「グロバリゼーション」に向き合うアフリカ経済

サヌ・ムバイ(Sanou MBaye)
セネガル人エコノミスト

訳・清水眞理子

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 2002年は、3月にメキシコで開かれた国連開発資金会議を皮切りとして、様々な国際会議でアフリカの開発問題が取り上げられている。アフリカ諸国は独立直後より冷戦構造に組み込まれ、東西両陣営から資金が流入したが、冷戦終結後は紛争が激化し、貧困が増大している。そこにテロの温床があるとの共通認識から、先進諸国がようやく開発支援に前向きになってきた。6月にカナダで開かれたG8首脳会議の際には、「アフリカ開発のための新パートナーシップ(NEPAD)」を主導するアフリカ4カ国の首脳が出席し、その自助努力の姿勢が歓迎された。これらの動きに対し、先進国の観点からの援助基準そのものは変わっていないうえ、現在の貿易ルールはアフリカの現状を無視しているとの批判も起こっている。そして8月には南アフリカで、一連の国際会議の総決算とも言うべき「持続可能な開発に関する世界首脳会議」において、開発問題が討議されることになる。[日本語版編集部]

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 これまでに登場した経済の運営と分配のシステムの中で、名前の付け方が最も不適切なのは間違いなく「グローバリゼーション」である。実際「グローバル」とは名ばかりで、その特徴は先進諸国内だけで行われる資本の大量移動にある。この状態は途上国全般に害をもたらし、特に、ブラックアフリカは蚊帳の外におかれている。

 1997年の金融危機以後、新興国市場は世界の中で財とサービスの生産の45%(1)、人口の85%を占めているにもかかわらず、株式市場の7%を占めるにすぎない。これらの地域における資本移動は3分の1減、直接投資は2000年の1300億ドルから2001年には1080億ドルに下がっている。全体が縮小しただけでなく、内訳にも偏りがある。アルゼンチン、ブラジル、中国(香港含む)、メキシコ、韓国の5カ国で、直接投資全体の3分の2を占めているのだ。

 こういった状況の中で、アフリカ諸国の行方はどうなるのだろうか。アフリカ諸国は世界経済に組み込まれるのに必要とされる条件を一つも満たしていない。国内総生産(GDP)に占める工業の割合も、輸出に占める工業製品の割合も低く、資本市場にアクセスしていないうえに、外国投資も少ない。1960年代には8%だったアフリカの工業成長率は、90年代には1%にも満たなくなった。輸出シェアを失ったことによる経済低迷の原因は輸送、保険、通信部門のコストの高騰である。世界最高となってしまったコストは、産業の競争力に大きな影響を与え、輸出総額の15%を吸い取っており(その他の途上国の場合は5.8%)、この比率は内陸の国々では輸出収入の4分の1にも達する。このように、世界貿易にアフリカの占めるシェアは、すでに1990年に3%しかなかったのが、2001年にはわずか1.7%となった。そのうちほとんどが基礎製品もしくは一次産品である。

 さらに先進国は恒常的に国際貿易ルールに違反して、国際通貨基金(IMF)、世界銀行、世界貿易機関(WTO)を通じて先進国の工業製品と補助金つきの農業製品へのアフリカ市場開放を強要し、アフリカ国内の農業と地場産業を崩壊に追いやっている。アフリカの中では例外的に工業基盤の萌芽が見られるケニアやジンバブエのような国も、安価な輸入品がなだれこみ、おしつぶされそうになる経験をしてきた。

 資金調達の可能性は限定されている。サハラ以南では南アフリカ、ボツワナ、セネガルだけが資本市場にアクセスできる。他の国々は金融市場の扉を開く鍵も持たず、借り入れた資金を思いどおりに使うこともできない。「格付け」の名で知られる扉の鍵を配る力は民間機関が握っている(2)。アフリカ諸国はそれゆえ、二国間援助を除くと残された唯一の資金調達先となるブレトンウッズ機関(世銀グループおよびIMF)(3)かアフリカ開発銀行に、自国の開発を委ねる以外に解決策がない。これらの機関による融資は通称「援助」として知られている。

