米ロ中の自己流の共演

ジルベール・アシュカール(Gilbert Achcar)
パリ第八大学教員

訳・逸見龍生

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 米国が構築した大規模な反テロ国際同盟を、「多国間主義」への方向転換の表れととるのは誤りだ。それどころか、米国政府は「単独主義」への傾斜を深め、同盟諸国の意見を求めることも、意思決定に直接関与させることもないまま、自らが率いる戦争の軍事的・政治的「使命」を独自に定めている。はたしてロシアと中国との関係は、きわめて微妙な三つどもえである。これら二国はそれぞれ米国の良き協力国であると主張しつつも、実際にはあくまで自国の利益を守ろうとしているのだ。[訳出]

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 国際関係へ及ぼした衝撃という点で、ニューヨークとワシントンへの襲撃ほど曲解された事件は稀だろう。1941年12月7日の真珠湾攻撃を挙げた者も多かった。この種の比較のもつ意味は、好戦主義者にとっては明白だ。それは米国政府の新たな干渉主義の根拠となる。クリントン政権による「人道的戦争」の後、ブッシュ新政権はいまや「テロとの戦い」の旗印のもとに、国際社会を従えようとしているのだ。

 同時に米国務省は世界へ向けて、新政権が発足当初は拒否したかにみえた「多国間主義」を今後は目指すというメッセージを発信しようとし(1)、メディアも大々的にこれを報じた。この点については、湾岸戦争との比較がきわめて有益だ。湾岸戦争当時、自国と世論を戦争へと導くために、父ブッシュは広範な国際同盟の支持を後ろ盾とし(2)、国連決議というお墨付きを手に入れ、ロシアと中国の共謀を陰に陽にとりつけた。米議会が1991年1月の一方的な軍事力発動を僅差で承認するに至るまでには、こうした数々の要因が働いていた。

 10年後、息子のブッシュは、父と同様の「多国間主義」を再構築するどころか、「同盟」の体裁をとった「単独主義」への傾斜を深めている。まさにヴェドリーヌ仏外相が言ったように、「米国は再関与においても単独主義にとどまっている(3)」。もう一度、湾岸戦争と比較してみよう。1991年の戦争は、デクエヤル国連事務総長(当時)が的確に指摘したとおり、国連の名のもとに行われたが、国連によって行われたわけではない。とはいえ、米国の軍事行動が安全保障理事会からの委任の範囲内にあったのは事実である。国連による制約は、中東諸国による反対とともに、フセイン体制打破に向けたバグダッド進撃をしなかった口実とすらされた。それに対して今回は、ラムズフェルド米国防長官の言葉によれば、「使命が同盟を決めるのであって、同盟が使命を決めることは認められない(4)」。使命を決めるのはもちろん米国政府である。

 事実、安保理が9月12日の決議1368号で、前日の襲撃に対する報復に必要なあらゆる措置を国連憲章の枠内で講ずる用意があると宣言したのに対し、米国はその必要はないと固辞した。北大西洋条約機構(NATO)の同盟諸国は、集団自衛に関わる条約第5条を初めて発動する方針を即座に決めたが、米国はこれも断った。そして、忠実なるブレア英首相とともに(今日では「ブレア米国副大統領」と揶揄する者もいる)、単独で戦争を始め、同盟諸国に対しては、米国の必要と米国の条件に応じ、米国の単独指揮のもとに、個別の軍事的貢献を求める特権を確保した。

 「われわれとともにいるか、テロリストとともにいるか」。ブッシュ大統領は2001年9月20日に議会を前にそう語った。11月6日、シラク仏大統領を迎えたブッシュ大統領は、「同盟諸国」へ向けて次のように警告した。「同盟国は、単に同情心を示す以上のことをすべきだ。自らの任務を果たすべきだ。(中略)こうして語っている今、特定の国を念頭においているわけではない。疑わしきは罰せず、その原則はだれもに等しく適用されねばならない。だが、長期的にみれば、諸国は何もしないことの付けが重みを増すことを知っておくべきだろう」

