危機にさらされた世界遺産群

ロラン=ピエール・パランゴー(Roland-Pierre Paringaux)
ジャーナリスト

訳・北浦春香

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 ユネスコ(国連教育科学文化機関)は2002年10月より、世界遺産の保全と保護のための国際キャンペーンを展開している。過去のキャンペーンにより、次世代に遺産を受け継いでいかなければならないという意識が高まったとはいえ、自然の美しさや人類の英知を示す地域や建造物として世界遺産に登録された後に、「危機遺産」に指定される例が増え続けているからである。[訳出]

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 ユネスコが世界の文化遺産および自然遺産の保護に関する条約を採択したのは1972年のことである。現在までに批准国は173カ国に達し、この間に世界遺産の概念も発展した。当初は国家財産とされる記念碑や優れた建造物、それに手つかずの自然に限られていたが、やがて歴史ある町並みや産業分野の遺産、文化の香り高い景観、あるいは海中のように多様な動植物が生息する広域地帯なども含まれるようになった。

 長大なリストに記載された730ほどの世界遺産は人類全体の財産であるとされ、その大半はかなりよく保護されているといえる。しかし、アンコール(カンボジア)、ガラパゴス諸島(エクアドル)、カトマンズの谷(ネパール)、イエローストーン(米国)、ペルーの遺跡といった遺産は、程度の差はあれ、様々な被害にさらされている。

 公害、略奪、戦争、密猟、過度の観光化など、あるものは貧困や暴力の犠牲となり、あるものは環境の悪化の犠牲となっている。遺産に対する認識が不足していたり、遺産を大切にするための手段がないというケースもある。大きなダムの建設のように、遺産や環境に打撃を与える政策が開発の名の下に行われる場合には、遺産への配慮を促すことはなおさら難しい。こうして、各国の約束やユネスコ世界遺産センターの努力にもかかわらず、「危機にさらされた遺産」が世界各地に見られるようになってしまった。世界遺産の消滅は、そもそもの定義からして、その遺産を擁する地域や住民だけでなく、人類全体にとっての損失となる。公式の危機遺産の数は20ほど[原文ママ]である。しかしよく知られているように、同様に危機にさらされていながらも、政治的な工作によって指定を免れている遺産もある。

 当然ながら、最悪の脅威は戦争である。そもそも、国際規模での遺産保護活動という発想は、第一次世界大戦を契機として誕生した。かなり近いところでも、バルカン半島での戦争中に、ドゥブロヴニク旧市街とモスタルの橋という2つの貴重な遺産が「犠牲者」となった(1)。その数年前には、内戦と略奪により、カンボジアのアンコール全体が重大な危険にさらされた。現在では事態は改善されているが、今度は寺院に押し寄せる観光客が問題となっている。

 異なる共同体間の紛争や非寛容な宗教的態度が状況を悪化させ、象徴性の高い文化遺産を危機にさらすこともある。その最も最近の例は、ユネスコのリストに登録される予定となっていたバーミヤンの石仏が、イスラムの狂信的な解釈をふりかざすタリバンにより、ダイナマイトで破壊された事件である。アフガニスタンでは国内のあらゆる遺産が破壊され、タリバン支配が始まる以前からカブール博物館で見られたように、あらゆる文化財が略奪の対象となった(2)

 大勢の観光客が押し寄せ、ところかまわず踏み荒らすようになると、大きな収入源となるような地域はことに危険にさらされる。アテネのアクロポリス、ヴェネツィアとその潟、ペルーのマチュ・ピチュの神殿。あるいはヨルダンのペトラ、エジプトのピラミッド、コロラドのグランド・キャニオン国立公園、中国の万里の長城、メキシコの遺跡群。かつてはヒマラヤの麓にひっそりとたたずんでいた古い町、中国の麗江古城(リジャングチョン)でさえ、今や観光客があふれ、飛行機が次々と発着する。

 各地で対策が練られてはいる。しかし、観光という聖域に冷水を浴びせるような手段も意思も持ち合わせていないところが大半だ。フランスのモン・サン・ミシェルのように、観光客や駐車場の増大に脅かされた遺産を守るため、対岸とつながる道路を断ち、再び島という本来の姿を取り戻すといった荒療治が取られるケースは例外にすぎない。

人間の活動による破壊

 脅かされているという点では自然遺産も同様である。年に数百万人が訪れる米国のイエローストーンは、ここ数年でもはや飽和状態になりつつある。広大な敷地を持ち、他にはいない動物が見られ、写真を取りたくなるようなエスニック集団が住むアフリカ東部の3つの公園では、事態は特に深刻である。

 1つ目は、タンザニアの広大な火口地帯であるンゴロンゴロ保全地域である。ここは世界最大の野生動物の宝庫である。国際自然保護連合(IUCN)の最近のレポートによれば、ガゼルやヌーといった動物が2万5000頭から1万9000頭へと25%も減少した。その間に、火口地帯における人間の活動は目に見えて増大した。夏になると数十台の車が、まさに数珠つなぎとなることもある。

 近辺では農業や観光業に従事する人々が増加し、マサイ族は広大な牧草地帯を次第に失って、火口の縁までも耕作地にするようになった。こうして均衡が破れ、動物に残された空間が減少し、遊牧民の生活様式が一変した。

