エリート交流セミナー参加の記

フランソワ・グラネール(Francois Graner)
国立学術研究センター物理学研究員

訳・ジャヤラット好子

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 「未来の国家エリートの皆様へ。ぜひ貴方様のご意見をお聞かせ願いたく存じます。つきましては、ロワイヨーモン修道院という類なき場所で過ごす4日間のセミナーへ貴方様をご招待いたします」。こうして筆者を含む30人が、CEPPとやらの招待に応えるべく、前述の修道院に参集した。とはいっても、参加者のほとんどにとっては聞いたこともない団体である。この公私企業研究センター、略称CEPPは1963年に経営者団体と国によって設立された団体であり、現在はフランス企業運動(MEDEF)により、自由主義思想の知恵袋(シンク・タンク)として運営されている(1)

 CEPPは創設以来、経営者たちの関心を映し出すような形で、組合問題からニュー・エコノミー、リストラから税制、教育や貯蓄、事業譲渡まで、毎年異なった題目でセミナーを開催してきた。2001年秋の題目は、市民団体の権力に関するものだった(2)

 参加者のほとんどは市民団体について、まったくといっていいほど知らなかった。しかし彼らの中には、それを監督する会計院の評定官、人道活動に関するルポルタージュをいくつも製作しているジャーナリスト、世界自然保護基金(WWF)の後援企業の重役、欧州評議会で数百の市民団体を代表する女性、といった面々が含まれていた。その一方で、市民団体そのものの代表は一人もいなかった。「CEPPの選別基準を満たすような人材がフランスにはいないと思われた」からだそうだ。

 公的機関または民営企業のリーダーたる素質ありと判断された参加者は、年齢30代から40代、過去のセミナー経験者による推薦という内輪の方式で選ばれる。ほとんどはパリ地域に在住し、非常に学歴が高い。経済学と経営学、諸科学、政治学や法学など、2種類の学問を修めた者もいる。女性の占める比率は初期の頃はごく少数だったが、ここ数年で3分の1にまで上がった。アラブ系の比率も、とくに1990年にマグレブがテーマに取り上げられて以降は改善されている。民間企業からの参加者が全体の3分の2を占める。公的機関からは政治家、司法官、軍人、大学研究者などが参加している。セミナー会場には、参加者が集中できるよう、都心から離れていながらも、首都圏在住者が楽に来られるよう、パリからあまり遠くないところが選ばれる。参加者が仕事や家庭の義務に煩わされないようにするためだ。また、開催期間が10月と11月の金曜日と土曜日に各一日ずつ設けられているのも、こういった理由からなのだ(もし週末が二度、もしくは4日間ぶっ通しでの開催ならば、参加者はもっと少なかったに違いない)。

 セミナーの初日、全員が顔を合わせると、手短にCEPPの紹介を受けた後、主催者側によって10人一組の3つの委員会に編成された。与えられた課題は、決められたテーマの枠組みに沿って、報告書とプレゼンテーションを準備して、市民団体に関する提言を行うことだ。基本資料としては、人道問題の専門家たるユーログループ研究所所長が、外交官、軍および企業の見解を分析した文書と講演録が渡される。

 活動家団体の集会とは違って、落ち着いた雰囲気がただよい、文章はよく吟味され、ほとんど高級官僚然とした耳障りのよい用語が使われた。参加者の多くは、普段からこの手のミーティングに慣れているようだ。最初は好奇心から、あるいは人脈作りのためにやって来た参加者たちも、すぐに自分の考えをまとめ、それを表明する機会として、熱心に取り組む姿勢を見せるようになる。彼らのやる気は完璧で、コーヒーブレイクや食事の時間にもなかなか席を立とうとしない。

事業としての「NGO」

 最終日にはCEPPの過去の参加者たちが見守るなかで、3つの委員会がそれぞれの提案についてのプレゼンテーションを行った。それまでの全作業の正式な総括というわけだ。「脱線した」考えや意見は一切取り上げられない。考えるのも討論するのも完全に自由であるが、あらかじめ決められた枠から出ないという条件が付く。そういうわけで、参加者はすでに初日の時点で、テーマについて適切な論点を選ぶために何時間も議論したあげく、配付資料の提案内容に比べて大した進展はなかったことを認めるという状況にあった。この資料が全体として示しているのは、市民団体という対抗権力が通常のゲームの中に押し入ってきた厄介な存在だということだった。

