チェコ、EU加盟目前の総決算

カレル・バルタク(Karel Bartak)
チェコ通信EU担当、在ブリュッセル

訳・三浦礼恒

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 2003年2月28日のチェコ大統領選挙では、右派野党である市民民主党のクラウス党首が選出され、ブリュッセルを震撼とさせた。というのも、彼はテレビで繰り返し、自分は「現実的欧州主義者」であり、「熱烈欧州主義者」ではないと語ってきた政治家だからだ。彼のこうした批判的な姿勢が世論の疑念を呼んでいく可能性もあるとはいえ、6月に予定されているチェコの国民投票でEU加盟が承認されるかどうかは予断を許さない。[訳出]

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 イラクをめぐる危機のさなか、フランスのシラク大統領は欧州連合(EU)加盟候補国の態度に関して、「おとなしく黙っているべきだった」と寸評した。名指しされた諸国は、これをゴールはまだだという意味に受け止めた。2002年12月のコペンハーゲン首脳会議でEU拡大が決定されたといっても、実際の加盟に至るまでには長い道のりが残されている。2003年4月のアテネ首脳会議での加盟条約への調印、次いで各国による条約の批准を経なければならない(1)

 こんなふうに釘を差された国々の首脳は、アメリカによる対イラク戦争に(イギリス、スペインとともに)賛同したことに問題があるなどとは考えていなかったに違いない。シラク大統領の監督者然とした口調は、共産主義とソ連のくびきから解放されて間もない諸国に大きな衝撃を与えた。

 これら諸国の反応は、控えめながらも憤慨に満ちていた。いずれにせよ、チェコでもポーランドでもハンガリーでも、シラク発言はそういう意味のものとして受け止められた。つまり、ヨーロッパという家族の枠組の中では、罰を受けることなく我が道を行くことはできない。そこには尊重すべき団結のルールがある。門扉を叩いている者であればなおさらだ。シラク発言は、言い方としても許しがたいと受け止められ、タイミングも不当なものと見なされた。華々しく「ヨーロッパ大陸の和解」と銘打たれた加盟プロセスに沿って、多大な努力を傾けてきたあげくがこの発言か、と。

 10カ国の候補国にはそれぞれ特有の事情があるが、欧州統合に対する世論はおおむね似通っている。そこに何が待ち受けているのかという知識を欠いたまま、扇情的なメディアに踊らされている場合がほとんどだ。チェコの場合は例外的に、EU加盟をめぐって大きな論争が起きている。キリスト教民主連合、社会民主党、自由連合といった親欧的な勢力が、クラウス新大統領の母体である市民民主党、有力政党のボヘミア・モラヴィア共産党のような、欧州懐疑派の一大勢力と対立する構図である。市民民主党は、EUに加盟した暁には直ちにイギリスの保守党と共同歩調を取り、欧州統合の深化にブレーキをかける心づもりでおり、これまで常に統合構想の「希薄化」を警戒してきたフランスなどの懸念を引き起こしている。

 2003年6月に行われる国民投票では、EU加盟への賛否よりむしろ加盟の内容が問われることになるだろう。ブリュッセルの公式の決定であれば、いかなる介入でも受け容れるつもりでいる「楽観主義者」の「単純」で「無邪気」な姿勢は、懐疑派にとって許せるものではない。シラク発言は、仏独が小国を傘下に置こうとしているのだという妄想に根拠を与えてしまった。市民民主党は、支持者の大半が社会民主党の支持者よりも親欧的という亀裂を内部に抱えたまま、候補国も含まれるEU将来像諮問会議では「主権主義ロビー」に加わった。その目的は、クラウス党首によれば、「国家間アプローチから超国家的アプローチへと向かう動き、知らぬ間になし崩し的に進められる大陸統合の動きを押しとどめる」ことにある(2)。国家主義と自由主義がない交ぜとなった市民民主党は、フランスのパスクワ元内相やイタリアのフィーニ副首相が創設した欧州議会内会派「諸国民の欧州」にますます引き寄せられるようになっている。

