化学兵器禁止機関の事務局長降ろし

アニー・ブリエ(Any Bourrier)
ジャーナリスト

訳・萩谷良

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 2002年4月22日、化学兵器禁止機関(OPCW)のブスターニ事務局長が、米国、日本などの主導によって、任期途中で解任された。3月に開かれた執行理事会で不信任決議が成立しなかったため、臨時総会という場を設けての強行だった。4月20日には、気候変動に関する政府間パネル(IPCC)のワトソン議長が、やはり米国の圧力により再選を阻まれている。一方的外交を進めるブッシュ政権は、国際組織の独立性という規範をも犯そうとしているのか。[日本語版編集部]

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 数週間にわたる抗争の末、米国はついに4月22日、国連化学兵器禁止機関(OPCW)の事務局長ジョゼ・マウリシオ・ブスターニを解任に追い込んだ(1)。このブラジル出身のベテラン外交官は、国連軍縮会議に携わり、1997年にはOPCWのトップに就任し、1年前に加盟145カ国の全会一致で再選されている。それが「どうしようもない運営」と「透明性、責任、および適切な判断の欠如」を理由として解任されたのだ。米国はさらに、彼の「気まぐれで恣意的なやり方」を非難して、OPCWの財政危機の責任もそこにあると主張した。

 だが、彼の失脚には、サダム・フセインとの対決政策を推進するためにOPCWを掌握しようとする米国政府の意向が働いている。ブスターニの「罪」は、イラクを説得して化学兵器禁止条約に加入させようとしたことにある。彼は就任以来、イラクのみならず、リビア、シリア、北朝鮮にも働きかけてきた。もしイラクが条約に加入すれば、すでに約50カ国に対してOPCWが定期的に実施している化学工場査察に従うことになる。条約は化学兵器の廃棄を義務づけているから、OPCWの枠組みでイラクの保有兵器も処分できるという考えだった。

 しかし、米国の共和党政権としては、そんな歩み寄りを認めるわけにはいかなかった。イラクに対し軍事行動を起こす論拠がなくなってしまうからだ。これに加え、ブスターニ事務局長が加盟諸国を大国の専横から守ろうと独立精神を発揮したこと、さらに、OPCWの査察官に米国内の化学工場を調査させようとしたことが、ブッシュ政権の逆鱗にふれた。前事務局長はまた、化学産業をもたない(したがって条約に調印する理由のない)貧困国とOPCWとの協力プログラムを発足させた。このプログラムでは、第三世界の技術者が母国で化学産業を興すことができるよう、毎年12人の奨学生を英国の大学で研修させる制度が設けられた。

 米国議会は化学兵器禁止条約をなかなか批准しようとしなかった。米国は、条約の草案づくりに関与した国でありながら、議会を説得するのに3年間を要した。反対派の急先鋒に立ち、上院外交委員会の委員長として強大な勢力をもつジェシー・ヘルムズの合意をとりつけるために、クリントン前大統領は、この問題に自分の威信を賭けた。議会の説得に失敗すれば、米国の対外的影響力は深刻なダメージを受けていただろう。米国はようやく1997年4月24日に、条約の75番目の批准国となった。だが、こと外国人による化学工場の査察となると、米国の拒絶反応の激しさは相変わらずだった。

 「そもそもの始めから私はいろいろな困難に遭遇した」と、ブスターニはOPCW本部のあるハーグで我々に語った。「米国はOPCWの査察官が自国内で調査を行うことを承知しなかった。化学工場の中に入ることすら認められないことも多かった。これでは、その工場で作っている化学物質が平和目的のものかどうか検証することはできない。もっとも大変だったのはサンプルの分析だ。米国の研究所以外のところで実施することはほぼ不可能だったので、分析結果が歪められていないという保証はまったくなかった。査察にあたって督促することも認められなかった。査察のたびに、米国はゲームのルールを変えようとした」

「運営の仕方が気に入らないからだ」

 査察官を潜在的なスパイとみなす米国政府は、彼らに条約遵守を要求されるごとに、ますます苛立ちを募らせた。しかし、ブスターニが強調しているように、「クリントン政権の時には、誠意のなさを感じることもあったものの、任務は遂行できた。ほんとうに困ったことになったのは、2001年初め、共和党政権になって数週間後からだった」

