アラブ系フランス人の政治意識

ラバ・アイト=ハマドゥシュ(Rabah Ait-Hamadouche)
ジャーナリスト

訳・瀬尾じゅん

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 「治安悪化」が焦点とされた選挙運動のなかで、フランス社会のトラブルメーカーとして名指しされた郊外団地の住民たちの反応は一様ではなかった。投票することで政治を変えたいと願った者や、憤りを表明した者もいたが、政治そのものにうんざりして棄権した者もいた。アラブ系の閣僚が2人入閣したとはいえ、下院の構成が、現実のフランスの文化や社会の多様性を反映しているというよりも、連続テレビドラマの配役のように偏っているのは事実である。そこに国民とその代表たる議員との断絶の原因があるのではないか。[訳出]

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 長い壁がどこまでも続くグランド・ボルヌの町。パリ南方30キロのエッソンヌ県グリニー市にあるこの巨大な団地は、高速道路A6号線と国道445号線にはさまれている。空中からの眺めは、ほとんど詩的とさえ言える迷路のようだ。小さな建物、小さな広場、芝生や大きな彫刻が、複雑な調和をかもし出している。団地を設計したエミール・アイヨーによれば、この1960年代のユートピア的建築物の中心コンセプトは子供たちだった。地上に降りると現実がはっきりと見えてくる。ベランダもない老朽化した建物が続き、四角い芝生やねずみ色のコンクリートがあちこちに連なっていて、どこもかしこも荒れ放題だ。

 まさに町の中にできた町。問題地域という風評を数字の威力が支えている。調査によれば90ヘクタール、3600戸に、1万5000人、52の国籍の人々が住む。さらに強烈な統計もある。4人に1人が失業中、2人に1人が25歳以下、4人に1人が移民で、数百人が立ち退き勧告を受けているという。

 社会的危機がくすぶる中心点として、「恐ろしい町(1)」は恥ずべき病のようにその悪名をとどろかせている。失業、不安定な生活、治安の悪さに対する不安、社会からの排除が、ここの住民には日常茶飯事となっているのだ。グランド・ボルヌは周りと違った別世界となり、平和に暮らしたいのなら知っておいたほうが身のためとなる暗黙の了解、決まり事、固有の掟に支配されている。ここは「フランスの底辺」というよりも「フランスの外れ者」、国民共同体の下位集団として突き放された社会なのだ。

 町の入り口、ダミエ広場に立つ掲示板には「ドライバーの皆さま、この団地には8000人の子供がいます。安全運転をお願いします」と書かれ、地域の特色を物語っている。この日の夕方も子供たちが遊んでいた。その周りでアジア系、アラブ系、ヨーロッパ系の3世帯が、押し黙ってにらみ合っていた。社会的な絆が失われた結果、町に満ちているのは不信感だ。いわゆる「生粋」のフランス人がほとんど転出し、ゲットー化してしまった町の住民は、見捨てられたという感情を強めている。その大半はアフリカ系やマグレブ系の移民で、長年ここに暮らしてきただけに、精神的にも空間的にも激しい閉塞感を感じている。

 この不安定な状況に、さらに人種差別的なムードという「象徴暴力」が付け加わる。町に残ったフランス人は、こうしたムードに日常的に苦しめられていると訴える。「ここに住む哀れな白人たちの多くは侵略されたように感じていて、じっと家に閉じこもっている。それほど我々を怖がっているのだ。9月11日以降はそれがさらにひどくなった。これまでも泥棒あつかいされていたアラブ系は、今じゃ、テロリストにされている」とチュニジア系の若い父親、アブデルは証言する。とはいうものの、長年付き合っている住民たちの連帯感が完全に消滅したわけではない。立ち退き勧告に抵抗する借家人の会、母親の会、裁縫クラブやその他の交流の場は増えている。フランス人、移民を問わず、多くの住民にとってこの団地は社会の越えがたい終着点であり、抜け出すことのできない「立場の悲惨(3)」そのものなのだ。

 グランド・ボルヌでは大統領選第1回投票の夜、14.6%の得票を得た極右政党が現職大統領シラク(12.5%)を抜き、しかし1位の首相ジョスパン(25%)には大差をつけられて第2位になった。第2回投票では、住民の大半がルペン氏に反対してシラク氏に投票した(14%対86%)。棄権率は44%から30%にまで下がった。

