パレスチナ、領土の廃絶

クリスティアン・サルモン(Christian Salmon)
作家、国際作家議会創設者・事務局長、機関誌「焚書」発行

訳・渡部由紀子

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 2002年3月末、国際作家議会の代表団がパレスチナとイスラエルを訪れた。この組織は、自国で政治弾圧やテロの危難に遭っている作家を迎え入れる避難都市ネットワークを作り、言論と表現の自由を守るため、1994年に創設された(http://www.autodafe.org/ipw/ipw.htm)。今回の訪問は、詩人マフムード・ダルウィーシュをはじめとするパレスチナの作家の孤立を打破することを第一の目的とし、ラッセル・バンクス、ブレイテン・ブレイテンバック、北島(ペイ・タオ)、ヴィンチェンツォ・コンソロ、ファン・ゴイティソーロ、クリスティアン・サルモン、ジョゼ・サラマーゴ、ウォレ・ショインカが参加した(日本からは鵜飼哲氏が同行)。以下は、この平和使節団を率いたフランスの作家による報告である。[日本語版編集部]

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 ユーゴスラヴィア戦争の当時、建築家のボグダン・ボグダノヴィッチはバルカン諸都市の破壊を言い表すために、「都市の抹殺」という新語を造った。パレスチナに来て、最初に目を打ちのめすのは、土地、領土に対して振るわれた暴力だ。見渡すかぎり、屋根を吹き飛ばされた建物の残骸、大きくえぐられた丘、なぎ倒された木々ばかり。ずたずたに引き裂かれた風景。それは、計画的に準備されたと思われる暴力により、もはや手掛かりすらとどめない。爆弾の、戦争の暴力だけではなく、戦車の侵攻が引き起こした破壊だけでもない。精力的で巧妙な暴力。土地をなめつくす暴力である。

 人類史上もっとも美しい風景の上に、醜悪なコンクリートとアスファルトが広がる。丘の斜面は、イスラエル人の入植地への出入りを守るために築かれた「バイパス道路」に切り裂かれている。その周囲で、家屋が破壊され、オリーブの木が引き抜かれ、オレンジの畑が丸刈りにされている。すべては視界をよくするためだ。代わって今では、監視塔の立つ無人地帯が広がる。沿道の至るところで出くわすブルドーザーも、現在進行中の戦争においては、戦車に劣らぬ戦略的意義を持ったものに見える。これほど無害な土木機械に、これほどの無言の暴力を私が感じたことは、いまだかつてない。ブルドーザーの凶暴性。

 粗暴な都市化とは別のことだ。たとえば地中海沿いに建てられているコンクリート群とは何の関係もない。ここで進行しているのは、軽はずみな資本主義ではなく、ゴスプラン(1)にほかならない。そこには国家の積極介入の手が感じられる。過去を白紙にしてしまおうとする手だ。この二つの国家の企ては、時期的にも重なっている。破壊したパレスチナの村の痕跡を消すために、オリーブやオレンジではなくモミの木を植えたのは、早くも1950年代のことだった。だが、その手はまだ文明的であろうとして、植林や耕作を行っていた。今日、この手は破壊的熱狂に捕らえられ、風景に敵対する。剥ぎ取り、奪い去り、根こそぎにする。人を追い立て、無人の地とする。風景とは、記号と目印のある空間であり、歴史の所在を読み取ることのできる1ページである。パレスチナに来て最初に目を打ちのめし、痛めつけるのは、風景に遍在する撹乱だ。目印の喪失。方向の消滅。

 ここで進行しているのは、計画的に準備された一つの(パレスチナの)国家、二国民国家、あるいは二つの(イスラエルとパレスチナの)国家の創設ではない。風景の粉砕であり、解体である。領土の廃絶。地名が変更されることなら、これが初めてではない。通りや町の名前が変えられることも、通称が廃止されて新たに付けられることも。ボスニアではそれが「記憶の抹殺」と呼ばれた。しかし、ここでは名称変更だけにとどまらない。場所が壊乱されている。森、丘、道路。変造の対象は、領土そのものなのだ。地理は第一に戦争に役立つと言われるが、パレスチナでは、戦争がことさら地理の壊乱に役立っている。

 このことは、公式の発言や国連の決議からは聞こえてこない。この地は千年単位の歴史の糸によって織りなされ、その地層は次々に去来する様々な文化、様々な人間集団が残した堆積から形成されている。その風景自体が、道路や畑、オリーブの木々にいたるまで、人類の遺産の一部である。この遺産が危機に瀕している。アフガニスタンでバーミヤンの仏像が破壊されたとき、ユネスコが憂慮を表明したのは正しい。では、パレスチナが廃虚と化し、エルサレムが第二のベイルートとなり、その風光や遺跡が誰も声を上げぬまま消滅するのを見過ごしにしていいのだろうか。

 ラマラからガザ、ラファを回った1週間の間、その途上でわれわれが出くわしたのは、破壊の光景ばかりであった。廃虚と化した村、道路、家々。作物は焼かれ、公営機関は爆撃された。完成したばかりの公共施設も、ヘリコプターやF16機からのミサイルで破壊されている。