 この言葉は表面的には、1991年に比べれば目立って数も少なく、また米国への協力態勢もはるかに弱まったムスリム諸国へと向けられていた。だが、そこに同席していたのは、西欧の同盟国の首脳だった。フランスは9月11日の襲撃以来、米国との連帯を謳う国際的な大合唱に加わり、また限定的ながらアフガニスタンへ援軍を派遣していた。しかし同時に、あまり乱暴で単独主義的な反応を示してはいけないとか、国連を通して事を構えるべきだとか、またもや米国首脳部が頼みもしない忠告を繰りかえしていた。当初はEU加盟諸国もフランスの姿勢を支持した。

 だが、EUが米国に対して統一的で独立した態度をとることを期待したすべての人びとは、事態の推移に失望した。ブレア首相と歩調を合わせるように、シュレーダー独首相は米国の制空支援のために空中警戒管制機(AWACS)を送り込み、さらには米国政府の要請に基づき、連立政権に大きな政治的危機を招くことも辞さず、連邦軍を派遣するとの決断を下した。ベルルスコーニ伊首相が後に続き、フランスもミラージュ戦闘機を投入するに至った。これらの国々、そして他の加盟国が、米国の要請にこのように個別に対応した事実は、EUの「共通外交・安全保障政策」の限界を雄弁に物語っている。

上海首脳会議

 とはいえ、国際関係に転換があったとすれば、それは米国と伝統的な同盟諸国ではなく、米国と中国およびロシアとの関係においてである。これらの二大国は数年前より「一極覇権」への牽制を唱え、米国への対抗上、軍事的・政治的な協力関係を強めてきた。だがこの観点からすると、アフガニスタンへの空爆は、中ロ両国の同盟国であったセルビアへの空爆とは似ても似つかない。実際、中ロ両国とも米国と同じく「イスラム・テロ」対策を訴えている。1996年以来、イスラム戦闘集団に共同して対抗するために、ロシアと関係の深い中央アジア三カ国(カザフスタン、キルギス、タジキスタン)とともに「上海グループ」を作っているほどだ。同グループは2001年6月、ウズベキスタンを六番目の加盟国に加え「上海協力機構」として制度化された。それゆえ、今日ロシアと中国が国際的なイスラム過激派対策を支持しても不思議はない。

 しかし、9月11日後の中国は、原則的には「テロ」との戦いを支持すると表明しながらも、湾岸戦争の際に安保理決議で棄権した時と同様の留保をつけてきた。11月10日にドーハ会議で正式に承認された世界貿易機関(WTO)への加盟を控え、中国首脳部は米国の神経を逆撫でしないよう注意しつつ、米国への支持に二点の留保条件をつけた。襲撃への報復が国連の枠組みで行われること、そして新彊(シンチャン)での「イスラム・テロ」との戦い、さらには台湾の「分離主義」に対する戦いを米国が支持することである。

 中国には、世界の現状に危惧を抱く理由がいくつもある。まず、西部国境付近に米軍が今後も駐留を続けることが予想される。パキスタン、インド両国との関係を米国が強めれば、インドを牽制するためにパキスタンを支持してきた中国の行動の余地が狭まることになる。日本は海外への軍事介入を行うような政治的能力を取り戻し、新たな一歩を踏み出した。米国は、「テロ」支援国とみなした国家への軍事関連機器の輸出を中国がやめるように圧力を強める一方、自らの台湾への武器輸出を減らそうとはしない。そしてもちろん、米ロの接近は、米国のミサイル防衛構想へのロシアの同意に結びつくのではないかと中国の不安を呼ぶ。

 米中関係の緊張は実際には緩和したというより、むしろ激化したほどだ。米国は今年、ミサイル製造に利用できる物資をパキスタンへ輸出したとして(中国首脳部はこれを否定している)、中国に制裁を課していたが、それを解除することを拒否したのだ。核拡散防止を名目としていたインド、パキスタン両国への制裁は9月11日以後に解除されただけに、米国の決定は中国を苛立たせた。米国のこの失策は、10月、上海でのアジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議の結果に響くことになった。この首脳会議は、戦時の米国とのアジア太平洋諸国の連帯を謳い上げる場となるはずだった。だが、公式には米国政府は会議の結果に満足感を表明したものの、実際には失望せざるを得なかった。上海会議の最終決議には、米国の軍事攻撃を直接支持する文言は盛り込まれず、対テロ行動は国連と国際法の枠内でなされる必要があると強調されていた。

