ゲノムは人類の共有財産

ジョン・サルストン(John Sulston)
2002年度ノーベル医学生理学賞受賞者、
生物学研究者、サンガーセンター創設者、ケンブリッジ

訳・渡部由紀子

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 人間の出発点となるゲノムは、各人にとっての制約ではなく、むしろ可能性ととらえるべきである。しかし、DNAに秘められた情報が自分の意に反して利用されるのではないかと懸念している人も多く、それにはうなずかざるを得ない。とりわけ保険業界は、ある契約を勧めるか否かを事前に見極めるため、顧客が受診した遺伝子診断の結果の利用を認めさせようと躍起になっている。もしそのようなことが法によって認められたなら、雇用者は近い将来、事前にある種の遺伝子診断を受けなかった求職者の採用を拒否できるようになるかもしれない。そんなことを容認してはならない。

 他方、素晴らしき遺伝子コードによって「すべての病気が根絶されるだろう」などという大げさな新聞報道は、結局は失望をもたらしたにすぎない。実際には多くの人々が、何年経ってもがんや心疾患、老人性痴呆に苦しみ続けている。

 それでもやはり、ここ数年の間に遺伝子に関して蓄えられた知識は、生物学および医学の研究者にとって絶大な価値がある。だからこそ、2000年6月26日に概要版の発表が世界的に祝福されたヒトゲノムの塩基配列情報の最終版を完成し、すべての研究者ができるだけ早く利用できるようにすることが重要である。この作業は2003年中に完了する見込みで、得られた配列情報は科学者が常に参照する基本資料となるだろう。

 ヒトゲノム計画は、われわれの食生活やライフスタイルにも影響を及ぼすようになるのだろうか。欧米社会では間違いなく、巨大なビジネスチャンスの到来として受け止められるだろう。人々が自分の遺伝子型に応じてレストランを選択するなんて、考えただけでもおぞましい話である。

 もっと現実に近いところで言えば、現時点で治療の難しい病気に特化した新しい治療法が、今後10年以内に見つかることになるだろう。現在サンガーセンターで進められている研究を例に挙げてみよう。マイク・ストラットン率いる研究チームは、腫瘍細胞が正常な組織と遺伝子レベルでどのように異なるのかを調べている。病変細胞は多くの場合、治療するより殺してしまう方が簡単なのだが、遺伝子情報がわかるようになれば、がん細胞上の特定の個所を割り出したうえで、そこだけを破壊するような治療法を導入することが可能となる。そうなれば、副作用が軽減され、寛解率(症状が軽減または消失する確率)が高められる。

 ゲノムの配列の決定は、分子レベルでの人体の理解にとって、極めて大きな前進を意味している。しかし、それは到達点ではなく、出発点にすぎない。われわれはまだ、大半の遺伝子がどのようなものであるのかも、それらがいつどこでタンパク質として発現するのかも知らない。そうしたことを理解するためには、ゲノムだけでは不十分である。しかし、ゲノムはだれもが活用できる道具立てを提供してくれる。次のステップは、全遺伝子を発見し、各々の位置や意味を特定し、さらには制御機構を理解することである。

 1995年11月、当時英国がん研究センター(ICR)で働いていたマイク・ストラットンのチームが、ある種の乳がんには、BRCA2と名づけた遺伝子の変異が関係するらしいことを発見した。チームがこの変異を確認し、さらにもう5種類の変異を見つけるまでには、BRCA2を含むゲノム領域の塩基配列の決定からわずか2週間しか経っていなかった。マイク・ストラットンは、急いでこの発見をネイチャー誌に発表しようとし、そのことをぎりぎりまで共同研究者たちにも伏せていた。しかし、その甲斐むなしく、米国ユタ州を拠点とするミリアド社が情報をキャッチし、この遺伝子の位置を特定してしまった。そして同社の科学部門担当役員であるマーク・スコルニックは、ICRの論文が発表される前に特許を申請するという挙に及んだ。

 発見した遺伝子変異が商業的に利用されることを懸念したICRは、自らも特許を申請することにした。一方、ミリアド社は、同社の研究者が最初にクローニングに成功したBRCA1遺伝子と同様に、BRCA2についても全権利を主張した。同社は医療検査センターを開設し、取得した特許を盾にとって、米国内の他の研究所が乳がん検査にこれらの遺伝子を用いた場合には訴訟を起こすと圧力をかけた。こうしてミリアド社は、この検査を独占的に(1件につき約2500ドルで)実施するようになり、他の研究所に対しては、1件につき200ドルで簡易検査をライセンスした。