 そのリストが、このほど欧州委員会により発表された。対象は、欧州連合(EU)および加盟国が出資した社会基盤施設に限定されている。このリストは強烈で、事態をおのずと物語っている。そこには何の脈絡もない。ガザの港と国際空港、ラマラのラジオ局「パレスチナの声」、ベツレヘムのインターコンチネンタルホテル、法医学研究所、それに地区の社会基盤施設だ。学校、住宅、下水道、ごみ処理場だけではない。ジェニンでは平和協力プロジェクトの事務局、ベイト・ラヒアでは再植林地、ラマラでは中央統計局、エリコでは灌漑設備、等々。総額1729万ユーロに上る17件の社会基盤施設である。これらがすべてテロリストの巣窟だったなどと、いったい誰が信じようか。

 ラファで、われわれはエジプトとの国境に隣接する壊滅状態の村を訪れた。つぶされた家々の壁を踏んで歩く。足元に小学生のノート、台所用品、歯ブラシなどが散乱する。粉々にされた生活。立ち退きのために住民に与えられた猶予は5分間だったと、ある女性が語る。真夜中のことだった。ブルドーザーの群れが、「作業を終える」ために何度も往復した。この表現は、イスラエル軍の常套句になりつつある。監視塔の上からは、何もない土地を赤外線スコープ付きの小型機関銃が監視する。兵士の姿はない。夜、機関銃は、何かが光るや自動的に発射される。最前列の住宅は、銃弾で穴だらけだ。住民は常に自動小銃に脅やかされて暮らす。緩衝地帯はこのようにして創出される。

 変造の装置は、まるでミツバチのように、絶え間なく、辛抱強く、一心不乱に働き続ける。何をしているのか。境界をつくり出している。「境界づくり」に邁進しているのだ。ここでは、至るところに境界がある。曲がり角や丘、村、そして時には家、その一つ一つを境界線が貫通する。植え込みに代わって防護壁が築かれ、外壁は要塞のように強化される。壁はどれも敵意に満ちている。どの家にも狙撃手がひそんでいるかもしれない。どの曲がり角にも検問所が出現するかもしれない。われわれは200メートルで2回も出くわした。ヨルダン川西岸だけで、700もの検問所がある。一部の通りは壁でふさがれている。ビルゼイト大学に行くには、徒歩でしか通れない道をはさんで、バスかタクシーを乗り継がなければならない。イスラエル軍は、この領土を細かく仕切られた蜂の巣に変え、その各々への出入りをコントロールしている。こうした巣房は220を数え、文字どおりのネズミ取り、隠然たる居留区やゲットーと化している。そこにはメルカヴァ戦車が常に行き交い、上空には米軍が提供したアパッチ戦闘ヘリコプターが飛び交う。

境界空間

 これは新種の境界線である。機動的で、多孔的で、不明瞭な境界線。動き回る境界線。ある晩、ラマラで、われわれはマフムード・ダルウィーシュの案内で、エルサレムを望む小さな丘に登った。直線距離にして数キロのところに、町は無数の光をきらめかせていた。その町とわれわれとの間には闇が広がり、いくつかのほのかな光が散在し、揺れていた。パレスチナの家々だ。さらに、右手のもう少し先のほうに、また別の、光が集中する一帯があって、そこから街灯に照らされた無人の道路がイスラエル人入植地へと続いていた。この闇の中にきらめく光に、私は明滅する境界線を見て取った。

 占領とは、このように単純なのだ。それは、光を浴びる場所と、闇に沈む場所とを区別する権利である。見える場所と見えない場所、進入の許される場所と禁止される場所とを。境界線が、闇と光の分割さえも規定する。それは、この世のものとは思えない境界線である。

 ポーランドの作家、タデウシュ・コンヴィツキが、自分の国について次のように述べたことがある。「私の祖国はルーレットの上にある。その境界線は条約次第で移動する」。パレスチナでは、さらにひどい。境界線はバッタの大群のように動いていく。自爆テロ次第で、嵐のように唐突に、一足飛びに移動する。それは手紙のように、一晩のうちに、戦車の速度でやって来るかもしれない。あるいは闇のようにゆっくりと忍び寄るかもしれない。境界線は這うように進み、村や水場を取り囲む。それは、われわれがラファで見た迂回路を従える遮蔽のように機動的で、拡大する居住地のありふれた仕切り板のごとく、入植地の展開次第で容易に移動可能なものだ。

 境界は隠密である。爆撃機のように、空間を打ち砕き、突き崩す。そして境界空間へ、領土の細片へと変える。境界空間は往来の流れをさばく代わりに、それを麻痺させる。もはや人々を守らず、あらゆる場所を危険地帯に変え、あらゆる人間を生きた標的もしくは人間爆弾に変える。ここにある境界は、もはや主権の及ぶ空間を分け、各自の場所を割り付ける平和的なラインではない。空間にそれぞれの形や外縁、色を与えるものではない。それは、抑え込み、追い立て、掻き乱すばかりだ。イスラエルにいようと、占領地にいようと、空間は敵意に満ちたものとなる。内容も輪郭もなく、不穏を遍在化する空間。詩人ルネ・シャールはかつて、「隔たりを取り去ることは殺すこと」と書いた。

