フォトジャーナリズムの未来のために

クリスチャン・コージョル(Christian Caujolle)
パリの写真エージェンシー兼ギャラリー「ヴュ」のアート部門ディレクター

訳・北浦春香

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 ここ数年、「フォトジャーナリズムの危機」と呼ぶべきものを憂慮してみせるのが見識とされている。この言い回しは、エージェンシーの経済基盤の弱さ、写真の制作や配信を手がける企業の買収や合併、肖像権をめぐる紛争、写真家の社会的地位に関わる問題など、ありとあらゆる意味あいを込めて使われている。要するに、性質の異なる様々な問題が一連の危機として取り沙汰されているのだ。しかし、これらの問題よりも決定的で、それゆえにより重大でありながら、ことさらに言及されていない危機が存在する。それは、新聞・雑誌がグラフィック、とりわけ写真との関係において直面しているアイデンティティーの危機である。一つの職業というだけでなく、写真を利用する新聞・雑誌の存在自体、そしてその存在意義が正念場に立たされているのだ。

 1970年代には、パリはフォトジャーナリズムの世界的な中心地であった。フリーの写真家たちがガンマを設立したのはこの時代である。彼らは自由に仕事をし、その成果を所有する権利を維持しつつ、写真家とエージェンシーがコストと利益を均等に分け合うという独特の制作方式を生み出した。ガンマ、シパ、シグマといったエージェンシーが一世を風靡し、レポーターが撮った写真の全世界への配信を通じて大企業へと成長した。その隆盛は永遠に続くかのように思われた。しかし、規模が大きくなりすぎて当初の精神を失いかけてしまったためか、あるいは経営や投資面で失策があったためか、あるいは専用線を持った通信社(ロイター、AFP、AP)との競合に気付くのが遅すぎたためか、どれもが巨大グループに買収されてしまうことになる。

 今ではもはや独立系エージェンシーはほとんど残っていない。これはあらゆる分野でみられる合併や統合という現象に符合する。世界の新たな支配者、特に「メディア王」にとって、画像データは21世紀の鍵を握るものとなり、この種の資産を買収するために巨額の投資が行われている。

 しかし、こうした買収や合併は、画像情報の生産と販売という弱小な特殊分野において、その知識に概して乏しい財務の専門家が経営を握ることを意味している。その結果、コービス、ゲッティ、アシェットといったグループでは、労使間の紛争が頻発している。

 こうした巨大メディア企業が編集ということにいかなる考えを抱いているかは不明だが、さしあたりはっきりしているのは、写真分野における覇権を握ろうとする姿勢である。経営方針の変更や修正は絶えないものの、彼らの当初の信条が揺らぐ気配はない。それは「我が社で『あらゆるもの』が見つかるとしたら、クライアントは他には目を向けないだろう」というものだ。が、そこには若干問題がある。一口に『あらゆるもの』といっても膨大であり、手に入れた資産をデジタル化するために必要な投資は、合理的な経営者にとっては引き合わない金額となってしまうのだ。

 コービスが買い取ったベットマン・アーカイブの例を見てみよう。これは、1100万点もの画像資料から成る、非常に重要な歴史的資産である。しかし、その10%ですら、デジタル化し、インデックスをつけ、いつの日か配信するまでには何年もかかるだろう。その間、画像資料は利用することができない。コービスがアーカイブ全体を廃坑に保存すると決定したことに対しては、批判の声が上がっている。技術的には保存に非常に適した状態だとしても、この埋葬という行為は衝撃的としか言いようがない象徴的な意味を帯びているからだ。

 さらに重要な疑問もわき起こる。提供される画像はどういった基準に沿って選択されるのか。この問いに対する答えは、巨大スーパーマーケットで展示される商品見本の選択と同じくらい明々白々である。「平均的」なもの、つまり誰もが、あるいは少なくとも大多数が取り上げてくれそうなものが選ばれるのだ。言い換えれば、問題を引き起こさず、ステレオタイプの生産に流れるという新聞・雑誌にありがちな傾向をさらに助長するような画像ということだ。

