ラテン・アメリカ注目の1年

エミール・サデール(Emir Sader)
リオ・デ・ジャネイロ州立大学教授

訳・渡部由紀子

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 ラテン・アメリカ諸国で独裁政権の時代が終わりを告げたと見なされ、民主主義体制へと徐々に移行していたころのことだった。ブッシュ米大統領(父)は1989年5月2日に開かれた米州評議会の会合で、自分の考えを次のように述べた。「民主主義への取り組みは、私が南北アメリカ諸国について思い描く新しい連携の一要素にすぎない。この新しい連携の目標は、市場経済が存続し、繁栄し、主流となる状況を確保することだ」

 新自由主義の突出した実験台となったラテン・アメリカは、大きな代償を払うことになる。実験と引き換えに大盤振る舞いの融資を受けた結果、経済的、政治的そして社会的に最も不安定な地域の一つに数えられるようになってしまった。1980年は1億2000万人だったこの地域の貧困人口は、2001年には2億1400万人(総人口の43%)に達し、うち9280万人(同18.6%)が赤貧にあえいでいる(1)

 クリントン大統領は一期目を通じ、隣国メキシコとの国境を流れるリオ・グランデ川をまたぐことさえなく、ラテン・アメリカの国は一つも訪問しなかった。これら各国は、そのころ主流となっていたワシントン・コンセンサス(2)の観点から見れば、非常にうまく「回って」いた。こうして、国際通貨基金(IMF)と世界銀行が奨励し、世界貿易機関(WTO)の「自由貿易」政策が補完する厳しい構造調整に代わる政策などないという考えが徐々に植え付けられていった。

 南米南部における独裁政治の終わりは、非民主主義体制の生き残りモデルと見なされたカリブ海の島国キューバを唯一の例外とすれば、ラテン・アメリカ全土で花開いた自由民主主義体制の普及と時期を同じくする。

 のちに「ブエノス・アイレス合意」として知られる文書(3)の起草を通じ、ラテン・アメリカにおける「第三の道」の指導者となるホルヘ・カスタニェダは、当時の左派の退潮を描いた著書『武装解除されたユートピア』(4)によって物議を醸した。ソ連が消滅し米国が冷戦に勝利を収め、世界が右傾化する中で、ラテン・アメリカではニカラグアのサンディニスタ民族解放戦線が敗北し(1990年)、エル・サルバドルで92年、少し遅れてグアテマラでは96年に起こった武装蜂起は打ち捨てられた。

 フランスのミッテラン大統領やスペインのゴンサレス首相の例が示しているように、社会民主主義は新自由主義政策に同調した。他方イタリアでは、欧米最大の勢力を誇った共産党がその名前を捨てた。そして新自由主義の側には、ブレア首相とクリントン大統領の主張する「第三の道」という追い風が吹いた。

 94年のメキシコ危機は、新自由主義の成功にブレーキをかけるものだった。しかし、クリントン政権がすぐに介入したことは、この危機が新しい支配的モデルへの順応に伴う一過性のものでしかないような印象を与えた。同じ94年、ブラジルではカルドーゾ大統領が誕生し、大陸全体が同調する流れの中に加わった。

 転向によるにせよ、力量不足によるにせよ、左派の敗北は劇的だった。メキシコの民主革命党(PRD)やウルグアイの拡大戦線、ブラジルの労働党(PT)、エル・サルバドルのファラブンド・マルティ民族解放戦線(FMLN、元は反政府武装組織だったが政党となった)など、ごく一例を挙げても、これらの政党は破壊的な攻勢に抗する力のない生き残りでしかないと思われていた。労働組合は、失業の増加、「雇用の柔軟化」政策、不安定な労働形態の増加といった事態に直面していた。「新しい社会運動」と呼ばれるものも、新しい闘争の機軸をうまく打ち出すことができなかった。

 実のところ、新自由主義とその新たな支配的構想の成功は、独裁者による左派の解体と切り離すことができない。経済的・社会的な権利を求める闘争の長い伝統と民主政治の歴史を持ったチリが、この構想の先兵となり得たのは、ピノチェト将軍が暴力的な弾圧を加え、ラテン・アメリカだけでなく世界中から注目を浴びていたこの国の根幹を完全に破壊したからだ。アルゼンチンでメネム政権が成立し、国を破綻に導いた対ドル固定相場制という破滅的な政策を採用することができたのも、同様の論理による。

