圧力下のシリア体制

ポール=マリー・ド=ラゴルス特派員(Paul-Marie de La Gorce)
ジャーナリスト

訳・阿部幸

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 アメリカがイラクに対する戦争を開始した時、シリア政府はただちに、その目的の一つがシリア、レバノン、パレスチナの包囲網を完成することにあると確信した。その発端は、アメリカの後押しのもと、トルコとイスラエルの間で結ばれた戦略的パートナーシップである。イラク開戦から一年余り経った今も、シリアの確信は変わっていない。我が国は包囲されている。アサド大統領とその政府の政策は、この確信に導かれている。差し迫った衝突のリスクを回避するため様々な決定を下すとともに、国の独立に必要不可欠と考えられる姿勢を貫かなければならないのである。

 戦争が終わりもしないうちから、脅威がはっきりと現れてきた。ラムズフェルド国防長官は2003年3月28日、シリアとイランがイラク軍を援助していると糾弾した。数日後、ライス大統領補佐官(国家安全保障問題担当)が同じ非難と警告を、今度はシリアだけに向けて繰り返した。そして5月3日には、パウエル国務長官自らそれを伝えにダマスカスにやって来た。

 この時を境に、シリアの指導者たちはアメリカとの決定的な対決という可能性を想定するようになった。以後それが、地域の将来と自国が直面するリスクを分析する際の前提となってきた。シリア政府は言葉を慎重に選びながらも、アメリカ政府がいざとなれば、現体制の崩壊をねらった抗争を誘発するかもしれないとの考えを隠そうとしない。その狙いは、現体制にかえて常にアメリカに協力を惜しまない政治指導部を擁立することにある。

 シリアの指導者たちは、こうした判断の根拠として、アメリカ政府が2001年9月11日以来、国際テロ組織を支援、庇護、容認するという国々と、大量破壊兵器を現に製造・保有しているか、調達を計画している国々とを一緒くたにしていた点を指摘する。シリアの場合、アメリカ国務省はテロ支援国家のリストに載せ続け、軍備計画についても折に触れて問題視してきた。シリアはこうした現状認識に立って、自国が直面するリスクを分析し、それを遠ざけるための政策の策定と実施に取り組んできた。

 2003年にイラクでの戦闘が終息すると、シリアの指導者たちは、アメリカ政府が対イラク作戦の余勢をかって、何かしらの口実でシリアへの進軍に踏み切ることを覚悟すべきかと考えるようになった。ラムズフェルド長官とライス補佐官の警告も不安をあおり立てた。イラクに対する迅速な勝利をみせつけられたことで、シリアも他の国々も、アメリカ軍の圧倒的な優勢を信じ込んだ。

 しかし、すぐに明らかになったように、現地の要員数が限られたままのアメリカ軍は、イラクでの占領、統治、鎮圧といった仕事に忙殺され、まもなく最初の抵抗運動に直面していく。この時期、ワシントンはシリアに向け、態度を変えなければ制裁を加えるとの脅しを続けていた。以後、シリアは強い圧力にさらされるようになり、いずれ緊迫した局面を迎える恐れも出てきた。とはいえ、指導者たちにはまだ、状況の変化に政策を適応させる時間的余裕があった。

 アメリカの要求とは何だったか。それは主に次の4点に関わっていた。第1に、ダマスカスに拠点を置くパレスチナ組織に対し、シリア政府が行動の自由を許していた点。アメリカ政府はこれらをテロリストとみなしている。第2に、レバノンの組織ヒズボラに対して便宜をはかったとされる点。ヒズボラもやはりテロ組織とみなされ、状況次第でイスラエルに対する妨害活動を再開するとみられているからだ。第3に、フセイン政権に仕えたイラクの亡命者や亡命グループを大量に受け入れている点。彼らは時機が来ればアメリカの占領に対する戦いを再開する力を備えている。そして第4に、国内の軍事工場で、あるいは他国からの購入を通じて、大量破壊兵器を開発している点である。

