もう一つのグローバリズム

ジャック・ニコノフ(Jacques Nikonoff)
ATTACフランス議長

訳・内藤あいさ

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 この数年で、物事は考えられていたよりもずっと上手くいくようになった。新自由主義グローバリゼーションのシステムは、熟しきった果物のように落ちていくとまで思ってはいけないが、至るところできしんでいる。地球規模で、もう一つのグローバリズムと呼ばれる巨大な運動が形成されつつあり、前進を続けている。多くの徴候によって、そろそろ手の届くところにあることが分かる量的、質的な一線を、どうすれば越えることができるのか。不当で不条理な世界をもはや支持せず、その代わりとなる解決策を模索する人々が、この運動に多くの視線を注いでいる。

 もう一つのグローバリズム運動の歴史的な意義は、新自由主義のイデオロギーを明るみに出し、解体するという大がかりな仕事をしてきたことにある。各地の社会フォーラムで、代案が力強く生み出され、数々の取り組みが提案されてきた。その活動が日に日に明らかにしているのは、グローバリゼーションが政治的プロセスであって、今ではそれに別の政治的プロセスが対立するようになったということだ。それがつまり、もう一つのグローバリズム運動である。グローバリゼーションは、長い間その本性を隠してきた煙幕を取り払われ、南半球に対する北半球、他の形態の資本主義に対するアングロサクソン型資本主義、持たざる者に対する持てる者の支配システムとして立ち現れている。こうしたグローバリゼーションこそが新自由主義イデオロギーの具体化だと言えるほどに。

 グローバリゼーションは、確かに降って湧いたものではない。経済システムや技術システムの自然な進展の途上で必然的に通るべき段階というわけではない。それはまさに、政治の分野をはじめとする数々の選択と決定の直接的な結果なのだ。それはまた、1968年以後、欧米諸国の賃金労働者を失業によって締め上げ、貧しい国の人々を対外債務によって締め上げる目的で、徐々に行われてきた戦略的選択ですらある。

 とはいえ、資本主義に固有の力学の結果として、とりわけ金融化と技術の分野に起こった変化を否定するのは無駄なことだろう。しかし、そうした変化は80年代初頭以降、レーガンとサッチャーを創始者とする保守革命の支持者たちが実行に移した戦略に絡め取られ、方向付けられてしまった。新自由主義グローバリゼーションの拡張を助けたこれらの決定は、政府と多国間機関により、さらに機関投資家と多国籍企業によって下されたものだ。

 多国籍企業はすぐに、地球規模での労働の再編が一石三鳥になることを理解した。第一に、競争力を高めるために企業の規模を小さくし、外国に移転させることで、欧米国内の労働組合運動や抵抗を弱めることができる。第二に、賃金総額を減らし、様々な税制や社会保険制度の免除措置を利用することで、利益を拡大することができる。タックス・ヘイブン(租税回避地)については言うまでもない。第三に、現地に工場を作ることで、南半球の発展に貢献しているという印象を植え付けることができる。

 というのも、資本主義は70年代中頃まで、一部の国について(東西二大陣営に対する非同盟諸国運動の均衡戦略のせいで)、また一部のヨーロッパ企業について(1968年の五月革命とそれに続く数年の余波のせいで)、コントロールを失っていたからだ。利益と生産性は下がり、賃金は上がった。また、すべての社会階層の中に、とりわけ若者の間に、反資本主義的な思想が拡大していた。財界と保守勢力は、企業やメディア、国際機関、一部の政党、国家機関の思想や実務を再び支配下に収めるために団結した。

 新自由主義グローバリゼーションを前にして、「政治の無力」を信じることはもはやできない。日常の中で気休めのように、政治が「経済のコントロールを取り戻す」ことを祈願するなどというのは全く意味がないことだ。実際には、政治がそうした支配権を失ったことはない。ワシントン・コンセンサスは、意識的かつ組織的に実行に移された政治プロジェクトなのである。

 グローバリゼーションに対置する適切な代案を示し、そこに至る道を切り開くことができるか。つまり、人間を解放する政治的、文化的プロセスとしてのもう一つのグローバリズム運動を構築できるか。それは、グローバリゼーションという現象の性質を正確に理解することにかかっている。この運動は、多国間機関や各国政府、議員や政治責任者に「突っ込みを入れる」だけのものに終わってはならない。もう一つのグローバリズムが同情のレベルにとどまるとして、それは確かに無益ではないが、現状だけに終始すれば歴史的な展望を欠くことになってしまう。この運動は「もう一つの世界は可能だ」をスローガンとすることで、その目指すところを明確に描き出した。それは社会、経済、政治、そして民主主義の新しい世界秩序を打ち立てることである。したがって、これから深めてゆくべき提案の中身は、そうした提案を具体化するための手段と不可分なものとなる。