 しかし、考えられる資金調達先の中でも「援助」は一国の開発に最も向いていない。実際、融資は貸し手が提案する財とサービスの購入に使われる。借りた国が本当に必要としているものよりも、輸出国の要請に適ったプロジェクトの実施が目的となっている。これらのプロジェクトは開発を促すどころか反対に先進国企業の受注を増やし、恵まれた国のエリートをさらに豊かにする。これらの融資は、新規の融資を受けるために未払い利息を支払うのにも使われる。

必要なのは生産的投資と生産者保護

 このような差別的扱いは新たに3350億ドルという巨額の債務を生み、その償還と利払いが貧困の根源となっている(4)。構造調整の枠組の中で強制された民営化計画も、ワシントンのテクノクラートのアフリカに対する無茶な扱いを免れるものではなかった。国内株式市場がないアフリカ諸国では(あるのは南ア、コートジヴォワール、ガーナ、ナイジェリア、ケニア、ナミビア、ジンバブエ、モーリシャス、ウガンダ、タンザニアだけ)、民営化というのは多くの場合、要するに清算を意味していたのだ。とりわけ、1994年1月に平価切下げが行われたフラン圏諸国の場合、公営企業の資産は二束三文に評価された。民営化の波が頂点に達した88年から94年には、準公営企業の民間部門への譲渡は他の途上国では1130億ドルの収入をもたらしたのに対し、アフリカでは24億ドルにしかならなかった。

 ブラックアフリカ諸国の民営化は結局はいかさま取引だったのみならず、アジアやラテンアメリカと違って国外に流出した資本を呼び戻すことにもならなかった。91年の時点でアフリカの流出資本は推計1350億ドルに上った(5)。これは投資総額の5倍、民間部門投資の11倍、外国投資の120倍である。そのうち10%でも戻っていれば、南アを除くサハラ以南諸国の投資は2倍になったはずだ。

 外国民間投資の金額は基本的には投資家、特に多国籍企業が期待する利幅に左右される。ブラックアフリカでは収益率が95年には最高40%に達し、この地域は新興諸国で最も成長力のある市場となった(6)。だが2000年の外国直接投資額を見ると、中東では19億ドル、アジア太平洋地域では210億ドル、ラテンアメリカでは199億ドル、ヨーロッパでは769億ドルだったのに対し、アフリカでは11億ドルしかなかった(7)。しかも投資はナイジェリア、アンゴラ、モザンビークなど一部の国に限られ、天然資源(石油、天然ガス、鉱物資源など)の開発だけに回されている。後進地域では資源の開発による依存状態と貧困化が続くばかりで、生産的投資や雇用の創出、工業製品の輸出といった見返りを得ることはない。

 これほど劇的で不正な現状に直面して、開発と債務脱出のための戦略の見直しが必要とされている。再建と飛躍へと本当に至る計画の基本は、技術移転、低利融資によるインフラや機構、生産体制の実現、アフリカ製品の先進国市場へのアクセスなどにおかなければならない。これらの措置に加え、一定の猶予期間にわたり生産者保護のための選択的手段を発動すべきだろう。ヨーロッパ諸国が第二次世界大戦後にマーシャル・プランの資金によって、またアメリカの輸出品に対する国内工業、農業の保護によって復興を果たしたのは、このような方法に訴えたからだ。中国、インド、韓国や他の国々も同様の戦略をとってきた。

 1980年にアフリカ統一機構(OUA)の首脳会議は、このような考え方のもと、アフリカ人の専門家が作成した「ラゴス・プラン」という行動計画を提唱した。さらには「アフリカ通貨基金」の実現可能性も検討された(8)。しかし二つとも、植民地時代から引き継がれた生産体制を永続化し、強化しようとするブレトンウッズ機関によって見事に無視された。この生産体制は、アフリカの域内取引を犠牲にして欧米間の貿易を拡大するために設けられたものである(9)

取引は懇願ではない

 最新のアフリカ経済振興策は、2001年7月11日にルサカ(ザンビア)で開かれたOAU首脳会議で採択された「アフリカ開発のための新パートナーシップ(NEPAD)」だが、これも同類の域を出ていない(10)。このアフリカによるイニシアティブはインフラ、農業、教育、保健の4分野への優先的投資を基本とした経済戦略を定めたもので、資金の大部分を国際社会か外国直接投資に求めようとする。これではアフリカは、グローバリゼーションの錯乱したネオリベラリズムを免れないままだ。手綱を握っているのは多国籍企業の支配下にあるブレトンウッズ機関であり、調整役はカムドゥシュ前IMF専務理事である。アフリカ社会が世界経済に組み込まれるのに必要とされる条件を一つも満たしていない以上、この計画は常軌を逸している。