アメリカ連邦議会の動き

 この4点のうち、最初の3つは中東地域の全体的な状況に関わっているため、シリア政府は対処の余地があると判断した。しかし4点目については、シリアの選択と決定の自由、そして国防能力に関わる問題である以上、アメリカが考慮に入れるべき「越えてはならない一線」となると判断した。

 こうした判断に従い、シリア政府は次々と決定を下していく。ダマスカスのパレスチナ組織に対しては、退去するか公然活動を控えるよう求めた。シリアに逃げ込んだイラクの要人とその取り巻きには立ち退きを迫った。レバノンに駐留するシリア軍については規模をかなり縮小し、ベカア高原に集結させることにした。ヒズボラが軍事活動を再開したとしても、シリア軍の関与を防ぐことができるからだ。つまり、レバノンで危機が勃発したとしても、内政介入を非難されずにすむ。さらに、アサド大統領は、もう一つ手を打った。イスラエルとの交渉に際してのパレスチナ自治政府の選択には決して反対せず、批判も手出しもしないことを明らかにしたのである。しかし、こうした一連の措置は、果たしてアメリカの政策のトーンや手法を変えさせることになったのだろうか。

 効果のほどは、アメリカ政府の反応をみれば見当がつく。最も示唆的なのは連邦議会の動きであり、二つの段階に分けてみることができる。まず、ボルトン国務次官が2003年7月15日に議会に対し、シリア政府への多少とも具体的な威嚇策を含む、非常に厳しい報告を行う予定が発表された。実際には、この公開証言は延期される。国務省が行き過ぎと判断し、交渉という別の可能性を残しておきたいと考えたからだ。

 しかし、7月22日付のニューヨーク・タイムズ紙でシリアが生物・化学兵器を開発しているとの情報が「リーク」されると、ボルトン国務次官は報告の発表に踏み切った。ただし、それが当初に予定されていたものと比べ、どこまで修正されたのかは不明である。この報告によれば、シリアはアメリカの要求に満足のいく回答を出さなかった。それゆえ、このまま大量破壊兵器の開発を続けるならば、国際テロリズムの潜在的な支援者となり、レバノンの独立を現実に脅かし、中東全体にとっての危険になりかねない。これだけ理由があれば制裁を加えるには充分である。第2段階は、この時に始まった。2003年11月11日、連邦議会はいわゆるシリア問責法を可決する。アメリカ政府の目からみてシリアがなおも示すと思われる危険に見合った制裁を、大統領の決定で発動することを認めるものである。

 こうした反応からシリア政府が導き出したのは、アメリカ政府内部で二つの流れが対立し、どちらも決定的な優位に立てずにいるという結論である。一方の側は、過酷な制裁さらには軍事的圧力さえ用いて早急に機をつかみ、バース党体制を崩壊に追い込むような危機を作り出すことが必要だと主張する。もう一方の、おそらく優勢にある側の主張では、シリアを孤立させ、この国が中東地域に対し、すなわち地域問題の政治的解決に対し、行動力や影響力を持てなくすることに目標を置くべきだった。

 総じてみると、シリアの指導者層は自分たちの目的が達成されたと判断したと言うことができる。自国に対する差し迫った軍事的脅威はなく、アメリカの議会が承認した制裁はいまだ実行に移されておらず、シリア政府は、政策と国防手段を完全に自らの手で決定できる立場を維持していた。ダマスカスは束の間の楽観ムードに包まれた。イラクの抵抗運動の拡大で泥沼にはまり込んだアメリカに、新たな冒険への進出によって、この地域でさらに苦労するつもりがほとんどなかったのは確実である。アメリカ政府が用意していた制裁は、2度にわたり延期された。1度目は2004年3月22日のヤシン師の暗殺後で、中東全体に深刻な騒乱が起こりかねない状況だった。2度目はファルージャ事件の時で、イラクにおけるアメリカ軍の状況が急激に悪化し、騒擾が広範囲に拡大するおそれがあった。アメリカ軍司令部の報道官が、イラクの抵抗勢力はシリア国境越しの援助を受けていると公然と非難していたにもかかわらず、制裁は延期された。こうした一連の動きからシリア政府は、アメリカ政府内でシリアへの敵意が相対的に低い側の主張が優勢であり、両国関係の安定化すら可能だと信ずるに至った。