 この暗黒の時期、社会的不平等に終止符を打とうとする左派の最後の試みが失敗に終わり、ウルグアイで軍事政権が誕生し、チリでクーデタが勃発した。そして、米国の国家安全保障ドクトリンに合致した「ブラジル式」の軍事独裁政権がもてはやされるようになった。だが、ラテン・アメリカ全体に大きな影響を与えることになるもう一つの重要な変化も、この時期に始まっていた。それは、国際資本主義の史上最長の拡大期が終わりを迎え、長期に及ぶ景気後退期に突入したことである。

新しい時代の幕開け

 クリントンが後任者に残した遺産は、彼が前任者から受け取ったものとはずいぶん違っていた。ブッシュ大統領が向き合うことになったのは、1930年代以降で最悪の危機に陥り、騒然としたラテン・アメリカだ。この地域が世界の経済や政治で果たす役割は、目に見えて縮小した。経済的に弱体化した国々では、社会構造の崩壊がさらに進み、広範な国民が基本的権利さえ保障されない状態に置かれている。アルゼンチンからハイチへ、ウルグアイからニカラグアへ、ペルーからパラグアイへ、ベネズエラからボリビアへ、コロンビアからエクアドルへと、潜在的あるいはすでに爆発した危機が各国へ拡大しつつある。

 もうたくさんだ。メキシコ危機が起きた同じ1994年、自由主義に反対する初の大きな国際的抗議運動が起こった。きっかけは、チアパス州の密林を拠点とするサパティスタ民族解放軍の蜂起である。これに続き、ラテン・アメリカ全体で再び抵抗の機運が高まった。ブラジルでは土地なし農民運動、エクアドルとボリビアでは先住民運動が活発化し、多くの国で民営化に反対する抵抗闘争が繰り広げられた。新たな運動が最大規模の会合と協議の場となって表れたのが、ポルト・アレグレの世界社会フォーラムだった。

 こうした状況下で、2003年がラテン・アメリカにとって、1973年以来最も重要な年になることは間違いない(5)

  • ブラジルでは、新自由主義からの脱却を目標に掲げるダ・シルヴァ大統領(通称ルーラ)の政策が具体的に示されるだろう。

  • ドル化政策のために厳しい制約を課せられてきたエクアドル(新自由主義に反対するもう一つの国)では、グティエレス新大統領にどれぐらいの選択の余地があるかが見えてくるだろう。

  • アルゼンチンでは大統領選挙が実施され、その結果次第で、南米南部共同市場(メルコスル)の再建と単一通貨の導入を目指すブラジルがパートナーを得られるのか、それともドル化が勝利してFTAA(米州自由貿易地域)構想や米国の支配が促進され、ブラジル新政権の行動の幅が大きく狭められるのかが決まるだろう。

  • ベネズエラでは、それがいかなる方向となるかはともあれ、現在の危機が何らかの解決へと至るだろう。

 したがって、ラテン・アメリカの様相は、今年の終わりには一変しているはずだ。ブラジルとエクアドルの新政権、そして場合によってはアルゼンチンの新政権が、ポスト新自由主義時代に向けた歩みを成功させられるかが判明することになる。あるいは逆に、投機的資本やドル化、官僚の談合人事といった攻勢により、現行の政策が打ち切りよりも継続の方向へと向かい、これらの新政権が行き詰まる可能性もある。

 新自由主義との決別を望む各国政府に対し、さまざまな落とし穴が用意されていることを考慮しても、新自由主義の優位が弱まりつつあることは事実である。しかし、これからとこれまでの時代との本質的な違いはそれだけにあるのではない。ラテン・アメリカの歴史が経済・金融という狭い枠組みの中で硬直しているかのように見えた10年足らずの間に、新しい時代が幕を開けていた。従来路線に替わる展望が現れ、民衆運動とそのさまざまな活動がそこに介入する余地が生まれてきたのだ。

