イスラエルとパレスチナが交渉のテーブルに戻るために

ヤセル・アベド・ラボ(Yasser Abed Rabbo)
パレスチナ自治政府情報文化大臣
ヨッシ・ベイリン(Yossi Beilin)
イスラエル前法務大臣

訳・萩谷良

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 ここ1カ月でパレスチナ情勢は急激に悪化し、解決の光はいまだ見えない。サウジ皇太子の和平案が注目を浴びた時期に書かれた今月号の巻頭論説は、次の主張を掲げていた。暴力で譲歩を迫るシャロン首相の政策は、イスラエル国内の治安を悪化させ、絶望したパレスチナ人は、自爆攻撃という暴挙に走り、これではアメリカも、イスラエル支持を堅持できない。つまり、紛争終結へ向かうための条件は揃っているのだ、と。そして、パレスチナから強力な非暴力運動が現れ、イスラエルの和平推進勢力と手を結ぶべきときだという。まさにそうした動きの担い手が、対話の再開を呼びかける以下の共同声明は、報復路線の悪循環の中で、なおさら耳を傾けるに値する。[日本語版編集部]

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 わずか1年半前には解決に向かっているかに見えたイスラエル=パレスチナ紛争は、今や袋小路に入ってしまっている。解決の展望は日ごとに遠のく。双方が、暴力の循環に陥っている。不満と幻滅、悲観論が、ここ数年間に育まれた希望に取って代わった。どちらの側でも、和平陣営に属する人々は怒りに燃えながら、その時が来たら声を上げようと、交渉のテーブルに戻れるようになる日を今はじっと待っている。

 イスラエルにしてみれば、なぜ合意も間近と思われたときにインティファーダが起こったのかわからない。パレスチナにしてみれば、なぜイスラエルがパレスチナの暴動に並はずれた強力な手段で臨み、すでにほぼイスラエルの監視下にある人々に対し、戦闘機や戦車を差し向けるのかわからない。双方が、説得力のある主張を作り上げて事態のエスカレーションを正当化しようとする。双方が、それぞれの民衆と世界に対し、「こんな真似をされたら報復せずにはいられない」と説明する。そして、それまで使われたことのない方法を持ち出す。両者はまるで、互いに固め技で相手を死ぬほど締めつけ、どちらも優位に立つことのないまま、互いを痛めつけつづけるレスラーのようだ。もし彼らが、何年かあとになって一連の事件の映像を見せられたとしたら、こんな愚かしい筋書きにそって自分たちが動いたとは信じられないだろう。この死の舞踏に終止符を打たなければならない。それもただちに。

 非公式のルートで交渉を再開する希望は、ますます遠のきつつある。イスラエル人は、パレスチナ側の統制下にある地域には、特別の通行許可証がなければ入ることができず、国防省はその発行をほぼ全面的に拒否している。パレスチナ人は、イスラエルに入ることはできず、自治政府の議員も、以前は認められていた自由通行特権を失っている。会合をもつとすれば、検問所(チェックポイント)か、あるいは外国に限られることになるが、彼らが領土を離れる許可をイスラエルから得るのは現在ますます難しくなっている。

 どちらの側でも、何人もの人々が、このように事態がじりじりと悪化し、悲劇的な結末へと突き進むことは容認できないと考えている。他の連絡の回路が絶たれている以上、われわれは、新たな非公式ルートを開くことにより、最も困難な情勢下でも恒常的な接触を確保することが肝要だと考える。それは、眼前の問題への継続的な対応を可能にし、相互の信頼を回復させ、そして当事者のそれぞれに対し、相手側に交渉相手がおり、和平協定の調印を可能にするほど大きな共通項があることを証明するものとなるはずだ。

 イスラエルでは、2001年2月にアリエル・シャロン氏が首相に選ばれた直後、挙国一致内閣に対抗するために、平和をめざす連合が結成された。この連合は主として三つの政治勢力を支えとしている。メレツ党、挙国一致内閣への参加に反対する労働党議員、および旧ソ連からの最近の移民のグループである。さらに、議会外の多数の著名人や、平和運動団体も加わっている。