 さらに言えば、使われた用語が思考の言葉を条件付けることになる。ゆえに、市民団体の活動や寄付に関わる参加者が最も自然に出してきた「市民団体(association)」という単語は却下された。これが用いられていれば、語源的に「社会的」または「社会」を連想させることから、1901年の法律というフランス人には馴染みぶかい枠組みが想起されていたはずだ。代わりに皆が使うことになったのは、英語から翻訳された「非政府組織(NGO)」という用語である。その定義につき、3つの委員会はそれぞれ困難に遭遇した。定義をあきらめてしまった委員会もある。

 何度も出てきた「イデオロギー」という用語の場合は、「1989年以前の共産主義者」という対立相手のそれを軽蔑的に記述するために用いられた。自由主義イデオロギーの充満はといえば、こちらはノーマルで自然なものと見なされているようだ。「イデオロギー」を思わせるという理由で「階級」は禁句となり、「現代において社会はもはや、それぞれ利害の一致と均質化をみるような諸階級に還元されるものではない」といった文の中に押し込められた。この見解は、学歴、価値観、人間関係などが均質的なアッパーミドルクラスの結束を固めようとするCEPPという場で語られているとなれば、にわかに生彩を帯びてくる。

 市民団体もまた、その他の事業と同じく、一つの事業たる使命を持つ。セミナーのテーマからして、すでに自由主義的な用語に満ちており、「ガバナンス(統治)」「フランス的例外」といったコンセプト(3)が散りばめられていた。これは、フランスがアングロ・サクソンの基準に比べて「遅れて」いるということを暗に示唆している。そして人道団体相互の競争と「市場シェア」という問題が、執拗に提起された。曰く、「なぜフランスの市民団体は、人道危機の際の陣取りに競り負け、自国企業による市場獲得に先鞭を付けるのは常に外国のNGOという羽目になるのか」。さらに曰く、「市民団体の場合にも、投資リターンや付加価値を語ることができるか否か」

 正統性や権力というコンセプトも、丹念に検討された。そこで参照されるのは、有権者に対して責任を負う代議士と、株主に対して責任を負う企業の役員だ。この両者が外部に対する説明責任を負うことから正統性を持つのに対し、労働組合や市民団体の代表は内部にしか説明責任を負わない。つまり市民団体には政治の領域に口出しする根拠はないということだ。そのくせ、MEDEFがそれを自制しているとは言いがたい。さらに、CEPPは市民団体が企業、さらには国家を操るようになりかねないと懸念しているが、企業が国家を操るようになる危険については心配していない(このセミナーの開催期間中であれば、コンゴでのエルフ石油会社の活動が何らかの考察を促してもおかしくはなかった)。

 市民団体の運営は、事業の観点から分析された。特に財務という視点である。格付機関を設けるべきだという意見が相次いだ。経営(決められた目標に実際に支出された寄付金の比率)と目標の実施(その支出の成果)の両方の効率性に応じて、市民団体を格付けするという発想だ。そうすれば、寄付や後援をする側が、はした金をどこにくれてやるかを決める際の材料になるという。市民団体は競争の世界に置かれ、決算報告書と活動報告書の公開という「透明性」を強要されるわけである。

批判の回収

 どうしてCEPPは、この30人の参加者を招待するのに数千ユーロもかけるのだろうか。貴重な意見を集め、その普及を図るというわけではない。毎年の報告書は、CEPP自身が「書庫入り」すると言っているのだから。CEPPが自身の認知を求めているわけでもない。今のところ宣伝に関心はなさそうだ。