農業補助金をめぐる紛糾

 チェコで見られる状況は、反ブリュッセルの世論が容易に作り出されることを明らかにしている。ここでも他の諸国と同様、「特段の事件なし」という明るい材料よりも、1999年のサンテール委員長以下の欧州委員会の総辞職、2000年のニース首脳会議の乏しい成果、今回のイラク危機でのヨーロッパの分裂といった否定的な事件ばかりが大きく報じられてきた。だが、こうしたマスコミ報道では、多くの人はEUの歴史、存在意義、機能の仕方について知ることがない。さまざまな風説が、実質的な意見表明と並んで、世論に影響を与えている。大手民放テレビ局ノヴァが、EU法に適合しない養蜂場はいずれ禁じられると伝えると、多くの養蜂農家は恐怖におののいた。彼らの一部は国民投票で反対票を投じることになるだろう。同様に、ウトペネツ(ソーセージの切れ端をビネガーに浸したもの、飲み屋でビールのつまみに出す)が禁止になるという憶測も、長時間のテレビ討論番組にまさる衝撃をチェコ人に与えている。

 こうした「細目」は別として、チェコは1993年にEUと結んだ協定により、多くの不人気な改革を行ってこなければならなかった。歴代政権は、数万ページにわたって列挙されたEUの現行法に合わせ、国内法を変更する義務を負ってきた。欧州委員会が作成する報告書は、加盟候補国にはまさに診断書のように受け止められている。そこには、2000年の段階でポーランドやハンガリーが端的に市場経済であると認定されたのに対し、チェコは市場経済と「見なし得る」と書かれており、彼らの感情を逆なでした。

 更に悪い材料もある。労働者の移動の自由に関しては最短2年、最長7年の移行期間が定められ、それまでチェコ人はEUの労働市場から締め出されることになる(3)。これは差別的な措置として受け止められている。この措置が設けられたのは、ドイツやオーストリアが東欧諸国の労働者の大規模流入を懸念する世論を抑えようとしたからだ。この種の規制や制約はチェコの世論を刺激し、EU拡大の歴史的な「パトロン」を自認するドイツの信用を著しく失墜させた。チェコはまた、加盟交渉の間を通じてEUの財政問題に苦しめられてきた。それがピークに達したのは2002年12月のコペンハーゲン首脳会議である。まず1999年3月のベルリン臨時首脳会議で、EUは(ドイツの要請をフランスが支持する形で)新規加盟国には農家への直接補助金の制度を拡大しないことを決定した。拡大にかける費用については、2002年から2006年までに580億ユーロという金額に決められた。2004年以前に新規加盟が実現する国はゼロになったから、そのうち155億ユーロは支出する必要がなくなった。口にはされないものの、これは現加盟国にとって大きな節約となる。残りの425億ユーロについては、金額を引き上げることなしに、最初に想定されていた後発6カ国ではなく、全10カ国の新規加盟国に振り分ける予定になっていた。

 最終的には、共通農業政策に関する仏独間の合意が成立し、新規加盟国にも直接補助金が一定の割合で支払われることになった(4)。但し、拡大に投じる資金の総額は据え置きとされた。コペンハーゲン首脳会議で、経済危機に直面するドイツをはじめとする現加盟国は、未分配の約15億ユーロを含め、当初に約束した総額を振り分けるという寛大な措置によって加盟交渉の最後を飾るような勇断を下すことができなかった。しかし、2004年から2006年までに10カ国の新規加盟にかかる費用は、現加盟国の国民総生産の0.1%にすぎない。こうしたケチな姿勢は、コペンハーゲンの祝祭ムードを台無しにしてしまい、経済的にも社会的にも旧EUほど均質ではなくなる新EUの一体性を損なう危険を生んでいる。

シラク発言が残した禍根

 プラハは2002年11月に激しいデモ行進の舞台となった。前代未聞の事態であった。EU農業との競争で市場が荒らされ、ものによっては壊滅的な打撃を受け、農民全体が貧困化することになると訴えるチェコ農民たちは、オーストリアやドイツの農民と同様の待遇を要求した。それに対して欧州委員会はこう反論する。ある調査によれば、チェコの農民の生産コストはEUの農民の40%でしかない。直接補助金がなくともEUの価格保証を適用されるだけで、60%の収入増になるではないか。チェコの農民組織にとって、そんなことは虚言にすぎない。コストはどちらの側でも同じであり、西側の農民たちは直接補助金のおかげで最初から75%も得をしており、その格差の解消に10年はかかるという。EUは彼らの怒りを鎮めるため、新規加盟国が自国予算で農民に追加補助金を出すことを認めざるを得なかった。この措置は、共通農業政策が解体へと向かう最初の一歩を意味するものとなるだろう。

