CFAフラン切り下げから10年の収支

デンバ・ムッサ・デンベレ(Demba Moussa Dembele)
エコノミスト、在ダカール(セネガル)

訳・清水眞理子

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 最近、石油や砂糖など一次産品の価格が高騰している。もしこの状況が続けば西アフリカ諸国は一息つくことができるかもしれない。しかし、どうあってもこれら諸国の経済社会状況が悪化の一途という方向が変わることはない。フランス政府と国際機関によって押し付けられた通貨切り下げは、期待されていたような発展をもたらさなかった。2002年のユーロ発足をきっかけに、アフリカ共通通貨の考えが再燃してきている。[フランス語版編集部]

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 フラン圏アフリカ14カ国(1)のうち11カ国が最貧国に属し、国民の90%近くが1日2ドル以下で生活している(2)。今から10年前、1994年1月11日のCFAフラン切り下げは、これら諸国の状況改善を約束していた。ところが通貨切り下げとそれに付随する措置によって、購買力は急激に低下した。というのも、世界銀行と国際通貨基金(IMF)が平価切り下げを利用して、抜本的な自由化・民営化政策を推し進めたからだ。

 これにより90年代半ばから、フラン圏諸国ではあらゆる部門(鉱山、電気通信、銀行・保険、水道、電気、交通など)の公営企業の徹底的な解体が加速された。大量の雇用が削減され、国民の購買力は急降下した。80年代初頭の債務急増後にアフリカ諸国に課せられた構造調整政策(SAP)によって約束されながら、絶えず先送りにされてきた「成功」が、フランスのバラデュール首相(それに国際金融機関)から押し付けられたCFAフランの対フランス・フラン50%切り下げによって(3)、今度こそ実現すると言われていた(4)

 通貨の切り下げは、国際市場での外貨建てによる輸出品価格を下げるから、サハラ以南アフリカ諸国の競走力を高め、好循環をもたらすはずだった。輸入品価格が相対的に高騰するので、輸入代替工業が振興する。輸出産業をはじめとする企業の収益力が回復するので、外国資本の流入が再開する。税収の増加が期待されるとともに、公共支出が厳しく監督されるようになるので、公共財政が健全化する。CFAフラン切り下げは88年当時も盛んに提唱されていたが、切り下げの政治的、社会的影響を懸念する複数のアフリカ諸国首脳が抵抗を示し、当時のミッテラン仏大統領も彼らを支持した(5)。しかし93年のフランス総選挙で右派が勝利をおさめると、風向きは変わった。フラン圏諸国政府には、もはや選択の余地がなくなった(6)

 とはいえ、フラン圏諸国の経済が破綻した主な原因が、CFAフランの過大評価にあったわけではない。85年から93年の国際収支の悪化は基本的に、一次産品価格とフラン圏アフリカ諸国の主要輸出作物(コーヒー、ココア、綿花など)の価格暴落による(7)。輸出作物は主要な外貨獲得源として、債務返済や先進国への輸入代金の支払いに不可欠だった。同じ時期、主要先進国が通貨・税制面で緊縮政策をとったことで工業製品の生産コストが上がり、アフリカ諸国の輸入総額は急増した。

 この二つの現象が結びついたことで、サハラ以南アフリカ諸国と先進国間の貿易条件は81年から97年の間に35%、85年から93年だけとってみると50%以上、フラン圏アフリカ諸国にとって悪化した(8)。その上、米ドルの下落が加わり、フランス・フランの対ドル・レートは70%以上も上昇した(9)

 92年から93年をピークとして国内資本の大量逃避が起こると、状況はさらに悪化した。資本逃避の原因のひとつはCFAフランの切り下げのうわさが広まったこと、もうひとつは財政赤字によって未払い債務が累積したことである。アフリカ諸国の資金需要は94年には500億フランス・フランにまで膨れ上がり、外国依存がさらに強まった。

外国民間資本が必要という欺瞞

 CFAフラン切り下げ以後、最初の3年間に急速な成長がみられたのは事実である。しかし実際の原因は、世界経済が回復し、いくつかの一次産品(紅茶、たばこ、コーヒー、ココア、綿花など)の相場が上向いたことにあった。この経済状況はアフリカの他の国にも好影響を及ぼし、特に東アフリカ諸国はフラン圏諸国より高い成長率を記録した(10)。CFAフラン切り下げには景気拡大の効果があったものの、世界的な一時の好景気が過ぎると成長は小幅となり、98年以降はその傾向がさらに強まった。

