フランス大統領選が見せつけたもの

アンヌ=セシル・ロベール(Anne-Cecile Robert)
ル・モンド・ディプロマティーク編集部

訳・三浦礼恒

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 2002年5月、フランス大統領選の決選投票までの期間は、民衆デモの大きな広がりによって記憶に残るものとなった。それらのデモに「政治願望」の表れを見てとる者もいた(1)。しかしこの異例のデモと、その原因となった極右候補の決選投票進出という事件が浮き彫りにしたのは、代表制の根深い危機にほかならない。中間集団、とりわけ政党は、現実社会とのギャップを深めつつある。現在の危機は、政治権力が以前からずっと正統性を失って、行き着くところまで来てしまった結果なのだ。それは民主制にとって破壊的な影響を及ぼす。

 この20年間、いわゆる政権担当政党は公的活動の抑制を唱え、その理論化と組織化を進めてきた。彼らによれば、国民国家の衰退、グローバリゼーションへの統合、欧州連合(EU)の進展という動きの中で、政治の役割が低下し、さらには政治の「弔い(2)」が出されるようになるのは当然のなりゆきである。バルニエ欧州委員(フランス出身)は最近の発言で、そこには「言わないことによる偽り」があると述べた。つまり、「大統領選の候補者による公約が、EUとの間で権限を分け合う分野に属している」ことは、「大きな秘密」として市民に隠されているのだという(3)。社会党政権は1983年に緊縮財政に転じて以来、こうした流れを「外からの制約」という呼び方で国民に認知させてきた。

 たしかに、まじめな評論家なら「時代は厳しく選択の余地は少ない(4)」ことを否定したり、一国の枠組みへと「引きこもる」ことを提唱したりはしないだろうが、画一思想の推進者たちが好んで脅かしに用いる「制約」という主張は決して中立的なものではない。この種の主張は民主制と同じくらい古くから、既成秩序を正当化するのに役立ってきた。すでに1791年の段階で、私的所有権の見直しによって1789年の成果を超克すべきだと考えたバルナーヴ(5)は、「革命の終わり」を宣告しようとした。このように制約という主張は、改革に熱意を燃やす左翼の牽制を常に意図していた。1936年に週40時間労働と長期休暇が法制化されたときも、フランス企業の経営を悪化させることになるといった危惧論が語られた(6)。だが、当時の人民戦線内閣は、頑迷な大統領に向かって「これは私の政策プログラムの一部だ」と切り返すブルム首相によって率いられていた。

 今日では現実主義が徹底的に押し進められ、あらゆる社会運動や社会闘争に対置されている。たとえばジョスパン首相(社会党)は1999年に、大量解雇の波に対する政府の無力を認めるに等しいショッキングな発言を行った。「ミシュラン社の出来事(7)を前にして、現代経済の動向を忘れ去るようなことがあってはならない。(中略)私はもはや経済が管理可能であるとは思わない。(中略)今日の経済は法律や文書、行政によって規制されるものではないのだ(8)

 このような公権力の抑制により、不安定な状態におかれた社会集団は荒波にもまれることになる。「グローバル化とEU化の進行」という制約の重圧が、いつも同じ社会階層にのしかかってくること、またジョン・ケネス・ガルブレイスが強調したように、「重荷と見なされる政府支出が、ひとえに満ち足りた多数派以外の人々のためのものであり、明らかに、貧しい人々のためのものである(9)」ことは、誰もが認めるところだろう。この「制約」は、現実主義を大義名分として保守的な選択を正当化することにより、有権者に示される政策の「提案」を画一化する。そして「貧困層」、労働者、社会秩序から取り残された人々、「被支配者層」といった多くの社会層を代表制からはじき出していく。

 支配層がこれらの人々の側に立って語り、彼らの利益を擁護していると主張し、それが時にはまったくの本心からであったとしても、彼らが正しく代表されるようになるわけではない。このような主張は、搾取された人々の闘争を貧困者扶助に置き換えるものでしかない。同様のすり替えは、2001年に社会党パリ支部が出した会報にもはっきりと見てとれる。「我々にとって、社会主義とは文字通りに言えば、ジョレス(10)やブルム、さらにはマルクスやゾラ、より近いところではピエール神父(11)やコリューシュ(12)のような人々がもたらした基本的価値観、これを我々の生活の中へ組み入れていくことである」

2つの問題

 政治権力が抑制されれば、民主制全体が傷を負うことになる。政治的な選択が「客観的な制約」ということで済まされるならば、代表制の原則そのものである普通選挙制は有名無実になってしまい、支配の暴力性が思いがけない方向から牙をむく。それを見せつけたのが今回のフランス大統領選である。第1回投票では、左右両派を問わず「制約」を唱える候補は有権者に見限られた(シラク候補は現職でありながら20%未満という異例の低得票に終わり、首相職にあったジョスパン候補は決選投票に進めなかった)。そして、彼らのような経済宿命論にくみしない対立候補が、不合理で排外主義的な主張にもかかわらず、労働者をはじめとする大衆的な支持を得て、決選投票へ進むこととなったのだ(13)