 同年7月、この平和をめざす連合の代表者と、パレスチナ側の現職閣僚数名、立法評議会の議員数名、および知識人からなる同様のグループが会合をもった。そして、相手の苦しみをそれぞれが認識するという共同声明を採択した。この声明はまた、暴力をただちに停止して交渉のテーブルに戻る必要性を強調し、2000年7月のキャンプ・デイヴィッド会談、2000年12月のクリントン・プラン、および2001年1月のタバ協議の延長線上に立って、パレスチナの最終的地位に関する合意の大筋にも触れている。

 双方の主だった顔ぶれは、それまでの妥結をみなかった交渉で何度も顔を合わせてきており、状況の悪化を互いに相手のせいにするよりも、協議を再開することが望ましく、完全に実現可能であると考えている。過去の交渉で最後まで未解決のままの問題を解決する合意へと、到達できると信じている。そうした合意ができれば、この果てしない消耗戦に疲弊しきったイスラエル、パレスチナ双方の人々の支持が得られるはずだ。

 ここ数カ月の間に、運動の双方の指導者が連名で書いた記事は、世界各国の新聞に掲載された。各地の首都に共同代表団が派遣され、政治家や議員、メディアに対してわれわれの立場を説明してきた。そしてわれわれは繰り返し、交渉再開の呼びかけを発表した。

 われわれの共同行動のめざましい成果のひとつは、南アフリカで、2002年1月にムベキ大統領の支援のもとに行った会合である。パレスチナかイスラエルの領内で会うことは困難だったので、南アの和解の経験に学ばせてもらうことにより、開かれた持続的な対話に臨み、今後の共同行動を取り決めたいと考えたのだ。3日間の会合の期間中、大統領と10人の閣僚はフルタイムで協力し、われわれが南アで起きたことを理解し、そこから中東にとっての教訓を学ぶように導いてくれた。それぞれの利益が完全に満たされるようにするためには、相手を弱めればいいとふつうは考えがちだが、南アの人々は、逆に相手を強めるべきなのだと教えてくれた。

 南アから帰国した直後の1月14日、われわれは、平和をめざすイスラエル=パレスチナ連合の設立を決定した。われわれはそれ以降、双方の絆を強化すること、メディアに対し共同声明で対応していくこと、この地域を訪れつつも、これまではイスラエル側とパレスチナ側と別々にしか会えなかった政治家と会談することを志している。PLO(パレスチナ解放機構)の代表者と会うことをイスラエル人に禁止した法律が1988年に廃止されて以来初めて、このような自発的な協力関係が、持続的な連携へ変わろうとしている。フルタイムの専従職員を置いて、政治指導者に対して行動を提案するようになる。こうした作業方法の変化は、双方の視点を考慮することを可能にするはずだ。

 最初の会合でわれわれが行ったのは、第三者が介入し、イスラエル人とパレスチナ人が交渉の席に戻るのを助けてほしいというアピールの発表である。このアピールは、特に米国と欧州を念頭においたものだったが、それだけには限らない。監視団、調停団、「応援団」にも来てほしいと考えていた。その望みは薄れつつあるのかもしれないとはいえ。

 われわれはこの要請を続けるが、それと同時に、われわれ自身で「第三者」を作ることも必要だと感じている。“Do it yourself”の原則に従って、平和をめざす連合を設立した意味もそこにある。世界の他の人々が、「彼らを苦しむに任せておけ」と安閑としていられるとしても、それはわれわれには不可能なのだ。

 われわれは、双方の指導者に対し、次のことを呼びかける。この死の締めつけに終止符を打て。交渉のテーブルに戻れ。暴力に訴えるのを一切やめよ。協議再開に先立つ前提条件を完全に放棄せよ。そして、すでにある停戦合意案(テネット案)、相互信頼回復合意案(ミッチェル報告)、および最終地位協定案(クリントン・プランおよびその前後の協議)を活用せよ。

 このイスラエル=パレスチナ連合は、容易に維持できるものではない。われわれが大きな支持を得ているのは事実だが、激しい批判を受けているのも事実である。暴力がやまず、罪もない人々が双方で殺されているさなかに、会合と対話を行おうとすれば、それは必ずや利敵行為として糾弾される。だからこそ、広範に認知され、国際的に正統性を与えられ、そして平和を信ずる世界中の人々から支援されることを、われわれは必要とする。


(2002年4月号)

All rights reserved, 2002, Le Monde diplomatique + Hagitani Ryo + Saito Kagumi

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