アメリカ福祉国家が土台から断ち切られてしまった。第一次世界大戦後に生まれた進歩主義は、貧困家庭に所得援助、住宅・食料扶助を与え、年金生活者と障害者を対象とする社会保障制度を創設した。しかしここ30年の間に、様々な給付が打ち切られたり、大幅に削減されるようになってきた。 アメリカの都市開発は20世紀を通じて、以前からの居住分離をそのまま推進した。貧困層は「インナー・シティ」と呼ばれる都心周辺部に住み、中産階級と富裕層は郊外に向かった。この「郊外居住者」たちは、公的資金によって整備された交通網のおかげで、市街地で仕事をし、レジャーを楽しんだ。彼らの大半は白人である。その一方、黒人とラティーノは公庫や銀行の貸付にあたって差別され、都心を離れることができなかった(1)。「チョコレート色の市街、バニラ色の郊外」という表現はここから生まれた。 この状況が、10年前から劇的に変化した。都市はもはや製造業で食べていくことができなくなり、自治体は「情報産業」の振興によって「ホワイトカラー」を引き寄せようとした。ニューヨーク、シカゴ、ボルティモア、クリーヴランド、サンフランシスコの市長たちは新しい都市哲学をでっち上げた。かつては工場で占められていた広大な敷地に、公園やカフェ、「ロフト」や「コンドミニアム」などを整備して、新興富裕層向けの住宅地に仕立て上げようというのだ。貧しい黒人やラティーノの住んでいた「スラム」や荒廃地区を高級住宅地に作り替え、街の新たな救世主となる白人たちを招き入れようということだ。 この階級・人種戦争で真っ先に繰り出されたのが「法と秩序」戦略だった。アメリカ中の都市が「ギャング対策」条例を発布し、「浮浪者対策」措置を打ち出し、夜間外出禁止令を敷いた。「犯罪者階級」つまりマイノリティの若者たちが、街角や公園、ショッピングセンターにたむろするのを防ぐためだ。ニューヨークのジュリアーニ市長とシカゴのデイリー市長は、社会秩序崩壊の前兆となる軽犯罪や反市民的行為を取り締まることで大きな暴力犯罪を減らすという「ブロークン・ウィンドウ(破れ窓)」理論を採用した。彼らは、ホームレスの宿泊所や低所得者向け住宅を閉鎖し、アダルトビデオ店やポルノ映画館を禁止し、ホームレスや売春婦を取り締まり、破壊行為や強盗に厳罰をもって臨んだ。各地の自治体はこぞってこの「ブラットン哲学」と呼ばれる政策を賞賛した。その創始者である元ニューヨーク市警察本部長ブラットンは、現在では南アフリカやベネズエラ、ヨーロッパ各地の市警に対するコンサルタント活動をしている(2)。 郊外に向かうマイノリティ再開発された住宅地に入居した新興ブルジョワ層は、黒人やヒスパニックの家庭もないではないが、大半は支払能力の高い白人家庭だ。黒人やヒスパニックのほとんどは、貧乏人であろうとなかろうと、行政サービスの行き届かない貧困地区に住まざるを得ない。黒人が住んでいる地区では、平均収入が白人の50〜55%にとどまる。ヒスパニックについても、これよりましな状況とは到底いえない(3)。「良い」地区に入居できたマイノリティも、公共サービスの均等な享受という点では、貧しいマイノリティと変わりない。例えば、黒人やヒスパニックの子どもは、平均で生徒の65%が貧困層という学校に通うことになる。白人の子どもの通う学校では、その割合は31%に留まる。 都市の再開発は、手ごろな値段で入居できる住宅の不足をもたらした。それで打撃を受けたのは、あらゆる人種の労働者家庭だった。連邦住宅計画に関する住宅都市開発省(HUD)の報告書によれば、「最低賃金レベルの所得しかないフルタイム労働者の1人いる世帯にとって、寝室を2つ備えたアパートの家賃は、アメリカ中どこであっても手の届くところにない(4)」。家賃は月収の3分の1を超えるべきではないが、実際には収入の半分を家賃に充てている家庭が20%近くもある。こうした状況の原因の一端は、民間の不動産業者にある。 一例をあげれば、昔から労働者家庭が2〜4世帯ほど住んでいた小規模アパート140万戸が、1990年代に取り壊されたり、富裕層向けに再開発されたりした。家賃補助を受けようとする労働者家庭は、申請から2年は待たされることになり、その数はシカゴやニューヨークでは4万件以上にのぼる。政府はまた、低所得者向け住宅の総数を減らしにかかっている。多数の住宅を取り壊すだけでなく、公金を使って住宅の「再開発」を進めているのだ。