 銃眼となる窓、障壁にあつらえられたファサード、整然と列をなす建物、兵営となった町。イスラエル人入植地に見られるのは、自己の内部へ閉じこもった建築であり、自らの抑留である。治安上の制約によることは間違いないが、そこには空間への、恐れられ抑え込まれた空間、恐怖の空間への強迫観念が露呈されている。オーストリアの作家ヘルマン・ブロッホは、19世紀末のウィーンについて次のように語った。「時代の本質は、概して建築物のファサードに読み取ることができる」

 それが正しいとすれば、イスラエル人入植地のファサードはスローガンの意味を持つことになる。周囲に対する惑乱に満ちたとも言える関係。外部に対する恐怖。場所というものの歓待性の対極物。いわば、占領の進行の裏面をなす外部恐怖症。敵の領土へ前進するほど、さらに自己の内部への抑留が深まる。その様子はイスラエル社会全体に当てはまる。ポール・ヴィリリオ(2)による分類を用いるなら、ラテンアメリカにスペイン人が建てた外部へ開かれた建築のような外向的植民地主義ではなく、内向的植民地主義に属する。敵意に満ちた空間の奪取にとどまらず、自己の剥奪をも意味する植民地主義。その理想型がトーチカである。

 この側面は、政治やメディアの議論ではおおむね黙殺されている。イスラエルによる占領地への入植は、不正で違法であるばかりでなく、不可能なのである。それは、国外追放者の病理を特徴づけ、難民キャンプの住民をも打ちのめす「居住不能性」の上に成り立っている。イスラエル人入植地は、本来的に居住不能である。単に快適さを欠き、危険で、長期的な生活に適さないだけではない。それは、帰還と表裏一体をなす「居住」の不可能性を露呈している。一種の反都市計画。戦争経済があるのと同じ意味での、戦争都市計画。非文明の都市計画。

 それは逆説的な形態をとらざるを得ない。突出した、文字どおり常軌を逸した居住地。パレスチナ人が大半を占める空間のただ中にある各入植地(ガザ地区だけでも、5000人の入植者に対して150万人のパレスチナ人)の安全を確保するには、恒常的な治安対策、人の出入りの完全な掌握が必要とされる。入植者の車が通るたびに、近隣の道路は検問によって封鎖され、何キロもの渋滞が引き起こされる。いわば、土木工学による間断なき力業を必要とする路上アパルトヘイト。

 ガザでわれわれは、高さ数メートルの壁で分離された道路、占領地をまたぐ未完成の橋を見た。ワニのうごめく水路で道路を囲むという計画なのさ、と誰かが言った。その大げさとも思われる言葉は、確かに雰囲気を伝えている。イスラエルの交通省はさらに、ガザとヨルダン川西岸を結ぶ高架道路を築くという壮大な計画の見積もりまで立てていた。こうした計画はすべて、真偽はともあれ、惑乱に満ちた想像力の産物である。他者は断固として封印されなければならない。抑え込むか、さもなければ動けなくするか。これほど小さな空間に、これほど大勢の人々が押し込まれていることは、いまだかつてない。イスラエルと占領地の間の交通は完全に封鎖されている。いかに多くのパレスチナ人が、このような軟禁状態についてわれわれに不満を漏らしたことか。人と会うことができなくなった。端的に、交通が途絶したからだ。ラマラからガザに行くことはもちろん不可能である。同じガザ地区の中ですら、ある場所から他の場所へ行くのに、テルアヴィヴからニューヨークへ行くより時間がかかることもある。イスラエルは占領地内で、空間だけでなく時間をも占領している。帰宅前に検問で待たされる何時間もの時間。

 イスラエル人は数十年の間に、キブツというユートピア(理想の場所)を忘れ、入植地というアトピア(ありえない場所)へとはまり込んでいった。1960年代には、砂漠を緑園に変えるといったことが言われ、キブツはまだ人を惹きつける力を持っていた。以来、彼らは聖書のうたう緑園を砂漠に変え、何もない土地に変え、さらには戦場へと変えた。

 沿道の至るところにあるブルドーザーが、その恐るべき証拠である。主要な問題は、「ここに住むためにはどうすればよいのか」というカフカの問いではない。住むことではなく、立ち退かせること。破壊すること。これは、初めてのブルドーザーによる戦争である。歴史上前例のない脱領土化の企て。民間人だけでなく、領土そのものが対象という意味での全面戦争。広場恐怖症に由来する戦争。狙いは領土の分割ではなく、廃絶にある。

(1) ソ連の国家計画委員会。ここでは国家計画そのものを指す。[訳注]
(2) フランスの都市計画家、思想家。1932年生まれ。著作多数、邦訳書も10冊近い。「目には目を、または画像の暴落」(ル・モンド・ディプロマティーク1998年3月号)参照。[訳注]


(2002年5月号)

* 改訳の上『力の論理を超えて』に収録、NTT出版、2003年8月

* 三段落目「破壊的熱狂に捉えられ」を「破壊的熱狂に捕らえられ」に訂正(2003年5月17日)

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