 軍備管理・国際安全保障担当の国務次官、ジョン・ボルトンが登場したのである。この保守派の人物は、レーガン政権の高官を務め、右派系シンクタンクとのつながりも深く、多国間機関、とりわけ国連に米国が関わることへの反対を隠したこともない。「ボルトンを軍縮担当に任命したのは、放火魔に花火工場の管理を任せるようなものだ。彼がどれほど硬直しているかは、ロシアとの核兵器管理交渉のさいに見せた強硬姿勢や、『スター・ウォーズ』計画への入れ込みようを見ればよくわかる」と、アナリストのイアン・ウィリアムズは明言する(2)

 ボルトン次官は任命されるや、ただちにOPCW事務局長に電話をかけ、辞職を迫った。「彼が電話をかけてきたのは私に命令を下すためだった」と、ブスターニは述べる。「彼の望みは、米国での査察結果のいくつかに私が目をつぶることだった。彼は私に対し、OPCWの一部のポストに米国出身者を任命して、同国の権限を強めることを要求した。事務局長になってから7年間、私はドイツその他の加盟国から圧力を受けてきたが、一度も譲歩したことはない。ボルトンに対しても譲歩はしなかった」

 同じくブスターニ前事務局長によれば、ボルトン次官は2002年3月、あるメッセージを携えてハーグに乗り込んだ。「合衆国政府は貴殿が明日、執行理事会の前にOPCWから離任されることを要求する。即座にオランダを出国されたし」。説明を求めると、厳しい言葉が返ってきた。「あなたの運営の仕方が気に入らないからだ」。米国は、この追撃にキリバスまで引っ張り込んだ。太平洋上300万平方キロの海域に散らばる3万の小さな島々からなり、バナナとココナツとサツマイモの輸出により、国民の平均年収が850ドルかそこらという国である。化学兵器禁止条約の締結国ではあるが、OPCWの分担金を払ったことのないこの小国が、ブスターニ降ろしに加わることを米国から求められた。4月の臨時総会でキリバス代表は、まず機関に対する未払金の精算を済ませた。それから事務局長解任に賛成票を投じ、この抗争劇が望ましい結末に終わると拍手で賛えた。

 OPCW事務局長の解任は、国際機関トップに対する一連の罷免攻勢の皮切りと受け止められている。「これらの機関の規則では、事務局長の辞任が禁止されている。任務の遂行に必要な独立性と自由を保証するためだ。こうした機関の長は、どんな大国によるものであろうと、加盟国の脅しを受けたり、その言いなりになったりしてはならないのだ。失職するのは次の選挙が行われるときだけだ」と、ブスターニは無念そうに言う。米国は「化学クーデタ」に成功した、と英国紙「ザ・ガーディアン」は書いた(3)。次の事務局長が決まるまでのあいだ、オーストラリア人の副事務局長ジョン・ギーが事務局長を代行する。前述のアナリスト、イアン・ウィリアムズによれば、他の国際機関の責任者のうちホワイトハウスが狙いをつけているのは、メアリ・ロビンソン国連人権高等弁務官(すでに辞任の意思を表明)、国連監視検証査察委員会(UNMOVIC)のハンス・ブリクス委員長、オスロ交渉に携わったテリエ・ロード・ラーセン中東和平特別調整官、そして、パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)のペーター・ハンセン事務局長である。コフィ・アナンの名前すら挙げられている。イスラエルのシャロン首相を封じ込めようとした最近の動きが、大きく不興を買ったのだ。ウィリアムズは言う。「米国政府が国連事務総長を辞任に追いやるキャンペーンを始めても驚くにはあたらない」

(1) 賛成48、反対7、棄権43(フランス含む)という票決により、米国の要求する解任動議の可決に必要な、過半数の出席国中の有効投票の3分の2という特別過半数に至った。
(2) << The US Hit List at the United Nations >>, Foreign Policy in Focus, Silver City-Washington, 30 April 2002. http://www.foreignpolicy-infocus.org/
(3) 2002年4月16日付


(2002年7月号)

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