 アフリカの中で唯一世界市場で競争できる生産体制を備えた南アですら、グローバリゼーションの恩恵を受けるには程遠い。ヨハネスブルク株式市場は世界でも最先端の部類に入るが、1989年のアパルトヘイトの終焉以降、一部のリーダー企業(鉱業のアングロアメリカン、ビリトン、アングロゴールド、ビールのサウス・アフリカン・ブルワリーズ、金融のオールド・ミューチュアル、情報通信のディメンション・データ、製紙のサッピなど)はロンドン市場やニューヨーク市場に移っていった。このような南ア離れが税収を細らせ、大量の資本逃避を生み、ラント安につながった(南ア通貨ラントは2001年12月、ドルに対して40%価値が下がった)。

 他方、債務の軽減や取消について語ることは良心的ではあるが、黒人をふたたび懇願者の役割におくことになる。この議論では、開発についてアフリカと国際機関との間で結ばれた契約が遵守されていないことも忘れられている。事後評価報告によると、多国間銀行による融資案件の大半が目標額に達していないという(11)。だが、借入は金融取引として進められるものだ。もし取引が片方の当事者に損害を与える結果となったなら、その当事者は補償請求のために融資協定中の仲裁条項に訴えることができるし、訴えるべきである。

 いまだに閉じ込められ、自由になる望みのない人質に向かって、看守を訴え出るようにと求めるのは現実味がないことかもしれない。しかし、前例をつくるためには、どこか一国が踏み出すだけで十分だ。その勇気を持つアフリカの指導者は、自国の財産を過去からの遺産として未来の世代のために守り、さらには増やすことを自分の責務と心得るような人物でなければならない。不幸にも指導者の大半は、目先の利益のために自国の将来と国民を抵当にいれてはばからない。そして民族の分断をあおり、憲法をもてあそび、不正な選挙で権力の座にいすわり、思いつきの場当たり的な政治を行っている。彼らの唯一の関心事は、政権の延命と権力の維持でしかない。その結果がいかに惨憺たるものかは、独立後40年経ってもアフリカ人を「地に呪われたる者」にしている様々な問題が、なくなるどころか悪化すらしているのを見ればわかろうというものだ(12)

(1) 新興国とは、アルゼンチン、メキシコ、香港、ブラジル、台湾、中国、シンガポールなどである。
(2) イブラヒム・ワード「国家も採点する格付け会社」(ル・モンド・ディプロマティーク1997年2月号)
(3) ブレトンウッズ協定は1944年7月22日、当時の国連加盟国44カ国間で締結されたが、ソ連(当時)は批准しなかった。IMF、世銀の2機関が設立された。
(4) コレット・ブラークマン「ムガベ再選とジンバブエの土地問題」(ル・モンド・ディプロマティーク2002年5月号)、エリック・トゥッサン「債務スパイラルを断ち切ろう」(ル・モンド・ディプロマティーク1999年9月号)参照
(5) Cf. << Left out in the cold >>, Financial Times, London, 20 May 1996.
(6) << Reforms catch the eyes >>, Financial Times, 20 May 1996.
(7) HSBC's World Economic Watch, 11 October 2001(米商務省経済分析局が提供したデータに基づく報告書)
(8) 「アフリカ通貨基金は何のために?」(ル・モンド・ディプロマティーク1986年8月号)参照
(9) 「アフリカ経済の望ましい連合」(ル・モンド・ディプロマティーク1995年9月号)参照
(10) NEPADは南アのムベキ、アルジェリアのブーテフリカ、ナイジェリアのオバサンジョ各大統領が提唱したMAP(Millenium African Renaissance Programme)とセネガルのワッド大統領のオメガ・プランの統合によって生まれた。
(11) ジョセフ・スティグリッツ「エチオピアの事例に見るIMFの過ち」(ル・モンド・ディプロマティーク2002年4月号)参照
(12) アミナタ・トラオレ『想像力の強姦』(アクト・シュッド=ファヤール社、パリ、2002年)


(2002年7月号)

All rights reserved, 2002, Le Monde diplomatique + Shimizu Mariko + Saito Kagumi

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