北朝鮮危機は回避不可能だったのか

ブルース・カミングズ(Bruce Cumings)
シカゴ大学教員

訳・斎藤かぐみ

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 1991年、ブッシュ・シニア政権は、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の寧辺(ヨンビョン)にあり、黒鉛減速炉を擁する複合核施設の活動を懸念していた。しかし、核不拡散条約(NPT)によれば核兵器による威嚇を受けた非核保有国には自衛権が認められており、アメリカは韓国に原子砲、核地雷、核爆弾、さらに58年以降はオネスト・ジョン型ミサイルを持ち込んでいた。ブッシュ大統領は北朝鮮政府との初の協議に着手し、任期終了近くに韓国から核兵器を撤去した。しかしこの協議は93年1月、就任早々のクリントン大統領によって中止された。彼は経済にしか目を向けず、当初は北朝鮮にまったく関心をもたなかった。

 クリントンの就任から6週間後、北朝鮮は国際原子力機関(IAEA)の査察官をアメリカ情報当局の配下にあると断じ、NPTからの離脱を宣言した。そして大々的な宣伝工作を展開し、もし国連安保理が制裁に踏み切るなら「戦争行為」と見なすと通告した。こうして金日成(キム・イルソン)が口火を切った18カ月に及ぶ核危機は、94年5月に重大な局面を迎える。寧辺の原子炉から8000本の使用済み燃料棒が取り出されたのだ。そこに含まれるプルトニウムは、5個か6個の原爆を製造できる量に相当する。同年6月末、クリントン大統領は北朝鮮に対して宣戦布告する瀬戸際にあった。急遽、カーター元大統領が平壌(ピョンヤン)に向かい、金日成と直接会談し、寧辺の複合施設を全面凍結するとの約束を取り付けた。

 この約束は94年10月に米朝枠組み協定として文書化された。IAEAは寧辺の原子炉に封印を施し、燃料棒をコンクリート製の保管施設に格納し、その後8年間にわたって監視活動を続けた。続けてクリントン政権は、核開発計画を凍結すれば経済援助を与えると北朝鮮に提案し、包括合意への道を模索した。98年から2000年にかけ、同政権のペリー北朝鮮政策調整官(元国防長官)が、両国の相互承認と北朝鮮のミサイル全基の買い取りという布石を打った(1)。しかし情報当局はこの頃、北朝鮮が新たなウラン濃縮計画に関わる技術導入を1998年に開始した証拠を確かにつかんでいた。共和党は当時、クリントンのやり方を「ならず者国家」をつけ上がらせるものと糾弾していた。

 今回の危機が公然化したのは、2002年10月3日から5日に実施されたケリー国務次官補(東アジア・太平洋担当)の訪朝後だった。彼は核計画再開の証拠を携えていた。北朝鮮は最初は否定したものの、その事実を認めた。北朝鮮は1998年にパキスタンとの間で、ミサイル製品とウラン濃縮技術の交換に関する合意を交わしていたと伝えられる。ウランの濃縮には時間がかかるが、この合意により入手したとされる1000台の遠心分離器をフル回転させれば、パキスタン方式の制御しにくい大型の原爆を毎年1個から2個のペースで製造できることになる。ケリーの帰国直後、あるアメリカの高官は記者団に向かって、寧辺の原子炉の凍結に関する94年の枠組み協定は完全に無効だと言い放った。

 実際には、これは予言の自己成就を示している。枠組み協定の死文化(2)は、ブッシュ新大統領が就任して間もない頃から、ブレーンによって明言されていた。さらに、2001年9月11日の事件の後、アメリカ政府は「悪の枢軸」を発明し、その1年後には伝統的な封じ込め政策を捨て、先制攻撃論を掲げるようになった。

 北朝鮮に関しては、ブッシュ大統領は金正日(キム・ジョンイル)に対する根拠不明の非難を繰り返し、韓国政府による和解政策を頭から見下していた。ノーベル平和賞を受けた韓国大統領、金大中(キム・デジュン)が2001年3月に彼との会談で聞かされたのは、北朝鮮の指導者は信用がおけないという言葉だけだった(まるで1994年の協定が、監視ではなく信頼の上に成り立っているかのように)。ブッシュ大統領は最近もジャーナリストのボブ・ウッドワードによる取材の際に、「金正日なんて大嫌いだ」と口走り、北朝鮮の体制は「転覆」するのが望ましいと述べている(3)