 アフリカ製品の輸出が難しいのは世界の貿易システムが不公正であるからだ。先進国の大量の農業補助金が、アフリカ製品に不利なダンピングを引き起こしているのである。1997年から2001年を例にとると、アフリカの輸出購買力は輸入工業製品に対して53%下まわった(11)。「自由貿易」の教説を盲信する世銀とIMFは、新自由主義グローバリゼーションの下での市場シェアが比較優位よりも補助金への「比較アクセス」に支えられていることを多分「忘れて」いたのだろう。だから世界貿易機関(WTO)の紛争解決機関がブラジルの申立によって、アメリカの自国綿花生産者に対する財政支援を不当とする中間報告を2004年4月27日に出したことは、もし最終報告でも維持されるなら(12)、途上国にとってひとつの勝利となる。

 約束に反して、国内企業の競争力はよくならなかった。市場開放のおかげで流入してきた輸入品との競合にさらされたからだ。国内企業の保護・支援政策の放棄がそれに輪をかけた。大半の中小企業はつぶれるか、インフォーマル部門に吸収されてしまった。

 驚くことではないが、外国資本も入ってこなかった。実際、最貧国は外国直接投資で冷遇されており、途上国向け資本のうちの1%未満を集めるにすぎない。中でもフラン圏諸国は最後尾に位置する。

 民営化推進時にフラン圏諸国の中でもっとも外国直接投資を誘致したコートジヴォワールですら、フラン圏に属さない近隣諸国よりはるかに少ない。90年から97年の累積投資残高はコートジヴォワールがおよそ5億ドル、それに対してガーナが8億9700万ドル、ナイジェリアが7億3000万ドルである(13)

 外国投資に賭けるというのは民間部門を「開発の原動力」にするという目標に即している。このような戦略の基本にあるのは、アフリカ諸国が他の発展途上国と同様に、「貧困対策」と発展の加速のために外国民間資本を必要とするという欺瞞である。フラン圏諸国の証券取引所が設立されたのも、国内と在外者の貯蓄を動員して新興の地場産業に回すためというより、公営企業の民営化を促進する目的からだった(14)

解放への道は地域通貨圏の創設

 その上、CFAフラン50%切り下げの直接の効果として、フランス・フラン建ての債務額は2倍になった。債務繰り延べを得てもあくまで支払いが延期されるだけで帳消しになるわけではなく、通貨切り下げ以後も債務の重圧は増すばかりだった。旧宗主国のフランスを抜いて、世銀が大半のフラン圏諸国の主要債権者となった。この国際機関は、関係国の経済社会政策の決定にあたり横柄に振る舞い、多大な影響力を発揮するようになる。

 95年以降、これらの国家の行動能力は徐々に弱まっていった。政府機関の信頼性、さらには正統性についても同様である。かなりの政府が必須の義務(保健、教育など)すら果たせなくなり、国民の大部分の不信感はなおさら高まった。その結果フラン圏諸国の中には、クーデターや深刻な経済・社会不安に絶えず揺さぶられるようになった国がいくつも出てきた(15)。たとえばコートジヴォワールでは、CFAフラン切り下げのマイナス効果が、農業生産価格維持安定公庫(CAISTAB)の解体によるコーヒーとココアの流通自由化とあいまって、99年以降のこの国の不安定化に無視できない役割を演じたことは明らかである。

 総じて、CFAフランの切り下げによってアフリカ経済はいっそう脆弱化し、外国依存をさらに高めた。これら諸国は切り下げによって、プランテーションと未加工の鉱物資源が圧倒的な一次産品の輸出に特化する傾向を強めた。2000年には西アフリカ経済通貨同盟(UEMOA/WAEMU)(16)の輸出の70%以上が一次産品で占められている。また、製造業は国内需要の激減と外国企業の不正競争の犠牲となり、発展を妨げられた。いまだ脆弱であった多くの工業がインフォーマル部門に追いやられた。その結果、国民の雇用と収入が不安定化し、社会はいっそう脆弱化した。通貨切り下げの傷跡は深く、2000年のユーロ導入の発表を受けて、再度CFAフランが切り下げられるのではないかといううわさが流れると、国民はまさにパニックに陥り、アフリカとヨーロッパの関係当局はうわさの打ち消しにやっきになった(17)