 抵抗が社会運動の形に限定され、国政の場で物申すことができない時代は終わった。社会的抗議勢力から生まれた政府であれば、こうした勢力の要求に耳を傾けるようになる。ボリビアでは、農民運動やその他の民衆運動を基盤としたエボ・モラレス氏が大統領選挙で決選投票へ進出し、民衆の潜在的な力が国政に反映され得ることを見せつけた。エクアドルのグティエレス大統領の誕生も、新自由主義政権に対する抵抗運動に参加し、選挙に打って出た社会勢力の連合が、選挙で成果を手にしたことを示している。

 キューバも沈むことはなかった。経済政策を見直す必要に迫られたものの、ワシントン・コンセンサスとは距離を保ち続けている。

ブラジル新政権の課題

 ベネズエラは新自由主義政策を完遂しないままに終わった。ペレス、カルデラ両大統領の失脚後、最終的に選出されたのは、ラテン・アメリカで初めて新自由主義への反対を表明する大統領チャベスだった。彼は政治や組織運営の経験に乏しかったが、革新を求める大規模な大衆運動に支持されていた。

 ベネズエラの危機は、新自由主義構想の衰退の速度と、新しい代替案の構築の速度が噛み合っていないことを示すものだ。チャベスが勝利し、「ボナパルティスト」的な姿勢を帯びた政府が誕生したことにより、この溝は一時的に埋められた。その間に、民衆運動が形をとり始め、政府の社会政策により強化されつつある。一方には政府の構想と民衆運動の台頭があり、もう一方には反対勢力の(これまで存在しなかった)対案の結合があり、両者が速度を競い合う状況が生まれている。この競争の結果がどうなるのか。また、2002年4月11日のクーデタに始まり今も続く、正面切っての揺さぶりが成功するのか否か。ベネズエラが今後とるべき針路は、この二点にかかっている。

 もう一つの典型例はアルゼンチンだ。この国の場合、二つの速度の隔たりはさらに大きい。一方には20年にわたって君臨してきた支配的モデルの衰退、もう一方にはデ・ラ・ルア大統領によるつかの間の「第三の道」、そして社会的危機と伝統的エリート層の危機が深刻なだけに不可欠な代替案の構築がある。条件は異なるが、ベネズエラとアルゼンチンには、激変と産みの苦しみという大局的状況が表れている。いずれも新左派の誕生を見るが、ベネズエラの場合は不完全な形を示しており、アルゼンチンの場合はまだ形を成していない。

 ブラジルとエクアドルは現在に至るまで、それぞれ別のやり方で、危機の客観的要素と主観的要因の結合を体現してきた。国内で新自由主義モデルが構築されるのと同じ時期に、社会的および政治的左派が立て直されたブラジルは、ラテン・アメリカを支配する鎖の最も弱い輪となっていた。この左派は抵抗を続け、深刻な緊張と実際の危険を乗り越え、ポスト新自由主義に向けた段階的な移行政策を掲げて政権に就いた。ブラジル左派の真の輪郭を描き出すことができるかどうかは、ひとえにその具体的な政権運営にかかっている。

 「ブラジル人にも1日に3度の食事が必要であり、飢えている人が大勢いるということを、市場は理解しなければならない」。選出の直後、ダ・シルヴァ氏は明言した。彼が立てた方針は、投機的資本ではなく、大資本も含めた生産的資本と協力し、経済回復のためには金利の引き下げも行うというものだ。所得再分配の改善、国内市場の発展、農地改革の実現など、社会政策を優先する。同様に、メルコスルの再編、拡大および発展も重視するという。

 だが、どうやって新自由主義の落とし穴を避けるつもりなのだろうか。実はカルドーゾ時代のブラジルには「秘密」があった。金利が世界一高かったのである。その高い金利で金融資本を引き付け、さらには通貨の安定さえも手に入れることができた。しかし代わりに投機的資本に依存することになってしまった。それがブラジルに1999年以降、三度にわたる経済破綻を引き起こした。そのうちの二度は2002年に集中している。これらの危機的状況は、IMFが新たに行った一連の措置によって乗り越えられてきた。