 この会議ではまた、プーチン大統領と江沢民(ジャン・ツェーミン)主席、ブッシュ大統領による、注目すべき三つどもえが繰り広げられた。10月19日、ブッシュ大統領は江沢民主席と会談したが、米国のミサイル防衛構想の根拠を中国側に納得させることはできなかった。翌日のプーチン大統領と江沢民主席の会談は、アフガニスタンへの空爆の早期終結を呼びかけ、ブッシュ大統領が実効性を失っているとみなす弾道弾迎撃ミサイル(ABM)制限条約への支持を確認する共同声明を生んだ。その翌日の米ロ首脳会談は、米国にとって歓迎すべき結果となった。プーチン大統領は、米ロ双方がミサイル防衛問題について合意に至ると確信するとの声明を発表、それに対しブッシュ大統領は冷戦の「真の」超克をあらためて訴えた。

ロシアの要求項目

 プーチン大統領がうまい位置につき、それを意識していると思われるこの三つどもえ関係は、最近の一連の事態によって始まったわけではない。プーチン大統領は着任以来、ロシアの二大輸出産業である石油部門と軍需産業の利益に沿うような二本立ての外交政策を進めてきた。米国政府の不満をよそに、中国、インド、イランをはじめとするロシア軍需産業の顧客との関係を強化してきた(5)。また、石油の有望な輸出先として同じく中国、そしてドイツの二国を厚遇してきた。中国には、2005年までに全長2400キロのパイプラインを建設し、シベリアの石油を送り込む。ドイツは現在でもロシアを最大の天然ガス輸入先、また重要な石油輸入先としており、そのうえロシアの主要債権国の一つである。さらに、プーチン大統領はイラクとの関係強化にも乗り出した。同国への制裁が解除されたあかつきには、ロシア石油産業にとってきわめて有望な契約に結びつくとの期待からだ。

 2001年7月、プーチン大統領は中国と20年間に及ぶ善隣友好協力条約を結んだ。条約の政治条項の矛先は暗に米国政府へと向けられていた。その同じプーチン大統領が、ブッシュの大統領就任後4回も会見し、その都度両国の友好と相互理解を表明している。両者の接近の理由は容易に知れる。就任当時、ヨーロッパ諸国からの冷ややかな反応に苦しんだブッシュ大統領は、新政権が主要政策目標の一つとするミサイル防衛構想を同盟諸国に認めさせ、さらに自国内でも承認させるためには、ロシアを丸め込む必要があることを悟ったのだ。プーチン大統領の側としても、米国のミサイル防衛構想がロシアの核抑止力を骨抜きにするようなものではない以上、少なくともここしばらくは対米関係上の貴重な取引材料となると踏んだ。

 ブッシュ政権は防衛ミサイルの新たなテストを制限なく実施するため、1972年のABM制限条約の破棄ないし抜本的修正に同意することをロシアに求めているが、その見返りとしてロシア側が示す対米要求項目は、ここ数カ月の間に膨れ上がっている。まず、合意に基づいて均衡を図りつつ、両国の戦略兵器の一層の削減を実施しなければならない。現在ロシアが保有する核兵器は抑止力の必要をはるかに超えた規模にあり、ロシアとしてはその維持費を減らし、通常兵器予算を増額させたいと考えている。次に、パリ・クラブ(6)諸国はロシアの対外債務を削減しなければならない。また、米国は2004年をめどに進められているロシアのWTO加盟を支援するとともに、1974年のジャクソン=ヴァニク修正条項(7)のようにその障害となっている制度を廃止しなければならない。これらがロシアの要求項目に含まれている。