「悪の枢軸」の順番

 2002年12月27日、北朝鮮はIAEAをワシントンの手先にすぎないと非難し、再び査察官を追放した。そして寧辺の施設に新たな燃料棒を運び込んだ。2003年1月10日、北朝鮮はNPTからの離脱を宣言し、国連安保理が制裁に踏み切れば「宣戦布告」と見なすと警告した。しかしこれまでのところ、使用済み燃料棒の貯蔵庫を開けるまでには至っていない(4)

 これに対してアメリカ政府は当初、北朝鮮と交渉するつもりはなく、交渉すれば「核の脅し」に屈することになると公言した。北朝鮮の体制を承認することも問題外である。1946年に金日成が権力を掌握して以来、アメリカは北朝鮮の体制を認めていない。アメリカの基本的立場と考えられるのが、クリントン時代の94年にペリー国防長官が行った発言だ。「われわれは朝鮮半島において、この問題に関しても他のいかなる問題に関しても、戦争を望まないし、戦争を引き起こすこともしない」。だが、国連による制裁が「北朝鮮を開戦に走らせるようなことがあれば、(中略)われわれはリスクをとるだろう(5)」。クリントンはそのリスクをとらなかった。当時の在韓米軍司令官ゲイリー・ラックは、もし再び戦争となれば半年がかりとなり、米軍に10万人の犠牲者が出るだろうと大統領に報告していた。

 現実的には、北朝鮮が現在の危機を引き起こしたきっかけは、イラクの大量破壊兵器問題を国連安保理とIAEAに委ねるという2002年9月の決定にあった。ブッシュは「悪の枢軸」対策に順位を付けていた。まずサダム・フセイン、次に北朝鮮、それからイランだ。だが金正日という性急な男は、この順番を力ずくでひっくり返した。

 過去2年間のアメリカ外交は、一方では徹底した現実主義、他方では使命感に満ちた理想主義が、渾然一体となっている。先制攻撃の脅威を感じた「枢軸」の一つが、機先を制してアメリカ大統領に決断を迫ることは避けられないことだった。金正日のとった行動がまさにそれだ。ブッシュの目がイラクにしか向けられていない矢先の挑発により、自分の立場を強化したのだ。北朝鮮の見るところ、アメリカには二つの戦争を同時に行う力はない。それに、ブッシュが二つ目の破壊的な戦争を正当化することは難しい。北朝鮮の中・長距離ミサイルを買い取り、核計画の凍結を進めるという、クリントンが成功寸前にまでこぎつけた交渉を葬った張本人なのだから。

 消息筋によれば、クリントン政権のメンバーは交替の際にブッシュ政権のメンバーに対し、パキスタンから北朝鮮へのウラン濃縮技術導入について収集した情報の「ブリーフィング」を行ったという。だが2002年7月に、北朝鮮がウラン濃縮施設の建設を始めたらしいことを示す情報を入手するまで、ブッシュ政権は何の手も打とうとしなかった(6)。多くの専門家の見解では、北朝鮮のこの技術導入は明らかに約束違反である。しかし、ミサイルと関係正常化に関する米朝合意を継続する路線に沿って、その利用を凍結することも可能だった。ブッシュ政権は路線変更によって、解決可能な問題を重大な危機に変え、両国をほとんど選択の余地のない状況に追い込んでしまった。

不拡散体制の原則論

 さまざまな要因が組み合わさって、危険な状況を作り出している。予測可能だった北朝鮮の挑発、紛争の初期段階から核兵器を用いるとするアメリカの意向、そしてアメリカは先に攻撃を仕掛けてきそう「だと思う」国を攻撃する権利を持つというブッシュ大統領の先制攻撃論などだ。この危機的状況にさらに、朝鮮半島の従来の抑止装置が再び脅かされているという要因が加わる。1989年から92年まで韓国で軍事情報の収集の任にあったジェイムズ・グラント准将によれば、北朝鮮が韓国からの侵攻に備えてソウル北方の山地に隠し、これまで難攻不落だった1万門の砲身が、米軍の精密兵器の性能向上によって破壊可能になったという。もしそれが本当だとすれば、確実な安全保障手段を失った北朝鮮の軍部は、より確かな抑止手段を手に入れようとするだろう。