 実際にルペンに投票した人間を見つけるのは至難の業だ。一部の新聞は確証もなく噂にあおられ、「アラブ2世票」が国民戦線党首に回ったのだと報じた。中東研究所の研究者ヴァンサン・ゲセルは、この何の根拠もない「空想的」主張(4)を斥ける。彼によれば、こうした主張が白眼視とあいまってイスラム排斥ムードを増長させている。「どの調査結果を見ても、ムスリム系フランス人の大半は極右を拒否している。国民戦線は彼らを名指しで標的にし、移民の過去を否定し、かつてのフランス領アルジェリア支持勢力の後継者となっている。反対に、ごく一部に構造的なルペン票が見られた。その点はユダヤ系と同様で、この二つのグループの現実の敵対感情が反映されている。お互いに相手に打撃を与えるためにルペン票を利用したのだ」

投票に行かない理由

 確かに言えるのは、このベッドタウンの移民系の住民が、ますます治安問題に敏感になっているということだ。それももっともで、ありとあらゆる「蛮行」や破壊行為の第一の被害者は、新しくやって来た移民系の家庭である。郵便受けが壊され、エレベーターや自動車がぼこぼこにされる。革命記念日やクリスマスになると決まって起こる自動車の放火は年々ひどくなるばかりだ。

 アルジェリア人とモロッコ人の両親を持つ、失業中の父親カデルは言う。「治安の悪さは、はっきりと目には見えないが、ひしひしと感じられる。そして、あるとき、こんなふうに無言のうちに爆発するのだ。ここの住民は自分の不満を言葉にせずに、暴力でそれを表現する。しかし、治安の悪さということで真っ先に思い浮かぶのは、子供たちの命を奪っている悲惨な状況だ。つまり、壊れたエレベーターの穴の中に落ちてしまうのだ」

 町の住民は、自分たちの日常生活を脅かす少数の乱暴者から距離をおくことにもはや躊躇しない。うんざりするような状況のもと、コンプレックスを振り払った住民たちの間には、急進的な意見が湧き起こっている。社会的な烙印を自分たちの内側に向け、ルペン派のお決まりの主張を使い回す者すらいる(5)。30代の「兄貴分」たちは、とにかく抑えつければいいという意見には賛同しないものの、年下世代がなんの目標も持てず、他人への敬意を欠き、金と力に魅せられていることを懸念する。「お巡りの挑発が減ってましになったとはいえ、治安の悪さにはうんざりだ。自分の車が盗まれたり燃やされたりするのはごめんだが、右翼政権なんていうのもぞっとする。フラッシュボール(6)なんてものは、警察のやりすぎを招きかねない」。この夏には、すぐ近くに警察署が開設されることになったという。

 アルジェリア系フランス人で27歳のアゼディヌとチュニジア系で24歳のサフワンは、小市民をおびえさせる「野生児」のいでたち、つまりトレーナーにスモークのサングラスでびっしり固めている。彼らはミノタウロス通りの小便のにおいがこびりついた荒れ果てたホールに不法居住している。かなり早くに学校を退学になり(7)、社会と縁を切った二人の若者は、ずっとここに住み着いているのだ。政治だって? 彼らはそんなものは気にしない。「どうして投票に行くんだい。ルペンが勝とうがシラクが勝とうが、俺たちの生活はなんにも変わりはしないよ。政治屋どもは、こっちがゲットーで暮らしてるなんて知ろうともしない。ここに暴力があるのは生き延びるためだってことをわかろうともしないんだ。むかし一度だけ、やつらが俺たちをフランス人として認めたことがあった。ヴェルダン(8)だよ。最前線で殺されまくったときだ。フランス人は移民の存在を認めようとはしない。そしてそのことを毎日俺たちに思い知らせるのさ。そういうわけで、みんな自分さえよけりゃどうでもいいんだよ」

 アルジェリア系フランス人で、この町で5年前から教育指導をしているサイードは、名誉の問題だと言う。「僕の両親は移民だけど、ここで30年暮らしていて、みんなと同じように税金も払っている。二人が地方選で投票できるようにならないかぎり、僕も選挙に行くつもりはない。二人はフランスで腰が曲がるほど働いたっていうのにね。僕たちのことを気にかける人なんていやしない。国民戦線の第一の標的にされたというのに、選挙の前も最中も僕たちに会いにきたこともない。要するに、大人には『黙ってろ』、子供には『勝手にぐだぐだ言ってろ』という態度なのさ」

 市民団体「移民と郊外の運動」によれば、移民系フランス人の大半は大都市の周辺に住み、投票には行かず、ほとんどが有権者名簿に登録さえされていないという。そして、移民系ではないが同等の階層のフランス人と同じく、できあい政治への非常に激しい拒否反応を示している。

