「新しいヨーロッパ」の期待と不安

カトリーヌ・サマリー特派員(Catherine Samary)
パリ第九大学助教授

訳・森亮子

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 2004年5月、東欧8カ国が欧州連合(EU)に加盟する。この加盟の是非を問う国民投票にあたっては、棄権を防ごうとする政府のキャンペーンにもかかわらず、50%近い有権者が投票しなかった。80%にのぼった賛成は、様々な動機によっている。アメリカは、この「新しいヨーロッパ」を「トロイの木馬」と見なす。しかし、イラク戦争を機に明らかになったのは、東欧の民衆と西欧の民衆がひとつになりつつあり、ヨーロッパの別のあり方を一緒に模索しているということなのだ。[フランス語版編集部]

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 「ごく最近、イラクのポーランド占領地域に駐留する将校の意見を読んだ。雇用、衛生、行政の問題を解決しない限り、イラク人は我々に好意を持たないだろうと言う。私の疑問はそこから来る。なぜイラクに行く代わりに、ポーランドで同じ問題の解決に取り組もうとしないのか」。国民に人気のあるヤツェク・クーロン元労相は、イラク戦争に反対した数少ないポーランド知識人の一人だ(1)。彼はポーランドの大統領と政府がアメリカを支持したのには「驚いた」と言う。「大統領と政府はおそらく短期的な政治的利益を求めているのだろうが、だからといってこのような恥ずべき話に加担してよいはずがない」

 ポーランドをはじめ、アメリカに同調したとされる「新しいヨーロッパ」の市民の多数派意見は、それを代表すると見なされている政府の立場よりも、彼の見方に反映されていると言える(2)。イラク戦争の問題にも、欧州連合(EU)への加盟に関する国民投票の棄権率の高さにも、これら諸国の社会と現行政権との隔たりが表れている。

 事実、4年前に一部の諸国(ポーランド、チェコ、ハンガリー)が北大西洋条約機構(NATO)に加盟した直後、コソヴォ戦争がポーランドを除く東欧諸国に生み出した国民と政府の溝は(3)、イラク戦争によってさらに深まった。2003年2月の段階で、EU加盟候補国全体で平均75%の国民が、国連の委任によらないイラク軍事介入に反対していた。仮に安全保障理事会の許可があったとしても、やはり反対するという意見が多かった(反対49%、賛成42%)。西欧(反対38%、賛成57%)とは逆の結果である(4)。アメリカが企てた戦争を支持するという「8カ国による書簡」と「10カ国による宣言」(5)は、世論や議会の討論結果を反映したものでなかった。

 市民団体ATTACハンガリーで学術委員会の長を務める経済学者ラスロ・アンドールは、「8カ国による書簡」にハンガリーが署名したことについて次のように語る。「メッジェシ首相は、この書簡へギリシア訪問中に署名した。首相は帰国後に、仏独の立場がはっきりしていて、国内の世論調査でも介入に反対する声が高まっていたのに、なぜ政府や議会への相談もなく戦争支持の文書を認めたのかの説明に追われた。この書簡は宣戦布告ではなく、文面も『少し修正』してもらったと首相は主張し、ハンガリー兵がイラクで戦闘に参加することはないと確約した。新しい国家安全保障参事官が任命されることになったほど、この一件で国内は騒然とした」

 「バルト諸国の政府は、政府内でも社会でも議論を一切することなく、アメリカへの『忠誠の証』としてイラクへの派兵を決めた」と、エグドゥーナス・ラチウス教授は書く(6)。リュブリャーナ大学のラスコ・モチュニク教授も、スロヴェニアの署名は「困惑と激しい政治論争」を引き起こしたと語る。モチュニク教授が連署した陳情書では、「いかなる政党にもスロヴェニアを侵略戦争に巻き込む権限はない」と明言され、「東欧10カ国の外相による宣言へのスロヴェニア政府の支持の取り消し」が要求されていた。

 戦争支持、次いで占領に対する抗議は、スロヴァキアからハンガリー、チェコからポーランドに至るまで様々な形で表明され、野党が与党の弱点をあげつらうといった域をはるかに超えていた。チェコ、スロヴェニア、クロアチアの指導者は、「連合国」のリストに自国が載せられたことに正式に抗議した。ルーマニア、ブルガリア、スロヴェニアなど多くの国々では、政府内の意見が二分した。