 しかし、ミリアド社の検査のうち一つは、明らかにICRが発見したBRCA2の変異に着目したものだった。この変異は、アシュケナジム(中東欧出身のユダヤ人)によく見られるものである。マイク・ストラットンは説明する。「この変異がアシュケナジムに見られるという事実は、私たちが最初に書いた論文の中核となっていた。つまり、ミリアド社は私たちが発見した変異に対し、米国でカネをとっているのだ」。それは自身もアシュケナジムである彼にとって、なおさら堪えがたいことだった。

 このように、2つのBRCA遺伝子に関する検査の権利を主張し、それに対するライセンス料を支払わせることにより、ミリアド社は医療費総額を引き上げている。それだけではない。もし研究者たちが、BRCA1およびBRCA2遺伝子の変異がいかにして腫瘍の成長を引き起こすかを突き止めれば、おそらく新しい治療法が考案されるだろう。しかし、この治療法を市場に出す権利があるのはミリアド社だけなのだ。

バミューダ国際会議

 ヒトゲノム計画という素晴らしい試みを通じ、われわれは研究成果の所有権という問題に直面させられた。1995年にはまだ、ミリアド社の攻撃的な姿勢が何をもたらすのか完全には見えていなかったが、商業的利益と特許の重視が何を招くことになるかは見当がついていた。ゲノムの情報が企業との取り決め次第であちこちに細分化されてしまうのを防ぐために、世界中の研究者が全情報の公開を約束すべきことは明らかだった。

 そこでわれわれは、作業分担を決め、データ管理の基準を確立すべく、国際会議を開くことにした。米国に近い英領バミューダ諸島を会場に選んだことは、われわれの科学が国際政治に足を踏み入れたことを意味していた。この会議は非常に建設的であり、この分野の研究者たちが初めて、なんの制約もなく意見を交換する場となった。計画の規模からしても共同作業は必然だった。すべての塩基配列の決定作業を一人で行えると考えるような研究者はいなかった。そこで、各自がどのゲノム領域に取り組むつもりかを紙に書き記し、重複がないよう調整した。

 会議が開かれた当時、暫定データを公開する仕組みは整っていなかった。公開データベースは最終データのみを受け入れるようにできていた。しかし、各自が機械で読み取った配列の概要は、たとえ生データであっても、他の研究者による遺伝子の位置の確認や仮説の検証にすぐさま役立つものかもしれなかった。そこでサンガーセンターでは、線虫(1)と同じくヒトゲノムについても、読み取ったデータをすべてウェブサイトで公開し、それを各自がダウンロードして活用できるようにした(2)。唯一われわれが付けた条件は、その情報が暫定版であることをわきまえたうえで利用し、公表する場合には出典を明記することだった。

 バミューダ会議では、データの自由な流通という原則を認めさせる必要があった。さもなければ、相互に信頼することは不可能だった。とはいえ満場一致の賛成が得られるとは思えなかった。出席した研究者の中には、クレイグ・ヴェンター(3)のようにすでに営利組織と関係を持ち、見返りなしにすべてを公開するというアイデアに反対しそうな者もいた。しかし私はホワイトボードの前に立ち、何度も書いては消すことを繰り返した。そして、われわれは宣言文をまとめることに成功した。サンガーセンターのメインスポンサーであるウェルカム・トラストは、次の3点が書かれたホワイトボードの写真を保管している。

  • 1000塩基以上の配列が解析されたら自動的に発表する(24時間以内が望ましい)

  • 注釈付きの最終データは即座に公表する

  • すべての配列情報を公開し、これらが研究と同時に開発にも自由に利用され、社会全体に最大限に役立てられることを目的とする
 この宣言文の草稿をワシントン大学(米セントルイス)のボブ・ウォーターストンおよび仲間の科学者たちと練っている間に、(ウェルカム・トラストの)マイケル・モーガンが出資機関の代表者らと会談し、われわれの取り組みをバックアップしてくれるよう申し入れた。こうして上記の3点に微修正を加えた「バミューダ原則」がまとめ上げられ、公的資金による大規模なゲノム解読プロジェクトの規範となった。

 自由なアクセスと即時の公表という原則は、全世界の生物学者がデータの利用と活用を行い、ひいては特許化できるような新しい発明を生み出しうることを意味している。しかし生データの形で公開された配列自体は、特許化することはできなくなる。これほど多くの人間が、ゲノムの配列を「人類の共有財産」と見なすことに同意したという事実は、実に感慨深いものだった。この表現は1997年のユネスコの総会で、ヒトゲノムと人権に関する世界宣言の第一条にも採用された。

発見か、発明か?