 通貨の安定は、世論からは成功と見なされており、その有効性はダ・シルヴァ氏自身も大統領候補だったときに認めている。しかし、通貨の安定を維持しようとすると、国際収支の赤字(6)をカバーするために、金利を上げて資本を引き寄せる必要が生じてしまう。つまり、ルーラの計画、そして生産的資本との協力のカギとなる経済回復を実現しようとすれば、非常に不利な条件下で、金融の袋小路からの脱出を図らなければならない。2002年には25%近い平価切り下げが行われ、1年で25%というインフレが起きている。その結果、賃上げ要求が起こるとともに、財政支出のいっそう厳しい引き締めが必要とされた。

 したがって、ブラジル新政権は当初から深刻な緊張に直面している。一方には、金融市場とそれが求める通貨の安定を重視する部門があり、これは高い金利の維持を求める。他方には、経済の回復、所得再分配などの社会政策上の優先課題があり、それには金利の大幅な引き下げが必要だ。

 ダ・シルヴァ大統領は第一次連立政権の組閣の際に、社会政策上の優先課題のための財源調達と両立し得るような、現行モデルからの慎重な脱却戦略が最初のうちは必要であることを認め、金融市場の信頼を勝ち取ろうとした。カルドーゾ政権から引き継いだ過去10年で一番の緊縮予算一つとっても、この戦略に立った最初の1年が非常に厳しいことは予想される。ダ・シルヴァ大統領は、極めて好意的な先入観をあてにすることができるうえ、一定期間は緊迫した情勢を迎えることなく政権運営に専心できるだけの任期がある。とはいえ、それがポスト新自由主義モデルへの移行を進めつつ、混迷した金融状況への解決策を見出し、経済回復の好循環を確立するのに十分かどうかは分からない。

アルゼンチン大統領選の行方

 ダ・シルヴァ政権の最も革新的で大胆な側面が、対外政策に表れることは間違いない。その政策は、大陸全体に影響を及ぼすだろう。全世界で主導権を握り、この大陸の動向には特に敏感な米国の意向と、それに伴うさまざまな政策と対立することになるからだ(7)。FTAAやメルコスルの再編政策をめぐる対立は、ブラジル政府にとって最初の大きな試練となる。米国の利益を考慮したうえで、市場原理に貫かれた広大な空間の登場を遅らせることができるなら、ブラジルの戦略が南米全体へと広がっていくかもしれない。しかし、米国はすでに、ゼーリック通商代表を通じて予告している。「いずれ誕生する自由貿易圏に入らないのなら、ブラジルは南極と取引するしかないだろう」

 エクアドルのグティエレス氏の勝利は、ダ・シルヴァ氏にもまして意外なものだった。彼のような候補者の存在自体が前代未聞であるとともに、彼を支持した社会集団と民族集団(強力な先住民運動)も独特だった。選挙戦の終盤で彼への支持が急速に増え、優に過半数を超える得票数で当選する結果をもたらした。

 グティエレス政権は、大きな困難に直面している。エクアドルは単独でドル化政策から抜け出す力を持っていない。しかし選挙戦の間、ドル化は国を苦しめる諸悪の根源としてやり玉に挙げられた。弱体化した経済の下、グティエレス大統領が再びスクレ(エクアドルの旧通貨)を採用したり、新たな通貨を誕生させるのは不可能だろう。彼の命運は、ある意味この地域の命運、とりわけメルコスルとFTAAとの衝突の行方にかかっている。

 グティエレス政権の場合も、その構成には異質な勢力の結合が反映されている。伝統的エリート層の信頼を勝ち取ると同時に、彼を選んだ社会的基盤を満足させるためである。前代未聞の勝利という性質から、彼は議会で安定多数を形成することができず、ダ・シルヴァ大統領以上の困難を強いられている。そのため彼は最初から、政府に敵対的な人物を幹部に選出するような敵意むき出しの議会と向き合うことになった。ごく近いうちに、社会運動と議会が直接衝突し、議会による審議引き延ばしが政府の計画の障害となることも十分に予測される。

 グティエレス大統領が最初にとった措置にも、彼を待ち受ける困難が表れている。前政権の公表値を上回る壊滅的な経済状況を目の当たりにし、IMFと暫定合意を交わした彼は、「戦時経済」の実施を発表した。その一貫として、燃料の値上げ(35%)、財政支出の凍結、公務員の賃金引き下げ(月給100ユーロ以上の人は一律20%カット)を発表するとともに、治安部隊にはこの措置に対する抗議運動を抑圧しないようにと勧告した。