 となると、代案という観念の意味を明確にしておいた方がよいだろう。表面だけしか見ないなら、代案というのは政党が綱領と呼び、労働組合が要求と呼ぶものの言い換えにすぎないように思えるかもしれない。実際は、そこで示されている代案は全体的であり、綱領や要求とは根本的に違っている。つまり、それは世界的で反自由主義的、そして包括的であるという性質を兼ね備えている。もう一つのグローバリズムだけが、社会フォーラムに見られるように、地球規模で考えて行動を起こしている。新自由主義イデオロギーの一貫性に対置できるような一貫性を探究し、そこで正しく反自由主義的な目標を定めている。そして、個人の行動から企業の戦略、多国間機関の政策に至るまで、新自由主義との闘いという包括的な取り組みを広げようとしている。

 この点についてはもう一つ、代案の全体的なタテヨコ構造という観念を出してみることで、新自由主義グローバリゼーションの生産と再生産の場となり、それゆえ運動の標的となる権力の場を見定めることができる。目標は、そこで下される決定を変え、新自由主義の論理を少しずつ取り除くことにより、もう一つのグローバリズムが作り出す代案と置き換えていくことにある。これらの代案の大部分は、例えばタックス・ヘイブンの廃止のように、行動に適した六つのレベルで実行に移すことができると言える。それは国際レベル、大陸レベル、国家レベル、地方レベル、個人レベル、企業レベルである。

 国際レベルというのは時として曖昧さを免れない。最も重要な決定は地球レベルで下され、国家にはその余り物しか任されず、そうした状況は不可逆的であるなどと主張するのは、陥ってはならない罠に向かうことだ。世界レベルでは、民衆にはほんの少ししか介入できる力がない。代議制民主主義は、とりわけ「一人一票」という選挙の原則(その有効性は2004年3月フランスの地方選挙でも示された)は、このレベルでは働かないからだ。

 このシステムは持てる者にとって理想的だ。民衆が影響力を持てないようなレベルに決定を移してしまえば、絶対的な支配を安泰にすることができるのだから。だからといって、多国間機関への圧力を組織化することをやめる理由はない。そこに派遣された政府代表に対し、もう一つのグローバリズム運動の代案を政策的に支持するよう要求することをやめる理由もない。タックス・ヘイブンを再び例に取るなら、国連、世界貿易機関(WTO)、国際通貨基金(IMF)、世界銀行、経済協力開発機構(OECD)は、それぞれの役割に応じて、廃止に向けた行動を取ることができるのである。

 二国間主義、つまり、二つの国の関係の総体は、国際レベルの特殊な一形態をなす。これは評判が悪い。原則として、二国間ではどうしても、大きな国が小さな国を支配するという非対称の関係になると見られているからだ。それぞれの国に一票があるという多国間主義の方が好ましいと思われている。だが、そんなことがWTO、IMF、世銀では幻想にすぎないことを誰もが知っている。二つの国がある程度まで新自由主義の教義のしばりを逃れて独自の関係を打ち立てることができる限りにおいて、もう一つのグローバリズムを基盤として二国間主義を刷新するというのは、注目に値する展望となる。

 大陸レベルでは、以上に挙げた問題がすべて、ヨーロッパの建設に集約されている。新自由主義的なEU指令は、国内法に転換されて関係国の法制に埋めこまれていく。だが、これは経済や技術、あるいは財政の話なのだろうか。これはまさに政治的な選択であり、政治的な選択以外の何ものでもない。そして、政治のやったことは、政治によって壊すことも、別の方法でやることもできる。例えば、ヨーロッパを再建するための新たな「空席政策」によって(1)、EUの価値観と目標を徹底的に見直そうという状況を作り出す必要性があるだろうか。再びタックス・ヘイブンを例に取ると、EUが域内での非合法化を決定することは明らかに可能である。

 国家レベルには独自の問題が存在する。通説によれば、主要な決定は世界規模で行われ、国家は手をしばられるようになる。だから、ある国の住民が投票によって、代替的な政策の実施を候補者に委任するという行為は、なんの役にも立たないという。もし、新自由主義グローバリゼーションという枠組みが超えられないものだとしたら、私たちは、もはや民主主義の下にあるとは言えない。誰が選挙で当選しようと、微妙なニュアンスの違いを別にすれば、同じ政策を行うにすぎないからだ。

