カルドーゾ政権が残した重い遺産

エミール・サデール(Emir Sader)
リオ・デ・ジャネイロ州立大学教授

訳・安東里佳子

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 1994年の選挙でも98年の選挙でも、カルドーゾ大統領が第1回投票で当選を果たしたのは、ブラジル有権者の過半数から熱烈に支持された公約のおかげだった。インフレ対策を優先目標に掲げ、通貨を安定させることにより、ブラジル経済回復の道を開き、過去10年間の低迷から脱するという約束だ。外国から資金が流入すれば、近代技術がもたらされ、雇用も創出される。また「貧困層にかけられた税金」と化していたインフレを抑え、所得の再分配政策を行う。そして「第一世界」諸国の仲間入りをする、というシナリオだった。

 国際通貨基金(IMF)からの2度にわたる融資(1度目は100億ドル、2度目は300億ドル)を招いた第2期カルドーゾ政権が、金融危機で幕を閉じることになったという事実は、これらの公約が果たされなかったことを物語っている。しかし、大国ブラジルを襲った変化は、さらに別の次元に属している。

 他のラテンアメリカ諸国と同様に、ブラジルもまた80年代初めに債務危機に見舞われた。この危機は、1929年の経済大恐慌への対応から始まったブラジル史上最高の経済成長期に終止符を打つものだった。64年から85年にかけての経済成長は、軍事独裁政権下で実現されている。ブラジルで軍事クーデターが起きた時期は、資本主義の世界的な成長期に符合していた。こうして67年から79年にかけて高度成長が促され、資本が輸入されるとともに、海外市場をばねとした輸出型の発展が達成された。

 これらの変化は労働階級に新しい風をもたらした。新しい社会運動や市民運動と並んで反体制派連合が形成され、80年の債務危機を契機として、独裁政治の終焉を早めることとなった。しかしながら、この体制転換は、「強権体制」に反対して結集した反体制派自由主義勢力によって独占された。彼らは「民主化プロセス」さえ実現されれば、過去20年間の深刻な問題が一掃されると約束した。

 こうした青写真が示される一方、85年に成立したサルネイ文民大統領の連立政権には「化粧直しをした」独裁勢力も加わっていた。その結果、ブラジルはラテンアメリカ諸国の中でも独裁制との連続性がもっとも強い国となり、民政移管が大きく阻害された。

 インフレ対策としてヘテロドックス・タイプ(非正統型)と呼ばれる様々な措置が試みられた後、80年代終わりになると他のラテン・アメリカ諸国と同じ現象、つまり新自由主義への賛同が目に付くようになった。ただしブラジルは他の国々に比べ、構造調整策を始めるのが遅かった。この国では特有の事情により、チリやボリビア、メキシコ、アルゼンチンとは違って、独裁制から抜け出た直後のムードがさほど新自由主義に好都合ではなかったからだ。つまりブラジルでは、民主主義への復帰は憲法によって制度的に強化された。軍事政権によって奪われていた権利を国民に認めた憲法は、時として「市民憲法」とも言い表された。この憲法と社会運動の台頭のおかげで、ブラジルは他のラテン・アメリカ諸国を席巻しつつあった新自由主義の制覇を免れたのだ。

 最初の一貫した新自由主義構想は、コロル大統領によって実行に移された。彼は89年に大統領に就任したが、汚職のため92年に議会によって解任されることになり、ワシントン・コンセンサスの柱であった経済開放、民営化、国家の規模縮小、規制緩和というプロセスを完遂できなかった。彼の後任には副大統領が昇格し、92年10月から94年12月まで政権を担った。このフランコ大統領の下で経済大臣を務め、次いで94年に大統領に選出されたカルドーゾは、コロル構想を引き継ぎつつ、そこに新たな側面を付け加えた。不景気と経済後進性の原因と目された政府支出の削減策として、ラテン・アメリカ諸国で広まっていたインフレ対策の手法である。

債務返済の重圧

 当初は中道左派であったブラジル社会民主党のカルドーゾ大統領は、一部の伝統的右派勢力との連立政権の首班として、議会で絶対多数を押さえることになった。彼は国内外の大手企業経営者からの絶大な支持を得て、政界からも、社会からも、メディアからも、ブラジル史上前例がないほどの支持を受けていた。