 新たにEUやNATOに加盟する国々に対する圧力には、ビジネス、外交、旧共産党幹部の「再利用」といった側面が混在する。例えば、アメリカの「植民地総督」としてブルース・ジャクソンが果たしてきた役割が、次々に明らかとなっている(7)。彼はイラク解放委員会の委員長として、様々な東欧の有力者を委員会に引き入れた。兵器会社ロッキード・マーチンの副社長であり、東欧へのNATOの基地増設の推進者でもある。国防総省を経て、新保守主義の右派勢力による「アメリカ新世紀プロジェクト」の設立にも加わった。特筆すべきは、自社のF16戦闘機48機をポーランドに売り込んだ「世紀の契約」である。この取引の実際の出資者はアメリカ政府だった。F16戦闘機の購入の「報奨」として、120億ドル相当の融資とポーランド製品の購入を約束したのだ(8)

軍事費の増大

 東欧諸国で唯一ブッシュ米大統領とブレア英首相主導の連合軍に加わったポーランドが、イラク中南部で多国籍軍の指揮に当たっているのも驚きではない。この国への「感謝」の印として、共産党出身のクワシニエスキ大統領がNATOのトップに任命され、4つの駐独米軍基地がポーランドに移される可能性もある。他の東欧諸国の政府も、多くの西欧諸国の政府と同様に、米軍に領土や領空の使用を許可したり、自国の外交官やいわゆる人道支援活動の援護として数百人の兵士をイラクに送り込んだりした。そのかたわら、イラクの「復興」をめぐる進行中の議論に自国企業を関与させることも忘れてはいない。

 ところが、バスラの野戦病院を警護するために来たチェコ警察部隊への反対デモを含むデモの多発や、占領軍と国連に対するテロが、こうした熱意に冷や水を浴びせた。東欧に設けられた米軍基地に関しても、地元経済の活性剤として捉える見方から、報復攻撃のターゲットになるだけだという見方に変わりつつある。ブダペストでは2003年2月15日、「ハンガリー平和市民運動」の呼びかけにより、戦争支援の全面中止とタジャール基地の閉鎖を要求するデモに、5万人が加わった。この基地は、ちょうど軍事介入が開始された直後に、タイミングを見計らったかのように閉鎖されることになる。

 医療や教育への政府支出が削減される中での軍事費の増大は、(新しい候補国に課される)マーストリヒト条約の基準やEUの自由主義路線に問題があることを改めて浮き彫りにした。国家レベルではEUから緊縮予算を求められる一方で、EUからの援助に対する失望感が広がっている。EUの予算の中で農業分野に次いで大きな額を占める構造基金は、市場メカニズムを補完し、最貧地域を助けるはずのものだ。しかし実際には、上限が設けられ、受益地域も共同負担を求められる仕組みになっている。公的な出資が限られ、民間の融資には採算が求められるような状況下で、援助を主に享受できるのは富裕な層だけでしかない。

 おそらくポーランドとスペインは、EU内での各国の代表基準についても、イラク問題についてと同様に共同戦線を張ることになるだろう。とはいえ、新たに加盟するのが相対的に貧しい国々である以上、EU予算は加盟国全体の国内総生産(GDP)の1.27%以下という状況が続くようであれば(9)、すでに力を失っている再分配の論理はさらに弱々しくなるだろう。スペインはEUからの資金をほぼ全て失い、それと同時に、新規加盟国への援助額は現行よりも引き下げられることになる(ポーランド農民は最初から、フランス農民への現行支給額のたった25%を受け取るにすぎない)。

 EUには、「非生産的自家消費」の維持を奨励するという考えはない。しかし、かつて大企業が担っていた社会保障がなくなりつつある現状で、わずかに残された土地は生き延びるための唯一の支えである。実際には19世紀と同様、容赦ない「柔軟性」に服従する「真の」賃金労働者を生み出すために、社会保障が全面的に切り捨てられようとしているのだ。こうした状況が、新しい労働規範によって確立されつつある。西欧に「追いつく」ことが主張される中で、そのせいで実際には貧困が拡大している。

