ベネズエラ再クーデタの危険

イニャシオ・ラモネ(Ignacio Ramonet)
ル・モンド・ディプロマティーク編集総長

訳・北浦春香

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 ベネズエラ大統領に対して4月11日におこされたクーデタ(1)を振り返ってみよう。チャベス大統領はほどなく復権したが、この特異な(まさに教科書通りの)クーデタが突き付けた課題が克服されたとはとても言えない。首都カラカスにおける新たな軍事蜂起を回避するには、この課題を直視することが不可欠だと思われる。

 今回の犯罪行為を前に国際社会が沈黙していることには驚きを禁じ得ない。この政権は自由を最大限に尊重しつつ、穏健な方法で社会変革に取り組んでおり、ラテンアメリカでは類を見ない社会民主主義の実践例となってきた。

 それを考えると、フランスをはじめとしたヨーロッパ各国の社民政党が、ベネズエラで自由があっけなく崩壊していたさなかに沈黙を守っていたことは嘆かわしい。これらの政党の歴史的指導者の中にはゴンサレス前スペイン首相のように(2)、このクーデタを正当化してはばからない者までいた。国際通貨基金(IMF)や米国大統領、それに欧州連合(EU)の現議長国スペインのアスナール首相が熱烈な支持を示したのに同調したのだ。

 選挙により選ばれたラテンアメリカの大統領を軍が転覆した最後の事例は、ハイチのアリスティド大統領が追放された1991年9月にまで遡る。冷戦が終わり、反共産主義の旗印の下で70年代から80年代にかけて南米の独裁政権樹立を助けた米国の「コンドル作戦」(3)の精神は、もはや過去のものになったと思われていた。自由な選挙により生まれた政権に対する政治的陰謀は、必ずや糾弾の対象となると考えられていた。

 2001年9月11日以降のワシントンに充満する戦時意識が、こうした良心を吹き飛ばしてしまったようだ(4)。ブッシュ大統領の言葉の通り、「我々の側に付かない者は、テロリストの側に付いた」と見なされる。そして、チャベス大統領はどう見ても独立心が強すぎた。米国の嫌う原油輸出カルテル、石油輸出国機構(OPEC)に活を入れたのは彼だった。イラクのフセイン大統領とも会談し、イランやリビアにも足を運んだ。キューバとの国交を正常化し、ゲリラ掃討を図るプラン・コロンビア(5)を支持しようとしなかった。

 ベネズエラ大統領は打倒すべき人物となった。しかし米国も、例えば1954年のグアテマラ、1965年のドミニカ共和国、1973年のチリなどでかつて行ったように、武力に訴えることはできなかった。ベネズエラ問題を手がけるライヒ国務次官補(西半球担当)は、ここ10年の間にラテンアメリカにおいて、民主的に選出された大統領のうち6名がクーデタによらずに政権を追われていることに注目した。つい最近ではアルゼンチンのデ・ラ・ルア大統領の例があった。軍によってではなく、民衆による政権転覆である。

 この方法が、チャベス大統領に対しても採られることになる。まず、カトリック教会(主にオプス・デイ(6))、特権的な財界人、企業経営者、白人ブルジョワ、腐敗した中央労組といった富裕層が手を組んで、「市民社会」として名乗りを上げた。次に、大手メディアの経営者が陰で密約を結び、「市民社会」の防衛を旗印とした反大統領キャンペーンに乗り出した。

 メディアは嘘をつくこともまるでいとわず、「チャベスは独裁者だ」という固定観念を広め、世論を焚き付けた。ベネズエラには政治犯がまったくいないにもかかわらず、「チャベスはヒットラーだ」とする論調すらあった(7)。スローガンはただ一つ、「あいつを倒せ!」

 民主的な大統領を倒そうと謀る経営者の下で、メディアは「民衆」「民主主義」「自由」といった言葉に酔いしれた。そして街頭デモを組織し、政権側が少しでも反論すれば「表現の自由に対する重大な侵害」であるとして国際組織に告発した(8)。こうして反政府ストを再燃させ、大統領公邸襲撃とクーデタを後押ししたのだ。

 ともするとプロパガンダに傾きがちなメディアは、仮想の民衆と実際の民衆とを混同した。4月11日のクーデタが仮想の民衆の名において行われたのに対し、実際の民衆は2日も経たないうちにチャベス大統領を政権に連れ戻した。これに対してメディアが反省の色を示したのはわずかの間だった。ベネズエラのメディアは何らの処罰も受けないのをいいことに、さらに攻勢を強めている。そして現在もデマや撹乱情報の発信を続け、民主的に選ばれた政府に対して史上前例のない揺さぶりをかけている。世界の目が向けられていないところで、今度こそ完全犯罪を成し遂げようとしているのである。

(1) モーリス・ルモワーヌ、「『市民社会』を装ったベネズエラのクーデタ未遂」(ル・モンド・ディプロマティーク2002年5月号)参照。
(2) エル・パイス紙(マドリード)2002年4月12日付。
(3) ピエール・アブラモヴィシ、「コンドル作戦はいかに展開されたか」(ル・モンド・ディプロマティーク2001年5月号)参照。
(4) 『21世紀の戦争』(ガリレ社、パリ、2002年)参照。
(5) 麻薬対策などをうたった政府の社会経済計画。アメリカが強力に支援しており、左翼ゲリラ対策の色合いも強い。[訳註]
(6) スペインのエスクリバー・デ・バラゲル師が1928年に創設した保守的なカトリック組織。ラテン語で「神の御業」の意。[訳註]
(7) 月刊誌エクセソ(カラカス)2002年4月号の論説など。
(8) 国境なき記者団は、民主的な政府に対する醜悪きわまりないメディアキャンペーンに目をつぶり、情報操作にたぶらかされ、チャベス政権を批判するリポートを発表してきた。しかし、この政権が表現の自由の侵害やメディアの発禁を行ったことはなく、ジャーナリストを一人として逮捕したこともない。


(2002年6月号)

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