ルーラの時代のミュージシャンたち

ジャック・ドニ(Jacques Denis)
ジャーナリスト

訳・岡林祐子

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 「ブラジルは思春期に達してもいない。植民地のエリートに個人主義と採算性重視の考えを植え付けられたせいでね。我々の世代はそれぞれ孤独だが、連帯すべきなんだ」。このスローガンめいた言葉を口にしたのは、ミュージシャンのレニーニだ。ヘシーフィ生まれの威勢のいい40代、名前はノルデスチ(ブラジル北東部)の共産党の重鎮である父がレーニンにちなんで付けた。自宅にはローザ・ルクセンブルクという猫と、フィデルという犬がいる。弟の名前はエルネスト・ルナンで、母はマクンバ(1)を信じている。一言でいえば、学生時代は生物学を専攻したレニーニにとって、社会主義はシュールでトロピカル、そしてかつてないほど今日的なものなのだ。

 同じ名前の有名な先人と同様に、レニーニもまた世界が動き出すことを願っている。彼はアルバム「ファランジ・カニバル」(2)で、全地球に感謝の言葉を捧げている。その筆頭はイエス・キリストとフィデル・カストロだ。「おかしなところもあるけれど、それでもフィデルは、滑らかに回転する巨大なマシンに抵抗する砂粒となっている。小さな木ぎれ一つで野獣を挑発しに行くやつが必要なんだ」。その息の長い考え方と同じぐらい長い髪をしたレニーニは、自作の歌詞にもあるように、「国造りの夢に見合った美しい新文明を造りあげる」ことを望んでいる。しかし取り違えてはいけない。彼は決して「よき」集合意識の代弁者になることを望んでいるわけではない。レニーニによれば、彼の世代の持ち味は、様々な主観性が結び付いた複合性にある。彼の音楽では、農村のダンス音楽とロックのリフ、パンデイロとサンプラーが混ざり合う。ルーラの時代のブラジルの音だ。

 この大陸国家は、新自由主義への傾倒、封建的な束縛、そして軍政のポピュリズムから目覚めたばかりであり、現代世界の矛盾に直撃されている。そうした厳しい現実の場に自分の経験を活かそうとしているのは、レニーニが最初ではないし、ましてや最後でもないはずだ。1960年代末には、軍部独裁政権に対する抗議運動「トロピカリズモ」を起こした人々がいる。その前には、ボサノバによる(美的な)ビロード革命があった。ボサノバは、ブラジリア遷都を実行した大統領ジュセリーノ・クビチェックと新首都を設計した建築家オスカー・ニーマイヤーが築いた新生ブラジルのサウンドトラックだった。

 ほとんどがブルジョア家庭出身の大卒者というミュージシャン集団で、中心となっていたのがジルベルト・ジルとカエターノ・ヴェローゾの二人だった。今日、ジルはルイス・イナシオ・ダ・シルヴァ大統領、通称「ルーラ」の文化大臣となり、ヴェローゾは世界中のコンサート会場で大成功を収めている。しかし、トロピカリズモの極めつけといえば、このムーブメントの隠れた大物、トン・ゼーだろう。「2001年に、ポルト・アレグレの世界社会フォーラムに出ないかと言われた。俺が筋を通そうとするんなら、我々が目指しているのは今とは違うもう一つの世界をつくり、社会正義を実現することだなんて、他のやつらがもう何度も叫んでいるようなことを繰り返しちゃいけない。そこで舌をかみそうだけど『一多性』という新しい言葉を出してみた。一人一人が、人類の家の中で独りっきりってことだ。派手ってほどではないにしろ、左翼のおしゃべりのど真ん中におけば、少なくともちょっとばかり身と骨のある言葉ってことさ」

 デビューして40年が経った今もなお、トン・ゼーは伝統とポストモダンな抽象をクロスオーバーさせて、独自の境地を深め続けている。このトロピカリズモの気ままな挑発屋は、1936年に「人々がまだ16世紀のような暮らしを送っていた」ノルデスチのイララ村に生まれ、音楽ディスク産業の凍てついた売り場から遠く離れたところでエネルギーを補給する若者たちの「影のガイド役」となっている。ブラジルでは、オフィシャルな音楽市場の95%以上が、大手メディアに乗ったメジャー系レーベルで占められている。フランスやアメリカの音楽市場とよく似ていて、それがさらに極端にまでいった状況だ。

 オフィシャルでない市場には、ばりばりのラップから掛け値なしのフォルクローレまで、一部の労働党市政で採用された自主管理の原則にも通じる自主制作版が大量に流れている。 その多くは、様々な音楽スタイルとメッセージを人々に聞いてもらうために、ニキータ、ナターシャ、ロブ・デジタル、そして最大手のトラマといったインディーズ系レーベルに自分の居場所を見つけている。それぞれのレーベルが、何よりもまず現場に根差したムーブメントの、エコールームとなっているのだ。