 カルドーゾ大統領は、「市民憲法」に盛り込まれた重要な規制を骨抜きにする形で、ご都合的な憲法改正を何度も行った。多数派与党という基盤がありながら、独裁時代も含めて過去のいかなる大統領にもまして、彼は大統領令という「臨時措置」を多用した。これらの大統領令は議会の承認により、実質的な新法として恒久化された。また、法案の大半は政府によって提出され、大統領の統治力を補完する方向に働いた。

 98年にカルドーゾ大統領が第1回投票で再選を果たした事実の基本的な意味は、インフラを抑え込んだ通貨安定策「レアル・プラン」を国民が好意的に評価したということだ。しかしながら、90年代のブラジルが、とりわけカルドーゾ政権下で経験した変化の帰結は、大きくふたつの側面に要約できる。経済活動の金融シフト、そして雇用の不安定化である。

 第一の側面についていえば、通貨安定化のために用いられた手法は、外国資本に圧倒的な力を与えた。カルドーゾ大統領の選挙キャンペーン資金は主にブラジルの大手銀行から提供されていたため、金融機関は数十億レアル規模の経済救援パッケージを享受することになった。

 ブラジルの債務返済額は、年間327億ユーロ以上に上る。これまでの支払額が年間204億ユーロだったのに対し、2002年、2003年、2004年には、306億ユーロの対外債務と204億ユーロの経常赤字の償還のために、毎週10億2000万ユーロを必要とする計算だ。

 最低限でも債務返済期限を再交渉しない限り、ブラジル国家は財政面でも運営面でも立ちいかなくなっている。さもなければ、アルゼンチンのデ・ラ・ルア政権と同じ道、つまり破綻の道ををたどることになるだろう(1)。家計の債務規模が拡大し、銀行が(投資のための貸付を減らして)公債を引き受け、工業から商業、農業に至るまで、あらゆる産業で企業が投機的な投資を増やした結果、ブラジル経済は完全に金融の支配下におかれるようになった。

 それに追い討ちをかけるように、政府機関で経済関係の要職に就く公務員は、国内外の金融部門からやって来て、いずれ必ず民間部門に戻ってしまう。こうした金融支配は、量的にも社会的にも顕著な変化を国家予算に引き起こした。1995年には一般歳入の20.3%に相当していた教育費は、2000年には8.9%でしかない。歳入の24.9%を吸い取っていた債務の利払いは、今日では55.1%にも達している。今や教育費と医療費の合計が、利払い額を下回っているのだ。

中産階級の二極化

 1990年代は、雇用が不安定化した時期でもある。歴史的にみれば、ブラジルでは農村部の労働力が輸出用コーヒー豆の生産のために搾取され、3世紀半という嘆かわしい長さに及んだ奴隷制度が1888年にようやく廃止された。その結果として、いまだに農地改革が行われず、流動人口は比較的最近までフォーマルな(正規の)労働市場に組み込まれていなかった。

 農村部における前資本主義的な関係に染まった労働力の都市部への到来は、民主政権時代と独裁政権時代を通じ、また経済の成長期と不況期を通じ、過去50年間にわたって継続した。しかし80年代の景気後退期には、ブラジル経済はもはや彼らを吸収しきれなくなっていた。カルドーゾ大統領は「ブラジルの歴史におけるジェトゥリスモ(2)を終わりにする」と銘打って、国家の規制能力にとどめの一撃を与えた。不当搾取の拡大を意味する下手な婉曲表現である労働力「柔軟化」政策の結果、大半の労働者が正式な契約のないままに雇用され、法的主体として認められず、したがって市民として認められない状況に捨て置かれた。