 20世紀を通じて、科学の世界と人文の世界の間には大きな溝ができてしまった。一般に科学は、もはや文化の一翼を担っているとは見なされない。その理由の一つは、科学と技術がますます混同され、前者が後者に付き従うようになっていることにある。その結果、科学者は自己の選択が社会全体にどのような影響を及ぼすかを考慮しないまま、研究成果の商業利用に駆り立てられている。

 しかし、ゲノムの配列は発見であり、発明ではない。山や川と同じように、以前から自然界に存在する。われわれの存在に先立つわけではないにせよ、われわれが気付く以前から存在していた。私の考えでは地球は公共の財産であり、たとえそこに境界が設けられようとも、地球はだれにも帰属すべきものでない。もしある地域が景観の素晴らしさゆえ、あるいは稀少生物の生息ゆえに重要とされるなら、それは共有財産として保護すべきである。

 私有と公有のバランスをいかにとるべきか、それらをいかに用いるべきかについては、当然ながら議論が絶えない。ヒトゲノムはその極端な例である。われわれ一人一人は自分自身の中に、この世でたった一つのゲノムのコピーを持っている。しかし、ある遺伝子の所有権を主張することはだれにもできない。もしだれかに所有権を認めるならば、私自身の遺伝子の一つがその人に所有されていることになってしまうからだ。では遺伝子を分け合いましょう、などと言うこともやはりできない。各人ともに、すべての遺伝子を必要としているからだ。特許を取得したとしても、その遺伝子について狭義の所有権が認められるわけではない。特許によって付与されるのは、他人がその遺伝子を商業目的に利用することを妨げる権利でしかない。

 遺伝子に関する法的な制約や所有権の設定は、発明を生むような応用分野のみに厳密に限定すべきだと思う。というのも、他の研究者が別の応用を試みようとして、同じ遺伝子を用いる必要が出てくるかもしれないからだ。しかるに、ヒトの遺伝子を「発明」するのは不可能である。それゆえ、遺伝子に関する知識、その塩基配列や機能などの発見は、前競争段階に留めておくべきだ。特許制度の目的の一つは、結局のところ、競争を刺激することにあるのではなかったか。しかも、遺伝子の最も重要な応用は、おおむね長い研究の末に生み出され、初期の単純な利用とはかけ離れたものとなる。すなわち、これは単なる原則論の問題ではない。

 一例を挙げよう。ヒューマン・ゲノム・サイエンス社(HGS)は2000年3月、CCR5遺伝子の特許取得を発表した。これは、細胞表面の受容体の一つに関する情報を持つ遺伝子である。しかし、同社は特許の申請時点では、この受容体がどのような働きをするのかを知らなかった。この特許がまだ審査段階にあったとき、米国立衛生研究所(NIH)で公費研究に従事するグループが、CCR5欠損のある何人かがエイズウィルス(HIV)の感染に対して自然の抵抗力を持つことを突き止めた。言い換えればCCR5は、HIVの細胞内への侵入経路の一つとなっているらしかった。HGSはこの発見を聞くやいなや、この機能を実験によって確認し、特許の取得にこぎつけた。こうして同社はあらゆる応用分野に関するCCR5の使用権を有すると主張し、治療薬やワクチンの開発を目指す複数の製薬会社にライセンスを売り付けた。しかし、発明の段階を担ったのは誰だろう。偶然にも正しい遺伝子を引き当てた会社だろうか。それとも、HIVに抵抗力を持つ人に遺伝子欠損があることを突き止めた研究者たちだろうか。

 HGSの最高経営責任者ウィリアム・ヘーゼルタインの見解では、特許は医学研究の進歩を促し、CCR5遺伝子の特許は新しい治療薬やワクチン誕生の原動力となるものだ。しかし、米国の大学研究者を対象とした調査によれば、彼らの多くが法外な特許ライセンス料の支払いや裁判沙汰を恐れて、ある種の遺伝子については研究をあきらめたという(4)

情報の最大限の公開

 米国では最近、まったくの当てずっぽうによる申請を退けるため、遺伝子特許の付与に関するガイドラインを明確化した。「有用性」という要件を厳しく定義し、「実質的で、特定された、信頼に足る」利用に限ることにしたのだ。しかし、遺伝子の配列に対しても、たとえばある病気の原因となる遺伝子を突き止めるプローブとして利用できるという理由の下、その後も特許の付与が続けられている。1998年、欧州議会で承認された欧州連合(EU)の指令は、遺伝子の配列または部分配列については、体外で複製できた場合に限り、「組成物」特許の対象となるとする。たとえば、われわれがヒトゲノムの塩基配列の決定のときに行ったように、バクテリアの中に写し取ることができればよいのだ。私はつねづね、この論法には無理があると思ってきた。遺伝子の本質は情報であり、配列である。別の形態に写し取ったとしても、その点に変わりはない。この論法はまるで、ハードカバーの本を手に入れ、同じ内容をペーパーバックで発行し、装丁が違うからといって権利を主張するようなものである。

