仏独同盟の発足から現在まで

ピエール・ベアール(Pierre Behar)
ザール大学、パリ第八大学欧州研究所、ウイーン外交アカデミー教授

訳・三浦礼恒

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 ある仏独関係の専門家によれば(1)、20世紀後半のそれは「不確実な同盟」と呼ぶことができる。確かに、この同盟には落ち着かないところがある。両国が互いに引かれあって生まれたものには見えず、崩壊しつつあるかと思えば、再生しつつあるといったサイクルを繰り返しているように見える。その背後には、両国の同盟が臨機応変であり、かつまた深い理由に根ざしているという事実がある。仏独関係の歴史は、ドイツ統一を境に2つの時期に分けられる。

 1958年に政権に復帰したドゴール将軍は、当初はドイツではなく英米と協調しようとした。彼は「自由主義世界」を事実上アメリカ、イギリス、そしてフランスという3つの勢力によって支配することを目指し、両者と対等に扱われることを要求した。その精神は、北大西洋条約機構(NATO)の改革を主張した1958年9月17日付の覚書の中にも表れている。フランスはそこで、核兵器使用の際に相談を受ける権利とともに、中距離ミサイルと原子爆弾の製造に必要な知識をアメリカが提供することを要求した。フランスによる核兵器の開発は、1954年10月23日のパリ協定によるドイツ連邦共和国(西ドイツ)の地位変更(2)への対策として、同年12月26日に当時の首相ピエール・マンデス=フランスによって決定されていた。これらの要求はいずれも、1960年に最終的な拒絶に遭うことになる。

 ドゴールが外交政策を根本から修正せざるを得なくなったのは、この三重の拒絶による。彼の決意は固かったが、そこには不本意なものがあった。現状を変えるための協調相手として、ドイツはフランスにとって最後の選択肢にすぎなかったからだ。彼は軍人としてはドイツを称讃していたが、大統領としては警戒していた。1945年の段階でも、この強大すぎる隣国の解体を主張して、連合国に容れられずに終わっている。ドイツが以後も国家として存続するという認識に立ったドゴールは、特に共産諸国からの侵略を想定した場合、この国が地理的に、フランスと運命を共にせざるを得ない位置にあることを完璧に理解していた。ドゴールは、第三帝国が降伏する以前より、英米に対して仏独の協調がいかなる意味を持つことになるかを見抜いていた(3)

 方向転換を決意したドゴールは、両国が和解するための心理的な条件が整ったことを知っていた。普仏戦争ではフランスがプロシアに敗北し、第一次世界大戦では連合国の支援を受けたフランスがドイツを下し、第二次世界大戦では両国とも精根尽き果てた。ドイツは爆撃によって焦土と化し、領土の3分の1を失い、残りの領土を3つの占領地域に分割された。一方フランスは領土こそ失わなかったものの、軍事的には同国史上最大の惨禍を被り、4年間にわたる屈辱的な占領によって、15世紀以来初めて国家としての実体を失うという経験をした。かつての自由フランスの指導者ドゴールは、ドイツとの和解を実行するための道徳的な権威を持つのが自分だけであることを意識していた。

 歩み寄りを始めた両国は、それぞれに異なった目標を追求していた。1963年のエリゼ条約によって確立することになる同盟の曖昧さは、ここに由来する。フランスにとって仏独枢軸は、ソ連圏と英米圏の間で存在感を発揮すべきローマ条約諸国の原動力であった。フランスは、他国からの援助なしに核兵器を保有するに至ったとはいえ、依然として「超大国」と対等に話をするほどの力は持っていなかった。ドイツとの同盟は、その不足を補うことになるものと目されていた(4)

 ドイツの側は、この同盟に全く別の効果を期待していた。ドイツにとっての最重要課題は、国土の少なくとも残存部分に関し、統一を成し遂げることである。うち一部はソ連軍によって占領されていた。それゆえ、パリと協調することで、逆に仏ソ同盟に挟み撃ちにされる可能性を避けることが重要である。フランスという陸続きの外交的・戦略的な保障を手にすれば、ソ連陣営からの度重なる強力な圧力に対し、より効果的に対処できるようになる。のみならず、フランスはドイツの統一を支持していた。ドゴールはそれを避けられないものと考えていた(5)

ドゴールと核兵器

 仏独同盟に不確実な部分が残ったとすれば、それはこの同盟の抱えていた限界による。ドイツにとって仏独同盟は、1949年の北大西洋条約によって合意され、NATOによって具体化された大西洋同盟の特例であり、これを補強するものとして位置づけられる。英米との確固たる同盟関係に代わるものではない。エリゼ条約の前文には、こうした認識がドイツ議会によって付け加えられ、ドゴールの不興を買うことになる。仏独同盟には、フランスの側に由来する限界もあった。フランスは、NATOからの離脱を可能にするような同盟へとドイツを引き寄せるために、ソ連からの核の脅威に対し、核兵器の共有を持ちかけることを余儀なくされていた。