二つの道と第三の道

 二の腕に「フォホー」(3)と刺青し、肩にフランク・ザッパ風のブランケットを引っかけたシルヴェリオ・ペソーアは、ほとんどレニーニと瓜二つだ。彼もまた、進んだ技術を駆使する一方でフォルクローレを取り入れながら、様々なジャンルや時代をミックスして、独自の世界観を見せている。グローバルとローカルの間に、広げるべき隙間がある。「グローカル」というやつだ。「すべての違いを規格に押し込めるグロバリゼーションに対して、はっきりと力強く自分たちの違いを表明しなきゃいけない。あまりにも多くの仲間が、国際通貨基金(IMF)の独裁と、まったく馴染みのない規格の押し付けに苦しめられている」

 彼はミュージシャンとしてのキャリアを積む前に10年間、教師を兼ねたソーシャルワーカーとして、土地なし農民たちのところで働いた。彼らのことは絶対に忘れはしない。シルヴェリオ・ペソーアのラップは、表現手段も住処も持たない彼らのことを繰り返し伝えている。だからこそ、ルーラがIMFに屈して教育部門の貴重な予算をカットしたとき、彼は躊躇せず、ルーラの最初のギブアップを大々的に指摘したのだ。彼はまだ失望しようとは思わないながら、政府がどのような社会を築いていくべきかの選択肢をこう力説する。「一つは、ヨーロッパ的な民主主義という方向だ。その場合は、アルゼンチンのように『立ち往生』する危険がある。もう一つは、現場で働くすべての者たちと手を結ぶという方向だ。スラム街で活動するNGOや土地なし農民運動を見ればわかるように、そこには活用すべきオルターナティブな経験があるのだから。となれば、ラテン・アメリカの民衆が連合し、アメリカの後見を終わらせる道に進まなきゃいけない」

 このノルデスチ出まれの男の音楽活動は、さらに急進的な第三の道を目指している。最初の二つのアルバム(4)が「一人の田舎男がだんだん都会に染まっていく過程を描いたもの」だったのに対して、次の作品では逆の過程を描く予定だ。つまり「一人の都会人がブラジル新政府のうちに自らのルーツに回帰する機会を見出す」というストーリーだ。しかし、ブラジルで最も不毛な地域であり、20年以上もサトウキビの凶作に苦しむ「セルタォン」の農民の孫であるこのミュージシャンが、次作でもイエスとカール・マルクスに感謝を捧げるかどうかは不明である。

 トトーニョの場合はそうした。彼のデビュー作(5)は、熱帯のパゾリーニよろしく、フィデルと聖母マリアとイエスに捧げられた。「ブラジル音楽のあり方が変わりつつある。にぎやかなだけのお祭り騒ぎは終わった。社会の枠からはみ出していた者の中には、国を捨てる者さえ出てきているんだ」。ジョアン・ペソーア生まれで、もうじき40歳のトトーニョは、ひたすら自分の体験を語ってみせる。貧しさの中で子ども時代を送り、早くからノルデスチで水運びの仕事に就いた。その後、大学で芸術を学びながら、サン・パウロで冶金工として働いた。そしていつも、音楽が励みになった。

 1990年以来、トトーニョはリオのNGO「エクスコーラ」で精力的に活動している。「この名前は、はみ出し者(エクス)と学校(スコーラ)を引っかけてるんだ。初めは、接着剤のガスを吸引するような、行き場のない若者たちの社会復帰を助ける活動だった。今では、暴力の被害者と暴力に訴えてしまった若者たちとも話をする。世界に対する関係、他人に対する関係のルールをよく考え、音楽を通して絆を結び直してみてはどうかと促してみるんだ」

希望に満ちたニューウェーブ

 カルリーニョス・ブラウンも長年にわたり同じような活動をしている。社会的不平等の解消を目指す市民団体「プラカトゥン社会行動」を設立したことで、彼は2002年11月にユネスコから表彰された。「ブラジルは自らを組織すべし、ブラジルはストリートを組織すべし」が、彼の信条だ。