 東欧に大きな自由市場を作り出すことだけが目的ならば、EUの問題を悪化させるような拡大に何の意味があるだろうか。市場開放、社会保障の廃止、優良企業の売却、工場の海外移転といったことは、すでに東欧諸国の現実となっている。EUが東欧諸国との正式交渉開始を急ぐ理由はない。第一陣の国々(10)との交渉は、1998年にようやく始まった。それもベルリンの壁の崩壊から10周年が目前だったからであり、当事国の「成功」によるわけではない。これらの国々ではGDPの低下が何年も続き、1998年の段階で89年のレベルを取り戻せた国は2カ国しかなかったのだ。その片方だったポーランドですら、以降は成長率が低迷している。

「ビッグバン」に向けて

 「東欧の新しい政治エリートは、自分の権威が疑問視されることを恐れている。彼らはこれまでに実現された変革を確立するために、ともかく西欧に合流しようとした。NATOでもEUでも、欧米共同体ということなら何でもよかった」と、もうひとつのグローバリゼーションを目指して活動するハンガリーの経済学者、ラスロ・アンドールは指摘する。候補国を待たせるため、93年のコペンハーゲン欧州首脳会議は、複数政党制、「競争に立ち向かえる」市場経済、「EU法の総体(11)」の自国法への反映という「加盟基準」を設けた。しかし、コペンハーゲン基準を実際に適用するというのは、これらの諸国を選別することだった。その結果、「東欧諸国への門戸開放という最初の約束は、一つか二つの模範国に対してしか実現されないだろう」と、アンドール氏は予測する。

 EU拡大の「ビッグバン」に向けた転機となったのは、99年12月の欧州首脳会議である。候補国全てについて加盟は「不可逆的なもの」であることが宣言された。但し、具体的な日程は示されなかった。しかしながら、コペンハーゲン基準はますます適用困難となっていた。候補国は、対EU貿易収支で赤字状態にあり、「競争に立ち向かう」どころではなかった。最終交渉の重要な争点となる共通農業政策や構造基金に関わる「EU法の総体」は、範囲も不明で内容もしょっちゅう変わっていた。政治的には、ユーゴでNATOが行った戦争によって、これらの国々では棄権率の上昇と外国人排斥の傾向が悪化し(12)、それがEU拡大に向けた動きを加速することになった。

 「ビックバン」の準備として99年6月に結ばれた南東欧安定化協定は、「西バルカン」(13)にEU加盟の待合室を作ることで、ぐらついていた地域諸国政府を支援することを目的としていた。「この地域への取り組みが必要だった。さもなければバルカン化に拍車がかかり、アメリカ空軍による『安定化』活動を再開しなければなかっただろう」とアンドール氏は見る。彼は2003年3月にブダペストで、東欧では初めての試みとして、別のヨーロッパ政策を求める経済学者ネットワーク(14)の会議も開催している。

 東欧は、一党体制下の検閲と官僚主義に振り回され、とはいえ社会保障は提供されていたシステムから、自由主義の教条に基づいた知的テロリズムと無秩序な資本主義のシステムへ直接移行した。EUは、この苦しみに満ちた移行の中で、苦しみを和らげてくれるとともに、東西の民衆がひとつになるという希望を与える存在として見られている。

 「イラク戦争は東西ヨーロッパの民衆の絆を明らかにした」と、NATOに断固として反対し、EU加盟を熱心に支持するペトロ・ウールは評価する。かつてチェコスロヴァキアで「憲章77」の活動家として知られ、現在はプラヴォ紙で健筆をふるうウール氏は、ハヴェル大統領が任期切れ間際に8カ国による書簡に署名したことを「犯罪行為」と呼んだ。彼はヨーロッパの構築を「欧州評議会で認められた権利を前進させる」手段と位置付け、チェコスロヴァキア連邦の分裂に対するチェコの責任を非難して、偏狭なナショナリズムと闘っている。「チェコ共産党の反欧州キャンペーンは、ドイツ人をはじめとする外国人を危険分子と見なしており、非常に後ろ向きだ」