 9月11日の襲撃が起こった際、プーチン大統領はただちに機会を捉え、少ない犠牲で対外的な立場を強化するとともに、ドイツや他のヨーロッパ諸国に対してポイントを稼いだ(8)。例えば、ドイツ連邦議会でプーチン大統領が厚遇されたように、ロシアのチェチェンでの戦争に西側諸国が理解を示すようになった結果、ロシア国内では、政府が行おうとする対外的譲歩に対する議会の反対が緩和された。NATOとの急激な関係好転に勢いづいたプーチン大統領は、NATOの意思決定へのロシアの関与や、軍事的行動に参加しない加盟国を含んだ政治機構へのNATOの変質すら夢みるまでになった(9)。さらにロシアの得た見返りとして、大手米国石油会社エクソンが、ロシア極東部のサハリン第1鉱区に近々40億ドルを投資すると決定したことも挙げられる。

米国政府の真意

 プーチン大統領のこのような姿勢により、ロシアは少なくとも短期的に大きな犠牲を払うことはない。1990年、ソ連帝国の維持を断念したゴルバチョフ大統領(当時)が、重要顧客であったイラクを犠牲にして西側諸国との関係改善を図った時とは事情が違う。タリバン政権下のアフガニスタンは、かねてよりロシア政府の目の敵だった。ロシア政府は、チェチェンの反政府イスラム勢力への支援に対する報復措置として、アフガニスタンを爆撃すると威嚇していた。さらに、カブールを敵視する米ロの協力は、すでに米国政府がタリバン勢力と袂を分かった時から始まっていた。2000年6月以降、当時のクリントン大統領とプーチン大統領が創設したアフガニスタン共同作業グループが、定期的に会合を持つような状況にあった。

 具体的にロシア側が行っているのは、両国の不倶戴天の敵であるアル・カイダの情報を米国へ伝えることぐらいで、それ以上はあまり深入りしていない。ロシアは戦争に直接軍事的に関与する見通しは一切排除しつつ、米軍機の領空通過を認めたが、それも公式には人道支援目的の飛行に限っている。米軍飛行士の救出作戦への参加を約束したとはいえ、タリバン勢力による米軍機撃墜の可能性はゼロに等しい。ロシアはまた、前々から支持してきた北部同盟に対し、政権樹立を期待して軍事支援を強化したが、これは米国政府の重要な地域同盟国であるパキスタンの利害と衝突する。ロシアはさらに協力的なところを見せようとして、米国領土を傍受対象としていたキューバ、それにヴェトナムにあった電子傍受基地(10)を撤収するとの決定を下したが、これもさしたる痛みはない。

 プーチン大統領が米国政府に示した見るからに鮮やかな支援は、アフガニスタンと国境を接する旧ソ連諸国への米軍展開にゴーサインを出したことである。だがこの点についてもまた、ロシアの譲歩は見かけほど大きなものではない。9月11日以前、それどころか5年以上も前から、米国はウズベキスタンのカリモフ独裁政権との軍事協力を進めていたからだ(11)。ウズベキスタンにはすでに米軍部隊が入っており、ロシア大統領が米軍の到着を禁止できるような状況にはなかった。タジキスタンについては、ロシア政府の態度は依然としてあいまいである。ラムズフェルド米国防長官はモスクワを経由して首都ドゥシャンベを訪問したが、ロシアに服属するこの国の飛行場使用に関し、確固たる答えは返ってこなかった。

 このように、ロシアが実際に譲歩した部分は見かけほど大きくはない。プーチン大統領の負った最大のリスク、大統領側近や軍の懸念と批判が集中しているリスクは、アフガニスタンと中央アジアに米軍の長期駐留を許し、この旧ソ連勢力圏で進行中の石油と戦略をめぐる「グレートゲーム」の大きな切り札を米国に与えてしまったことだ(12)。とはいえロシア軍上層部では、アフガニスタンは蜂の巣であって、米国も絶対に意のままにすることはできまいとみている。中には、ソ連が落ちたのと同じ死の罠に、米国とその同盟諸国が陥るだろうと喜んでいる者もいる。もっともプーチン大統領はこうした状況をみてとり、ワシントンに出発する前日に、軍の俸給と予算の引き上げを軍上層部に約束するという配慮を忘れなかった。

