ファシズムからナショナル・ポピュリズムへ

ジャン=イヴ・カミュ(Jean-Yves Camus)
政治学者、人種差別と反ユダヤ主義に関する研究と行動の欧州センター

訳・富田愉美

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 フランス大統領選挙での国民戦線の伸長は、単発的な出来事ではない。欧州連合(EU)のいたるところで、またハンガリーのように東欧でも、極右は追い風を受けている。少なくとも、ウルトラリベラリズム、社会政策、民主主義のルールの是認、排外主義、権威主義を混淆し、近代化に成功した組織は支持率を上げている。逆に、ファシズムの思想に固執する組織は、傍系的な存在となりつつある。[訳出]

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 2002年4月21日、フランス大統領選挙第一回投票でのジャン=マリー・ルペンの得票は、ナショナル・ポピュリズム集団の「第三の波」と呼ばれる潮流の思想的性質を改めて今日的なものとした。反ファシスト運動家や事情通の専門家たちは、この潮流を伝統的極右運動やファシズム運動の流れの中に位置付けてきた(1)

 しかし、それは違う。我々はむしろ、これまでにないタイプの極右の成功を目撃しているのである。その極右は、ウルトラリベラリズムのために国家崇拝を棄て、市場原理のためにコーポラティズムを棄て、ときには地域の自立主義のために国民国家の枠すらも棄てる。確かに、権威主義的でファシスト的、さらには国家社会主義的なイデオロギーをいまだに掲げる政治団体もあるが、それらは傍系的なものとなっている。その一方で、極右の歴史的系譜や思想的系譜に属さない政党が、ウルトラリベラルな社会経済モデルに全面的に賛同する閉鎖的できわめて集団合意的な政策提案により、様々な問題への解決をもたらすといった顔をすることで、その勢力を伸ばしている。

 どこの国でも、ドイツでさえも、直接行動主義的で新国家社会主義的なウルトラ右翼は真の脅威ではない。政府当局が禁止しようとしているネオナチの合法政党であるドイツ国家民主党(NPD)は、ホルスト・マーラーというカリスマ的な政治家をもってしても、1998年には6000人、2000年には6500人の党員を数えるにすぎない。元弁護士で赤軍派メンバーであったマーラーは、強烈な反ユダヤ主義によって、ドイツがショアー(大虐殺)に関わるタブーと罪悪感を断ち切ることが不可欠だという信念を標榜するようになった。ドイツ国民連合(DVU)はというと、報復主義と失地回復主義にナチス時代の一定評価を組み合わせ、旧東独諸州で同じく若年の低所得労働者層の支持を集めている。その支持者には、ドイツ民主共和国の社会経済上の統率性に郷愁を感じる人々も多い。とはいえ、DVUの勢いは衰えている。1998年にザクセン・アンハルト州で12.9%の得票を得たものの、2002年4月21日の同州の選挙では比例名簿の提出すらしていない。キリスト教民主同盟(CDU)の態度硬化、シュレーダー政権への攻撃姿勢や、民主社会党(PDS、旧共産党)の伸長が影響したものと思われる。

 南欧では、ファランヘ党やサラザール主義、ギリシャの軍事独裁の継承者たちが、それらを標榜する小政党を結成している。スペインでは、ファランヘ政党と急進右翼の5政党が1999年6月の欧州議会選挙に候補を立てたが、得票率は合計1%にも満たなかった。2000年の総選挙でも、これらの小党の支持率は変わらず、フランスの国民戦線に近い国民民主党は、わずか0.01%という得票に甘んじた。ポルトガルでは、新サラザール主義の挫折はさらに明らかだった。反ヨーロッパ勢力を含む右翼保守派の民衆党が8.75%という記録的な成果を収めたのに対し、国民同盟の後身である国民再生党は、0.07%の得票に終わっている。

