日常と化したパレスチナ侵攻

バンジャマン・バルト特派員(Benjamin Barthe)
フランス人ジャーナリスト、在パレスチナ

訳・近藤功一

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 その日、世界の関心はよそにあった。アゾレス諸島で行われた米英西の三カ国首脳会談は、その前日に終了し、イラクに関する新たな国連決議が採択される可能性は立ち消えた。ワシントン発のテレビ報道は、ジョージ・W・ブッシュがサダム・フセインに向けた最後通告、「Leave the country or face war(国を去れ、さもなくば戦争だ)」一色になっていた。2003年3月17日のことだ。この日、パレスチナのガザ地区では、11人のパレスチナ人が殺された。大半は非戦闘員だった。世界の関心がほとんど向けられない中での殺戮である。

 すべては午前3時頃に始まった。合計5人の兵士を殺した2件の自爆テロに関わった容疑でイスラエル軍に追われていた「イスラム聖戦」の活動家、ムハンマド・アッサアフィンが、闇に紛れてヌセイラト難民キャンプの外れにある自宅に帰ってきたところだった。「罠だったんだ」。従弟のナセル少年が、こわばった眼差しで語る。数分のうちに、10台ほどのジープ、続けて一群の戦車が到着し、アッサアフィンの家を取り囲んだ。「続けざまに砲弾が撃ち込まれ、猛烈な音がした。うちの壁が崩れ落ちるんじゃないかと思ったくらいだ。妊娠中の妻は本当に怖がって、私の前で危うく出産するところだった」。隣で食料品店を営むイハブは、その時のことをこう語った。

 イスラエル兵の命令で、この建物に住む34人の住人は、屋外に退去させられた。たった5分で持ち物をまとめるなんて、とても無理な話だ。避難民たちは大急ぎで、宝石、写真、証明書の類、お金などをつかみとる。階下に逃げ込んだアッサアフィンは、投降を拒否し、銃撃戦が始まった。銃声を聞きつけ、祈祷時報係の抗戦への呼びかけに応えて、武器を手にした数十人の活動家が駆けつける。この戦闘で2人の活動家、25歳のイブラヒム・アル・オトゥマニと18歳のイヤド・ズライクが命を落とした。

 その間に、難民キャンプの主要な道路に戦車が配備された。Gブロックでは、パン屋のジヤド・アル・アサルがアパートの入り口に出ていた。「まだ小さな娘が追いかけて外に出たんだが、彼はそれに気づかなかった」。隣に住む28歳のオトゥマン・タウィルが語る。4歳のイルハム・アル・アサルは、胸に二つの銃弾を受けて、父親の腕の中で息を引きとった。タウィル家の屋根の上では、オトゥマンの30歳の兄サイードが、回転弾倉式の古いピストルと手製の爆弾で、イスラエル兵を攻撃しようとしていた。が、発射する前に、撃ち殺されてしまう。おそらく上空のヘリコプターから射撃されたのだ。17歳のオマル・アブ・ユセフの場合は、危険を顧みずに道に出ていて爆殺された。「少しでも外に顔を出せば、すぐに標的にされた」とオトゥマンは言う。

 そこからいくつかの通りをはさんだ第5ブロックでは、17歳の学生オマル・ダルウィーシュ、40歳の仕立屋ナビル・ドゥイダル、その兄のノマンが、モスクから帰宅する途中だった。夜が明けようとしていた。もう銃撃は止み、この3人は安全だと考えていた。「私たちが道の真ん中にいた時、まったく突然、あたり一面に重機関銃が乱射された」と、ノマンは述べる。オマルは即死、ナビルは頭に銃弾を受け、数時間後にガザ病院で死亡した。

 イスラエルの作戦は、すでに3時間に及んでいた。全員が警察官の4人の兄弟が拘束された。ムハンマド・アッサアフィンは自宅で抗戦を続けていた。6時15分、兵士たちは、この建物に仕掛けた爆薬に火を点ける。4階建ての建物は、まるでスフレ菓子のように、このイスラム聖戦の活動家の上に崩れ落ちた。これでイスラエル軍は、近くのネツァリム入植地にある基地へ戻ることができる。それから数時間後、ガザ北部のベイト・ラヒヤでは、物陰に潜んでいた狙撃兵が3人のパレスチナ人を撃ち殺した。1人は民間人、2人は水上警察の職員だった。この1日で、合計11人が死亡、4人が拘束された。こうした数が、ガザ地区ではほとんど日常と化している。