 南米のごく近い将来を予測するカギは、ある意味で今年のアルゼンチン大統領選挙(第一回投票は4月28日、決戦投票は5月18日)が握っているといえるだろう。超国家的議会や単一通貨の誕生も視野に入れたメルコスルの再編、拡大および発展を目指すダ・シルヴァ大統領のパートナーが、この選挙で誕生することになるかもしれない。そうなれば、他の南米諸国にとっても危機に立ち向かう好材料となる。たとえばエクアドルは、単一通貨ができればドル化から脱却できるだろう。2004年に総選挙が行われるウルグアイでは拡大戦線が支持を伸ばしており、地域の結束を強化しようとする構想に賛同する大統領の選出を見ることになるかもしれない。

 さらに、ベネズエラではチャベス政権の強化、パラグアイでは新しい大統領の選出など、またペルーやボリビアなど明らかに危機にある他の国々でも、いい意味での反響が生じることも期待し得る。

 アルゼンチンでは、ブラジルの提案に最も好意的な中道左派の女性候補エリザ・カリオ氏が左派を固めつつある。というのも、世論調査で支持を集めたもう一人の候補ルイス・サモラ氏が、大統領選だけでなく総選挙も実施されるだろうとみて、出馬を拒否しているからである。この状況では、新自由主義により破綻を招いた張本人であるメネム元大統領が有利になるかもしれないし、逆に対立候補の一本化が進むかもしれない。そうなると、彼と同じペロニスタ(正義党)の出馬候補者の中から、また別の候補者が浮上する可能性もある。その人物は、ダ・シルヴァ大統領と協調するかもしれないし、あるいは逆にドル化に向けた露払いをすることになるかもしれない。

 混乱の真っ只中にあり、しらけて政治家たちを拒絶するアルゼンチンには、「Que se vayan todos !」(みんないなくなってしまえ)という叫びがこだましている。棄権や白紙投票その他の抗議行動が起これば、左派勢力、つまり新自由主義に反対する勢力の候補者に、うまく票が集まらないかもしれない。そうなれば、この地域が方向を転換し、自らの運命の手綱を握るとともに、多様性やメルコスルの強化を通じて国際関係の民主化に貢献するための、せっかくのチャンスを逃してしまうことになる。

(1) 国連ラテン・アメリカ・カリブ経済委員会「ラテン・アメリカ社会展望 2001−2002」(サンティアゴ、2002年)
(2) 自由主義経済の教理問答ともいうべきワシントン・コンセンサスは、財政規律、「競争力のある」為替レート、貿易の自由化、外国投資、民営化、規制緩和を推奨している。
(3) 新自由主義を「人間的にする」ことを目指したブエノス・アイレス合意は、以下の政治家らにより調印された。のちにチリ大統領となるリカルド・ラゴス、メキシコ市長で民主革命党のクアウテモク・カルデナス、そのライバルでメキシコの右派の指導者ビセンテ・フォックス(のちに大統領となり、カスタニェダ氏が2003年1月に辞任するまで外務大臣を務めた)、ニカラグアのサンディニスタ政権時代の副大統領セルヒオ・ラミレス、のちに短命ながらアルゼンチン大統領を務めるフェルナンド・デ・ラ・ルア、ブラジルの元大統領イタマール・フランコ、そして、やがて彼らから距離を置くようになるブラジル労働党党首ルイス・イナシオ・ダ・シルヴァらである。
(4) ホルヘ・カスタニェダ『武装解除されたユートピア』(グラセ社、パリ、1994年)
(5) 1973年は、チリでピノチェト将軍がクーデタを起こし、アジェンデ政権を倒した年である。[訳註]
(6) カルドーゾ大統領による通貨安定計画の期間中、財政赤字は10倍に膨れ上がった。
(7) 米国の政策は、その経済的側面のみならず、コロンビアへの軍事介入を今や直接的に行い、さらにプラン・コロンビアの延長線上で、多国籍軍の「人道的」介入に周辺諸国を巻き込もうとしている点で特徴的である。


(2003年2月号)

All rights reserved, 2003, Le Monde diplomatique + Watanabe Yukiko + Saito Kagumi

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