 ドゴールは政権の座に戻るやいなや、1957年11月に時の国防相、ジャック・シャバン=デルマスがドイツの国防相フランツ=ヨーゼフ・シュトラウスと交わした秘密協定を破棄した。この協定には、核兵器の共同製造計画が記されていた。ドゴールの考えでは、もしドイツが核兵器を保有することになれば、ソ連が即座に反応する。「それは世界に存在する最後の開戦理由、もしくは最後の開戦理由のうちの一つである。それだけで戦争が勃発する(6)」。それに、ドイツと原子爆弾を共有すれば、ヨーロッパ大陸におけるフランスの優位は失われることになる。西ドイツとフランスを決定的に結びつけ、それによって英米にNATOの見直しを迫り、あるいはドイツのNATO離脱を可能にするためには、他に方策はなかったが、しかしドゴールはそれを採らなかった。ここでは、本来の狙いがおのずから導き出した戦略と矛盾をきたし、逆コースをたどるに至ってしまったのだ。

 仏独同盟の限界は、原理的な問題であるとともに、タイミングの問題でもあった。確かに、フランスはアメリカから自立したヨーロッパを目指し、ドイツは自国の統一を目指すという、それぞれが追求する二つの目標は、それ自体で矛盾するものではない。だが、二つの目標が同時に実現されなかった場合には、先に目標を達成した側が他方を見捨てるおそれがある。もしフランスが、自国の主導する自立的なヨーロッパの実現を見れば、ドイツの統一を以前ほど支持しなくなるに違いない。もしドイツが、自立的なヨーロッパの実現を待たずして統一を果たせば、英米と手を切ることにはいっそう消極的になるだろう。両国の目標が同時に達成された場合でさえ、統一ドイツが外交の主導権をフランスに委ねると言える理由はない。

 そして、物事の常として、期待していたことは実現するが、期待とは違うふうに実現する。前フランス大統領フランソワ・ミッテランは、ドイツの統一については向こう数年間、いわゆる「2+4」協議(7)の紛糾が続くだろうと踏んでいた。統一がもはや時間の問題となったのを見たミッテランは、なんとかブレーキをかけたいという空しい期待の下に、既にほとんど無力になっていた東ドイツの訪問のような、いくつかの悪あがきを試みた。

 それまでの政策の論理でいけば、次のような筋書きとなるはずだった。ドイツ統一の決定的瞬間に、フランスはドイツを支える。ワルシャワ条約機構は解散され、フランスは存在理由を失ったNATOから離脱する。フランスはいかなるリスクも負わず、他国のモデルとなる。うまくいけば、そこから大きな流れが作り出されていく。

 8000万人の人口を持つ統一ドイツが隣に出現することを恐れるあまり、フランス外交がそれまでの方針を転換したことは、すさまじい逆説にほかならなかった。それまでの政策によってドイツ世論のうちに築いてきた若干の信頼という財産は、統一の支持を渋ったことで目減りした。ここであらゆる利益を手中にしたのは、第二次世界大戦の戦勝国4カ国のうちで唯一ドイツ統一を支持したアメリカであった。

 不可避となったドイツ統一を前にして、フランスは第2の誤りを犯した。経済的にはユーロの創設によって、また政治的には共通外交・安全保障政策(CFSP)の創設によって、ドイツを「束縛する」という意図を隠そうとしなかったのだ。これは過去30年間にわたる主張にまるで矛盾する。しかし、当時の欧州12カ国がほぼ一致して対米協調路線をとっていたことからして、1992年のマーストリヒト条約の「第2の柱」とされたCFSPが、NATOの枠組みに組み込まれるようになるのは必至であった。この政策がもたらした帰結は、ドイツのNATOからの離脱どころか、フランスのNATOへの完全復帰にほかならなかった。フランスの打った手はことごとく、共産諸国に対する長年のデタント政策から得た利益を浪費し、アメリカの覇権の道具であるNATOを強化することでしかなかった。そして、その覇権がやがてヨーロッパ全域に広がることを許してしまった。

ドイツの視点

 この点、ドイツの場合は、エリゼ条約の根拠としてきた大望は実現されている。フランスの場合、自国とヨーロッパの自立という、30年前にドイツとの接近を促した夢は、失敗に終わってしまった。最終的にはドイツに対する恐怖心が勝り、自国の立場を守るためにアメリカの圏内に立ち戻ったのだ。その具体的な表れが、例えば湾岸戦争への参加である。1990年代半ばには、仏独間の特別な関係は実質的に内容を失ったように思われていた。

