誰がアフガン女性のために戦ったというのか

クリスチーヌ・デルフィ(Christine Delphy)
社会学者

訳・安東里佳子

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 「カブールのアメリカ大使館に星条旗が揚がった。(中略)アフガニスタンの女性たちは今や自由だ」。2002年1月29日、一般教書演説を行ったブッシュ大統領は、高らかに宣言した。「対テロ同盟」はアフガン女性を解放するために戦ったのだという。空爆後、同盟軍がカブール入りすると、新聞はこれが紛争の意味だとでも言わんばかりに、彼女たちの笑顔を掲載した。

 これはまた奇妙な理屈だ。同盟軍のおかげで政権に返り咲いたムジャヒディン(イスラム聖戦士)たちが、タリバンよりましだとはいえない。現地からの数々の報道をみても、カブールやジャララバード市民の警戒心はもはや隠しようがない。彼らの警戒心は過去の体験に根ざしている。1992年から96年にかけて北部同盟(もしくは統一戦線)の部隊は、捕虜や負傷者を意味もなく殺し、市民を震え上がらせ、金品を奪い取った。現在も、ほとんど同じことが繰り返されている。アフガニスタンは新たな勢力圏に分割され、軍閥たちは新たな内戦に乗り出す機会を窺っている(1)

 アメリカはアフガニスタンで、クウェートやサウジアラビア、あるいはその他の国で行った以上に女性の人権のために尽くしたわけではない。それどころか、自国の利益のために意識的に敢えてアフガン女性を犠牲にしたのだ。そもそも、ムジャヒディンたちは一体どこから現れたのか? 1978年にソ連軍がこの国へ侵攻する以前から、タラキ率いるマルクス主義政権に対し、部族長や宗教指導者たちは聖戦を布告していた。タラキは女子の学校教育を義務付け、レヴィラート婚(2)や女性の人身売買を禁じていた。また、女性の医師、教師、弁護士がもっとも活躍していたのは1978年から92年までの時期だった。

 ムジャヒディンたちの目には、女性の人権は戦争を行うに値した。それをつぶすための戦争である。ソ連の侵攻が、この戦いに祖国防衛の大義名分を与えた。敵の敵は味方と考えるアメリカの支援もあった。もちろんアメリカは、ムジャヒディンが女性をねじ伏せようとしていることは知っていた。しかし、彼らがモスクワに立ち向かってくれることが肝心で、その他のことはどうでもよかったのだ。

 ソ連撤退後も戦争は続けられた。市民を巻き込んだ内戦である。北部同盟の兵士は、民家を略奪し女性を暴行した。地域の隊長は50キロごとにトラックを制止して金をゆすった。腐敗と無秩序がはびこり、シャリア(イスラム法)はないがしろにされていた。こうしてタリバンが歓迎される背景が整った。タリバンは、ムジャヒディンの義理の息子であり、父親と同じく反共主義者であるだけでなく、さらに過激な原理主義者だった。サウジアラビア経由でパキスタンのマドラッサ(イスラム神学校)へ軍資金を送るアメリカにとって、タリバンは適格の援助対象だった。

 それでアメリカは、常に女性の人権を守るべく戦ってきたというわけか? 否である。そのために戦ったことが一度たりとあっただろうか? 否である。それどころか、彼女たちを足で踏みにじったのだ。アフガン女性たちは、アメリカの敵と手を結んだマルクス主義の政府によって守られていたのだから、犠牲にされるのは当然のことだ。なんのかんのと言っても、世界的覇権の行く手を人権問題が阻むことがあってはならない。女性の人権はイラクの子どもたちと同列である。その死はアメリカの権勢の代償なのだ。

 2年以上前から、タリバンのアフガン女性に対する虐待行為への反対キャンペーンを展開している世界中の女性解放運動家と同じく、私もまた、新政府が女性の人権を保障することを期待する。しかし女性の地位が向上するとしても、それは戦争がもたらした予想外の結果のひとつでしかない。いわば、付随的被害ならぬ付随的成果である。期待はできても、夢は持てまい。1992年、やがて国際社会に大統領として認知されることになるラバニ率いるイスラム協会は、カブールにシャリアを課した。しかし95年、マスード司令官が指揮する同協会の部隊は、カブールで婦女暴行と殺戮の乱行に明け暮れた。

西側社会の傲慢

 ボン会議での交渉の結果、二人の女性が暫定政府に入閣した。二人とも国外亡命者である。一人はヘズビ・ワフダット党、もう一人はパルチャミ党に所属している。両党ともRAWA、つまりアフガニスタン女性革命同盟からは「傭兵と殺戮の政党」と呼ばれている。RAWAは6年前から難民女性とともに、特に女子教育の推進に努めてきた。RAWAはタリバン政権には反対していたが、それでも懸命にアメリカの空爆を非難した。そして現在は他の様々な組織とともに、国際部隊の力でアフガン人を「犯罪集団の北部同盟(3)」から守ってほしいと訴えている。