 ブッシュ大統領がプーチン大統領との関係で見せている無邪気ぶりから想像されるほど、米国はまぬけではない。10月半ばの首脳会談の際、米国大統領は重要な点を何一つ譲らなかった。米国防総省が十分と判断する水準まで核兵器を削減すると一方的に宣言するとともに、かつてクリントン大統領とエリツィン大統領が協議し、プーチン大統領が要求している新たな戦略兵器削減条約(START)にしばられることは拒絶した。また、ミサイル防衛構想の推進に必要とあらば、ABM制限条約を一方的に破棄するとの決意を繰りかえした(13)

 例によって、国際関係における米国「現実主義」の二大巨頭、ズビグニュー・ブレジンスキー氏とヘンリー・キッシンジャー氏が、競い合って米国政府の真意を代弁している。二人とも最近の論説で、米国が単独行動に徹することがいかに重要かを説き、米国軍事行動の次なる標的はイラクだとする(14)。結局のところ、9月11日は、その後の数週間がすでに示しているように、米国が冷戦以降、新たに覇権と単独主義へと向かう動きを強力に押し進めるものとなっているのだ。

(1) この試みの適当な例証となっており、また、外交的な言い回しの中から新たな「多国間主義」の定義をうかがわせる論文としては、国務省の手になる以下の文献中の同省政策企画室長 Richard Haas による論説を参照。<< After September 11 : Americain Foreign Policy and the Multilateral Agenda >>, Office of International Information Programs, US Departement of State, Washington, 14 November 2001.
(2) Edward Luttwak, << New Fears, New Alliances >>, New York Times, 2 October 2001 は(あくまで一例にすぎないが)この点を忘れていて、今回のような「国際秩序のための大国間の連合」は、19世紀中葉の大国の反革命連合このかた聞いたことがないと言ってのけた。この筆者は「米国の対外政策における革命」の到来とまで信じ込んでいる。
(3) ル・モンド2001年11月16日付。
(4) << Face the Nation >>, CBS, 23 September 2001.
(5) 2001年10月2日、ロシアと西側諸国の蜜月期の真っ最中にもかかわらず、ロシアはイランへの70億ドルの武器輸出に関する基本協定に調印した。
(6) 公的債務に関わる債権国会議。[訳註]
(7) もともとは旧ソ連に対してロシア系ユダヤ人の出国を認めさせるために作られた「ジャクソン=ヴァニク修正条項」は、対ロ貿易を一年毎に議会承認にかけることにより、米国の対ロ貿易の恒久的正常化を妨げるものとなっている。
(8) ニーナ・バシュカトフ「モスクワはなぜ対テロ同盟に加わったか」(ル・モンド・ディプロマティーク2001年11月号)
(9) ロシアは、どちらかの条件が満たされない限り、2002年11月のプラハ首脳会議で予定されているバルト諸国のNATO加盟を承認できないとする。
(10) ロシアのクワシニン参謀総長は、キューバのルルデス基地の年間使用料2億ドルがあれば、20基の軍事衛星の製造と打ち上げを行い、多数の新型レーダーを保有できるという。もともとは中国海軍の偵察を目的としていたカム・ラン湾基地の場合も、ヴェトナムから年間3億ドルを使用料として要求されている。
(11) See C. J. Chivers, << Long Before War, Green Berets Built Military Ties to Uzbekistan >>, New York Times, 25 October 2001.
(12) ヴィッケン・チェテリアン「湾岸から中国に至る紛争の地図」(ル・モンド・ディプロマティーク2001年11月号)参照。
(13) 2001年12月13日、米国は条約からの離脱を正式に通告した。[訳註]
(14) Zbigniew Bresezinski, << A New Age of Solidarity ? Don't Count on It >>, The Washington Post, 2 November 2001 ; Henry Kissinger, << Where Do We Go From Here ? >>, The Washington Post, 6 November 2001.


(2001年12月号)

All rights reserved, 2001, Le Monde diplomatique + Hemmi Tatsuo + Saito Kagumi

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