こうして毎月2000戸のアパートが、不動産開発業者によって「市場に出回る」ようになり、その家賃は平均45%値上がりした。 都市の高級住宅地化と経済構造の変化によって家を追い出された人々は、どこに行ったのだろうか。一部の人々は、都心部の別の地区に移り住んだ。そこは貧しく、社会的に疎外された場所であり、低所得者向け住宅はますます減っている。他の人々は郊外に移っていった。かつては白人や一握りの恵まれたマイノリティが住んでいた郊外は、貧しいマイノリティ労働者で占められるようになった。1990年以降、郊外の黒人居住者の割合は40%弱、ヒスパニックでは72%も上昇した(5)。 都市を離れた黒人とラティーノが、郊外の富裕地区に移ったわけではない。彼らが住み着いたのは、貧しい労働者の住む「インナー・リング」と呼ばれる広域地帯だ。郊外の裕福な白人が仲間内で固まっていたのに対し、黒人やヒスパニックは新参のアジア系移民と共存した。彼らは、荒廃した住宅が建ち並ぶ貧しい地区に押し留められ、学校や警察その他の公共サービスが整備された地区には入り込めなかった。 45億ドルの取り壊し予算白人と金持ちが都心部に、マイノリティと貧乏人が郊外に、という逆転現象が起きたのだ。その大きな原因の一つは、昔ながらの公営共同住宅の取り壊しにある。90年代初め、HUDの役人たちは地方の住宅管理機関に対し、管内の低所得者向け住宅に「深刻な劣化」が見られるという報告をするように強制した。彼らによれば、公営住宅はマイノリティの貧困の一因であり、ここに住む家庭は勤労の倫理を失って、犯罪と依存の文化を作り上げてしまったというのだ。1990年には、国内の最貧地区のうち7地区が低所得者向け住宅地だった。うち3地区がシカゴに集中していた。荒廃した公営住宅が建ち並ぶ地区の多くは、軽犯罪グループの活動拠点となっていた。そこに住むのは大抵が黒人だった。だからといって、これらの地区の人種分離や犯罪、貧しさを彼らのせいにするのはお門違いである。80年代にレーガン大統領が公営住宅の予算を87%削減したことが、住宅の維持管理を著しく困難にした。これらの地区では警察もあまり活動しておらず(シカゴの警察本部長は、これらの住宅地は警察が踏み込むには危険すぎると言い切った)、住宅管理機関は役立たずで腐敗していた。 1992年に「HOPE VI」と呼ばれる法律により、各地の住宅管理機関は、建物を取り壊して住民に民間住宅の家賃補助を出すのと、補修や維持管理するのと、どちらが安上がりになるかを査定することを義務づけられた。不動産開発業者や民間住宅担当部門は、この法律が非常に漠然としていたのをよいことに、すぐさま公営住宅の取り壊しを進めた。「HOPE VI」では、住民がすみやかに引っ越しできるようにするために取るべき措置について、明確に規定していなかった。住宅を取り壊し、個人が「自活できるよう」支援すべきであると述べていたにすぎない。要するに、ただでさえ風呂場を補修することも、建物にはびこるネズミを駆除することもできないような住宅管理機関に対して、貧民をゲットーから物理的に追い出し、直ちに自立した責任感ある市民に変えろ、と言っただけなのだ。 これまでに45億ドルの連邦予算が5万戸以上の公営住宅の取り壊しに投入されている。政府に言わせれば、その方が貧困者の移住先にする住宅を新設するよりも効率的だった。シカゴでは、公営住宅から立ち退かされた住民の80%が、居住差別の犠牲になったマイノリティが集まる都心部やその周辺の貧困地区に移り住み(6)、10〜12%がホームレスとなった(7)。この政策は、今までになかったような種類の都市部の貧困を助長している。これまでの縦割りのゲットーに代わり、横方向のゲットーが作り出されるようになったのだ。それはつまり、都心部に住んでいた貧困家庭が郊外に追い立てられていったということだ。
(1) セルジュ・アリミ「シカゴ大学、守られた天国の一角」(ル・モンド・ディプロマティーク1994年4月号)、ダグラス・マッシー「アメリカのアパルトヘイトについて」(同1995年2月号)参照。 |
| (2003年11月号) All rights reserved, 2003, Le Monde diplomatique + Aoki Izumi + Jayalath Yoshiko + Saito Kagumi |
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