戦争賠償という法の欠落

モニク・シュミリエ=ジャンドロー(Monique Chemillier-Gendreau)
パリ第七大学教授

訳・吉田徹

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 イラク戦争が引き起こした被害は、米国と同盟国から地元住民への賠償金の支払い対象となるのか。イスラエルはパレスチナ人に対し、賠償の義務を果たすことになるのか。その可能性は極めて低い。国際法は戦争賠償の問題についてはただでさえ曖昧である上に、米国と同盟国が振りかざす力の論理を前にして、さらに後退しつつある。しかし第一次世界大戦の終結以降、国際的な賠償法が少しずつ作り上げられてきた。この原則に新たな息吹を与えることが、今こそ求められている。[フランス語版編集部]

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 イラクは1990−91年の湾岸戦争後、石油収入を国連に管理され、クウェートへの賠償に充てることを強制された(1)。対照的に、米国は64−75年のヴェトナム戦争に関し、1セントの賠償金も払っていない。80年代初頭にニカラグアのサンディニスタ政権に対して(反政府ゲリラ「コントラ」を通じて)仕掛けた戦争についても、国際司法裁判所が命じた損害賠償の義務を果たそうとはしない。さらに最近では、NATO(北大西洋条約機構)の枠組みを使ったコソヴォ戦争、2001年9月11日の事件に続く対アフガニスタン戦争、そして2003年の対イラク戦争という三つの戦争を起こしている。

 合法的な平和維持活動とはいいがたいこれらの戦争は、程度の差はあれ、現地にさまざまな損害をもたらした。ごく最近のイラク戦争の被害は、人的にも物理的にも最悪である。イスラエルもまた、違法な占領と入植を続ける領土(ヨルダン川西岸とガザ地区)での「軍事作戦」に、同じように無責任きわまりない態度で臨み、半世紀にわたってパレスチナの人々と財産に多大な損害を与えてきた。彼らに当然支払われるべき賠償金のことは、いまだ話題にさえ上らない。国内の戦争と国際的な戦争が明らかに混じり合ったアフリカの紛争の場合はどうか。数千人あるいは数百万人の犠牲者が生じ、直接的、間接的な責任の所在が明確であるにもかかわらず、賠償の認定にいたる手続きが開かれる望みは皆無である。

 この問題について、現在の国際法は後退期にあるといわざるを得ない。「勝てば官軍」の時代には、強者が代償や貢ぎ物を強要するという慣行が続いたが、やがて少しずつ、敗者が支払うべき賠償額は戦後の和平交渉を通じて決めるという一定の法的枠組みが作られていった。20世紀になると、特に第一次世界大戦を終結させたヴェルサイユ条約以降、賠償額は一方的な裁量によるのではなく、各国の責任の度合いに応じ、当事者双方の弁論に基づいて定められるようになった。対象は戦争による損害に限定され、戦費までは含められない。さらに、不正義が新たな不正義を生むような事態を避けるため、賠償額は有責国の支払能力を考慮して取り決められる。

 国連のもとで発展してきた国際法により、戦争賠償の問題は大きく進展するかに思われた。しかし現在では、むしろ後退の方が目に付くようになっている。国連は、主権国家が寄り集まった極度に分権的な国際社会に代わるものとして、諸国にとって容認できる程度に限定された集権的システムを構築した。しかし実際には、国連システムは安全保障理事会という国家間の平等とはかけ離れた機関に握られており、周知のように一方的な裁量判断の源泉となってきた。

 この国連安保理は、ある案件に関連して、自らの権限を賠償問題にまで広げた。イラクである。この国が許可された石油輸出の収入の30%を賠償基金に託し、それを通じて賠償を行うという強制執行の仕組みを作り上げたのだ。安保理は、これまで承認されてきた戦争賠償の論理を逸脱して、補償というのは平和の回復を助けるものであるから、その枠組みを作るのも安保理の役割だとする考えを打ち出した(2)。しかし、国連賠償委員会(UNCC)の動きを見る限り、賠償の主要な目的がイラクの負担によるクウェート経済の立て直しであり、主要な関心がクウェート復興に携わる多数の西側企業の権益保護にあることは明らかだ。

 この高圧的な手続きは、イラクの崩壊を大きく促進した。イラク国民は13年ものあいだ貧困化の一途をたどり、あらゆる経済的、社会的人権の侵害を被った。委員会は、いかなる法的基準にも拘束されなかった。扱われた補償請求は250万件に上るが、それらの根拠は(憶測や、本来ならば却下されるべき親類の証言など)疑念の多いものばかりだった。

