小国カタールの国家戦略

パスカル・ボニファス(Pascale Boniface)
国際戦略関係研究所所長

訳・内藤あいさ

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 2004年5月21日、カタールのサーニ首長が新しい労働法を発表した。アラブ世界で最も先進的な内容だ。外国人を含め、あらゆる労働者の権利が保護され、男女は平等である。労働時間と休暇は法的に保障され、労働契約は政府機関に登録される。解雇の際の最低補償額が定められ、組合の自由と独立が保障される。こうした進歩は、この首長国のイメージを上げようとする総合的な努力の一環をなしている。[フランス語版編集部]

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 アル・ジャジーラ(1)の名はおそらく、それが生まれた国よりもよく知られている。カタールは人口60万人(うち国籍保有者は3分の1足らず)の湾岸の小さな首長国で、今までほとんど話題にものぼらなかった。2001年11月、首都ドーハが世界貿易機関(WTO)閣僚会議の開催地となったときも、前回のシアトルのように、もうひとつのグローバリゼーションを唱えるデモ隊が大挙して押し寄せるとは考えにくいことが、選択の理由としてあげられていた。

 この国は最近では、イラク戦争の作戦を指令する米軍参謀部(中央軍)の基地の役割も果たしている。また、キャリアの終わりにさしかかった有名サッカー選手を高給で迎え入れ、メディアのスポーツ欄で話題を振りまいている。こうした一連の事実から作り出されるカタールのイメージは、外国人にとって近づきがたく、警察のコントロールが容易に及ぶ国、アメリカ政府に追随する君主国で、指導者層はスポーツへの情熱を満たすことに小遣いをつぎ込んでいるといったものだ。

 だが、そのような紋切り型の言い方では、この国の姿を見誤ることになる。カタールでは今、近代化のみならず民主化に向けた政治プロセスが進行している。1995年に無血クーデタで父親から権力の座を奪ったハマド・サーニ首長は(2)、少しずつ政治的開放を進めてきた。検閲は廃止された。放送局アル・ジャジーラが創設され、アラブ世界にそれまでなかった論調が育っていった。アル・ジャジーラは何を言うのも自由だった。ただし、内政にかかわる判断を述べることはできなかった。

 2003年に国民投票により採択された憲法は、45名からなる諮問評議会の創設を規定している。議員の3分の2は普通選挙で選ばれ、3分の1は首長により指名される。憲法はまた、結社の自由、信教の自由、司法権の独立を保障している。刑法典の改正も進行中であり、ヨーロッパの規範に近づく内容となるはずである。女性の地位が向上したのは、もっぱら首長と夫人の個人的な意向による。夫人は控えめながらも効果的な役割を果たしてきた。2003年5月には女性の大臣が登場し、大学でも女性の学長が誕生している。

 アメリカとの戦略的な接近はまぎれもない事実だが、それは本心からではなく合理的な判断から、さらに言えば、そうせざるを得ないがゆえの選択である。カタールには、豊かだが、小さく弱い国だという自覚がある。サウジアラビア、イラン、イラクという極めて危険なトライアングルの真ん中に挟まれて、国の命運がミサイルの一撃に左右される。たとえ一発でも国の経済と投資にとっては致命傷となりかねないからだ。サウジアラビア政府とはワッハーブ派という共通点があるものの、この強大な隣国の野望は懸念材料だ。両国の間には、アル・ジャジーラによるサウジ王室批判をめぐって、深刻な対立が生まれている。

 フセイン体制が崩壊したとき、カタールの指導者層は、戦略上の危険が減少したと喜んだものの、勝負がまだ終わっていないことも知っていた。アメリカが勝利を収めつつあるという確信はない。サーニ首長はその一方で、アメリカが長期間にわたって居座るつもりであり、となるとアメリカとともに働く以外の選択肢がないことも確信している。カタールは9・11以後、対テロ戦争においてはテロの原因と結果の双方、とりわけイスラエル・パレスチナ紛争が未解決のままの現状への取り組みが必要だと主張してきた。アメリカ政府の中東政策は、カタールの目からすると、中立的でも効果的でもない。

 カタールの指導者層は、当面の安全を確保するためにはアメリカが必要であり、自国にアメリカと事を構えるような力はないと考えている。さらに、技術や教育の面で、アメリカが重要かつ有用な貢献をしてくれると見ており、アメリカ流の消費社会のあり方を賛美する。その一方で、アメリカ政府の戦略のまずさを嘆き、国内世論のみならずアラブ人とイスラム教徒がみな、アメリカ外交の強引な側面に拒絶反応を示していることを意識している。

 カタールがイラク戦争前からアメリカ軍の駐留をすすんで求めたのは、それが強大な隣国に対する絶対的な安全の保証となるからだ。在サウジアラビア部隊を縮小しつつ、湾岸の拠点を強化したいと考えていたアメリカにとって、この申し出は願ってもない幸運だった。こうしてカタールは中央軍の駐留を受け入れた。サーニ首長がフランスびいきで知られ(個人的にもシラク大統領と親密であり、プライベートでもたびたびパリを訪れる)、皇太子がフランス語を話すにもかかわらず、この国にはアメリカが押し寄せているという印象が強い。

 アメリカの存在感は、軍事的、戦略的な側面に限ったものではない。政治家(クリントン前大統領が1月半ばに会議出席のために来訪した)、ビジネスマン(2年前にはアメリカとフランスの投資額の比率は1対1だったが、その後5対1でアメリカが優勢になった)、大学(すでに4つのアメリカの大学がカタール財団によって建てられたキャンパスに設置された)、顧問(ランド研究所が事務所を開いて政府関係の仕事をしている)など、あらゆる分野で大きな存在感を発揮している。これまで軍事設備の80%を提供していたフランスは、アメリカの積極攻勢に既得権益を脅かされ、抵抗を試みている。