 ブラジル・ポップのスターたちから引っ張りだこのミュージシャンは、「ブラック」に染まったバイーア州の非常に貧しい地区、カンジアル・ペケーノで育った。彼は今でも、若者たちがパーカッションを熱演し、地元の子どもたちの模範となっているグループ、チンバラーダの世話役の仕事をとても大事にしている。彼はこの町で足場を築いた上で、音楽の枠組みを超えたプロジェクトにも取り組むようになったのだ。「僕は自分を文化の切れ端だと感じている。投票によって選ばれる政治家のように、ディスクの売り上げによって報われるアーティストとは思っていない。時代に足跡を残したいとか、自分の家族が堪え忍んできた状況から抜け出すための証言や活動ができればいいとか、そんなふうには思わない。僕が目指しているのは、他人の尊重によって市民を実践することだ。この社会では、知力にものすごく価値がおかれていて、個人には十分な価値がおかれていない。こうした態度を改めなくちゃいけない。今より稼ごうとするんじゃなくて、働く量を減らすべきなんだ。今の世の中で反逆児でいるというのは、善人でいるということだ。病人や年寄りに手を差し伸べなくちゃいけない。年寄りがこの世を去れば、僕たちの記憶の一部も一緒に消えてしまう。世間はそういうことを一向に気にかけようとしない。僕が取り戻したいと思っているのはこういったことなんだ」

 カルリーニョス・ブラウンは、最新作ではカルリート・マロンを名乗っている(6)。それはブラジルが「受け継いできたものにラテン性を取り戻すこと」であり、南と南の絆を結び直すためだ。彼は詩人のアルナルド・アントゥネスと歌手のマリーザ・モンチとともに、アルバム「トリバリスタス」を制作した。この「アンチ・ムーブメント」なアルバムは、1年前からブラジルにセンセーションを巻き起こし、希望に満ちたニューウェーブの代表例になっている。労働党政権の登場によって生まれた希望だ。「もっとスピーディーにがんがん進めろという連中もいるが、それよりもルーラがこの国の政府のあり方をほんとうの意味で変えていく糸口となり、そうした意識を重責の中でなくしてしまわないことを願うべきだ」

 こうした理想とともに育ったのは、リオ生まれのマリーザ・モンチだけではない。ナサォン・ズンビ、ペドロ・ルイス、DJドロレス、オ・ハッパ、カブルエラ・・・。彼らはリオの下町のファンクなダンスパーティーで沸き、サン・パウロのエレクトロ系のアバンギャルドを盛り上げて、キロンボ(7)の後継者であることを自認する。その多くはノルデスチ出身で、ヘペンチスタやエンボラドール(8)の道を別のやり方でたどり直している。すべてはヘシーフィで、マンギ・ビート(9)とともに始まったのだ。その代表格のシコ・サイエンスは1997年に事故で死に、伝説の人物となった。ラッパーらしく、このゲットー育ちのミュージシャンは、スラム街のサウンド、音楽教師のレッスン、そして貧困を語る悪態をミックスした最初の一人だった。「シコ・サイエンスにとって、作品の題材は音楽的なものではなかった。我々の伝統の価値、それが持つ今日的な広がり、そしてヘシーフィのプロジェクトの将来性は、我々の経験を見ればわかることだ」

 メストリ・アンブロージオのメンバーで弦楽器プレイヤーのシバは、伝統を「それが生きているところ」で響かせる。それはつまり、誰もに共通の根っこがあるところだ。知恵に満ち、活力にあふれ、民衆やその関心事から切り離されることのない音楽の場だ。トン・ゼーは言う。「ブラジルには地震がないと人は言うけれど、そんなことは嘘っぱちだ。地中に潜むフォルクローレの力で、いつだって揺れている。マグニチュード14ってほどのものだ」

(1) カトリックの伝統とアフリカの伝統を融合させたアフリカ系ブラジル人の宗教の総称。[訳註]
(2) << Falange Canibal >> (RCA/BMG, 2002) のタイトルは、1980年代にリオで活動したアーティスト集団の名を取っている。
(3) フォホーとは弦楽器、打楽器、アコーデオンを用いたノルデスチの大衆音楽(また大衆舞踊)である。
(4) << Bate o Manca >> (Natasha Records/Import) ; << Batidas urbanas/Projeto Microbio do Frevo >> (Companhia Editora de Pernambuco/Import).
(5) << Totonho E Os Cabras >> (Trama/Night & Day).
(6) << Carlinhos Brown E Carlito Marron >> (Ariola/BMG).
(7) キロンボとは、ブラジル北部で蜂起した奴隷たちが築き、17世紀に植民地政府からの分離を成し遂げた最初の汎アフリカ的な支配地を指す。
(8) 流浪の歌手ヘペンチスタやエンボラドールは、詩作の競技会で即興の腕を競った。そこでは、日常生活に根差した言葉と、地方の伝説にまつわる寓話が交錯した。この伝統は今日もなおノルデスチで盛んであり、洗濯用ロープに吊るした小型の文学本を意味する「コルデウ文学」の伝統がある。
(9) マンギ・ビートは「地方サウンド」とでも訳せるかもしれない。1990年代初頭にノルデスチで発生したオルタナ・ムーブメントを指す。


(2003年12月号)

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