 一連の展開がことさら悔やまれるのは、98年初頭以降、金大中の肝煎りで南北間の和解に向けて大きな前進が見られたからだ。2000年6月には、1945年の南北分断以来初めて両国首脳が平壌で会談し、握手を交わした。2002年12月の韓国大統領選では、予想に反して廬武鉉(ノ・ムヒョン)が選出された。韓国の人々は、80年代の軍事独裁政権下の暗黒時代に労働運動指導者や人権活動家の弁護に立った勇敢な弁護士を選ぶことで、冷戦期の政治体制と決別した。

 若年層には在韓米軍の存在に対する反発が広がっている。アメリカが韓国の独裁政権を支持し、1980年の光州事件の血なまぐさい弾圧を支持した時代の大学紛争を体験した人々が、大挙してデモに繰り出している。新政権は現在の核危機についてはアメリカにも責任があると弁えており、ブッシュ大統領は南北両国との難しい関係を御していかなければならない。

 不拡散体制の基本的な原則は、核兵器を持たない国が核兵器を持つ国によって脅かされてはならないということだ。1968年、国連によるNPTの承認に向けた非核保有国の票集めと関連して、米英およびロシアは「核兵器の使用を含む侵略行為または威嚇の犠牲」となった国の支援に駆けつけることを約束した(1968年6月19日の安保理決議255号)。96年にはハーグの国際司法裁判所が、核兵器の使用または核兵器による威嚇は「究極の悪」として禁止すべきだと勧告している。ただし同裁判所は、核兵器の使用が自衛の場合に正当化されるかどうかを判断するには至らなかった。「本裁判所は、国家の存亡に関わるほどの極限的な自衛状況において、核兵器による威嚇または核兵器の使用が合法であるか違法であるかの問題に関し、最終的な結論を下すことはできない(7)」。この基準に従えば、アメリカが非核保有国の北朝鮮を壊滅させると威嚇するよりも、北朝鮮が核兵器を開発する方がまだしも根拠があることになる。

 ブッシュ政権は当初の好戦的な姿勢から転じ、「話し合い」に応ずるつもりがあると2003年1月13日に表明したが、ただし核兵器開発計画の解体を前提とするものに限るとした。これに対し、北朝鮮は議題を拡大し、経済援助およびアメリカとの不可侵協定を含めることを望んでいる。同様の不一致は、1月20日にパウエル国務長官が北朝鮮危機の国際化を図った時にも認められた。アメリカは北朝鮮のNPT離脱問題を国連安保理にかけることを示唆したが、北朝鮮は耳を貸そうとしない。いずれにせよ、戦争を防ぐには、速やかに2001年以前の状況に戻るという道がある。それはつまり、最初の危機の際にクリントンと金正日が向かわざるを得なかった出口であり、そこに立ち戻ることはまだ可能である。

(1) 「危機に瀕する米中韓のデタント」(ル・モンド・ディプロマティーク2001年5月号)参照。
(2) ブッシュ政権の見解と違って、枠組み協定はウラン濃縮を禁止してはいないが、北朝鮮が協定の精神に違反したことは明らかである。
(3) Bob Woodward, Bush at War, Simon & Schuster, New York, 2002, p.340.
(4) その後1月31日付のニューヨーク・タイムズ紙により、貯蔵庫からの燃料棒の搬出と見られる動きをアメリカ政府がつかんだと報じられた。[訳註]
(5) シカゴ・トリビューン紙1994年4月4日付。北朝鮮は国連に宛てた1996年4月10日付の覚書で、「もし国連が朝鮮民主主義人民共和国に対して一方的に『制裁』を加え、歴史を繰り返すという道を選んでいたら、第二次朝鮮戦争が勃発していた」と明言した。
(6) 筆者が非公式にジョエル・ウィット氏および(1994年の北朝鮮との交渉を担当し、ウィット氏もその部下の一人だった)ロバート・ガルーチ氏から入手した情報による。
(7) The New York Times, 9 July 1996.


(2003年2月号)

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