損害の責任は誰にあるか

 イラクに弁解の余地はまったく与えられなかった。侵略行為は有責事由であるという論拠に立った委員会は、侵略行為を行った者に反対弁論の手続きは認められないという承諾しがたい結論を導き出した。こうしてイラクは、根拠不明な請求や誇張された請求に対して反論できず、専門の法律顧問を付けることも許されなかった。

 委員会の権限は、環境破壊や天然資源の空費に対する賠償にまで広げられた。さらに、整備不良あるいは破壊や強奪による損害はもとより、戦争に伴う経済的混乱が引き起こした損害の賠償まで取り上げられるようになる。クウェートの無秩序と混乱は、賃金の不払いや工場の損失と同様に、まったく機械的に侵略者の責任とされてしまったのだ。

 国際世論の無関心の中で進められた委員会の手続きにより、多大な努力のもとに確立された戦争賠償の原則は砕け散った。同じく民主的とはいいがたい国連安保理を母体とする委員会は、過去数十年間の法的伝統が要請する反対弁論の制度をまったく考慮することなく、イラクの戦争賠償問題を処理してきた。1923年にフランスが、賠償の名のもとにドイツの石炭を奪おうとしてルール地方を強引に占領した時に、連合諸国はこれを認めなかった。今日の世界で、委員会の専横に反対する者がいただろうか。

 さらに、人道上の配慮も消え去っている。過去の講和条約(1919年のヴェルサイユ条約232条、1919年の対オーストリア講和条約178条、1951年の対日講和条約14条)では言及されていたことが、イラクに関しては、病的な報復感情によってかき消されてしまったのだ。賠償のプロセスというのは、クウェート経済を支配する西側投資家の手に、イラク石油収入の3分の1を引き渡すためのパイプでしかなかった。国連は最近、バグダッドで攻撃を受けるという悲劇を経験したが、1991年以来の不当な経済制裁と公正を欠いた賠償制度のもと、国連がイラクでどのように見られていたのかを自問してみる必要がある。有効なテロ対策を実行し、国連だけが果たすことのできる和平と復興の仕事を成し遂げるために、国連はまず、イラク国民の不幸に加担した責任について謝罪しなければならない。

 また、責任の所在は正しく認定されるべきである。1991年に(安保理決議687号の適用により)イラクで「同盟国」が起こした戦争で、米軍は劣化ウラン弾を大量に使用した(3)。2003年の戦争でも、使用を公言してはばからなかった。あらゆる戦争法の規定に反するこの兵器の使用は、これまでに多大な犠牲者を生み出しており、今後も生み出し続けることになるだろう。誰がそれを賠償するのか。この兵器が使用される前の7倍から8倍に増えたがん患者と将来になって発病した人々の治療費用は、いったい誰が払うのか。いつになれば、侵略者が自ら引き起こした死と破壊の代価の支払いを迫られるようになるのだろうか。昨今ではヘビースモーカーが、たばこに依存する自分にも責任があるにもかかわらず、メーカーを提訴して賠償金を得ることに成功している。いつになれば、兵器を製造した企業、そして使用を計画した者たちが、自分の行為について自分の財布で責任をとるようになるのだろうか。米政権が、自国の主要企業の利益のために、それもイラク国民の資金を用いて、復興計画を立てるようなことが見過ごされてよいものか。

 「責任の原則」は、経済制裁の責任者、そして殺人兵器を用い、国連の拒否を無視して戦争に踏み切った者たちが、法に反する行為に対し、被害者の資金ではなく自らの資金でもって賠償を行うことを要請する。数カ月にわたって戦闘機や戦艦の移動を繰り返し、重爆撃機を出撃させたことで、温室効果ガスの排出量を引き上げ、地球温暖化の脅威を著しく増進させた者たちの責任も追及しなければならない。