ワールドカップ本大会出場を目指して

 サーニ首長は対外戦略上、アメリカと差し向かいの状況に陥るのを明らかに望んでおらず、イスラム教徒のスカーフ禁止法の問題でイメージダウンしたといっても、対抗力として働くフランスとの同盟関係が必要であると見なしている。フランスは2002年にカタールとの貿易で、6億2800万ユーロ余りの黒字を計上した。カタール航空は、アメリカから強い圧力があったにもかかわらず、エアバス社とA380型機50億ドル分の購入契約を結んだ。だが、このヨーロッパ企業の会長は、いまだにドーハに赴く時間をとっていない(3)。同様に、フランス外務省は予算削減のせいで、ドーハの大使館に広報参事官を置いていない。ここがアル・ジャジーラの国であることを考えれば、残念という気がする。

 カタールの豊かさをもってすれば、日本がアジアの経済モデルとなったように、湾岸諸国の社会モデルになることも可能だろう。経済的に豊かで人口が少ないという事情からすると、カタールが野望を抱くのも当然だ。石油と天然ガスによる収入は、2002年に落ち込んだのち、2003年には7.5%の成長を記録した。住民一人当たりの国内総生産(GDP)は年間3万ドルを超える。カタールの天然ガス埋蔵量は、ロシア、イランに次ぐ世界第3位で、200年分以上に相当する。この分野につぎ込まれた巨額の投資については、すでにほぼ全額の償還が済んでいる。

 国の発展に向けた計画には、こうした切り札が活用されている。カタールは、長期にわたって天然資源が存在し続けるという安心感の上に、自己の将来像を描こうとする。国を率いる啓蒙専制的な指導者層は、開放と民主化が恩恵をもたらすと信じている。彼らは先を行くことで社会を動かしたいと望んでいるが、リスクを冒すつもりはない。社会的、人道的な難点は過去も現在も移民労働者の存在である。人口の3分の2を占める移民労働者には、組合権も政治的権利もない。社会的権利もごくわずかで、国内に同化する見込みはない。

 カタールは、大幅な財政黒字を計上している。それは消費の必要を満たしてくれるのはもちろんのこと、国際的な存在感を増すことにも役立てられている。カタールがスポーツに注力するのもそのためだ。サッカーに加え、テニスのトーナメント(毎年最初のトーナメントであり、世界中の視線が注がれる)を創設したほか、2月には自転車競技のツール・ド・カタールを開催する。この大会は、気候の面からしても、ヨーロッパの競技会のウォームアップとして最適であるように見える。

 カタールはまた、2003年8月にパリで開かれた世界陸上大会で金メダルを獲得している。実際には、終生の給料と引き換えに大会直前にケニアから帰化し、名前をサイフ・サイード・シャヒーンと改めたスティーヴン・チェロノのおかげだった。また、2006年のワールドカップ本大会出場を目指して、自国で代表入りしそうもないサッカー選手にカタール国籍を与えることまで考えている。しかし、この計画に対しては国際サッカー連盟(FIFA)が異議を唱えている(4)

 ヨット選手トレイシー・エドワーズ(イギリス)は5500万ユーロを受け取って、自分の船を「カタール2000」と名づけた。サッカーのリーグには4000万ユーロが投入された。シャヒーンが月1000ユーロを受け取るにすぎないのに対し、バティストゥータ(アルゼンチン出身)、ルブッフ(フランス出身)、エッフェンベルク(ドイツ出身)、グアルディオラ(スペイン出身)といったサッカー選手は月に10万から20万ユーロを稼ぎ出す。カタールは2006年、ワールドカップとオリンピックに次ぐ第3の世界的なスポーツイベント、アジア大会の開催地となる。このようなイベントがアラブの国で開かれるのは初めてだ。

 サーニ首長は「国連よりも国際オリンピック委員会(IOC)に認められるほうが重要だ。誰もがIOCの決定を尊重しているのだから」と主張する。しかし、本当の狙いは、カタールを話題の的にすることにある。スポーツ紙は何ページにもわたってカタールのことを取り上げている。政府のアル・ムッラ広報局長は、指導者層の哲学を見事に要約してみせた。「スポーツはメッセージを伝え、国のイメージアップを図るには、いちばん手っとり早い方法です。中東と聞くと、すぐに『テロリスト』を思い浮かべませんか。そうです、わが国の指導者たちは、カタールの評判をよくすることを望んでいるのです(5)

 カタールの政策で最も目立つ部分がスポーツだとすると、最も重要な分野は教育である。カタール財団は、国内と湾岸諸国の学生を受け入れるため、学園都市を建設した。この高級キャンパスの建設には、2億5000万ドルが費やされた。アメリカの大学がすでに進出したのに対し、フランスはカタールの呼びかけになかなか応えようとせずにいる。だが、これは非常に重要な課題である。

(1) デーヴィッド・ハースト「カタール発の自由放送」(ル・モンド・ディプロマティーク2000年8月号)参照。
(2) フランソワーズ・セリエ「カタールと中東・アフリカ経済会議」(ル・モンド・ディプロマティーク1997年11月号)参照。
(3) チャレンジ誌(パリ)2004年1月22日号。
(4) レキップ紙(パリ)2004年3月9日付。
(5) ジュルナル・デュ・ディマンシュ紙(パリ)2004年2月15日付。


(2004年6月号)

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