モスクワはなぜ対テロ同盟に加わったか

ニーナ・バシュカトフ特派員(Nina Bachkatov)
欧州通信社(EuroPA)記者、ブリュッセル−モスクワ

訳・渡部由紀子

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 2001年10月20、21日の両日、上海で開かれたアジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議での振る舞いからもわかるように、プーチン大統領は決して衝動によって動く人間ではない。自国の切り札も弱点もよくわきまえている。ブッシュ大統領に哀悼の意を述べ、テロ対策への協力を申し出たのも早かった。そのために、国際テロに対する米国政府の「十字軍」に白紙委任を与えてしまったと性急に結論付ける向きもあったほどだ。しかし、ロシアが主導権を握ることもなしに、とばっちりだけを受けるような挙に出るはずもない。

 プーチン大統領は、9月11日に世界が一変したこと、主導権を維持するためにはロシアも順応せざるを得ないことを直ちに察知した。かつてはセルビア空爆を非難する集会の場となった米国大使館の前で、ロシア国民が花やろうそくを手向けるなか、プーチン大統領は黒海沿岸の保養地ソチの別荘に引きこもった。トランクには、ここ数日の事態についての論評や分析、上下両院および諸政党の支持声明、そして世界各国の首脳との談話の内容を詰め込んでいた。この極めて象徴的な行為により、エリツィン前大統領のお忍びの療養地であったソチは、ロシアのキャンプデーヴィッドへと変貌した。米国の大統領と同様、ロシアの大統領もまた、この危機への対処が自分の政治生命にかかわることを感じていた。そして、テレビでの二度の会見により、ロシアの立場と限界を明確に示した。9月22日、プーチン大統領は「ロシアにとって、対テロ同盟に参加する以外に選択肢はない。文明社会の力を結集して立ち向かわなければ、テロに打ち勝つことはできないからだ」と宣言した。しかし、ロシア兵を戦場に送り込むことは問題外であった。その2日後、つまり大々的に報道されたドイツ訪問の前日、プーチン大統領はロシアが米国主導の対テロ国際同盟に参加する際の「五箇条」を表明した(1)。これらは一言一句、もし米国が行き過ぎた一方的な行動に出れば、いつでも手を引けるような余地を残しつつ、あらゆる可能性を閉ざさないよう注意深く選び抜かれていた。

 ロシア政府が提供したのは人道支援目的の領空通過権、そして現地に関するロシアの情報と経験である。いずれにせよ、慎重な態度に終始するものであり、外部からの支援さえあれば、アフガン人が自力で国をタリバンから解放できるとの発想に基づいている。逆に外部勢力が直接介入すれば、アフガン人がオマル師の下に結集することになり、北部同盟が「侵入者」に敵対する危険さえあるというのが、ロシアの専門家の見立てである(2)

 それによれば、実際の介入は控えめにし、また、標的を絞った限定空爆を超えるような軍事作戦を行うなら、その長期的な政治的影響を常に念頭に置かなければならない。さらに、作戦で市民に死者が出れば、同盟内部のイスラム諸国が連帯感から反発するおそれがある(3)

 ロシアは協力と引き換えに、チェチェンで展開する戦争について西側諸国の政治的支持を取り付けた。この意義は大きい。ロシアにとってチェチェンはアフガニスタンよりずっと優先順位が高いからだ。西側諸国は、チェチェン紛争でイスラム原理主義と国際テロ組織が大きな役割を演じていたことを認め、これらの戦闘員の資金の流れを断つことを約束した。ロシアはそのうえ、イランへの軍装備輸出契約を締結するという成果まで上げた。米国が大切な同盟にひびを入れないことを優先し、口をはさまないだろうと踏んでいたのだ。ロシアのある新聞によると、これらの装備はイラン政府が「ペルシャ湾の石油パイプラインを事実上掌握する(4)」ことを可能にするようなものだった。

 にもかかわらず、米国はロシアに金づるまで与えようとして、世界貿易機関(WTO)へのロシアの早期加盟を後押しすることを表明した。このようにロシアはかなりの成果を得ているが、いずれも二次的なものにすぎない。ロシア政府にとって、何よりもこの国際的危機は、今までの戦略バランスが完全に崩れたことを意味し、「21世紀の世界」の創造に大国の立場で参加するための政治的手段となるものである。ヨーロッパを例にとれば、欧州連合(EU)への統合を加速し、またそれ以上に、北大西洋条約機構(NATO)との新しい協調関係を築いていくということだ。

 ロシアが(大きな幻想は抱かないまでも)期待していたようなシグナルは、EUからではなく、NATOから届いた。テロの翌日、NATO加盟国の代表は各国政府の圧力の下、加盟国の一つに向けられた攻撃は全加盟国に対するものとみなす北大西洋条約第5条を適用することを全会一致で決定した。NATOは今回のテロ攻撃を戦争行為とみなしたことで、防衛組織から安全保障組織へと変質した。これは米国にとってだけでなく、ロシアにとっても勝利だった。それぞれ理由は異なるものの、双方が望んでいた変化だった。

