「欧州共通外交」への遠い道のり

アンヌ=セシル・ロベール(Anne-Cecile Robert)による調査
(ル・モンド・ディプロマティーク編集部)

訳・吉田徹

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 2002年9月1日にデンマークのエルシノアに集まった欧州連合(EU)の外相理事会は、米国のイラク攻撃準備に対して最低限の合意しか見いだせなかった。「最後まで外交努力を」と呼びかけるに留まり、「攻撃を前提」としたEUとしての見解は示さなかった。各国は外交的立場を異にしていた。英国は米国を支持し、ドイツとフィンランドは戦争という発想そのものに反対し、フランスは武力行使を必至とみる流れを阻もうとする、といったように各国には大きな温度差があった。エルシノアの会議では、スペインとイタリア、そしてオランダは米国の立場に理解を示しつつも、EUとしてバグダッドへ最後通牒を突きつけるという英国提案には賛同しなかった。他方、米国の単独主義に苛立ちをみせるベルギー(1)とスウェーデンは、とりあえず静観を決め込むという他国の立場に同調した。

 このようにEUとしての姿勢に欠けるとしても、欧州諸国の存在感がないわけではない。英国、ドイツ、フランスは歩調が一致していないとはいえ、米国の単独主義に対する欧州の見解を表明している(2)。しかしEUとしての共通見解を形成できないまま、一部の加盟国が独自の外交的立場を打ち出すという矛盾した現状、それが1992年のマーストリヒト条約によって導入されたEUの共通外交政策がぶつかっている壁である。国際社会で欧州が有効な役割を果たせるかどうか、そもそも存在感を示せるのかどうかという問題は、EU内部の主権や連邦制をめぐる議論に還元されることではないからだ。それは、欧州建設の歴史や精神や性質そのもの、更にはその矛盾や停滞といった要因に深く結びついている。政治学者のニコル・ニェゾットが簡潔に述べたように、「経済領域に自己限定した欧州統合」は「米国と北大西洋同盟への忠誠」と一体となって推進されてきた(3)

 イラクをめぐる危機は、世界秩序の変化や紛争の発生に関し、米国と主張を異にする欧州の内部にも温度差があるという事実を浮き彫りにした。「パブロフの犬」のような英国の追従主義や、スペインとオランダの米国支持は、伝統的な親米外交の極端な形でしかないとみることもできる(4)。しかし欧州の政治指導者には、最も米国に批判的な者も含め、米国によるリーダーシップの原則に異議を申し立てる者は少ない。ドイツ社民党のヤニス・ザケラリウ欧州議会議員が嘆息するように、ワシントンの神経を「逆撫で」したり、その行動を「邪魔」したりしてはならないのだ。1998年に地域司令官ポストと引き換えにNATO(北大西洋条約機構)の軍事機構への公式復帰をほのめかしたフランスのように、抜け駆けを試みる国もある。ザケラリウ議員曰く「誰しもが主の寵愛を願っている」

 イスラエル−パレスチナ紛争のように、欧州が真に政治的な目標(パレスチナ国家の樹立)を一致して掲げている場合ですら、米国の覇権が脅かされることはない。EUのモラティノス中東特使の顧問を務めるクリスチャン・ジュレ氏は、中東における欧州の役割は主に「アイデア」、そしてカネであることを認めている。最大の資金提供者として建物の建設費用を出資し、それがイスラエル軍によって破壊されると今度は復興費用を出資するというわけだ。

 フランス共産党のフランシス・ヴュルツ欧州議会議員は、「欧州の政治指導者の態度にはしばしば政治的勇気の欠如がみられ」、それが「2001年9月11日以降の情勢において、世界秩序の動揺を促すおそれ」があるという。こうした状況は、戦略研究財団(フランス)を率いるフランソワ・エースブール氏によれば、米国に対する一部諸国の「依存体質」の証拠である。確かにEUには、特に軍事・諜報面で十分な手段がないという限界がある。2000年に緊急対応部隊の設立に合意し(2003年には6万人の人員を確保する見込み)、スペインのトレホンに軍事衛星基地を設けたとはいえ、EUは米国の軍事技術と装備に大きく依存している。バルカン半島への介入は、その事実を白日の下にさらけ出した事件だった。中東においても、前出のジュレ氏によれば、米国への依存が「EUの信頼性を低下させている。というのも、この地域では力を示した者に耳が傾けられるからだ」という。