 1998年に政権に就いたゲアハルト・シュレーダーは、ドイツは「普通の」国になったと宣言した。フランスをはじめとする特権的な関係に終止符が打たれたという意味である。この北部出身のドイツ首相は、英米の存在しか目に入っておらず、発言と行動を一致させるかのように、自らの心に従ってイギリスとの関係を固めようと試みた。同じ頃、ジャック・シラクが大統領となったフランスでは、ドイツに目を向けることのない首相が相次いだ。それでも、これまでに外交経験を蓄えてきたドイツとフランスは、自らの意向とは無関係に、ふたたび利益共同体を形成し、断ち切られていたかに見えた対話を再開する方向へと導かれていった。

 そこには、冒頭で触れた深い理由が関わってくる。一方では、ドイツの外交はほどなくして、イギリスとの接近に限界があることを見出した。他方では、欧州連合(EU)が拡大するにつれ、ドイツとフランスの2国だけでは、広がり続ける連合の中に埋没し、充分な影響力を手にすることができなくなる。3月14日のスペイン総選挙までは、ポーランド政府とスペインのアスナール政権が、EU内部の権力配分方式に異論を唱えていた。フランスとドイツを筆頭に、大国に有利に偏りすぎていると見たからだ。このため、実務的に支障をきたしていたとはいえ、2000年のニース条約に定められた決定手続きが、今しばらくは維持されるものと予想されていた。サパテロ次期スペイン首相の第一声は、イラク問題に関しても欧州憲法案に関しても、明らかに仏独に大きく歩み寄るものだった。パリとベルリンは、これにより両国の基本同盟の意義が裏づけられたと考えた。

 イギリスは、自国の利益に反する動きを妨害するためだけにヨーロッパ統合に参加し、これを単なる自由貿易圏にとどめようと企てる。イタリアは政局が不安定であり、スペインは経済的にも戦略的にも充分な力を持っていない。いずれもフランスあるいはドイツにとって、代わりの同盟相手とはなり得ない。しかも、仏独両国は地続きであり、合わせて1億4000万人を超える国民を擁している。さらに、シュレーダー首相の考えに反して、ドイツはいまだ普通の国ではない。ヨシュカ・フィッシャー外相が指摘するように、普通か否かということがドイツ自身にも他国にも問われれなくなった時、その時はじめてドイツは「普通」の国になる。そうした状態にはまだなっていない以上、フランスという道徳的な担保の存在はドイツにとって無用の長物ではなく、この点は今後もしばらくは変わらないだろう。

 このような状況下で、アメリカ大統領が国際法に対し、また自国が決定した十字軍の援軍として役立てるぐらいしか能がないヨーロッパに対して侮蔑を露にすると、フランスとドイツは自分に無関係の紛争にひきずり込まれないためには共同戦線を張ることが必要であると痛感した。選挙の際に平和が争点となり、イラク危機の折にドイツが国連安保理の非常任理事国となっていたなど、いくつかの偶然が重なったことも、両国に共通の利益の存在を意識させる方向に作用した。アメリカが唖然としたことに、統一の達成とソ連の脅威の消滅を見たドイツは、もはやアメリカの核の傘を必要とせず、アメリカから自立した政策を実施する手段を備えるに至っていた。このドイツの政策は、統一のような直接的な国益にではなく、長期的なヨーロッパの利益に準拠するようになっていた。

 もし、野党キリスト教民主同盟が政権に返り咲けば、ドイツは対米従属路線に戻ることになるだろう。だが、その選択肢が長続きするかは疑わしい。ドイツをヨーロッパへと向かわせ、ヨーロッパの中でもフランスへと向かわせたのは、地政学的、戦略地政学的な必要性である。遅からず、この必要性と結びついた国民心性の変化が前面に出て、この合理主義的な同盟を再生させることになるだろう。そのような同盟だけが、諸国民の間で結ぶに値するものだからである。

(1) ジョルジュ=アンリ・ストー、『不確実な同盟−仏独間の政治的戦略的関係、1954-1996年』(ファイヤール社、パリ、1996年)。
(2) 前掲書、35ページ参照。パリ協定にはブリュッセル条約機構、次いで西欧同盟への西ドイツの加盟、また将来のNATO加盟(1955年5月5日に実現)が規定されている。
(3) ピエール・べアール「ドゴール将軍の政権復帰からドイツ統合に至るまでの仏独関係の原理」(ニコール・パルフェ『合理主義的な協調−ベルリンの壁の崩壊と仏独関係』所収、デジョンケール社、パリ、2000年、19-26ページ)参照。
(4) アラン・ペールフィット『それがドゴール』第1巻(ファイヤール社、パリ、1994年)158-159ページ。
(5) 前掲書、160-161ページ参照。
(6) 前掲書、346ページ参照。
(7) 東西両ドイツおよびアメリカ、ソ連、フランス、イギリス間でのドイツ統合に関する協議を指す。


(2004年4月号)

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