 イタリアでは、国民同盟の伸長により、旧態依然のネオファシストにはほとんど登場の余地が残されていない。同党は現在三つの勢力を内包している。一つ目は、ジャンフランコ・フィーニの支持者たちで、イニャツィオ・ラルッサとマウリツィオ・ガスパッリを指導者とし、4月21日のフランスの選挙後にはルペンとの一切の関わりを拒否している。ニつ目は、「ドゴール主義的」な穏健派(アルテロ・マッテオーリ、ドメニコ・ナンニア、アドルフォ・ウルソら)で、三つ目は、ジョヴァンニ・アレマンノとラツィオ州知事フランチェスコ・ストラーチェが率いる「社会的右派」で、社会ファシズムの思想的潮流に最も近い。

 社会問題の大半について、国民同盟はこの三派のバランスをとっており、イタリアの最も反動的な政党とはなっていない。それは主に、宗教問題への相対的な無関心による。伝統主義的カトリック運動である「聖体拝領と解放」の圧力を受け、ベルルスコーニ政権に対して中絶法と私学教育助成法の見直しを求めているのは、ロッコ・ブッティリオーネ率いるカトリック政党、キリスト教民主中道である。こうした状況で、イタリア社会運動の急進派の歴史的リーダーであり、サロ共和国(2)の闘士であったピーノ・ラウティのイタリア社会運動=フィアンマ・トリコローレは、得票率を0.3%に落とした(2001年5月の上院議員選挙では1%)。

 このように、ヨーロッパで大きく伸長している極右団体は、権威主義的諸運動の思想的遺産の一部を継承しつつ、その言説と組織構造を近代化してきた団体である。こうした極右団体は、一種の保護主義的ウルトラリベラル資本主義を唱え、議会制民主主義と複数政党主義の是認を謳い、現行制度の枠組みの破棄ではなく近代化を主張する。彼らはまた、国民優先といったアイデンティティに関わる主張を共有する。国民優先とは、政治的・経済的・社会的権利を生粋の国民にのみ与えるというものである。彼らは、社会のあらゆる機能不全の元凶とみなす多文化社会への反感を公言し、それゆえ非欧州系住民の追放により移民を制限し、あるいはその流れを逆転させることを望んでいる。

権威主義的な志向

 フランスの国民戦線は、こうした「混淆的集団」の中でも重要なものである。同党は「ナショナリストの妥協」という融和的政策を取り続けたことによって、極右の様々な思想的伝統の統合役を担ってきた。ルペンがガス室のことを「些末なこと」と呼び、「ユダヤ人の国際組織」の存在を主張した事実には、1930年代から40年代にさかのぼる「偏執」が根強く残っていることが表れている。

 もっとも、国民戦線の社会経済面の政策構想は、自営業者や中小企業主を中心的ターゲットに据え、ウルトラリベラリズムを本質としている。例えば、欧州議員のジャン=クロード・マルティネスが唱える所得税の撤廃や、「税金依存主義」の告発、週35時間労働法の拒否は、大統領選第一回投票の際にルペンが述べた「経済的に右」の体質を示すものである。しかし、彼は以前には、「社会的に左」で「なによりもまずフランス」と発言していた。

 1995年秋、すでに10年以上にわたり主に民衆層に支持者を獲得してきた同党は、この層に向けて「社会的転回」を打ち出すという重要な路線変更を行っていた。これの意味するところは、社会的・経済的調整役としての国家を復権させ、当座の時代状況に鑑みて、リベラルなグローバリゼーションに対する防波堤とすることである。国民戦線の見解によれば、それは再分配政策や国家による景気刺激を重視するものではない。国家の保護的役割とは、国民優先という手段により、数少ない社会的給付や権利(仕事、住居、教育)を国民だけに排他的に享受させることである。

 国民戦線が描き出す国家は、ウルトラリベラルなグローバリゼーションから取り残された人々を安心させるために、治安問題と風紀引き締めを主張の中心に据えた夜警国家となるだろう。グローバリゼーションという基本前提は(原理的な反米的話術を別として)不問にされ、その代わりに欧州連合(EU)脱退のように、諸国民のヨーロッパの建設の必要よりも吹聴しやすい展望や、フランの復活といった構想がぶち上げられる。