「違法行為」とは何か

 より一般的に、国連創設以降に起きた戦争や破壊行為を見ていくと、賠償問題に対処するには法原則の厳格化が必要であるといえる。ヴェトナム戦争の事例は象徴的である。植民地解放戦争から抜け出したばかりのこの小国は、10年にわたって米国による戦火に耐えなければならなかった。絶え間ない爆撃によって、ヴェトナムの農業と国家存続に最大限の打撃を与えるべく、大量の有毒物質が浴びせられた。戦争終結から30年が経った今も、新たな犠牲者が生まれている。何万ものヴェトナム人が、日常生活をまったく営むことのできない病気に苦しめられている。土壌の汚染は消えず、この悪夢はいつ終わるとも知れない(4)。だが、この米国の戦争は、ラッセル法廷が明らかにしたように、また一部の政府高官が自ら認めたように、侵略行為の構成要件を確実に満たしている。しかも、そこでは禁じられた兵器が使用された(5)。つまり、侵略行為と戦争遂行手段という、国際法上いずれも有責事由とされる二重の違法行為が存在するのである。賠償の原則は、1973年1月27日のパリ条約に盛り込まれたものの、「米国はその伝統的政策にのっとり、戦争の傷跡を癒すことに貢献するであろう」という曖昧な文言にとどめられられた。両国の合同委員会の設置も定められたが、相互に誤解があったことで、早々に解散されてしまった。ヴェトナムから見れば賠償の義務であったものは、米国にとっては自らの裁量に委ねられた自発的な貢献にすぎなかったのだ。交渉は1973年7月に休止されて以降、一度も再開されていない。

 イスラエルによる国際法違反の軍事的占領と対パレスチナ戦争についても、やはり賠償の問題が取り上げられることはなかった。1948年の第一次中東戦争の際、あるいはそれ以降に居住地から追い払われたパレスチナ人の帰還権は、イスラエルはユダヤ人の国であるという民族論を盾にして拒否されている。これまでの交渉で、彼らへの補償の問題が具体的な話にまで進展したことは一度もない。特にオスロ合意以降、イスラエルによる封じ込め政策のもと、パレスチナ経済がますます悪化した状況からすれば、クウェート経済について適用された基準を踏襲するのが当然ではないだろうか。経済を崩壊させた責任のある者に、その復興費用を負担させるという基準である。何度も蒸し返されてきたイスラエルの治安確保という議論に惑わされてはならない。イスラエルに対するテロや現実の脅威は、長年の占領、戦争、不正義の結果として生じている。これに終止符を打ち、損害を賠償することが、まさに来たるべき和平の鍵となる。安保理は早急にこの問題に取り組むべきである。

 こうした国際司法上の重大な欠落によって、国家の国際責任のルール全体が危険にさらされる。国際世論はここ数年、国際的な刑事責任の問題に力を注いできた。しかし真の司法、すなわち正義を実現するには、民事責任の原則に関しても厳格なルールが定められなければならない。この分野での法制度の進展は、極めて由々しい状況にある(6)。さまざまな国際機関が過去数十年にわたり、「国際的な違法行為」に関する国家責任について検討を重ねてきた。国連国際法委員会はすでに条文案を作り上げた。しかし、まだ多くの懸念材料が残っている。責任追及の根拠が「違法行為」であることは強調されているが、それがどのような行為であるかという法規範については、多様な見解が入り乱れている。「被害国」の概念も十分に明確になっていない。もし人類が真の政治共同体となることを望むのならば、あらゆる国家が法のルールにのっとって自国の法的利害を主張できる状況を作り上げる必要がある。しかし現在の趨勢はそれどころではなく、相変わらず各国による報復措置がまかり通っている。それぞれに我流の司法の実践を許すなどということは、「国際法のいくばくかの後退の構成要件」でしかないだろう(7)

(1) 賠償額の決定については、アラン・グレシュ「イラクに科せられた無限の補償」(ル・モンド・ディプロマティーク2000年10月号)参照。
(2) アレクサンドロス・コリオプロス『国連賠償委員会と国際責任法』(LGDJ書院、パリ、2001年)参照。
(3) ロバート・ジェームズ・パーソンズ「放射線問題は国連の鬼門?」(ル・モンド・ディプロマティーク2001年2月号)参照。
(4) See Le Cao Dai, Agent orange in the Vietnam War, Vietnam Red Cross Society, Hanoi, 2000. および、スコフィールド・コリエル「ヴェトナムを殺し続ける枯葉剤」(ル・モンド・ディプロマティーク2002年3月号)参照。
(5) チャン・ヴァン・ミン「ヴェトナムの戦争賠償と国際法」(『国際公法総合誌』第4号、パリ、1977年、1047ページ以下)参照。
(6) ブリジット・ステルン「もし法益侵害の観念を用いたらどうなるか−国家責任に関する国際法委員会の作業完了にあたって看過された概念の再考」(『フランス国際法年報』、パリ、2001年)参照。
(7) イヴ・ドーデ「国際法委員会による作業」(『フランス国際法年報』、1994年、591ページ)。


(2003年10月号)

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