 同じくタンザニア、ンゴロンゴロの西側には、セレンゲティ国立公園がある。ここは毎年動物の大移動が見られることが有名で、雨季で膨張したマラ川をシマウマやヌーの大群が横断していく。ところがそれが、隣国ケニアで上流部をせき止めようとする水力発電ダムの建設計画によって脅かされている。ダムができれば支流は干上がり、公園内の生態系も激変し、動物相が危険にさらされることになる。しかもケニア政府は2001年、ケニア山国立公園に隣接する自然林の世界遺産への登録を取り下げると発表した。これがアフリカ東部一帯で危機に瀕している世界遺産の3つ目である。ケニアの森林面積はもはや国土の10%にしかすぎないのに、さらに17万エーカーが伐採されることになってしまう。この開発の影響が国立公園にも及ぶことをユネスコが危惧するのも理由のないことではない。

 ガラパゴス諸島の国立公園の場合には、エクアドル漁業の攻勢にさらされている。水産資源の保護を強化し、漁獲割当量を定めた法律に対し、漁民たちは真っ向から反発している。この法律はとりわけ、催淫効果があるとして中国人に珍重されるフカやセイウチやアザラシの捕獲制限を課している。しかしエクアドル政府には、13万3000平方キロメートルに及ぶガラパゴス諸島を管理する手段がない。

 ロシアでは、面積2万3000平方キロメートルという広大なバイカル湖が、その透明度すら危うくするほどの様々な被害にあっている。激しい汚染、有毒物質の集積、下水の流入に加え、生態系が脅かされている地区での観光センターの増加、森林の違法伐採など、ありとあらゆる条件が出揃っている。密漁があることは言うまでもない。科学者によれば、1994年に10万を数えたアザラシの数は、今や半減してしまったという。さらに新たな脅威も出現した。湖内での原油採掘が25年間にわたって政府により許可されたのである。湖の環境保全は明らかに当局の優先事項ではないだけに、非常に憂慮すべき事態である。

 1999年に成立したバイカル湖に関する連邦法は、いまだに執行に必要な政令が出されないままとなっている。バイカル湖に関する政府間委員会も2000年に廃止された。さらに、世界遺産センターの度重なる要請は、ほとんど効果をあげていない。これらの事情から、バイカル湖を「危機遺産」に指定しようとの議論がおきている。同様に、米国のフロリダにあるエヴァグレーズ国立公園も、工業や農業による汚染で水位が下がり、動物の種類が減少してしまい、危機的な状態に陥っている。

国際社会に課せられた難問

 世界遺産の中には、かなり特殊な脅威にされされているものもある。例えば、フィリピンのコルディレラ(ルソン島)の棚田は、何世紀にもわたって人々が形づくってきたものだが、生産様式の変化に伴い、現地に住む少数民族が次第に放置するようになってきた。ペルーでは、チャン・チャン遺跡地帯が、エルニーニョ現象という気候変動に脅かされている。あるいは、好ましくない場所への住宅建設が、遺産を害したり景観を損ねたりする場合もある。アクロポリスやウィーンの歴史ある市街地、それにチベットのラサにあるダライ・ラマの宮殿、ポタラ宮などがこれにあたる。

 ルアン・プラバンの町のように、ほとんど笑止千万といっていい例もある。メコン川流域にあるこのラオスの古都において、ユネスコ世界遺産センターは数年来、フランスの歴史的都市シノンや欧州連合(EU)、それにフランス開発庁の協力を得て、歴史的地区とそれを取り巻く自然環境を保全するためのモデルケースともいうべき仕事を行ってきた。ところが、こうした作業や遺産それ自体が、アジア開発銀行の進める建設計画によって脅かされている。古都の持つ遺産としての価値を考慮に入れなかったとしか思えない。

 ほとんどの場合、世界遺産委員会の介入は容易ではない。委員会は遺産の登録を決定はしても、主権国家に対して何らかの措置をとるよう求めることはできず、まして当事国の同意なしに現地に介入することはできない。各国の中には、「危機遺産」リストに加える際には事前の同意を得るようにと圧力をかける国すらある。とはいえ、新しい通信手段の出現により、遺産の被害を訴える市民団体や個人の文書が政府やユネスコのコンピューターに直接届けられ、これを無視することはもはや難しい時代となっている。

 1972年の条約の効力や対話の成果に加え、このように監視の目が光るようになった結果、近年では世界の大切な遺産に損害を与えるおそれのあるプロジェクトが、延期や中止に追い込まれる事例も出てきた。ギリシャのデルフィ(デルフォイ)にあるアポロン神殿の近くに工場を建設する計画や、エジプトのギーザの丘でピラミッドのすぐそばに高速道路のランプを造る計画、それにドイツのポツダムのサン・スーシ宮殿に近接して巨大な団地を建設する計画などである。さらに最近では、スリランカ政府が内戦中にもかかわらず、古代都市シギリヤの近くにある軍用飛行場の拡張計画を断念した。ルーマニアでは、トランシルヴァニア地方のシギシォアラの歴史地区からそう遠くない場所に「ドラキュラパーク」を建設する計画があったが、同様の運命をたどりつつある。

 観光という金の卵を産む鶏を殺さぬように遺産を保護し、これを次世代に引き継いでいくというのは、国際社会にとって大きな難問である。こうしたなかでユネスコのキャンペーンは(3)、当事者それぞれが自分の責任を自覚することを目標においている。

(1) モスタルの橋は現在再建が進められている。新しい橋となっても、やはり世界遺産へ登録されるはずである。
(2) 1990年代にユネスコは、タイルでできたミナレット(尖塔)で知られるアフガニスタンのヘラートの町を保全するキャンペーンを進めようとしたが、戦争のため断念した。
(3) 「世界遺産のためのパートナーシップ」キャンペーンは、種々の金融機関や開発機構、民間企業や研究機関に対し、世界遺産を保護・保全しその価値を高めるために、ユネスコとの協力を訴えることを目的としている。


(2002年11月号)

All rights reserved, 2002, Le Monde diplomatique + Kitaura Haruka + Saito Kagumi

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