 もう一つの大きな「混淆的政党」であるベルギーのフラームス・ブロックもまた、同じようにつかみどころがない。いまだにヨリス・ヴァン・セヴェレン(3)の連帯的ナショナリズムや、フランデレンの対独協力ナショナリズムの左翼系理論家(ヘンドリック・デマン、エドガー・デルヴォ)を参考にしているかと思えば、アレクサンドラ・コレン議員に代表されるようなリベラルな勢力も混じっている。コレン議員は、英国のサッチャー元首相を「組合の専制から国を救い出した」としてペーパー・エン・ザウト誌で絶賛し、米国下院のアーミー共和党院内総務の絶対自由主義的な主張を賞賛している。

 一般的には「極右」に分類される政党が最も成功しているのはスカンジナヴィアである。デンマークでは、ピア・キエスケゴーの人民党が2001年11月の総選挙で12%を獲得し、ノルウェーでは、カール・イーヴァル・ハーゲンの進歩党が1997年の総選挙で15.3%を獲得した。これらの団体は、危機のポピュリズムならぬ「繁栄のポピュリズム」を体現している(ノルウェーの失業率は僅少であり、石油収入によって高い生活レベルが保障されている)。彼らの支持者は、中流階級や独立自営業者であり、労働者も大きな割合を占めつつある。しかしながら、ノルウェー進歩党は、最低賃金の撤廃を含めた労働市場の完全な脱規制化を主張している。

 実際は、トゥール・ビヨルクルンドやヨアン・ゴウル・アナセンが示したように(4)、これらの国では、福祉国家はブルジョワ政権下でも社会民主主義下でも同様に発展したため、労働者階級は左翼支持といった傾向は薄れつつある。そして、労働者に見られる権威主義的志向が、「新右翼」の中に捌け口を見出している。

伝統的諸政党の大同団結への抗議

 こうした権威主義は、伝統的に民族的・宗教的に同質の社会が多文化主義へと開かれることを拒否するという形でも表れている。デンマークはきわめて憂慮すべき状況にある。人民党は今や国会に進出し、その政策の立法化を自由党と保守党の連立政権に迫ることのできる立場を得ている。例えば、同じ国籍を持つ24歳未満の外国人同士の結婚を禁じる法律などである。家族呼び寄せの制限、滞在許可証取得手続きの長期化、人種差別罪の刑法典からの削除なども準備されている。特にムスリムを対象とした人種差別、さらには排外主義の傾向が、フランスの国民戦線を含めた右翼政党を特徴付けている。この傾向は、イェルク・ハイダーを前党首とし、多くの研究がなされている(5)オーストリアの自由党(1999年の総選挙で26.9%)や、クリストフ・ブロッハー率いるスイスの中央民主連合=国民党(1999年の総選挙で22.6%)の大躍進をもたらした。

 最近では、他にも分類しにくい政治団体が台頭している。オランダのピム・フォルタイン党やレーフバー・ネーデルランド(住みやすいオランダ)党などである。前者は、2002年3月のロッテルダム市議会選挙で34%を獲得し、5月15日に予定されている総選挙では、約20%に達すると予想されている(6)。後者は、同じく市議会選挙の際にアルメレ市、アイントホーフェン市、ヒルフェルスム市で第一党となった。しかし全国での支持率は3.1%にすぎない。北部ドイツでは、弁護士ロナルト・シルが作った法治国家攻勢(PRO)が2001年9月のハンブルク特別市の議会選挙で派手な成功を収めた(19.4%)。しかし、2002年4月のザクセン・アンハルト州議会選挙では低迷した(4.9%)。

 これらの政党の共通性は何だろうか。第一に、ポピュリズム的な抗議という側面がある。オランダの二つの組織は、オランダを統治する「紫連合」の与党政治に異を唱え、ドイツのPROはCDUを十分に右でないと非難する(とはいえ9月の下院選ではエトムント・シュトイバー率いるCDUの姉妹政党、キリスト教社会同盟を支持する予定である)。次に、移民の拒絶と結び付けられた「法と秩序」という問題設定がある。オランダの組織は、オランダ法の寛容さを制限すべきだと強調し、モロッコ人をはじめとするマグレブ出身者に犯罪が多いと主張する。シル党首がハンブルクの内務大臣となったPROは、犯罪の「撤去」を唯一の施策としている。さらに、いずれの政党も国政への進出を狙う地方組織を母体とする。レーフバー・ネーデルランドは、地方の候補者名簿をとりまとめる調整組織として機能している。PROは、2002年の下院選には候補を立てないと決めたにもかかわらず、各地で積極的な活動を展開しようとしている。