 米国主導の同盟に参加するロシアにとっては、NATO事務総長がテロを安全保障上の問題と位置付けたこともあいまって、より直接的に決定過程にかかわれるような新しい機構づくりが重要となる。ロシアがこれまで断じて受け入れようとしなかった旧共産主義国へのNATO拡大の問題も、新しい展望の中に位置付けられるようになった。これらの国々はNATOに加盟することになるだろうが、それはもはや別のNATOである。プーチン大統領は、ロシア自身が加盟する可能性すら口にした。さらに、もしNATOが変化するなら、EUもまた変わらざるを得ない。というのも、ヨーロッパからアジアにかけて3つの組織体(EUとその軍事機構、NATO、ロシア)が直接的な調整なしに併存することは不可能だからである。

ロシアにとってのリスク

 ロシアはこうした成果を収めつつも、対テロ同盟の目的はどこに置かれているのか、米国にどこまでこの多面的な危機を収拾する力があるのか、と疑問を投げ掛けた。

 米国大統領は、自国の領土で地上戦を経験したことのない国民に向け、愛国心を高揚させるカウボーイの口調で語り掛ける。それに対し、ロシアの大統領が向き合っているのは、現在のチェチェン紛争も含め、それぞれの世代が虐殺や荒廃を知っている国民である。ロシア政府の目からみれば、米国政府の政策転換や米国世論の変心が気懸かりだ。兵士たちがアジアやどこかから棺となって戻って来るのを迎える心の準備が、米国民にできているとは思えない。もし、アフガニスタンへの攻撃がうまくいかず、あるいは、作戦が被害を拡大するばかりで問題に「片を付ける」ことなく中途半端に終わったとしても、ロシアは米国と違って、海の彼方へ退却することはできないのだ。

 ロシアにとっては、ビン・ラディン氏個人というよりタリバンが滅び、自国の勢力圏の辺縁に安定的で、できれば民主的な政権が確立することに関心がある。ロシアはしかし、米国が今回の十字軍をイラクやシリア、レバノン、リビアなど、国際テロの温床と考えられている国にまで拡大するのではないかと懸念している。

 また、ロシアの領空を(たとえ人道支援のためであっても)利用することにも、強い懸念が寄せられている。国軍が即座に反対したのは、何もがちがちの強硬論からだけではない。国軍は、プーチン大統領が領空通過を民間機に制限しなかったのは、NATOと独立国家共同体(CIS)の探知装置に互換性を持たせるためには複雑な技術を要し、莫大な費用がかかることを正しく認識していないせいではないかと懸念したのだ。

 中央アジアの問題は、もっとずっとデリケートだ。たしかにプーチン大統領には、どうしようもなく受け入れざるを得なかった側面もある。彼は、中央アジア各国の大統領たちが「CISの枠内で行動し、CISを通じて協議と決定を行う」べきことを強調した。しかし9月24日以降、5つの共和国の元首たちは、米国との2カ国間協議に基づき、米国への協力を申し出ている。10月5日、1000人の米兵がウズベキスタンに向けて飛び立ったとき、米国は2つの願いを成就した。ウズベキスタンをロシアに対抗する地域大国として認めさせるとともに、対テロ同盟の勢いに乗って、10年にわたり画策してきた中央アジア進出を果たしたのだ。

 ロシアもウズベキスタン周辺諸国も、この米国の夢が悪夢に変わることを恐れている。ロシア、イランおよび中国との国境付近に情報収集と通信傍受の施設を設けることにより、米国はデリケートな地域一帯の戦略地政学上の均衡を揺るがした。ウズベキスタンやタジキスタンのように不安定な国の内部に米軍が駐屯すれば、湾岸戦争以降7000人の米兵が駐屯するサウジアラビアのように、反対運動が過激化するおそれがある。

 目下のところ、モスクワで出回っている公式見解では、米国は行き過ぎを望んでおらず、ブッシュ大統領もNATO事務総長も相次いで、この地域への長期にわたる駐屯は行わないことを約束したとする。いずれにせよ、現在も中央アジア諸国とロシアは一連の条約(経済、関税、軍事、反テロリズム)によって結び付いており、条約破棄を考えている国はないと言われている。

「ティッシュ外交」はお断り

 ロシアが対テロ同盟への参加について原則賛成で一致しているのは、途中で降りることはできず、どうしても「AならばB、BならばC」となることを確信しているためである。さらにモスクワの戦略国際研究所のイリーナ・ズヴャーゲルスカヤ所長の指摘によれば、多くのロシア人が公式発表とは逆に、冷戦時代の精神は現在も残っていると考えている。たしかに、米国の多くの論調は当時の固定観念に急速に舞い戻り、あらゆる機会を利用して旧ソ連圏におけるロシアの影響力を抑えるべきだと主張している。EUでも新興諸国の「独立擁護」という主張がしきりと言われるが、独立といっても、特に経済分野で依存先が替わったにすぎない場合が多い。