 このような態度は、経済的な観点からいえば理にかなっているとしても、きわめて憂慮すべきである。提供される画像が限られるからではない。独特の個性によって、他と異なる斬新な視点を新聞・雑誌に提案し、その存在意義を回復させるような写真が流通しなくなることが問題なのだ。いつでも、どこでも、同じ画像を手に入れられるというメリットよりも、「規格外」の画像が手に入らなくなるデメリットのほうが大きい。

 こうした状況下で、資金繰りに苦しみながらもレベルの高い活動を続けている独立系エージェンシーは、まるで抵抗運動を組織しているかのような感覚に襲われている。20年にわたって関連省庁(文化情報省、法務省、財務省、社会問題省)に様々に働きかけてきたが、まったく成果はあがっていない。フォトジャーナリズムを担っている人々は、彼らの息の根を止めようとする二つの刃を喉元に感じながら、ようやく生き延びているのが現状なのだ。

長方形の美学

 一つは、被写体の明示的な同意のない写真の公表に対して時として不当ですらある非難が繰り返され、「肖像権」の尊重という名目のもと、あまりに高い代価を支払わされていることだ。この権利が基本的人権の一つとして確認されるべきことに異存はない。しかし、報道の権利との相克が起きた場合に、報道写真家となる道を選んだ人々をつぶしかねないような非難が繰り返されるという状況は、はたして容認できるものだろうか。

 もう一つは、新聞・雑誌や通信社と仕事をしている写真家の社会的地位の問題である。法律によれば、こうした写真家は給料の形で報酬を受けると定められており、印税の形での報酬は受け取れない。もしこれに従えば、あらゆる報道写真エージェンシーは閉鎖に追い込まれることになるだろう(1)。報道写真家が著作権を主張できないというのは、そう遠くない昔、党公認の職業団体の会員でなければ何も新聞・雑誌に発表することができなかった旧共産主義諸国の状況を髣髴とさせる。主管省庁はこの根本的な問題を解決する必要がある。

 その一方、ここ30年間の報道写真と比べても、質の高さや要求されるレベルは上がり、調査の重みは増し、きわめて多様な提案がなされるようになっている。私は写真家たちと日常的に仕事を共にする中で、彼らの力にいつも目を開かれる思いをしている。写真家たちは様々なアプローチを用い、倫理と美学のはざまで先鋭的な要求にさらされながら、現代世界の本質に迫る証言を生み出している。しかもこうした活動は、厳しい環境下で続けられている。彼らの作品に対する媒体側の反応は芳しくなく、制作の際にも困難が伴う。そして、写真を通じて意味を生み出し、たいていの新聞や雑誌に羅列される面白みのないお飾りに対抗しようとすると、相手は目を白黒させたり、守りに入ったりしてしまうのだ。

 現状では、すばらしいプロの写真家が撮った秀逸な報道写真があるといっても、専用線を持った通信社のような強力なネットワークによってデジタル配信されない限り、まったく利用されずに埋もれてしまう。

 写真家は、テレビが視覚情報の第一の媒体となり、さらに、ポール・ヴィリリオが分析したように人々が速度の魅力に支配される中で、インターネットがテレビの競争相手として台頭してきたという事実に直面している。踏みとどまりたいと願うならば、写真家は新たな美学上の攻防に挑まなくてはならない。

 しかも、写真の歴史は客観的であるとされた「再現」(すでに草創期よりその「速さ」ゆえにもてはやされていた)から、写真を撮る側の主観的な側面を考慮する「解釈」へと移り変わってきた。一般に考えられていることとは反対に、写真家は非常に早い段階から、自らの証言の持つ主観的、美的な側面に気がついていた。その証拠として、ギュスターヴ・ル=グレイ(2)が撮った「シャロン演習場」の写真の大半を挙げれば十分だろう。

 新聞・雑誌に写真を載せることができるようになると、プロの写真家は様々な提案を行った。それは、すべてが一から始められた時代だった。なかでも最も有名なのは、マーティン・ムンカッチやアンドレ・ケルテスといった先駆者の業績を助けとして、アンリ・カルティエ=ブレッソンが行った提案である。ロバート・キャパが直接的なイメージを示したのに対し、彼は「よい写真」とは何かをきめる構図の基準を提示した。彼はそれに則って、ドイツ占領からのフランス解放、中国の革命、ガンジー時代のインドやソビエト時代のソ連に関する希有な記録を残した。そして、後に他の追随を許さない基準となる世界への「窓」を開いてみせた。つまり、完璧に構成された長方形という純粋な形象を通じた報道である。