 国際機関からの圧力を受けたイスラム協会は、若干の譲歩を示した。カブール制圧から1週間後、協会の広報担当者の一人がBBC放送を通じ、女性に対する「制限」は解除されたと述べた(ただし、詳細については触れていない)。さらに「ブルカ着用の義務はなくなる。ヘジャブ(4)で十分である」と発表した。ヘジャブ(イランではチャドルと呼ばれている)で十分とは、いやはや恐れいったものだ(5)

 たとえ自由の範囲が広げられたとしても、この戦争が正しかったといえるのだろうか? 人権が問題になると、いつも同じ疑問が浮かぶ。人々にとって戦争よりひどいことがあるだろうか? どういうときに戦争が肯定されるのか? この戦争がアフガン女性のためになると述べるのは、彼女たちにとってタリバンの支配下で生きるより、爆撃で死んだり、空腹や寒さで死ぬ方がましだと決めつけることだ。隷属よりむしろ死を。それが彼女たちのためになると西側社会は決定したのだった。もしそこで天秤にかけられたのがアフガン女性の命ではなく自分たちの命だったとしたら、この決定は壮絶なものだっただろう。

 「アフガン女性の解放」を口実に仕立てあげるこの無責任なやり方に、他人の生命を思い通りにする権利を振りかざす西側社会の傲慢が見て取れる。このような姿勢が、アフガン女性に対する彼らの態度のどれをとっても浸み込んでいる。もっと一般的に言うと、支配する者から支配される者への態度である。

 国際正義について、個人にも当てはまるような単純な規範を提唱したい。結果をこうむるのが他者である決定を下す権利は誰にもない。壮絶な決定ならなおさらのことだ。戦争が耐えるに値すると言えるのは、その代償を払う国民だけのはずだ。しかしこの戦争では、決定を下した社会がそれに耐えることはなく、耐えているのは自分では決定しなかった社会なのだ。現在も、道端で、テントの下で、難民キャンプの中で、何百万人ものアフガン女性が暮らしている。国境の外にいる難民は戦争以前より100万人増え、さらに100万人が国内で避難民となっている(6)。多くの人々が死の危険にさらされている。この「犠牲」がなんらかの権利の追加をもたらす保証はない。そもそも、彼女たち自身が選んだわけではないのに、犠牲という言葉を口にすべきだろうか?

 最低限の礼節として、このような苦しみを課しているのもアフガン女性のためだなどと、同盟国が声高に主張するのは止めることだ。彼女たちから自分の運命を選ぶ権利、さらには生きる権利さえも奪っているのは、彼女たちの自由のためだなどと主張するのは慎むことだ。しかしながら、この常套句はどうやら大当たりをとっているようだ。悪に立ち向かう同盟軍が武器によって善をもたらすと誓った国の名前は数知れない。それが過去の歴史上の出来事、あまりにも昔のことなので古めかしく聞こえる出来事、つまり植民地戦争に似ているというのは、もちろん偶然の一致に違いない。

 支配と搾取を目的とした戦争が、人権問題を前進させることはあり得ない。何故なら、文明の名のもとに行われたアフガニスタンへの爆撃は、その文明が掲げた数々の主義主張を忘却の彼方へと追いやってきたからだ。同盟国はジュネーヴ条約には目もくれず、まず最初にマザリシャリフの殺戮その他の犯罪の共犯者となり(7)、そして今度はアメリカの策略の共犯者となっている。アメリカは新たな法律もどきの概念を編み出した。グアンタナモに収監された「非合法戦闘員」には、いかなる国内法、国際法、一般法、戦争法も適用されないというのだ。我々の民主主義が誇らしげに語る基本的人権は葬られた。国際法はもはや虫の息だ。国連という死に体の高級官僚集団がそれを物語っている。人権問題を進展させることができるのは、国民どうしの本当の平和的な協力だけだ。現在のところ何も具体化していない。それは我々の肩にかかっているのだ。

(1) 1月末、カンダハル州知事のグル・アガが軍閥のイスマイル・カーンと、ヘラート市の支配権を奪いあった。Globe and Mail, Toronto, 22 January 2002.
(2) 子供のいない未亡人が夫の兄弟と結婚する義務。
(3) http://www.rawa.org/ 2001年12月10日付の文書を参照。
(4) 顔を含めた全身を覆い隠す衣服。頭髪を隠すだけのスカーフのことではない。
(5) 2002年1月23日、テレビ局アルテで放映されたサイラ・シャー「暗闇からの脱出?」、アントニア・ラドス「カブールの女性たち」という2つのドキュメンタリーによる。
(6) http://www.hcr.org/, http://www.msf.org/ 参照。
(7) Robert Fisk, << We are the war criminals now >>, The Independent, London, 29 November 2000. また、ヒューマン・ライツ・ウォッチおよびアムネスティ・インターナショナルのウェブサイト(http://www.hrw.org/, http://www.amnesty.org/)参照。


(2002年3月号)

All rights reserved, 2002, Le Monde diplomatique + Ando Rikako + Jayalath Yoshiko + Saito Kagumi

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