 ヒトやその他の遺伝子に関する特許の申請は、いまや50万件を超える。何千もの特許がすでに下りている。しかし、遺伝子特許の問題は、依然として複雑で混乱を極めている。米国特許庁は、遺伝子の発見は特許の対象となるとする。同庁は最近のガイドライン改定まで、「遺伝子プローブ」としての利用が唯一の有用性という遺伝子断片にまで特許を与えていた。一方、欧州特許庁の場合は、それほど積極的ではなかった、しかしEUは1998年の指令により、遺伝子の配列に対しても特許を認めることを明示的に規定した。フランスを含む数カ国は、この措置に反対したが、英国のように、欧州企業が米国に対して競争力を保つために、もっと特許に関して自由主義的な政策をとるべきだと考える国もある。

 現代において、倫理的な議論により、あるいは法的な議論により、公平な解決策がもたらされると考えるのは幻想にすぎない。遺伝子の配列情報が私益によって細分化されるのを防ぐためには、それを公開することが必要だった。そうすれば、その情報は特許庁の業界用語で言うところの公知事実(プライアー・アート)となり、特許化することが不可能となるからだ。ヒトゲノム計画の下に集結した国際研究コンソーシアムは、まさにこれを生の配列データに関して成功させた。われわれは今、ハードルをさらに上げ、遺伝子の配列だけでなく、機能に関する情報についても最大限の公開を目指している。

 生物は特許の対象とせず、無生物は対象とするという線引きを提唱する者もいた。私はそうした懸念を共有するし、商業的なものに留まらない価値を生物に認めることが急務と考えるが、それでもこのような区別には妥当性がないと思う。というのも、かつて生物学と化学とを隔てていた溝は埋まりつつあり、生物と無生物という区別は成り立たなくなるからだ。では、遺伝子を組み換えたマウスや綿花に対する特許を認めるべきなのか。もちろんノーである。しかしそれは、単にこれらが生命体であるからではない。最も根本的な理由は、これらの生命体はわれわれが「発明」したのではないからだ。われわれは単に、マウスをがんにかかりやすくし、綿花を害虫に強くするような特定の改変を発見したにすぎない。

 生物学の将来は、バイオインフォマティクスの進歩と密接に関わっている。この学問は、あらゆる生物学データをデジタル化して集積することにより、生命体の全貌をつかみ、予測を導こうとするものである。バイオインフォマティクスによって幅広くデータにアクセスできるようになれば、実験生物学者は自分の研究成果を他の研究者の成果に組み込んだり、関連付けたりすることができるようになるだろう。科学者の情熱をかき立てるだけでなく、医学の進歩にとっても意義あるこの試みを前進させるためには、ソフトウェアの「オープンソース」と同様、基本データをすべての人に開放し、だれもが自由に解釈や変更、受け渡しができるようにしなければならない。データが少量に限定され、ある企業だけがアクセスの鍵を握っているような状況下で、細分化された研究によって取り組むには、科学の問題はあまりに複雑である。

 現代の欧米社会は、公共財産を軽視し、私的所有権への信仰を強めつつある。しかし、商業的な競争に依拠することでは、集団として良識ある決定を下せないことは明白である。拝金主義は、ヒトゲノムという人類共通のDNAコードの私有化にほぼ成功した。その脅威は今もなお続いている。公的プロジェクトの不屈の闘争を通じて、ゲノムの塩基配列の情報は、自由で開かれた生物情報システムの中核となった。これにより、われわれの知識は比較にならないほどの速さで増大するだろう。これこそが、何ものにも代えがたい人類の共有財産なのである。

(1) カエノラブディティス・エレガンスという体長1ミリの線虫。筆者は顕微鏡を使い、その細胞の一つ一つを発達の全過程にわたって丹念に観察した。ゲノムの全塩基配列が決定された最初の動物は、この線虫である。[編集部註]
(2) http://www.sanger.ac.uk/HGP/
(3) ゲノム研究所(TIGR)創設者であるクレイグ・ヴェンターは、ヒトゲノムの全塩基配列を解読し、その成果を特許化することを目標に掲げ、セレラ・ジェノミクス社を設立した。結局、ヒトゲノム計画とセレラ・ジェノミクス社は2000年6月26日、強い政治的圧力により、配列の概要版完成を同時に発表することになる。[編集部註]
(4) Anna Schissel, Jon Merz and Mildred Cho, << Survey confirms fears about licensing of genetic tests ≫, Nature, vol.402, 1999, p.118.


(2002年12月号)

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