 「憲章77」でスポークスマンを務め、先ごろチェコ議会から副オンブズマンに選出されたアンナ・サバトヴァも、そうしたナショナリズムを拒絶する。「EU加盟に代わる道など想像もできない」と彼女は言い、1989年以降の社会福祉の後退を意識しつつも、人々の心情に進歩があると強調する。「以前は『連帯』という言葉は『助けてもらおうという心情』に属する卑しいものとされていた。それが今日では、最貧層の強制的排除や生活保護の打ち切りを合理的に批判することができるようになった」。そして次のように続けた。「加盟によってもたらされるのが肯定的なことばかりでないのはわかっている。けれども、孤立した状態で、世界をどのようにして変えられるというのか。EUの中のたくさんの事例が、今ここで踏ん張るための助けとなってくれるだろう」

高率にのぼる棄権

 ハンガリー社会フォーラムで活動する歴史学者のタマシュ・クラウシュも、加盟は「いちばん害の少ない選択だ」と考える。「反欧州の極右に対して、EUの枠組みの中で少数民族(特にロマ)と性的マイノリティの権利を擁護しやすくなり、諸国の労働組合が協力する機会も増えるだろう」。クラウシュ氏はにっこりと笑いながら、「フィレンツェ社会フォーラムに行ったハンガリー代表団は、真っ赤な旗を振り回しても牢獄に行かずに済んだんだ」と付け加え、そしてこう概説した。「13年間にわたるEUの外での植民地状態よりも、EUの中での植民地状態の方がましだろう」

 この言い方で強調されているのは、東欧のエリートが推進し、利益を受けてきた無秩序な資本主義に対するEUの責任だ。加盟をめぐる国民投票への反対票の一部にも、この見方が反映されている。とはいえ反対票の多くは、最貧層などに支持された外国人排斥的な極右ナショナリストや、サッチャー主義あるいは国家主権主義に立った超自由主義者(例えばチェコのクラウス大統領の党)によるものだ。反欧州のカトリック右派であるポーランド家族連盟(LPR)は(ローマ法王の姿勢にもかかわらず)、ポーランドがEUよりも北米自由貿易協定(NAFTA)へ加盟することさえ提案した(15)

 同様に様々な動機による「高率にのぼる棄権は、何かしら明確な答えという以上に多くの疑問を提起した」と、ニコラ・バルドス=フェルトロニー教授は指摘する。「とはいえ特に棄権率が高いのは、所得が低いか平均的な地域であるように思われる」。2003年2月、ポーランドで最も経済が低迷している地域のひとつにある都市エウクで、失業者団体や組合活動家を集めた社会フォーラムが開かれた。その企画者のひとりで、社会福祉のヨーロッパを求める動議に賛成票を投じたピョトル・イコノヴィッチは、「ポーランド政府のEU代表団は福祉問題についての拒否権を要求しているが、それは我々の声を代表したものではない」と息巻く。しかし、カトリックやナショナリストの右派勢力から離れたところで、自由主義路線に代わるヨーロッパを構築しようという提案は、まだ出始めたばかりにすぎない。

 「EUは現在も、政教分離が社会権や公民権とともに世界で最も発展した場所だ」と、反教権主義の雑誌ベス・ドグマトゥ(教義なし)の編集人、ミハウ・コズロフスキは強調する。そして、ためらいを見せつつもこう言った。「加盟条件は話にならないほどひどいものでしかない」。いずれにせよ「ポーランドのEU統合は挑戦だ」と、本気とも冗談ともつかない口ぶりで言う。コズロフスキ氏はポーランドのフェミニスト団体と同様に、「法王の息のかかったブリュッセルの宗教圧力団体の影響力」を心配しているのだ。

 それに呼応するように、歴史学者のマルツィン・クラも、「ポーランドは常にヨーロッパの一部だったのだから、EUの側こそポーランドの価値観に合わせるべきだ」という見方に注意を促す。彼はこうした主流的見解が、ポーランドのヨーロッパとしての過去を神話化し、西欧に対してポーランドが「ぎりぎり外れの場所」にあることを忘れていると批判する。