 左翼政権による反社会的な政策の推進がどれほど民主制にとって破壊的であったか、そこの見通しが甘かったと言える。社会的、文化的な退行に満ちた政策を引っさげた極右政党は、民主的諸派が手を引いたところで政治的地歩を固めていった。現状追認的な政治への異議申立は、さらに別の形でも表明されることになった。今回の投票での棄権率の高さ、白票や無効票の記録的な多さ、得票率が5%ライン(14)の前後と善戦した泡沫候補の乱立である。この最後の点に関しては、必ずしも有権者が意中の候補の大統領就任を「実際に」望んでいたわけではないという事実のうちに、代議制をむしばむ閉塞感の深さがにじみ出ている。

 現在の危機は、一方では公的活動領域(地方、国家、EU、世界)の設定に、他方では政策構築の行き詰まり、つまり現実を見据え、そこにある問題を解決する能力の行き詰まりに関わっている。なぜならば、政治権力の稀薄化は、一方ではグローバリゼーションへの統合という力学の問題であるとともに、他方ではクロード・ルフォールの述べた意味におけるイデオロギーの問題でもあるからだ。ルフォールはマルクスを踏まえ、イデオロギーとは合理的主張の装いのもとに、社会秩序の基盤、正統性、そして変遷に関して疑問を投げかけるのを封じる役割を果たすものであると分析した(15)

 しかも、これら2つの問題は相乗効果の関係にある。「政治は無力なのだから、社会やその『大株主』である市場へ権力を譲り渡そう。現実が把握できなくなっているのだから、公的活動はもはや終わりだと公に認めよう」。政治が専門化し、国民による付託である以前に職業となったのは、こうしたプロセスの論理的な帰結である。そこで遂行されているのは管理であって、代表ではないのだ。

 とはいえ、政治権力の権限喪失が力学として、またイデオロギーとして進行している大きな原因は、「制約」が大げさに述べ立てられることにある。これはクロード・ルフォールが「イデオロギーのイデオロギー的誤認」と呼んだ領域に属するものだ。事実、グローバリゼーションの起源は、まずアメリカで決定が行われ(たとえば1971年にニクソン大統領が金・ドルの交換停止を決定したことで変動相場制が広がった)、それにかつては欧州共同体(EC)、現在ではEUが追従してきた(たとえば単一欧州議定書により資本移動が自由化された)ことにある。

 そして政府首脳は、行動手段を市場に譲り渡し、自らの権限喪失をもたらす条約を採択することで、進んで自分の手を縛っている。世界貿易機関(WTO)のように、政府に制約を課す機構や国際協定のたゆみない創設と強化は、常に彼らの同意のもとに行われてきた。もし多国間投資協定(MAI)が復活することになれば、企業の選択に国家が反対するのを封じる「法的安全装置」が一通りの完成をみることになる。EUの場合には、全加盟国によって採択され批准されたマーストリヒト条約などの諸条約、そして財務規律に関わる「安定・成長協定」も、同じく政治権力を拘束するという役割を果たしている。

宿命論を超えて

 このように法は、国民の代表者たちが自らへ向けた恐るべき武器と化している。19世紀の社会闘争によって生み出された労働者の国際主義と違って、グローバリゼーションは民主的な構想ではない。それは逆に、現実の「客観的」な認識を大義名分として、代議制と普通選挙の終わりを告げるものだ。国際主義とグローバリズムという2つの言葉が無差別に用いられることも、民主制の退化をさらに助長している。

 しかしながら、制約をこのように大げさに述べ立てること自体に矛盾がないとは言えない。特にアメリカ政府の場合、自らの利害に関わるとなると、グローバル化された秩序という束縛を振り捨てることすらいとわない。たとえば2002年3月には、自国の鉄鋼業界を保護するために関税を大幅に引き上げた。EUでも同じように、加盟国政府は重要な行動手段を手放さないままでいる。つまり、各国首脳が対等な代表権をもち、コンセンサスに基づいて決定を下す場である欧州理事会(首脳会議)が、決定的な役割を握っている(16)。新しい条約を作ったときには、すべての加盟国によって批准される必要がある。そして、拒否権への加盟国政府の固執は、2000年12月のニース首脳会議でも重要な争点となった。この点に関して言えば、大統領選での高得票率(決選投票では82%)という特別の正統性を手にしたシラク大統領が、2002年6月21日から22日のセビリア首脳会議の際に、EU機構の改革提案を突きつけることも考えられなくはない。

