危地に立つドイツの労働組合

ウド・レーフェルト(Udo Rehfeldt)
経済社会研究所研究員、ノワジー・ル・グラン(フランス)

訳・池田麻美

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 2003年初め、ドイツの労働組合運動は未曾有の危機に突入し、政治的な影響力を弱めることになった。それは、ドイツの労使制度の基盤となってきたコンセンサスの崩壊を意味する。このコンセンサスは、伝統的に労働組合、経営者団体とともに、ドイツ社会民主党(SPD)であれ、カトリックの労働運動と関係が深いキリスト教民主同盟(CDU)であれ、大政党も支持してきたものであり、以下の三本柱から成り立っている。

  • 一番目の柱は福祉国家である。これは19世紀にビスマルクの下で成立し、1950年代にCDU政権によって強化された。

  • 二番目の柱は「協約自治」と呼ばれる産業部門別の団体交渉制度である。これは20世紀初頭に始まり、第二次世界大戦後には国家によって全面的に承認された。

  • 三番目の柱は、事業所や企業ごとの労使間の「共同決定」制度である。フランスでは「共同管理」として知られているものだ。これは50年代にCDU政権の組合運動への譲歩により生まれ、70年代にSPD政権によって確立された。

 一番目の柱は今日、経営者団体やCDU、自由民主党(FDP)だけでなく、SPDからも激しい攻撃を受けている。シュレーダー首相は、2003年3月に大きく舵を切り直した後、労使制度を抜本的に改造すると発表した。

 だが、シュレーダー首相は、二度の選挙戦を労働組合の支持のおかげで制している。彼は1998年に、選挙公約を果たすべく、コール前政権が労働組合の強い反対を押し切って成立させた病欠手当・年金減額法を廃止した。しかしその後ほどなくして後退姿勢に転じ、自らも年金制度改革に踏み出して、積立方式を部分的に導入した。労働組合は、賦課方式の原則が破られたわけではないし、積み増し分については新たな団体交渉の余地になるとの理屈を付け、積立方式の導入を受け入れた。

 この受け入れ姿勢の背後には、代わりに従業員代表委員会に関する法律を改革し、企業の事業所に従業員代表を置きやすくするという黙約があった。しかし、この妥協は明示的になされたわけではなかった。労働組合は、1998年の「雇用のための同盟」に基づいた労使および政府の三者協議の枠組みの中で、2000年1月には「中期的な賃金抑制政策」の方針に同意するなど、別の妥協も受け入れていった。その結果は、新規の雇用が増えないまま、実質賃金が下がっただけだった。ついにIGメタル(金属産業労組)は「賃金抑制はもう終わりだ」と宣言し、賃金水準の大幅な回復を要求した。しかし成果は部分的なものにとどまった。

 政府から雇用政策の改革を任された「ハーツ委員会」は2003年8月、連邦労働庁の効率を改善するために、失業者にさらなる犠牲を求める措置を提案した。それによれば、独身者はこれまでより賃金が低く自宅から遠い求人でも応じなくてはならない。たいした理由もなく断った場合、失業手当は打ち切られる。労働組合は、失業手当の期間短縮や水準引き下げはないとの保証のもと、こうした措置を呑まされることになった。

内部の亀裂

 2002年10月の選挙で労働組合の支持を取り付けたシュレーダー首相は、翌年3月14日に「アジェンダ2010」と呼ばれる壮大な福祉国家改革計画を議会に提出した。この計画は公約に反していた。それは失業・疾病・高齢者保険の給付を引き下げるだけでなく、労働法を緩和して小企業などでの解雇を容易にし、産別協約を下回る個別協定を可能にしようとするものだった。つまるところ、前々からの経営者の要求を大きく満足させるような計画だった(1)