 もう一つの類似性として、諸々の組織の指導者の人物像に触れておこう。彼らは民衆に語りかけ、さらには自らの出自の貧しさをアピールしようとする。(「飢えと凍えを知っている」ルペン、貧しい牧師の息子であったクリストフ・ブロッハーなど)。とはいえ、なかには裕福な者、それどころか富豪も少なくない。ブロッハーは化学分野の多国籍企業を経営する億万長者であり、ザクセン・アンハルト州のPRO名簿一位のウルリッヒ・マルザイレは老人ホームのチェーン展開で富を築いた。

 象徴的なのは、ハイダーの場合である。ユダヤ人から強奪した資産をもとに築き上げられた財産の相続人である彼は、民間企業の若手幹部(財務大臣カール=ハインツ・グラッサー)や、財界リーダーのトーマス・プリンツホルンを取り巻きとしている。しかも、連立政権の自由党の閣僚は、「赤字ゼロ」や、今後の年金制度、家族政策といった問題について、彼らを支持する労働者の利益と逆行する政策を押し進めた。それがおそらく、2000年初めに連立政権に加わって以降、補欠選挙で同党が低迷した原因だろう。

 ヨーロッパの極右を見渡すと、一つの疑問が浮かび上がってくる。これらをいまだにファシスト団体として語ることができるものだろうか。彼らのイデオロギーと、過去の歴史上の右翼の急進主義との連続性を非難の中心に据えてよいのだろうか。反対に、古い図式との断絶を考えるべきであるように思われる。

 新しい過激主義は、伝統的右翼と伝統的左翼が、ウルトラリベラリズムとグローバリゼーションという基本前提に大同団結していることへの反動的な抗議の形態である。民衆層から遠ざかった左翼、テクノクラート的で管理者的な言説に終始し、固定化したエリート層が統治する左翼には、こうしたうねりの責任の一端がある。それを止めることができるのは、左右両翼の対立を復活させ、公の活動の中心に国家を置く政策へと回帰することによってのみである。

(1) 政治学者イヴ・メニーはこう述べた。「国民戦線のポピュリズムの特性は、ファシズムの系譜に連なろうとする指導部が支持されている点にある。この政党は極右的な価値観にあまりに深く結び付いており、それゆえに従来の右翼と手を組むことはできないのだ」(リベラシオン紙2002年4月24日付)
(2) 失脚したムッソリーニが、1943年9月にドイツの傀儡として北イタリアに樹立した政権。[訳注]
(3) 1930年代ベルギーのファシスト運動家(1894-1940)。[訳注]
(4) Cf. Tor Bjorklund and Jorgen Goul Andersen, << Radical Right-Wing Populism in Scandinavia >>, in Paul Hainsworth (ed.), The Politics of the Extreme Right. From the Margins to the Mainstream, Pinter, London and New York, 2000.
(5) ポール・パストゥール「オーストリアで何が起きたか」(ル・モンド・ディプロマティーク2000年3月号)、ペーター・ニグリ「スイス右翼の躍進」(同1999年12月号)などを参照。
(6) ピム・フォルタイン党首は5月6日に動物愛護活動家によって殺害された。同党は総選挙で150議席中26議席を得て第二党となり、連立政権への参加が予想されている。


(2002年5月号)

* 改訳の上『力の論理を超えて』に収録、NTT出版、2003年8月

* 後ろから三段落目「彼らを支持者する労働者の利益」を「彼らを支持する労働者の利益」に訂正(2003年4月3日)
* 第五段落「ジョヴァンニ・アレマーノ」を「ジョヴァンニ・アレマンノ」に訂正(2003年4月5日)

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