいっても川が毒にまみれ、あるいは売り払われていたら、釣りを教えても何の役にも立たない。

 サーカスで熊を踊らせるには、調教師による仕込みが必要だ。音楽のリズムに合わせて、とげ状の棒で熊の尻を叩く。もし正しく踊れたなら、調教師は叩くのをやめて食べ物を与える。さもなければ拷問は続き、日が落ちると、熊は腹を空かせたまま檻に戻ることになる。恐怖から、叩かれることへの恐怖、腹を空かせることへの恐怖から、熊は踊るのだ。調教師の側から見れば、これは純然たる常識でしかない。だが、打ちのめされる動物の側から見ればどうだろうか。

 2001年9月、ニューヨーク。航空機が2番目のタワーに突入し、タワーが軋み、倒壊を始めたとき、人々は階段を一目散に駆け下りた。拡声器から、全従業員は職場に戻るようにとの指示が流れた。常識でもって行動したのは誰だろうか。指示に従わなかった人だけが生還したのだった。

 生き延びるために、集まること。一つの手に並んだ指のように。一群になった鴨のように。

 編隊飛行の技術は次のようなものだ。最初の1羽が飛び立って2番手のために道を切り開き、2番手は3番手に道を示し、3番手のエネルギーに助けられて4番手が飛翔し、4番手が5番手を引っぱり、5番手の勢いにのって6番手が羽ばたき、6番手は7番手に力を与えていく。

 先頭に立つ鴨は疲れたら群れの最後尾につき、別のものに場所を譲る。この鴨が、空に描かれた逆V字の頂点へと進む。全ての鴨が順送りで、群れの先頭と最後尾を務めることになる。水鳥学者というわけではないが、彼らをよく知る我が友、フアン・ディアス・ボルデナーベによれば(3)、いかなる鴨も、先頭に立つからと優越感を持ったり、最後尾につくからと劣等感を持ったりすることはない。鴨たちは、自らの常識を失ってはいないのだ。

(1) フリオ・アンギタは、スペインの政治家であり、統一左翼の歴史的指導者。その息子でジャーナリストのフリオ・アンギタ・パラドは、マドリッドの日刊紙エル・ムンドの特派員として、イラク侵攻の際アメリカ陸軍第3師団に(アンベデッド、すなわち従軍する形で)同行し、2003年4月7日、バクダット南方でイラクのミサイルにより殺された。[フランス編集部註]
(2) ペドロ・カサルダリガ司教は、1928年生まれのクラレチアン宣教会修道士で、解放の神学の理論家。35年間にわたり、ブラジルの最も貧しい地域のひとつであるマト・グロッソ州の僻地、サン・フェリス・デ・アラグアイアの司教座に就いている。1992年にはノーベル平和賞の候補にもなっている。[フランス編集部註]
(3) フアン・エンリケ・ディアス・ボルデナーベは、パラグアイの随筆家で、コミュニケーション分野を専門とする。主著 Comunication y Socidad(コミュニケーションと社会), Busqueda, Buenos Aires, 1985.[フランス編集部註]


(2004年8月号)

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