 このような政治的転回が起きた背景には、ドイツの思想状況の根本的な変化がある。シュレーダー率いるSPD・緑の党連合が選挙で勝利を収めたのも束の間、新自由主義は活字メディアや放送メディアを通して急速に文化的覇権を取り戻した。通常は中道左派に分類されるものも含め、メディアは前代未聞の誹謗キャンペーンを繰り広げ、「組合ロビー」の過剰な政治的権力を連日のように非難した。ドイツ経済の競争力の回復や、成長軌道への復帰と雇用の創出の前提条件として必要な、福祉国家改革の阻害要因になっているというのだ。

 ドイツの言論状況の中で、労働組合はかつてないほどの孤立状態に陥っており、ドイツ経済の不調が高すぎる賃金と厳しすぎる労働法のせいだとする新自由主義の教条的な主張を阻止できずにいる。こうした主張は今に始まったものではないが、SPDや緑の党の幹部の口振りにまで浸透し、社会正義の新基準を打ち立てるに至った。それによれば、雇用を創出するものは正義である。雇用を創出するためには、賃金の抑制と社会保障費の企業負担分の軽減、つまり福祉国家の切り捨てが必要だということだ。

 すでに根深い構造的な危機に陥っていて、ここ10年で基盤も狭まってしまった労働組合にとって、この非難攻撃は大きな打撃となった。DGB(ドイツ労働組合総同盟)加盟労組の組合員数は、政治組織や組合組織の東西統一によって1991年には1200万人に達した。しかし2001年にDAG(サラリーマン労組)を吸収したにもかかわらず、2002年末には770万人強にすぎなくなった。長らく30%を超えていたDGBの組織率は、今では20%に落ちてしまっている。

 この退潮の主な原因が、東ドイツでの雇用減と第三次産業の増加といった経済状況の変化にあるのは事実だ。しかし、原因は賃金労働者の関心低下にもある。その結果、特に若年層などで新規加入者が減少し、支持基盤が失われたのだ。従業員代表委員会の選挙を見ても、1998年に選出された代表の3分の2はDGB傘下の組合のメンバーだったが、それが2002年の選挙では58%にすぎなくなっている。

 さらに劇的なのは、激減した一般組合員が執行部と信念を共有していないことだ。DGBの委託調査によれば、組合員の48%がシュレーダー政権の主張する社会福祉予算の削減を正しいと考えており、行き過ぎだと考える者は37%しかいない。

 両者でDGBの組合員の3分の2を占めるIGメタルとver.di(サービス産業労組)がアジェンダ2010への反対運動を呼びかけたのに対し、賛同する組合員がわずかしかいなかったことにも、こうした内部の亀裂が表れている。2003年5月24日の全国一斉行動の時も、DGBが組織した12のデモに参加したのはわずか9万人だった。同年11月1日に行われた同様のデモに比べるとかなり少ない。11月のデモはATTAC、民主社会党(PDS、旧東ドイツ共産党)、いくつかの社会運動団体によって組織され、一部の労働組合も最終的に合流したものであり、ベルリンだけで10万人を動員した(2)。これが一度かぎりの噴火なのか、それとも現在は分裂している労働組合と運動団体による協調行動の始まりなのか、結論を出すのは時期尚早だろう。

産別協約をめぐる攻防

 5月24日のデモの数日前には、IG BCE(化学労組)と2つの小さな労働組合の指導者が、シュレーダー首相の言う「改革の必要性」を認める声明を発表している。この見解は、執行部の中では少数派にすぎないが、明らかに多くの組合員に共有されている。それがデモ参加者の少なさにつながった。こうした内部の不一致の結果、執行部は組合員を動員することを「中断」し、計画の細部を少しは変えられるかもしれないとの期待のもと、政府との交渉を優先すると決定した。

 2003年6月のSPD臨時党大会でアジェンダ2010がほぼ全会一致で(90%の賛成票で)採決されるまで、労働組合は同党への間接的な影響力を当てにしていた。SPD議員の4分の3はDGBのメンバーだ。これほど高い割合ではないが、党員の組合加入率も無視できない。こうした数による影響力にもかかわらず、労働組合はSPDに政府案を却下するよう圧力をかけることができなかった。彼らが得ることができたのは何点かの修正だけだった。それも、政府がアジェンダ2010の計画全体を最終的に議会で通過させるために、連邦参議院(上院)での賛成票を求めて野党CDUと取引した際にないがしろにされた(3)