共通の価値という問題

 EU諸国の中には、米国支配に利点を見いだす国もある。それが欧州の内部関係において「パワーの重要なバランサー(5)」となり、小国に安心感を与えるからである。英国、フランス、スペイン、ドイツなどの積極外交は、米国の「傘」によって中和ないしは相対化される。EU内には対外政策における十分な蓄積のない国も多く、フィンランド、オーストリアやアイルランドのように公式に中立的立場を採る国々もある。

 そうした中でフランスだけが唯一、伝統的に米国に対する欧州の独自外交と共通防衛を唱えつづけてきた(6)。フランスの孤立には、パワーという発想そのものを嫌う集合的無意識が表れていると論ずる者もいる(7)。これは、戦争による破壊、ナチスによるユダヤ人絶滅政策、植民地主義に結びついている。もっとも、フランスがパワーに対する恐怖感を持たないことも、大きな誤解を生んでいる。ヴュルツ議員に言わせれば、フランスの歴史は「植民地主義と脱植民地主義、覇権主義と国際主義」といった矛盾に満ちている。しかし彼は続けて、「それぞれの国民はパワーという言葉に異なる意味、自国の歴史に応じた内実を付与するものだ。とはいえ、ドイツの変化を見てもわかるように、それが遺伝子に書き込まれているわけではない」と述べる。国連安全保障理事会の長丁場の交渉でみせたフランスの「抵抗」は、国際社会で積極姿勢を強めるドイツの非妥協的な態度とも無関係ではないだろう。

 ザケラリウ議員は、イラク攻撃を非難するシュレーダー首相の声明が、第一に欧州の人々に対し、米国外交との「質的な違い」を強調する「シグナル」であるとみる。それはまた、すでに1990年の東西ドイツ統一、そして1991年のクロアチアとスロヴェニア独立の一方的な承認にも表れていたドイツの政治的復帰の一貫でもある。

 ザケラリウ議員によれば、米国は自らの態度を通じて「我々が一致団結をはかるのを助けている」という。なぜなら「米国と同じ価値観を有するというのは大きな欺瞞」だからである。そして、グアンタモ基地にみられるような国際法の極端な軽視、米国社会にはびこる暴力、EU全加盟国がすでに廃止した死刑制度の維持を例に挙げ、次のように述べた。「普通選挙が行われているからといって、それが文化を共有していることにはならない。テヘランでも選挙は行われているのだから」

 欧州としての政治的行動の難しさの核心には、まさに共通の価値という問題がある。「欧州は国際社会において、自らの利益に関する共通の展望を見いだせずにいる」と、コペルニクス財団(フランス)のマルク・マンジュノ氏は述べ、「それを討議することさえできないままなのだ」と言う。そこでは大陸規模の政治的変化が見逃されている。ソ連の衛星国の地位から脱却した中東欧諸国の将来が、EUではなくNATOの枠組みの中で検討されたのが良い例だ。現在行われているEUの東方拡大にみられる場当たり的な対応、トルコ加盟をめぐる不協和音、あるいはイラク攻撃が特に石油備蓄に及ぼす影響など、いずれの問題においても根底を流れているものは同じである。

 2000年12月のニース条約で規定された共通外交安全保障政策(CFSP)と欧州安全保障防衛政策(ESDP)の目標は、今のところ主に人道関連に限定されている。1992年に決議された「ペータースベルク任務」の対象も、危機管理と人道支援にほぼ集約されている。マンジュノ氏は「この種の目標が過大評価されていることが、EUの政治的野心の限界を作り出している」と分析する。1999年のCFSP上級代表の任命や、マーストリヒト条約による(共通の戦略および立場を定める)意思決定機構の創設は、EUとしてのより広範な目標設定の足がかりとなるはずだった。「しかし、自らが完全に統御できない行動に引きずり込まれることを恐れた各国は、堅苦しく味気ない文言を採択した」と、ヴュルツ議員は指摘する(8)。更に、ソラナ前NATO事務総長の上級代表への選出には、ワシントンが影響力を確保していることが窺える。「イラクに大量破壊兵器は存在する」と確信する彼は、それでも「国連の決めた道に従うこと」を提唱した(9)