 セミナーの主催者CEPPは、その主眼が人脈作りにあることを認めている。参加者たちは、普段接している人々よりも多彩な人々と出会うことになる。ここで非公式で特権的な人間関係ができあがれば、その後のキャリアの上で必要になった時にまた連絡を取り合える。MEDEFはその意義を前面に押し出し、異業種間に思考訓練とコミュニケーションの場があれば、情報を得たり、先入観を捨てたりすることもできるという。これがそもそも、CEPPの設立理由の一つであった。1960年代初頭、フランスの経営者団体とドゴール主義的国家は、一枚岩の国家エリートが均質な協議型の手法によって国営産業部門、民間産業部門と高級官庁を導いていくことを望んでいた。その後に世界は変わり、フランスの経営者もまた変わった(4)。そして彼らは別の目的のためにCEPPを利用するようになった。

 いわゆる市民社会を全面的に代表していると主張するためには、あらゆる分野の人々をフォーラムの場へ招くことが重要である。ダヴォスの世界経済フォーラムというアングロ・サクソン系の「シンク・タンク」は、すでにこの手法を用いている。フランスの経営者たちも同じ手を使うようになった。サン・シモン財団は、経営者たちに中道左派との接点を提供し(5)、CEPPは、公的部門と民間部門のつながりを強化した。セミナーの修了者は、自由主義イデオロギーのボキャブラリーと思考法を身に付けるようになる。

 これまでの20年間、とくに近年において、資本主義は自己に対する批判を誘導し、回収するという力量を示してきた。最も過激な反対者を躊躇なく招き入れ、彼らが自分の意見を表明し、「物事を前進させる」可能性があるかのように思わせてきた。この招待を拒めば、自ら「議論」の道を閉じてしまう救いがたい者として後ろ指を差されるだけだ。逆に受け入れれば、急進的な反対者というイメージを失い、さらには舌鋒を和らげる羽目になる(6)

 何にしても、2001年度のCEPPセミナーの題目は、最近の傾向を象徴的に表すものだった。経営者たちは、市民団体を取り上げることにより、敵として浮上した相手側の強みと弱みを分析しようと企てたのだ。市民団体という対抗権力は、経済に関わる部分については経営者のイデオロギーに対抗し、利益の量よりも生活の質を選び取っている。その一方、民間を優先するという点で、市民団体と経営者は手を結んで国家に対抗する。ここに見られるMEDEFの戦略は、個人や個人団体の利益のために国家の力を剥奪しようということなのだ。

(1) 以下はCEPP年鑑1998年版からの引用。「1963年に対話のための組織として設立されたCEPPの目的は、数年前に社会人となり、すでに官庁や企業で責任ある地位に就いている男女を集め、現代の経済や社会の問題を研究することにある。CEPPを設立したCNPF[MEDEFの前身組織]と高級官庁にとって、民間企業と行政機関の若手幹部がキャリアと無関係に出会い、職業上の一切のしがらみを離れて、それぞれの心構えや地位を自覚することは有意義であると思われた」
(2) このセミナーのタイトルは次の通りであった。「新たな権力の出現:NGO、調整・・・。それがガバナンスと民主主義に及ぼす影響。それが世界機構および欧州機構(WTO、委員会その他)ならびに欧州パートナー諸国において有する地位と役割。そこにもまたフランス的例外があるのだろうか?」
(3) ベルナール・カセン「『統治』あるいは『市民社会』の幻影」(ル・モンド・ディプロマティーク2001年6月号)、トーマス・フランク「『フランスは別口』は許しがたし」(同1998年4月号)参照。
(4) CEPPはMEDEF事務所内に置かれており、大手公営企業の民営化以後は公的部門よりも民間部門の影響が強まっている。
(5) ヴァンサン・ローラン「フランスの政財界を結ぶサン・シモン財団」(ル・モンド・ディプロマティーク1998年9月号)、「グローバリゼーションは貴方のすぐ傍に」(ル・モンド・リベルテール2001年11月8日号)参照。
(6) リュック・ボルタンスキ、イヴ・シアペロ『資本主義の新たな精神』(ガリマール社、1999年)、セルジュ・アリミ「傾聴されて終わる異議申し立て」(ル・モンド・ディプロマティーク2001年4月号)参照。


(2002年10月号)

All rights reserved, 2002, Le Monde diplomatique + Jayalath Yoshiko + Seo June + Saito Kagumi

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