 経済の開放と雇用の不安定化は、国内における新しい移動を生み出した。第一次産業から第二次産業やフォーマルな商業部門(第三次産業)への移動ではなく、第二次産業からインフォーマル(非正規)部門(同じく第三次産業)への移動である。こうした変化は、スキルの向上やインフォーマル部門から正式な契約雇用への移行による社会的地位の向上という従来の動きを止め、正反対の動きを呼び起こす。つまり、スキルは低下し、様々な権利、ひいては市民権さえも失われる。フォーマルな経済活動に携わり、労働契約による諸権利を得ていた労働者は、1991年には53.7%いたのに対し、2000年には45%にすぎない。残りの55%は地下経済に従事しているのだ。

 中産階級はといえば、軍事独裁政権時代に始まった階層分化がさらに深まっている。中の下の人々は、失業やインフォーマル部門への転落、公共サービスの悪化、銀行部門の雇用縮小などによって打撃を受け、プロレタリア化しつつある。その一方、別の一群が、サービスの高度化や金融部門の伸長によって、世界的に進行する投資手法の近代化に追随するようになった。所得や財産に格差があり、したがって思想的立場が異なる中産階級の人々を一括りにすることは、ますます難しくなっている。

 失業、貧困、疎外、暴力、麻薬密売、そして法治国家と福祉国家の欠如。このような社会危機のもっとも残酷な部分を被るのは、大都市の周辺部に増え続ける労働大衆と貧困層だ(3)。この集団は資本主義のお払い箱となって、死の部隊や差別、そして社会に溶け込むための場の欠如に苦しめられる。彼らは、仕事はもとより家族や学校を通じても、社会に溶け込んでいくことがない。左右の政党にも、社会運動の中にも、彼らの場所はない。彼らのための娯楽や文化の場もない。その一部は、犯罪や麻薬密売の世界に陥り、警察を敵にまわす。あるいは反逆のラップ音楽を作ったり、場末の荒っぽい宴会で踊ったり殴りあったりしている。

 彼らは、社会の秩序から何も得るものがなく、それに対して何の義務もないと感じている。彼らの社会との唯一のつながりは、消費スタイルの感染や警察の暴力という形をとるか、物理的にも精神的にも生き延びていくために、合法あるいは非合法の様々な行動を起こすという形をとる。社会は彼らをまったく不可解な存在と見なしているが、しかし彼らが暴力や犯罪行為、反逆の文化、社会的・政治的な闘争へと至った経緯について、考え込まざるを得ないだろう。

 これらの変化は教会の動向にも反映されている。カトリック教会は、解放の神学と聖職者中のその関係者を厳しく糾弾したヴァチカンの行動や、労働大衆の保守化によって弱体化した。不合理に満ち、政治的展望もなく、消費社会が実現不可能な夢を描いてみせるといった状況の中で、多くの人々が新興教団に傾倒したり、カトリックの保守的な宗派に流れるようになった。

 新興教団は、労働大衆の居住地区に目を向けない公的機関の穴を埋めるような形で、麻薬密売に代わる解決策を一部の若者たちに提供してきた(4)。ふたつの世界は大きな衝突もなく共存している。教団はいわば援助コミュニティとして、職探しや共同住宅の建設、緊急の金の融通などに携わっている。援助の中身としては、麻薬密売組織と似たりよったりだ。

大統領選の争点

 失業、労働の細分化やOA化、労働大衆の保守化に加え、ブラジルは他方では左派政党をも含めた政治活動の制度化に直面している。ブラジル司牧協議会をはじめとするカトリック教会の聖職者とともに、中央統一労組や土地なし農民運動が、社会運動の原動力たる地位を失ったわけではない(5)

 しかし、政府が(スト破り組合を支援するだけでなく)労働組合や土地なし農民による土地占拠、市町村や州政府による社会政策に対して圧力をかけるせいで、新自由主義に対してもっとも活発に抵抗運動を行う組織は虫の息になっている。

 たとえ労働党が今もなお、過去20年にわたって左派に蓄積された大きな社会勢力の政治回路となっているとしても、その大衆運動的な基盤は最近の「制度志向」によって弱まってきた。この方向転換は、党の内部構成を大きく変えた。平均年齢が上がり、貧困層から距離をおくようになり、州の行政や議会、政府の組織と結び付いた幹部の比重が増えるようになった(2001年11月にレシフェで開催された労働党全国大会では、代表の75%がこれらの組織の出身者だった)。