1カ月で109人の犠牲者

 イスラエル軍は2月中旬以降、イラク問題へのメディアの関心の集中に乗じて、占領地の締めつけを特にガザ自治区で強めていった。2月15日にドゥギト入植地付近でイスラエルの戦車が爆破され、兵士4人が死亡した事件、また近くのイスラエルの町スデロトへの手製ロケット弾による相次ぐ砲撃が、ハマスやイスラム聖戦の拠点を急襲する口実となった。国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)の集計によると、ガザ地区へのイスラエル軍の侵攻回数は、2002年12月は55回、2003年1月は77回、2月は91回に及ぶ。2月18日、戦車がガザのアットゥッファーハ地区へ侵入、11人の死者が出る。2月23日、ベイト・ハヌーンへの侵攻、6人の死者。3月3日、アル・ブレイジ難民キャンプへの攻撃、8人の死者。3月6日、ジャバリーヤへの侵入、11人の死者。そして3月17日、ヌセイラトとベイト・ラヒヤ、11人の死者。とても現実とは思いがたい光景だ。ラーマッラーでパレスチナ評議会が、新設の首相職に付与する権限に難癖を付けているさなか、ガザの難民たちは戦車の巨体に押し潰されているのだ。400平方キロにも満たず、検問所と入植者専用道路によって分断されたガザ地区で、イスラエル軍は軽装の民兵を相手に汚い戦争を行っている。

 パレスチナ人権センターの報告によると、2月中旬から3月中旬までの1カ月間に、占領地全体で109人のパレスチナ人が殺された。そのほとんどがガザ地区である。犠牲者の規模は、インティファーダの最も激しかった2000年10月、11月の2カ月間に殺された238人、自治区内の主要都市に対する「防御の壁」作戦が実行された2002年3月、4月の2カ月間に殺された242人にも匹敵する(イスラエルの人権擁護団体ベツェレムによる集計)。「イスラエル軍は、攻撃後に直ちに立ち去る(hit and run)という形の奇襲攻撃に力を入れた後、ハマスの基盤を根絶するための長期戦に臨もうとしているのではないか。向こう数週間は、あちらの地区の小グループ、こちらの地区の小グループという具合に、徹底的な一掃作戦をやっていくだろう」と、ガザ地区の赤十字の責任者エティエンヌ・アントフニセンスは見る。

 またもや一般市民が、この無分別な攻撃の最大の犠牲者になっている。特にガザ地区の南端ラファーではひどい。エジプト国境沿いのOブロックでは、ブルドーザーが数百メートルにわたり住宅地を取り壊した。あとに残ったのは、コンクリートの監視台だけがせり出した無人地帯であり、一斉射撃によって穴だらけとなったがらくたの山でしかない。アントフニセンス氏は次のように語っている。「あそこは占領地全体の中で、最も危険な場所だ。死んだのはほとんどが民間人で、イスラエルの狙撃兵によって撃ち殺された。サッカーをしていた子供、父親のためにタバコを買いに行った少年。あそこで起こっていることを描写する言葉などない。去年の5月と8月、我々の一団も狙撃された。その後にガザ南部の部隊を率いる士官と会合を持ったところ、彼は私の目を見据えてこう言った。おたくの職員が関わり合ったのが自分の部隊だったなら、そこで殺されていたはずですよ、と。それ以来、我々は二度とラファーには行っていない」

 3月6日、ジャバリーヤでは、難民キャンプの54歳の祈祷時報係を含め、6人を殺害したイスラエル軍が撤退するかに見えた時、人だかりの真ん中で爆発が起こった。5人の住人が一瞬のうちに殺された。そのうちの1人は、家具店の火事を消そうとしていた消防士だった。パレスチナ人によれば、爆発の原因は、戦車が放った砲弾である。しかし、イスラエルの参謀本部は軍の責任を否定し、火事のあった家具店に爆発物が保管されていたに違いないと述べた。爆発の瞬間、現場にいたロイターの記者によって撮影された映像は、このイスラエル側の説を打ち砕く。スローモーションで放送された映像を見ると、犠牲者の身体がばらばらに砕け散り、その中に武器を持った人間がいなかっただけでなく、爆発した榴弾が飛び散ったことが分かる。その直後、重機関銃の射撃音がとどろき、群衆は助けを求めて走り出し、急いで安全な場所を探そうとした。