見放された社会党

 こういった背景のもと、2002年4月21日の大統領選第1回投票が与えた集団的ショックは、一種のカタルシスとして働いた。町のスポーツ振興担当のロベールは、あのときの若いアラブ系2世たちの不安を語る。「国外追放の危険が迫っていると、彼らは完全にパニックに陥ったのです」。セネガル系の21歳のジブリルは、市民としての真の目覚めだったと言う。「ルペンが通るなんて誰も考えていなかったけれど、僕の友達はみんな、朝早くからシラクに投票しに行った」。アルジェリア系で24歳、営業マンのマンスールはこの選挙のときのことが忘れられない。第2回投票の「5月5日の朝、投票に行くようにと母が起こしに来ました。今まで家族で政治について話したことなんて一度もなかったのに」

 移民系、特にマグレブ系のフランス人がもはや何よりも我慢できないのは、誰かが彼らの代弁者のような顔をしてみせることだ。人種差別の不当性が問われなくなりつつあるだけに、発言を横取りされることは耐え難いものとなり、自分たちは違法な市民なのだという感覚をさらに少し強めることになる。意識覚醒の広がりが具体的な形をとり、共通の将来を考えていこうという気運が生まれていく。

 社会科学高等研究院の研究主任、ファルハド・ホスロハヴァルも言う。「数年前から、胎動は感じられました。しかし4月21日、新しい関与の姿勢が生まれたのです。以前は地中海の両岸に引き裂かれて迷っていた移民系フランス人の意識が、フランスへ戻ろうとしているのです」

 すでに数カ月前から、イスラエル・パレスチナ紛争が新しい意識を形づくっていた。政治的感情に火をつけやすい第二次インティファーダは、イラク国民を守れというのと同様、この紛争が自分に関係があると感じるマグレブ系フランス人にとって敬意を払うべき戦いとなっている。彼らから見れば、社会に押しつけられたネガティブなイメージを埋め合わせる「正しい大義」なのだ。27歳の熱心なムスリムのアリは、「あの人たちは私のイスラムの兄弟だ」と簡潔に述べる。ビル・ゼイト大学での事件(9)以来、彼は「ジョスパンはシオニストだ」と考えていて、他の大勢のムスリムと同様、極左政党「革命的共産主義者同盟」のブザンスノ候補に投票したと打ち明けた。

 この町では、広く根付いたアイデンティティとしてのイスラムを背景として、中東情勢の展開につれて大きな潮流がうねり始めている。一部の若者がイスラエル人とユダヤ人を同一視し、反ユダヤ感情を公言するとしても、反ユダヤ主義が高まっているとか、いたずらにコミュニティ意識が強まっているとか、一概に非難することはできないだろう。社会学者のアズズ・ベガグによれば、市民意識に目覚めた者たちの大半は「関心を向けられずにいる権利」を主張しているにすぎない。「イスラムを前面に立てる者がいるとしても、それをもってコミュニティに閉じこもっているというのは嘘になる。フランスのマグレブ出身者は統合主義である。その証拠に、彼らには異民族間結婚が非常に多い」と言う(10)

 あらゆる批判の的となり、この新しい急進的な動きのあおりを被ったのは、与党の座にあった左翼政党である。「移民の子供たち」を政治の道具に使い、暴力や人種差別、社会的排除といった問題にはっきりと取り組まなかったことを非難されているのだ。外国人犯罪者が出所後に入国禁止にされるという二重懲罰、非正規滞在外国人、そして移民の投票権の問題に臆病すぎるという烙印を押された社会党は、もはや完全に見放された。

コミュニティ主義とは違う

 心理的なバリヤは飛び越えられた。選挙に対する移民系市民の態度が普通になったことが、フランス社会への統合を象徴している。サンテチエンヌ大学の社会学研究者、アブデルカデル・ベルバーリは次のように述べた。「左派の支持者が大量にシラクに投票したことで、多くの移民系フランス人にとって右派への投票に対するタブーは破られた。それに社会党は、イスラエル寄りの立場をとってきたうえに、郊外の諸問題に手をこまねいているだけで、いたずらに治安問題を煽り立てたと非難を浴びている。さらに左派政権が批判されているのは、移民系の若い世代に対して政界の扉を閉ざしたことだ。シラクはこのことをよくキャッチして、トキア・サイフィ(11)を入閣させた」

 第二次大戦中のドイツ占領からのフランス解放以来の共産党勢力圏であり、共産党と社会党がつばぜり合いを展開するグリニー市は、市議会にマグレブ出身者が5名いるが、やはり同様の批判を受けている。27歳で無職、1995年に市会議員に選出されたバスマ・ベンサイドは、市長の当選第一主義を激しく非難した。「市長はアラブ票を集めるために私のところにやって来て、立候補するように要請したのです。それは単に私がこの辺りではよく知られていたからです。前回の選挙のとき、市長は私を支持派にとどめておくために助役の地位を約束しました。でも選挙が終わると、私が移民系なので、彼らに言わせるとグリニー市民の反発を買うということで遠ざけられました。ひどいことに、マグレブ系の議員たちは議場の後ろに追いやられ、現実にはなんの発言力もないのです。それで私は右派に乗り換えました」と言う。