 この美学は多くの追随者を生み、現在まで受け継がれている。自ら足を運ぶわけではない一般の人々が世界や事件を追体験する手段が写真に限られていた時代には、それは信じがたいほどの効果を発揮した。それはまた、写真を見る者に枠の外があることを完全に忘れさせようとする枠として働いた。世界は写真家が黒い縁によって視線を制限し、誘導する長方形の中に閉じ込めたものに要約され、さらには還元されていた。

 1950年代末にカラー写真が誕生すると、写真家が追求する美と新聞・雑誌が掲載する美の間には大きなギャップが生じるようになった。芸術的な写真家が色彩を考慮した構図を生み出そうとしたのに対し、フォトジャーナリストはフィルムの種類を替えただけで白黒写真のときと同じような構図で撮り続けた。70年代に米国の写真家たちがカラー写真による様々なアプローチに関する展覧会をニューヨーク近代美術館(MOMA)で開いたとき、新聞・雑誌が「芸術的すぎる」として目もくれなかった事実は強烈である。フランスでは、アラン・ビゾスによる自然光と人工光とを組み合わせた写真を掲載した月刊『アクチュエル』が目を引くが、これも後に競って模倣されるようになったとはいえ、当時はあらゆる媒体から拒否された作品であった。

問いを立てること

 ここ10年の間に、若い写真家たちが美学上、報道上の複雑な思慮から完全に解き放たれた視覚イメージを新聞や雑誌に提示するようになった。それは、何が起こったかの証言であると同時に写真家自身が世界で何を体験したかの証言であり、何かを見せるというよりも問いを提起するものだ。これらの写真家は、従来の美学を危険にさらすことをいとわずに問いを立て、写真家の立場を徹底的に突き詰め、媒体を困惑に陥れるような視覚イメージをもたらしてきた。彼らがここで提示する視点においては、何かを証明しようとするのではなく、攪乱によって私たちの思考を促そうとするイメージがあり、枠というものが従来の作品と異なって、その先へと見る者を向かわせ、イメージを取り巻く環境を解釈によって再現することを要求する。彼らは、第2次世界大戦以降に隆盛を極めたフォトジャーナリズムの美学を問い直しつつも、それを批判したり軽視したりしているわけではない。彼らが熟考のうえで荒っぽいながら、声を大にして訴えているのは、存在意義よりも商売第一の新聞・雑誌の先兵になりさがるべきではないということである。これらの写真家は、問いを立てる、つまり調査に携わるという新聞・雑誌の役割を蘇らせようとしているのだ。

 歴史についてもう少し述べよう。20世紀初頭に新聞・雑誌への写真掲載が技術的に可能となったとき、写真は版画に代わって、記事の「迫真性」を増し、何が起こったかを証言するものとして採用された。写真はそこで証拠とされたわけであるが、賢明にも司法の場では今でも、写真を証拠とみなすことは認められていない。また、それ以前に使われていた様々な図版の代用とされたこともあり、写真は単なる挿し絵の地位に留まることとなった。

 1920年代末になると、英国の『ピクチャー・ポスト』、ドイツの『ベルリナー・イルストリルテ』、フランスの『ヴュ』のように、視覚に訴え、一連のグラフィックを前面に出した新たな新聞・雑誌が登場し、こうした状況に終止符を打った。それとともに、何かを示すというよりも想起させるという語り口が生まれ、当時の才能あふれる写真家や、様式と内容の組み合わせを考えるレイアウトデザイナーを惹き付けた。