イラクに立ちこめる硝煙の陰で

 今のところ、これらの作戦の「軍事面」での効果は、ゼロとは言わないまでも貧弱なものでしかない。侵攻後に、ハマスの活動家が再びスデロトにカッサム・ロケット弾(1)を撃ち込むケースも多い。イスラエル軍の侵攻は、期待されている結果、少なくとも標榜されている結果とは反対のものをもたらしているという見方もできる。つまり、復讐心を駆り立てるだけでなく、民衆をハマスに引き寄せ、ロケット弾の発射を止めさせようとするパレスチナ治安警察の努力をあらかじめ潰している。3月20日、ジャバリーヤの外れにある野原で、見回りに来た警官隊がカッサム・ロケット弾の指導員を拘束しようとした時も、2週間前の流血の惨事のショックが残っている住民は、ハマスの活動家たちの肩をもった。銃撃戦が起きて1人のイスラム主義者が殺され、住民たちは警察の2台のジープを炎上させた。

 イスラエル軍の侵攻は、インティファーダに対しては効果がなく、その一方で市民社会に大きな被害をもたらしている。UNRWAによると、2003年になってから、ガザ地区では232の家屋が完全に、または部分的に破壊された。過去2年半の間に破壊された家屋の4分の1が、この2カ月半に破壊されたことになる。

 1月以降、こうして約2250人のパレスチナ人が家を失った。「我々は日々、ジュネーヴ第四条約(2)に対する違反行為をリストに記入している。民間の人や財産に対する故意の攻撃、非通常兵器の使用、医療団への攻撃などだ。定期的に我々は、イスラエル政府にそれらのことを伝えている」。アントフニセンス氏は言葉を続ける。「そういった警告は、通常は1ページ半ほどだが、最後に我々が送ったものは4ページに及んだ。その中には、10月以降イスラエル軍が是正すべきなのに是正していないことが、すべて列挙されている」

 パレスチナ人権センターの副所長ジャベル・ウィシャ氏は、ガザの中心街にある事務所で、イスラエル軍の最近の凶行の一つに言及して、溜息をついた。3月16日、国際連帯運動(ISM)のアメリカ人平和活動家レイチェル・コリーが、ラファーでイスラエル軍のブルドーザーに轢き殺された事件のことだ。彼女は赤い上着を身に付け、メガホンを手に、ブルドーザーの正面の盛り土に上り、家屋の破壊を防ごうとしていた。彼女は十分に運転手から見えていたはずなのに、ブレーキは踏まれなかった。「こういった残虐行為がアメリカ市民に起こるとすれば、ここの住民がどんなことを被っているかを想像してみてほしい。イスラエル人は、越えてはいけない一線を日ごとにずらしている。国際社会は沈黙しているが、それはイスラエル軍に全面的に同意しているのと同じだ。半年前までは許せなかったはずのことが、今では広く容認されるようになってしまった気がする」

 次の段階は一体どうなるのか。ウィシャ氏は、イスラエル軍がイラクに立ちこめる硝煙の陰で、ガザ全体をヨルダン川西岸のように再占領してしまうことを危惧しているのだろうか。「シャロンは、ガザ地区に侵攻するのに口実なんて必要としていない。その気になればそうするだろう。しかし、今のところは、そうはなるまい。イスラエル軍は、我々をひたすら弱火であぶろうとしている。我々を追い詰め、過激派の土壌を作り出そうとしているんだ」。そこにはカメラもなく、具合の悪い質問もない。

(1) 手製のロケットで、射程距離は数キロメートルしかないが、ガザ地区そばのイスラエルの町には届く。
(2) 戦時における文民の保護に関する1949年8月12日のジュネーヴ条約。[訳註]


(2003年4月号)

All rights reserved, 2003, Le Monde diplomatique + Kondo Koichi + Saito Kagumi

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