 この失敗をどう説明できるだろうか。ハーツ委員会の勧告に対する組合の姿勢と同様、SPD左派は被害を最小限にする選択を行ったつもりであるように思われる。つまり、次の選挙でCDUの勝利を促し、SPD以上に徹底的であからさまに反組合的なものになると考えられる社会福祉の規制緩和を見るよりは、シュレーダー首相の計画を受け入れて、交渉の余地を手にする方がまだしもだという発想である。

 労働組合のイメージ悪化には、自己責任の部分もある。というのも、交渉の際の慣行と化した妥協について、理論的に裏付けようとすることを怠ってきたからだ。執行部は、この慣行を過激主義的なレトリックで覆い隠そうとするばかりで、多数の賃金労働者との意思疎通はもとより、大多数は穏健な組合員自体との意思疎通にさえ困難を感じている。今の組合運動には、信頼に足る代案、内部分裂を乗り越えられるような新しい総括が欠けている。数少なくなった組合寄りの知識人たちも、とるべき新たな道を示せずにいる(4)。一部の知識人は労働組合に対し、政治行動を放棄して、伝統的な団体交渉の役割にとどまることを薦めている。

 しかし、その役割を労働組合が保つことも、現在ますます難しくなってきている。2003年6月、IGメタルはこの50年間で初めて、建設的な成果のないままストライキを中止せざるを得なくなった。この時のストは、旧東ドイツ地域への週35時間労働の導入を求めて実施されたものだが、同時に東西の組合員間の亀裂をあらわにする結果ともなった。西側の大企業の従業員代表委員会は、そうした措置が自分の会社の首を絞め、雇用を危うくすることを恐れるあまり、東側の労働者との連帯を拒否したのだ。ここからも、企業コーポラティズムや雇用危機に直面した時の労働組合が、いかに弱気になるが見えてくる。

 経営者側は、団体交渉の分権化を求めることで、こうした隙にさらに付け入ろうとしている。すでに大多数の産別協約に例外を認める「開放条項」が導入されているだけでは満足せず、それを法律で義務付けることを要求したのだ。これはドイツ労使制度の二番目の柱である産別交渉の見直しにつながりかねない。シュレーダー首相は、労使間で合意が成立しなかった場合には立法府が介入するという脅しをアジェンダ2010に盛り込むことにより、パンドラの箱を自ら開けてしまった。野党CDUはこの機を逃さず、産別協約を優位に置き、従業員代表委員会がそれを下回る個別協定を結ぶことを禁止した「有利原則」の一部廃止法案を連邦参議院に提出した。

 SPDは2003年12月15日のCDUとの最終的な妥結案で、解雇法の規制対象の基準緩和に同意するなど多くの譲歩をした。ただし、産別協約の優位を損ねるような立法は全面的に拒絶した。結局のところ、労働組合が手に入れた成果はそれだけだった。大々的な敗北という結果を覆い隠すには、あまりに小さな成果と言わざるを得ない。

(1) アジェンダ2010とその実施状況に関する詳細な分析として、ウド・レーフェルト「ドイツ:福祉国家の『改造』の続行?」(経済社会研究所国際時報85号、2003年11月、ノワジー・ル・グラン)を参照。
(2) 労働組合組織と社会運動組織との不一致に関する分析としては、以下の左派系労組雑誌の記事を参照。Anne Allex, << Wem gehort die Demo ? >>(デモは誰のもの?), Express, No.11-12, 2003.
(3) CDUは連邦参議院で過半数を得ており、政府法案のかなりを阻止することができる。
(4) 議論に寄与する若干の論文として、以下を参照。Frank Deppe, << Gewerkschaften unter Druck >>(圧迫される労働組合), a supplement to Sozialismus, September 2003、またDGB理論誌 Gewerkschaftliche Monatshefte(月刊労働組合雑誌), No.5 (2003).


(2004年2月号)

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