 さらに米国で『ライフ』が創刊され、続いてフランスで『マッチ』、ドイツで『シュテルン』が発刊され、「写真週刊誌」や「フォトエッセイ」が隆盛を誇るようになる。これらのグラフ記事は、映画の発展に影響されており、文章とグラフィックの相互作用を通じて「ストーリー」を読ませようとするものであった。この「黄金時代」には(空前絶後というほどではなかったにせよ)写真の効果が大きく増した。しかしテレビが発明され、マスメディアとなったことにより、写真の効果は痛烈な打撃を受けることとなった。当時は距離をおいて眺めることができなかったが、今となって思い起こしてみれば、1981年から84年にかけてのリベラシオン紙が持っていた自由な論調と革新性は、写真を手段として時代を斬るという可能性に満ちた時代の豊かさを示すものであった。

 現在では、グラフィックが再び挿し絵や飾りの地位へと後退し、文章とグラフィックとの緊密な関連が失われる傾向が劇的なほど強まっている。報道よりも「大衆」が重視されるようになったからといって、このような紋切り型のグラフィックが羅列されるだけでよいはずはない。新聞・雑誌は常に「有名人」を追いかけるものだが、かつてはそれを独自の切り口から、ルポタージュとして行ってみせてくれた時代があった。写真家集団マグナムがジョン・ヒューストンの『荒馬と女』(3)の撮影を取材していた当時を懐かしく思い出しながら、現在の私は驚くほど中身の空っぽなページをぱらぱらとめくるばかりである。

 写真の黄金時代も、私が愛した写真の時代も、今や過ぎ去ってしまった。写真は、良くも悪くも経済的な理由から、時代遅れのルーティンワークとして生き長らえているにすぎない。さらに私のような一般市民から見て腹立たしいのは、1.20ユーロ払って買った自分の愛読紙の一面トップに、既に昨日のテレビのニュース番組で見た写真を見つけたときだ。ある意味で詐欺ではないか。どうしてこんなことになってしまったのだろう。報道の送り手と受け手の間にあった信頼の絆はどうして崩れてしまったのだろうか。

 それを招いたのは、一連の責任放棄と思慮不足というほかない。新聞・雑誌は広告市場で多くの顧客を「さらっていく」テレビの存在にパニックになると同時に魅惑され、自己の役割を再定義する力を失ってしまった。そして、印刷版のテレビもどきを試みるか(「ザッピング向け日刊紙」といったものさえ発行されている)、テレビが選んだ話題をさらに煽るか、その二つの間で揺れているだけだ。想像力の欠如した者が昔からやっている手でしかない。

 明白な事実を改めて思い起こす必要がある。視覚イメージは(写真に限らず)、刊行物のアイデンティティーと(その一部でもある)編集内容を決定づけるものである。編集の責任者やプロは、2つの段階を区別して考えなくてはならない。最初に写真を選びそれをトリミングする段階と、編集を行いレイアウトを施す段階である。どちらの段階においても、そこに何らかの意味が生み出され、報道の構築に関与しようとする写真家の当初の意思はそれによって形を整えられる(あるいは歪められる)ことになる。こういった意味が熟慮されず、コントロールされないならば、そこで生み出されるのは不本意というようなことになりかねない。残念ながらあまりに頻繁に目にする事態である。

 だからこそ、グラフィックに関する編集方針を真剣に考える必要がある。まずは次の問いを立ててみよう。写真を新聞・雑誌に掲載するのはなぜなのか。その答えが、印刷メディアの未来を開く扉となるかもしれない。ただし、その答えは、グラフィックに対して編集上の役割を与え、美的な広告効果と混同するのを止めるものでなければならない。写真家の視点、荒っぽい問いかけ、本質に迫る調査を大切にするものでなければならない。そして、飾りではなく意味をとることを選ぶものでなければならない。これほど基本的なことがこれほど稀になってしまっていると言うべきか。

(1) ル・モンド2002年9月6日付によれば、ガンマは所属の写真家を30人から17人に減らすとともに、給与と歩合を報酬とする雇用契約を提示し、既に14人がサインした。シパはかなり前から同様の方式をとっているという。[訳註]
(2) ギュスターヴ・ル=グレイは写真家、1820年に生まれ、1882年に没する。
(3) ジョン・ヒューストン監督映画。出演はマリリン・モンロー、クラーク・ゲーブル、モンゴメリー・クリフト。公開は1961年。


(2002年9月号)

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