 西側諸国が犯しかねない大失策を危ぶむにあたっては、アフガニスタンでムジャヒディンを支援したこと、旧ソ連のイスラム地域で「多元主義」を推進すべく外国の宗教グループを後押ししたことなど、過去の例にまでさかのぼる必要はない。テロの数日前、米国の上院議員団が中央アジアを訪れている。そして、かつて米国が宗主国の英国に対して戦ったように、キルギスもロシアを相手に戦うべきであり、アフガニスタンを見ならって国土を一分の隙もなく守るべしとキルギス議会を激励し、彼らを唖然とさせた(5)

 ロシア人が、西側諸国と利害が一致しない場合は自分たちが犠牲にされると懸念するのは、ユーゴスラヴィアの例がトラウマになっているからだ。ロシア政府は、使い捨ての「ティッシュ外交」に終わることを望んではいない。ロシアが恐れているのは、米国から大いに利用され、旧ソ連諸国との関係を引っかき回されたまま、あとは知らん顔を決め込まれることなのだ。

 「国際的な対テロ闘争に加われば、西側諸国を支援することになり、古くからのアラブ諸国との関係を損ねることになる。しかし距離を置けば、(中略)西側との摩擦の種となるのは必至である」。多大な影響力をもつ外交国防政策評議会の幹部、アンドレイ・フョードロフ氏が説明する(6)。同じ日付のヴレーミャ・ノーヴォスチ紙も、西側と同盟を組むことは「ビン・ラディンと心中することだ」と示唆している(7)

 それでもなお、ロシアは機会をうまく捕らえたといえる。ロシアの外交官たちは当初から、9月11日の事件が地政学上の勢力図を引き直すものであることを理解していた。彼らは、政府がこの転機を逃すのではないかと憂慮し、躊躇する外務大臣を突き上げ、政府各省の武官や文官の矛盾する声明にかみついた。プーチン大統領の態度、とりわけドイツ議会で行う予定の演説を書き換えた決断は、ロシアの外交官たちを直ちに安心させた。国民の大半が大統領の選択を支持し、新聞もプーチン政権が登場して以来の党派色を排し、珍しくプロ精神を発揮する報道ぶりを示した。

 このように、ロシアは数々の困難、複雑な課題、様々な留保条件に縛られていることから、自分が将来の地位を確保できるように、同盟をあくまで「利用できる手段」にしようとする。その一方、国際テロは乱暴なグローバリゼーションが引き起こした病気であるとして、ルールを制定することを望んでいる。あのテロ以来、ロシアにおける議論がもはや「多極世界」一辺倒ではなく、「グローバリゼーション」という言葉が頻繁に聞かれるようになったのは、注目に値する。

 クレムリンはおそらく、様子を見ながら立ち回りを続け、米国の好戦論に対する良識の声を役どころとするだろう。こうした姿勢が、ロシアという国とその歴史、国民の心理にひそむ相対的な弱さ、そしてアラブや東洋との複雑な関係によって強いられているとはいえ、これらを犠牲にしても新しい同盟を優先するというのは論外である。10月7日の最初の空爆以来、ロシア大統領は国際テロとの戦いに対する支持表明を繰り返し、あとは事態の進展を待っていればよいという立場を手に入れた。

(1) 情報交換、人道支援目的の領空通過の許可、アフガニスタンで米兵救出作戦が行われた場合の協力、中央アジアの軍事基地の利用、ラバニ大統領率いる北部同盟軍への支援強化。
(2) 2001年9月25日、北部同盟の戦闘部門が、ORT(ロシア公共テレビ)の特派員に対して宣告した。「われわれの支配地域に国連の旗なしに入って来る外国部隊は、銃撃によって迎えられることになるだろう」
(3) 例えば、元駐アフガニスタン・駐米大使ユーリ・ウォロンツォフのヴレーミャ・ノーヴォスチ紙(モスクワ、2001年9月27日付)での発言。
(4) ニェザヴィシマヤ・ガゼータ紙、モスクワ、2001年10月4日付
(5) デロ・ノ紙、ビシケク、2001年9月5日付
(6) ニェザヴィシマヤ・ガゼータ紙、2001年9月14日付
(7) ヴレーミャ・ノーヴォスチ紙、2001年9月14日付


(2001年11月号)

* 後ろから六段落目の「キルギスタン」を「キルギス」に訂正(2001年12月24日)

All rights reserved, 2001, Le Monde diplomatique + Watanabe Yukiko + Saito Kagumi

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