 トゥルーズの活動団体「Motive-e-s(やる気のある者たち)」(12)をモデルにして、この町でもさまざまな運動が組織されている。「彼らは我々に、移民ならば自動的に社会党か共産党に投票するものだと信じ込ませようとしてきた。でも、そういう慈悲に訴えるようなやり方はおしまいだ。アラブ2世らしさを高みから指図されることには、もうなんの意味もない。風の吹くままに流されるのはもうたくさんだ」と、モハメド・ウルジクは苦々しげに言う。彼が非公式に始めた抗議運動によって有権者名簿に登録された者は400人を超える。「我々は出身地の区別のない団体だが、この町の社会的構成からして、過半数はマグレブ系ということになる。活発に社会参加をするために、全面的な市民権が欲しい。これは知的解放の運動なのだ。我々には教育、治安、差別、そしてほかにも繰り返し議論される多くの問題に対する提案がある」

 モロッコ系のダンス教師、モハメド・ムスタミドのコメントもこの新しい考え方を裏付ける。「自分の存在を認識してもらうためには政治的な代表を持たなければならない。僕自身は、他のやる気のある若い人たちと一緒に次の市議会選挙で何かやろうと準備している。僕たちの話を聞いてもらうためには市長の耳元に立って意見を述べる必要がある」

 市民団体「フランスと絆」はこの解放の論理を徹底し、今回の下院選挙ではグリニー市で社会党のジュリアン・ドレイ議員に対抗して、ブラック・ブラン・ブール(黒人、白人、アラブ系)というグループを結成した(13)。この現職議員は治安問題に対する発言で信用を失っていた。「裏切られた気分がして、自分たちには代表がいないんだと思った。我々はこの選挙区においてゆるぎない政治的パワーとなり、この活動を長続きするものにしたいのだ。だからといって、この動きがコミュニティ主義とは違うことに注意してもらいたい。我々は、文化や世代の混在に賛成の立場だ」と候補者名簿第1位、26歳の学生のファリド・ディアブは力強く語る。

 人種差別反対・平等推進をうたって1983年に全国規模で展開された「アラブ系の行進」から20年近くがたち、新世代のフランス人は自分たちの持っている力を意識し始めた。この市民権への渇望はこれからも続くのだろうか? 教師でもある市会議員のジェルル・アティグは楽観的だ。「活動は、まだ始まったばかりだ。我々の主張は前向きに受け止められているという手応えがある」

(1) カロリーヌ・マンジェ『恐ろしい町』(アルバン・ミッシェル社、パリ、1999年)
(2) アマール・ヘンニ、ジル・マニネ『無法の町』(ラムゼイ社、パリ、2000年)
(3) ピエール・ブルデュー『世界の悲惨』(スイユ社、パリ、1993年)
(4) 1905年の政教分離法により、宗教的、民族的帰属を統計基準とすることは禁じられている。
(5) ノルベルト・エリアス、ジョン・L・スコットソン『社会的排除の論理』(ファイヤール社、パリ、1997年)
(6) 2002年5月16日、内相は地域の警官によるフラッシュボールの使用を許可した。これはゴム製の弾を使うピストルで、使い方によっては致命傷を与えることができる。
(7) ステファヌ・ボー、ミシェル・ピアルー「職業高校の生徒と町の労働者との対話」(ル・モンド・ディプロマティーク2002年6月号)参照
(8) 第一次世界大戦の激戦地となったフランスの要塞。[訳注]
(9) 2002年2月、ジョスパン首相はパレスチナのビル・ゼイト大学で、レバノンのシーア派民兵組織ヒズボラの「テロ攻撃」を非難し、怒った学生が投石する騒ぎとなった。[訳注]
(10) 1999年、フランス国籍者と外国籍者との結婚は3万組で全体の10%にあたる。20年前は5%にすぎなかった。さらに出自の異なるフランス人同士の結婚もあるが、これは多すぎて数えられない。出典:国立人口研究所
(11) 持続的開発担当相。さらに下院選後の組閣の際、アムラウィ・ムカシュラが在郷軍人担当相に任じられ、現ラファラン内閣はマグレブ系の閣僚2人を数える。[訳注]
(12) トゥルーズで音楽グループ「ゼブダ」と連携して活動し、2001年の市議会選挙で10%を超える得票を上げた団体。各地にも同名の団体が作られている。[訳注]
(13) このグループは今年6月9日の下院選で、労働者の闘い(0.8%)、エコロジー世代(0.4%)などを抜いて第2位につけた。


(2002年7月号)

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