「譲歩を上回る利益」の欠如

 共通外交をいかに定めるかという問題は、EUがこれまで不問にしてきた問いを突きつける。それは、国境を次から次へと拡大するEUにとって「外国」とはどこか、守るべき共通の利益、促進すべき共通の価値とは何か、という問いである。マンジュノ氏のみるところ、現在の欧州は「資本主義世界内部に従属し、その市場や利益が危険にさらされれば守りに出る帝国」として振る舞っている。中東欧諸国や地中海諸国との連合協定にみられる経済的利害の最優先、開発途上諸国とのコトヌー協定に表れた経済リベラリズムへの追随がその良い例である。

 それゆえ、CFSPの名にふさわしい政策を定めるためには、力が「法となる」ような米国流の「無政府的」(10)世界観との訣別が必要とされる。法や文化に対する欧州流の関係、あるいは言及されることは多いが擁護されることは少ない「欧州社会モデル」を手がかりとして、欧州の人々の間で大いに議論を尽くすことが、共通の世界観を構築する前提段階となるだろう。

 しかしEU諸国は、この大きな一歩を踏み出すにはほど遠い状況にある。戦略研究財団のエースブール氏は、「1992年の単一通貨導入の際とは違って、共通化のための歴史的条件が揃っていない」とみる。1992年当時、仏独両国は合意することに利益を見いだしていた。フランスはドイツの金融パワーをEUのメカニズムに括りつけたいと考えており、またドイツは東西統一を認めさせたいと望んでいた。しかしCFSPに関しては、このような歴史的条件は存在しない。「だからといって、それがいつの日か出現しないとは言いきれない」とエースブール氏は述べる。

 英仏をはじめとするEU各国は今のところ、外交と軍事力の共通化ないし連邦化に明確な利益があるとはみていない。推進派を標榜するドイツ自身、シュレーダー首相によるイラク攻撃への反対表明のように、単独主義に走ることも辞さずにいる。各国は「譲歩を上回る利益があるとみるようになるまでは動かないだろう」というのがエースブール氏の結論である。

 CFSPが有効に機能しない主な要因として、ザケラリウ議員は国家主権に対する「ノスタルジックな執着」を挙げている。欧州議会外交委員会のエマ・ニコルソン副委員長(英国)も、イラク危機をめぐって「閣僚理事会が使い物にならず、国益を守ると称して一貫性のない立場を採りつづけた」ことを強調する。彼女に言わせれば、イラク人権法廷の設置を求めた2002年5月16日の欧州議会決議は、「EUが統一見解を表明するための突破口となるはずだった」という。しかし同年10月9日、クリス・パッテン対外政策担当欧州委員(英国)は、国連安保理決定を尊重する必要とともに、フセイン大統領が安保理決議を無視した事態に備える必要を強調するに留まった。

 ニース条約で規定された「より緊密な協力」は、最低8カ国による限定的な先行統合を認めており、共通外交の進展に道を開くものと考えられる。しかし英国の要求によって、防衛関係についてはこの手続から明示的に除外された。CFSPの問題は制度的なものではなく、政治的なものである。ヴュルツ議員によれば、CFSPは「望ましいものでも、現実的なものでもない」。なぜなら「EUの共通の立場の中に、一国の政策を靴べらで押し込むわけにはいかない」からだ。そんなことをすれば、各国は自らの意に反する決定に対して「妨害工作」に及ぶようになるだろう。最近EUのある官僚が次のように述べた。「兵士を殺し合いに派遣するという決定は、特定多数決によって下すようなことなのだろうか」と。

(1) 2002年3月中旬に行われたバルセロナ欧州首脳会議で、ベルギーは欧州高級代表団をバグダッドに派遣することを提案したが、提案は空振りに終わった。
(2) クレール・トレアン「イラク問題で国連に選択を迫る欧州」(ル・モンド2002年10月9日付)。
(3) ニコル・ニェゾット『パワーと欧州』(シアンスポ出版、パリ、1998年)。
(4) イニャシオ・ラモネ「主従関係」(ル・モンド・ディプロマティーク2002年10月号)。
(5) 前掲『パワーと欧州』参照。
(6) ベルナール・カセン「欧州防衛を構想する難しさ」およびアンヌ=セシル・ロベール「EU基本権憲章への疑問」(マニエール・ド・ヴォワール61号、2002年1-2月)。
(7) エドガール・モラン『ヨーロッパを考える』(林勝一訳、法政大学出版局、1988年)および前掲『パワーと欧州』参照。
(8) 対象項目に関しては http://ue.eu.int/pesc を参照。
(9) エル・パイス紙、2002年9月9日付。
(10) Robert Kagan、<< Power and Weakness >>, Policy Review, Washington, no.113.


(2002年12月号)

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