 しかし、この非常に深く刻みこまれたタブーにこそ、立ち向かっていく必要がある。新自由主義の圧迫を緩めることを本当に願っている政府が、現実にどのような裁量の余地を手にしているのか、テーマごとに、実践的な方法で、見極めていかなければならない。タックス・ヘイブンについて言えば、フランス政府にも他の政府にも、措置を講ずる手段は間違いなくある。例えば、政府調達の事業者を決めるにあたり、タックス・ヘイブンを使っている銀行や企業を除外することができるだろう。

 地方レベル(フランスの場合なら地域、県、市町村)では、新自由主義政策により、地方自治体は互いに競争し、財力を減少させるようになってしまった。多くの議員は地元の生き残りという論理の中に閉じこもっている。そこでは、民主主義を深化させることよりも、自治体行政の運営だけが重視されている。とはいえ、住民参加型の予算や、WTOのサービス貿易一般協定(GATS)や遺伝子組み換え作物への自治体単位での反対のように、まさに政治的な取り組みが広がるにつれ、議員活動の縮小という流れにも逆転の兆しが見えてきた。地方の自治体や議員は、直接的な権限が法的にないような問題に関しても、有効な政治的介入を行うことができるのだ。タックス・ヘイブンの場合について言うと、地域、県、市町村の議会は、例えばタックス・ヘイブンを利用する銀行との関係を断ち、市民にも同様の行動を呼びかけることができる。

 個人レベルでは、もう一つのグローバリズムの中に、個人個人が自分の信念を貫くような行動を取ることを呼びかけている団体がある。消費者としての選択、いわゆる「フリーソフト」の利用、あるいは貯金といった分野で、数多くの取り組みが広がっている。しかしながら、こうしたことを個人行動の単純な積み重ねにとどめず、集合的な大衆行動に変えるためには、いくつか避けるべき点がある。これらの取り組みは、市民に教訓を垂れようとするものであってはならず、罪悪感を持つことと責任感を持つことを区別しなければならない。また、新自由主義グローバリゼーションの包括的な戦略を正確に認識しないまま、個人行動だけに力を入れてはならない。とはいえ、同じ例を取るとするなら、タックス・ヘイブンに関わる銀行を組織的にボイコットすれば、タックス・ヘイブンの解体を早めることはできる。

 企業レベルでは、フランス企業運動(MEDEF)を構成する経営者団体の金属産業経営者連合(UIMM)が、おそらく真っ先に事態を見抜き、次のように述べている。「グローバリゼーションに対する抗議運動は(・・・)大きな反響を呼び起こしているように思われる。それは企業の外で、根本的に新しく、いずれは必ず企業にも影響を及ぼすような活動形態を生み出しているように思われる」。また、こうも言っている。もう一つのグローバリズム運動は「真剣に受け止めなければならない。(・・・)この運動は企業の外で繰り広げられているが、企業はいずれ間違いなくその影響を受けることになる。そして、企業にはそれに対処する準備がほとんどできていないように思われる(2)

 この点で、社会フォーラムやそれが生み出した流れに労働組合運動がますます参加するようになってきたことは、決定的な前進である。もう一つのグローバリズム運動は、過去の歴史を白紙に戻し、二世紀近くにわたる労働組合の闘争をなかったことにしてしまってはならず、そこから多くを学びとることができる。逆に、労働者運動は、もう一つのグローバリズム運動から活力を汲み上げることができる。例えば、自分の会社がタックス・ヘイブンを利用している場合に、社員と組合が会社に対して行動を起こすというのは、現実的に可能な目標となる。

 もう一つのグローバリズムと議員や政治責任者が、仕事にあたって対話することが必要だ。第一に、彼らのすべてが新自由主義の手先というわけではなく、多くはかなり思い悩んでいる。彼らは今ここで実施することのできる具体的なアイデアや提案を待ち望んでいる。第二に、逆の方向から見れば、もう一つのグローバリズムも労働者運動も、議員や政治責任者から学べることは多い。彼らは制度のメカニズムや、現実に携わっている案件に関わる知識を持っており、それは個人個人では必ずしも知ることのできないものだ。だが、両者の対話、さらには協力が必要だとしても、争うことも時には必要である。レーモン・アロンはこう述べている。「戦争は不可能、さりとて平和の見込みも薄い」

(1) 1960年代半ばに、欧州経済共同体(EEC)の制度改革に反発したフランスが、諸機関から自国代表を引き揚げる政策をとったことを示唆している。[訳註]
(2) 『時事−経済社会活動月報』(パリ、2000年9月)。


(2004年5月号)

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