 農民はチェコの人口の4%にすぎず、彼らの抗議運動は目立ったとはいえ、大きな打撃を与えはしなかった。それでもこれが、ただでさえ陰気なムードを更に重苦しいものにした。既にチェコ政府は、「競争」環境づくりの仕上げとして、製鉄業の3分の1を犠牲にせざるを得なかった。加盟後2年間は政府による製鉄業への支援が認められるが、それ以降は市場原理が支配することになる。しかし10年間にわたって経済転換に苦しんできた現在のチェコには、怒りよりも倦怠の気持ちが強く漂っている。

 欧州委員会はチェコ当局に対して、金融界の乱脈経営、大銀行の不透明な民営化、企業の大規模な「抜け道づくり」(5)をためらうことなく非難してきた。海外の投資家たちもまた、財界の腐敗を嘆いてきた。政府による「清潔化」キャンペーンはたいした成果を上げず、チェコのマフィア対策の決め手となったのはEUの存在であった。環境問題で改善が見られたのも、やはりEUによる義務づけや資金援助のおかげだった。同じことは労働組合についても言える。社会政策分野のEU法はまだ端緒についたばかりだが、チェコの労働者にも恩恵を与えるものであり、これを前進と見る労働組合はEU加盟への支持を打ち出した。

 テメリンの原子力発電所の運転にオーストリアが反対し、ドイツがズデーテンの問題(6)を蒸し返したことにより、チェコのEU加盟交渉は政治的な色彩を帯びるようになった。ドイツの右派とオーストリアは最初から強い立場にある。しかしいずれの場合も、最初は欧州議会で展開された激しい論争の中で、欧州委員会がチェコの立場に理解を示す調停役を演じてきた。そのおかげで、チェコの加盟が直面していた地雷原は長期的に一掃されることになる(7)

 だが将来に関しては、まだはっきりしたことは言いがたい。EUへの加盟はチェコの社会経済の正念場となるだろう。一部の産業部門が非常に苦しむことになるという主張があるが、経済開放は既に何年も前から進んでいると言うこともできる(8)。新たなルールが尊重されるようになれば、12年前からのさばってきた無秩序な資本主義に対して部分的な規制をもたらす効果ももたらされる。「新興成金層」の一部が「規制過多」なEUへの加盟を急ごうとはしないのも、おそらくそうした理由からだろう。客観的に見ると、彼らは国民投票に向けて、EU加盟に原理的に反対する共産党の保守派と同盟を結ぶ形になっている。これらの反対勢力は、ここぞとばかりにシラク発言に飛びついた。2000年の時点でポーランドについては公に、他のヴィシェグラード諸国(ハンガリー、チェコ、スロヴァキア)についても暗黙のうちにEUに迎え入れると約束したフランスの大統領が、ここに来てどうやら難色を示している。それを彼の戦術にすぎないと受け止めてよいのかどうかが気に懸かるところである。

(1) ポーランド、ハンガリー、チェコ、スロヴァキア、スロヴェニア、リトアニア、ラトヴィア、エストニア、キプロス、マルタの10カ国の加盟が1つの条約にまとめられている。
(2) 2001年12月7日の欧州議会での演説より。
(3) EUの現加盟国は加盟候補国の出身者に対し、2年間にわたり(外国人全般に対してと同様)労働許可の付与に関する行政手続を課すことができる。これは単なる通知によって3年間延長される。「労働市場が不安定になる危険性」がある場合には更に2年の追加期間を設けることもできる。
(4) 2004年には総額の25%、2005年には30%、2006年には40%、以降同様に引き上げられ、2013年からは全加盟国で同一の直接補助金が支払われるようになる。
(5) タックス・ヘイブンへの資金の不正な移動などにより、民営化前に企業の資産を外部へ流出させる手口のことをいう。
(6) アントニーン・リーム「苦渋に満ちたズデーテン問題の解決に向けて」(ル・モンド・ディプロマティーク1996年2月号)参照。
(7) 欧州委員会はテメリン原子力発電所の安全性に関する多くの報告書について調整を行い、資金を部分的に負担し、チェコとオーストリアに対してトップレベルで最終合意に至るよう強制した。ズデーテン問題では欧州議会が専門家に調査を命じた。その報告書はチェコに関し、ドイツ人の追放を命じた大戦直後の大統領令を公式に廃止する義務を課すことなしにEUへの加盟を認めることを勧告した。委員会報告でも同様の結論が出されている。
(8) 一部の農産物を除き、あらゆる貿易障壁が徐々に撤廃されてきた。


(2003年4月号)

All rights reserved, 2003, Le Monde diplomatique + Miura Noritsune + Kitaura Haruka + Saito Kagumi

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