対決の可能性

 同じ頃、これを否定するような3つの出来事が起こっている。2004年3月、イラク国境付近のクルド人地区で深刻な騒乱が発生した。この事態は一見したところ、地域の特殊事情に由来する。しかしシリアの指導者たちは、クルド人がシリアの政治経済の中で伝統的に担ってきた役割と、国旗が焼かれるというデモの暴力性からして、アメリカと結びついたイラクのクルド人政党の地下活動か、あるいはアメリカの機関自体が騒乱の背景にあるとみた。

 次いで、ブッシュ大統領が5月11日、想定されていたシリアへの制裁をついに発動した。空路の遮断については、もともとアメリカに乗り入れるシリアの飛行機がないので象徴的意味しかないが、その他の措置は重大な影響を招きかねない。まず、輸入がかなり阻害されることになる(第三国からの輸入も含むが、アメリカ製品も10%以上を占める)。また、外貨の取り引きが封じられ(シリア商業銀行はテロ資金を洗浄していると非難された)、政府要人がレバノンなどに保有する資産が凍結されれば、国の銀行システムに予想もできない結果をもたらすだろう。さらに、北米に暮らす多くのシリア人も打撃を受ける。

 それ以上に攻撃的だと考えられたのは、シリアとEUの間で計画されているパートナーシップ協定に対するアメリカの姿勢である。一部の国(イギリス、オランダ、さらにドイツ)に続いて5月25日には全加盟国が示した立場に、アメリカの意向が反映されていることは、シリア政府にとって疑う余地がなかった。シリア人が大量破壊兵器計画を完全に放棄しない限り、協定の締結はできないというのである。これまでにEUが他国と結んだパートナーシップ協定で、そんな条項が議題に上ったことはない。

 シリア政府のみるところ、これは明らかにシリアの利益に反する動きである。そして、伝統的あるいは一時的にアメリカに追随する諸国政府を介して、アメリカの圧力がEUに対して効果を及ぼしている証拠である。

 シリア政府は、対決の可能性を少しも忘れてはいないのだ。最もありそうで、おそらく最悪のシナリオは、アメリカ軍がカルバラとナジャフに攻撃をかけ、イラクのシーア派抵抗運動との衝突が再燃することで幕を開ける。中東のシーア派地域、なかでもイランに衝撃を与えることになるからだ。そうなればレバノンのヒズボラが報復として、自主的に動き出すにせよ、イラン政府の後押しを受けるにせよ、パレスチナ抵抗組織に現在よりも直接的な援助をするようになるだろう。

 その場合、イスラエル政府がどう出るかに関しては疑念の余地がない。シャロン首相は、すでにある機会にそれについて明言している。ヒズボラの行動をシリアの責任とみなし、レバノンに駐留するシリア軍に直接軍事的報復を行い、おそらくシリア国内の軍事施設や工業施設も報復対象にするという。それがまさに、危機的状況となった場合、シリアが直面する可能性の最も高い危険である。

 つまるところ、イラクの抵抗こそが、近隣諸国での大規模な行動をアメリカに思いとどまらせる鍵となる。最初にそれを察知したのはシリアの指導者たちだった。差し迫った対決のリスクを遠ざけるのに、彼ら自身が下した決定も役立ちはした。しかし、彼らは自分たちの政策が狭い崖の上を行くようなものであることも自覚している。

 政治的、軍事的選択の自由に関して一歩も譲らず、イスラエルが核兵器のような大量破壊兵器の開発を行っている限り、とりわけ(実際はどれほど限られたものであろうと)軍事計画を放棄することは拒むというのなら、シリア政府はアメリカからますます圧力をかけられ、さらには何らかの措置を被るリスクを冒すことになる。圧力に屈するなら、シリアの体制は自らの基盤を危うくすることになる。体制が基盤とし、その後何十年間も依拠してきたもの、それは異論を許さないナショナリズム、独立を守ろうとする意志の表明、そこから引き出される外国そして自国民に対する権威なのである。


(2004年7月号)

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