 CFAフラン切り下げは国内経済の外国依存度を増し、アフリカ統合促進の助けにはならなかった。実際、UEMOAと中部アフリカ通貨同盟(CEMAC)(18)の創設にもかかわらず、アフリカ域内貿易は低調である。フラン圏諸国のうち、1カ国か2カ国の例外を除いて、大半の国でフランスまたは他のEU諸国との貿易が50%以上を占めている。

 CFAフランの切り下げと、60年以上にわたるフランスとEUへの通貨依存に示されているのは、これがアフリカ人によって管理された通貨ではないということである。目下CFAフランは西アフリカ諸国中央銀行(BCEAO)と中部アフリカ諸国中央銀行(BEAC)に管理されている。とはいえユーロと連動し、フランス銀行とフランス財務省が交換性を保証している。それが現実には、関係各国ばかりでなくアフリカ全体の自立的な経済社会政策決定を妨げ、アフリカの発展と地域統合にブレーキをかけている。

 アフリカ諸国にとって解放への道は、広い範囲の西アフリカ地域共通の通貨圏を創設することによって開かれる。それはCFAフラン圏を超克し、この通貨を廃止することを意味する。おそらく西アフリカ諸国経済共同体(CEDEAO/ECOWAS)(19)がその枠組みとなるだろう。他の選択肢では、永遠に隷属が続くだけでしかない。

(1) ベナン、ブルキナファソ、マリ、ニジェール、セネガル、トーゴ、中央アフリカ、コンゴ民主共和国、ギニアビサウ、赤道ギニア、チャドの11カ国、これにカメルーンとコートジヴォワール、ガボンが加わる。
(2) UNCTAD、2002年報告書『最貧国−貧困のわなからの脱出』、59ページ、表19。
(3) 旧仏領アフリカ諸国で使われているCFAフランは、固定レートによるフランス・フランとの無制限の自由交換性をフランス財務省によって保証されている。1994年に、1フランス・フラン=50CFAフランから100CFAフランへの切り下げが実施された。2004年6月現在の交換レートは、1ユーロ=655.9CFAフランに固定されている。[訳註]
(4) エリック・トゥッサン「債務スパイラルを断ち切ろう」(ル・モンド・ディプロマティーク1999年9月号)。
(5) ル・ジュルナル・ド・レコノミー紙、ダカール、2004年1月12日付。
(6) フィリップ・レイマリー「通貨は切り下げられ、国民は忘れ去られ」(ル・モンド・ディプロマティーク1994年3月号)。
(7) UNCTAD『貿易開発報告書』1998年度版から「比較見通しにおけるアフリカの発展」。
(8) UNCTAD『アフリカにおける資本の流れと経済成長』(ジュネーヴ、2000年7月)。
(9) Economic Commission for Africa (ECA), Exchange Policy of African Countries in the Franc Zone Area : Recent Developments and Future Outlook, March 1998.
(10) マクタール・ディウフ『CFAフラン切り下げの収支』、CODESRIA(アフリカ社会科学研究発展評議会)シンポジウム、ダカール、1998年11月4-6日。
(11) UNCTAD, Economic Development in Africa. Trade Performance and Commodity Dependence, United Nations, February 2004.
(12) 2004年6月18日、ブラジルの主張を認める最終決定が示された。アメリカは上訴の意向を表明。[訳註]
(13) デンバ・ムッサ・デンベレ「西アフリカにおける投資と貿易」(雑誌『パスレル』2号、エンダ第三世界、ダカール、2002年6-8月)。
(14) 『アフリカ振興』14巻3号、国連、2000年10月。
(15) ピエール・フランクリン・タヴァルス「主権なき西アフリカ諸国」(ル・モンド・ディプロマティーク2004年1月号)。
(16) ベナン、ブルキナファソ、コートジヴォワール、マリ、ニジェール、セネガル、トーゴ、ギニアビサウ。
(17) シャルル・コナン=バニ「いばらの道の通貨切り下げ論」(ル・ソレイユ紙、ダカール、1998年4月17日付)などを参照。
(18) 中央アフリカ、コンゴ、ガボン、チャド、カメルーン、赤道ギニア。
(19) CEDEAO(英語略称ECOWAS)は西アフリカのフラン圏8カ国にカーポヴェルデ、ガンビア、ガーナ、ギニア、リベリア、ナイジェリア、シエラレオネが加わる。


(2004年6月号)

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