 広められてきた固定観念と現実の間の断絶にこそ、政治の危機の原因があるとともに、その解決の道もあると言える。政治権力の地盤沈下と社会的宿命論の復活が進むにつれて、民主制と不可分の何かが破壊されていく。その何かとは、現在の苦しみを克服する展望を示しながら、苦しみに堪えることを助けるような「別のあり方」を思い描き、夢みていこうとする志向性だ。あるいは、こうも言えるだろう。自由主義イデオロギーの勝利は、あたかも全体主義の展開と対をなすように、「事実の独裁」を打ち立てる。そこでは個別の社会集団が持つ経済上、社会上の短期的な利害が、共同体全体の長期的な利害よりも上位におかれる。世界に不公正があっても知ったことではない。「別のあり方」など考えられないのだから、と。さらに「地球村」といった言い方が、人々の共生や中立を連想させることで、そこに働く社会的関係に対する目を鈍らせる役割を果たしていることも指摘しておきたい。

 政策提案を再構築するには、「別のあり方」を奪還することが不可欠だ。その基盤となるのは、世界とそこに働く支配関係に関する批判的な分析である。そのためには、資本主義の論理に対置された全体主義体制の記憶による挫折感と恐怖感が、実際にそうした体制に加担することのなかった左翼によって特に克服される必要がある。事実、反功利主義的な経済学者であるアラン・カイエが強調するように、政治の自制はまさに「資本主義がマルクスの記述のとおりに動き出した」時期に始まっている。「政治的な規制のみならず道徳的、倫理的、文化的な規制を含め、あらゆる規制を振り捨てた資本主義は、もはや他の原理によって埋め合わされることもなく、他の何ものに対していかなる責任も負うことがない(17)」と彼は言う。

 やり直す必要があるのは、まさに政治文化の変容プロセスなのだ。さもなければ「政治願望」は、相互の関わりを持たない仲間意識へと成り下がってしまう。たとえば、2002年5月1日の反極右デモの中で、「なんだかワールドカップで優勝したときみたい」と叫んだ若い女性の言葉にも、こうした文化の混同がうかがわれる。とはいえ、文化変容が有権者全体へと及んでいて、「制約」に関する主張が自由にものを考える「習慣を忘れさせて」きたことを見失ってはならない。ピエール・ブルデューは1992年に次のように述べた。「私に衝撃を与えるのは政治家の沈黙である。彼らには見事なほど、人々を動かすような理想が欠けている。(中略)良心を欺くことなしに意思を動かすことのできるような現実的な理想世界、これを再構築するという共同作業の条件を整えることが急務である(18)

 公的な規制を行っていく方法と場(地方、国家、EU)を確定する必要がある。それらがこっそりと、民主的議論の外側で練り上げられるようなことはもはや許されない。完全に自由な発想のもとに練り直されるべき政策提案は、この方法と場という基本的な選択を核心に据えなければならない。自由主義グローバリゼーションに対抗できるような出来合いの構想が、今すぐに出てこないとしても問題ではない。市民には常に、社会的宿命論が示すのとは別の道へと進む可能性、さらには責務が残されているのだから。

(1) ミッシェル・ヴィヴィオルカ「左翼への投票意欲をわかせてほしい」、リベラシオン紙2002年5月10日付。
(2) パスカル・ペランノー、ラジオ局フランス・キュルチュール、2002年4月16日放送分。
(3) ミッシェル・バルニエ「大統領選の大きな秘密」、リベラシオン紙2002年2月12日付。
(4) ル・モンド1992年1月14日付。
(5) フランス革命期の政治家で、立憲君主制を支持し、恐怖政治の際に斬首された。[訳注]
(6) セルジュ・アリミ『左翼が試行した時代』(アルレア社、パリ、2000年)参照。
(7) 1999年9月、ミシュラン社は収益増大にもかかわらず大量解雇を発表し、政権内外に大きな議論を巻き起こした。[訳注]
(8) テレビ局フランス2、1999年9月14日放送分。
(9) J・K・ガルブレイス、『満足の文化』(中村達也訳、新潮社、1993年)、38ページ。仏文に合わせて一部訳文を変更した。
(10) 19世紀半ばに生まれたフランスの社会主義者で、第一次大戦に際して反戦を唱え、国粋主義者によって暗殺された。[訳注]
(11) 第二次大戦直後からの組織的な貧困者支援活動で知られるフランスの神父。[訳注]
(12) 貧困者への食事提供などの慈善活動で知られたフランスの喜劇役者。1986年に死去。[訳註]
(13) ル・フィガロ紙およびラ・トリビューン紙2002年4月23日付など。
(14) 得票率がこのラインを超えると、選挙費用の公費助成を受けることができる。[訳注]
(15) クロード・ルフォール、ユニヴェルサリス百科事典『イデオロギー』の項、1973年。
(16) ベルナール・カセン「有権者から奪われた主権」(ル・モンド・ディプロマティーク2002年4月号)。
(17) 「資本主義は社会的および象徴的な規制を解体してきた」、リベラシオン紙2001年5月6日付。
(18) ル・モンド1992年1月14日付。


(2002年6月号)

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