 この選択は、労働党の政治的立場の穏健化を促した。対外債務返済、農地改革、米州自由貿易地域(FTAA)、ブラジル企業への外資の参加、あるいは党活動のあり方といったいずれの問題でも、労働党は穏健化した。ルイス・イナシオ・ダ・シルヴァ(通称ルーラ)氏の大統領選への立候補は、中産階級と「エリート層」からの大きな拒否反応にぶつかっているが(6)、過去のいずれの大統領選でも、候補者と党自体の一般向けのイメージは、選挙に勝つために補正されてきた。

 労働党が大統領選で勝つにしろ、負けるにしろ、大々的な路線論争が起きることになるだろう。勝った場合の議論の焦点は、政府と権力の関係、現在の制度的な枠組みにおける活動の限界と可能性、体制との折り合いあるいは断絶といったことになるだろう。ルーラが負けた場合には、指導部は政治的穏健化によって財界との連携や、他の伝統的なエリート層からの支持獲得を図ったが、それでも勝利につながらなかったということになり、労働党のひとつの時代が終わりを告げることになるだろう。

 大統領選後は、今日まで指導部の路線から逸脱しがちだった党内左派が、息を吹き返すに違いない。現行の幹部は中道政党や中道右派政党に移っていくかもしれない。カルドーゾ大統領が残した重い遺産は、経済と社会だけの問題にとどまらず、(いまだ)若い民主主義の危機となって表れている。

 誰が次期大統領となるにせよ、ブラジルは大きく様変わりすることになる。今の経済モデルはもはや使いものにならず、社会的な破綻をもたらし、この国を世界でもっとも不平等な国のひとつにしただけだ。それはIMFの融資がなければ存続不可能であり、ブラジル経済は融資を受けるたびにますます脆くなっている。このような経済モデルは、どうあっても変わらなければならない。

 残された問題は、その変化がどのような方向に向かっていくのかということだ。カルドーゾ大統領の後任候補に立った経済学者のジョゼ・セラ前保健大臣や、「第三の道」を掲げるシーロ・ゴメス候補が言うような限定的な修正を選ぶのか、それともダ・シルヴァ候補が言うような新自由主義政策からの断絶を選ぶのか。

 もし野党が勝てば、国内危機を乗り越えたうえで、南米南部共同市場(メルコスル)を強化するという展望が見えてくる。共通通貨が創設されれば、アルゼンチンを低迷から救い出すことができるかもしれない。さらに、メルコスルの立て直しによって、アメリカの覇権の手段であるFTAAに代わるラテン・アメリカ諸国の統合を構想することもできるようになるだろう。

(1) カルロス・ガベッタ「アルゼンチン、全面的危機に突入」(ル・モンド・ディプロマティーク2002年1月号)参照
(2) ここで言及されているのは、ジェトゥリオ・ヴァルガスによる統治形態(1930年-45年、1950年-54年)である。ヴァルガスは「エスタード・ノーヴォ(新しい国家)」の父として、労働者階級を基盤とした統治を行い、重要な社会法制を敷いた。彼は新聞から批判され、2度目の任期途中で軍部の圧力により辞任を余儀なくされ、最終的に自殺の道を選んだ。
(3) 人口の40%が7つの大都市圏に集中している。
(4) リオ・デ・ジャネイロにある宗教研究所の調査によれば、1987年から2001年の間に同市だけで18歳以下の若者約4000人が被弾して死んだ(この数字は、コロンビア紛争の直接の犠牲者となった未成年者の数を上回っている)。ISER、リオ・デ・ジャネイロ、2002年9月9日。
(5) アメリカの推進するFTAAへの反対を訴えた非公式の国民投票には、司教団によれば1500万人が参加した。そのフィナーレとなった9月7日には、サン・パウロ近くの町アパレシーダに15万人の人々が集結した。
(6) 1989年の大統領選の直前、強大なサンパウロ産業連盟のマリオ・アマート会長は、ルーラが勝った場合には80万の企業がブラジルを離れるだろうとの「警告」を発していた。


(2002年10月号)

All rights reserved, 2002, Le Monde diplomatique + Ando Rikako + Saito Kagumi

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