 すでに旧体制下の70年代に、共産党のギエレク政権が「輸入政策によって西欧式生活への展望を開いていた」と、この歴史学者は説明する。しかし、自主管理労組「連帯」が政権をとった後も「失業などもってのほかという状態が続き、民営化も想定外だった」。それが以降の逆説的な状況を引き起こす。「移行の担い手となった組合運動は、特に民間企業ではほぼ消滅した。人々は共産主義の崩壊以後、ヨーロッパに失望した。彼らは80年代にもたらされた支援を想起して、いったん共産主義から『解放』されたなら、もろ手を上げて歓迎されるものだと思っていた」。そしてこう結論付けた。「だからポーランド人は、共産主義の過去に対して、1989年の時点よりも肯定的な見方をしているのだ(16)

 クラ教授は、EUについて個人的にはどう思うかという質問に答え、ポーランドの東方国境を(国境貿易も含めて)閉鎖せよという要求に触れつつ、他の国の人々とも共通するジレンマと不安について次のように述べた。「もしEUに加わるか、ルカシェンコ大統領のベラルーシと一緒にいるか、どちらかを選ばなければならないとしたら、私はEUの方に票を入れる。しかし不安はある。我々と新たな『東欧』との間に新しい壁ができ、今度はそこの市民たちが『できの悪いヨーロッパ人』とレッテルを貼られ、軽蔑されることが第一に心配だ」

(1) ジチェ・ワルシャウィ紙によるインタヴュー、ワルシャワ、2003年9月4日付。
(2) 中欧の国民と新しいエリートがアメリカをどのように見ているかについては、ニコラ・バルドス=フェルトロニー「ヨーロッパの中心とイラクの戦争」(『ラ・レヴュー・ヌーヴェル』、ブリュッセル、2003年5-6月号)を参照。
(3) カトリーヌ・グセフ「新しいパートナー諸国へのコソヴォ効果」(『東欧諸国の手紙』1001号、2000年1月)、およびフランソワ・ギルベルト「NATO、拡大に継ぐ拡大」(エディト・ロメル編『東中欧、変革の10年(1989−1999)』所収、フランス政府刊行物等出版会、パリ、2000年)参照。
(4) しかしながらル・モンド2003年2月1日付には「東欧諸国はアメリカへの忠誠を正当化する」と題した記事が掲載された。
(5) 「8カ国による書簡」は、2003年1月30日にポーランド首相、ハンガリー首相、そして(任期満了を目前にした)チェコ大統領がスペイン、イギリス、ポーランド、イタリア、デンマークの首相とともに署名。「10カ国による宣言」は、2003年2月5日にアルバニア、ブルガリア、クロアチア、エストニア、ラトヴィア、リトアニア、マケドニア、ルーマニア、スロヴァキア、スロヴェニアの指導者が署名。
(6) The Baltic Times, Vilnius, 18 September 2003.
(7) Cf. especially The Baltic Times, 15 November 2001 ; International Herald Tribune, 20 February 2003 ; Radio Free Europe, 10 February 2003.
(8) Cf. The Guardian, 12 June 2002 and 16 May 2003.
(9) アメリカでは、国家予算はGDPの20%に相当する。
(10) 最初に加盟するのは、スロヴェニア、ポーランド、ハンガリー、チェコ、エストニアの5カ国。第二陣は、リトアニア、ラトヴィア、スロヴァキア、ルーマニア、ブルガリアの予定。
(11) カトリーヌ・サマリー「東欧へのEU拡大」(ル・モンド・ディプロマティーク2000年6月号)参照。
(12) ジャック・リュプニク「安定の模索とポピュリズムの誘惑に揺れる東中欧」(『国際問題研究所の研究』81号、2001年12月)参照。
(13) 旧ユーゴスラヴィア(スロヴェニアを除く)、アルバニアに加え、ルーマニア、ブルガリアも含む。これらの国の加盟は2007年に延期された。
(14) テーマ別ネットワーク「EPOC」を指す(http://www.epoc.uni-bremen.de/home.htm)。
(15) ジャン=ミッシェル・ドワール編『ポーランドとヨーロッパ統合』(ブリュッセル大学、2003年)66ページ参照。
(16) 70%以上のポーランド人がギエレク政権の時代を肯定的に評価している。


(2003年11月号)

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