融合の映画作家、ヨハン・ファン・デル・コイケン

フィリップ・ラフォス(Philippe Lafosse)
ジャーナリスト

訳・逸見龍生

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 ニューヨークの路上でもぐりの賭博に興ずる人びとのコインや札束から、アムステルダム証券取引所内の無数の電話機とその喧噪へと、カメラは注意深く執拗に対象を追いつづける。ホットマネーの目的も、賭けと儲けであることにかわりはない。だが証券取引所では、カネは聞こえるだけだ。目には見えない。「真夜中だって他人をたたき起こせる力をくれるのは、カネだよ。資本だよ。ゴールドさ。つまりは欲得ずくさ」と、肘掛椅子に座った投資コンサルタントが語る。部屋の外、窓の向う側には雪と泥と寒気が広がっている。かなた遠く、オフィスの現実の背後に、ヘルメットをかぶった労働者たちの姿が逆光でみえる。咆吼する獅子の彫像や、畜殺場にぶらさがった肉片の映像が、香港銀行頭取の演説の合間に挿入される。頭取は淡々とこう解説している。買い手がつくかぎりは、ステーキの値段に比べて、ドルの価値がやけに水増しされているとはいえないと。

 カトマンドゥ、ブルキナ・ファソ、パリ、リオ、そしてパレスチナ、チベット、サラエヴォ、ペルー、アムステルダム、マリ・・・。いたるところへカメラはゆく。人がいて、時が流れ、世界が展開しているところへ「身をおく」ために。「人びとの顔や存在の中にある変わらないなにかを残す」ために。1938年生まれのオランダ人、映画作家で写真家、批評家で作家のヨハン・ファン・デル・コイケンは、40年間におよそ50本の長中短編映画を撮影した。その多くはスケールが大きく、さまざまな交錯、たえまない往還に満ちている。簡素で、異国趣味はかけらもない。それは融合の映画だ。さまざまな世界の融合、さまざまな身体の融合の映画であり、「わたしたちはおなじ一枚の織布」であることを思い出させる。

 繊細に、誠実に、カメラは世界を静かに捉えつづける。対象へと接近し、ひとつの光を、ひとつの真実を捉えようとする。「現実に触れること」を求めてやまないカメラは、世界を聴き取り、目に見えるものに変える。見せつけることはしない。1993年に監督はこう発言している。「カメラが捉えるのはそこにあるなにかであって、それ以外のなにものでもありません。わたしたちはそこにいた。わたしたちはそこにいる。なにかが起こり、その場にいる。わたしたちがいることで、なにかがその場に起こる。緊張や対峙が生じるには、ただそれだけでよいのです。できごとを追いかけ、それを記録するだけではまだたりない。目の前で起こっているできごとに自分自身が挑発され、触発されることもまた重要です。大切なのはこの故意の偶然から生じる緊張に身をとぎすますことです。それは真実を語る映画です。ですがそこで真実を語るのは、動き始めたできごとの渦中におかれた、わたしたち自身の身体なのです。映画によるルポルタージュといってよいでしょう。しかしそこでは身体とカメラが、ショットを撮る瞬間、自らが招いた予測不能な事態ともども、ひとつにとけあっているのです(1)

 壁に男ひとりがやっと通りぬけられるほどの黒い穴が穿たれている。穴の上には“Death”という字が大きく書かれている。貧困に麻痺し、生き延びるのにみな懸命な、ニューヨーク、ヒスパニック系コミュニティ。だが人びとはここでも夢み、時には舗道で即興のダンスを踊る。金持ちの建て替えのために焼かれたビルの下で、憂さを晴らし盛り上がる瞬間だ。

 スラム街の子供たちがいる。空にはハンググライダーが疲れた鳥のようにゆっくりと滑空している。監督は語る。「貧民窟とスラム街の上をハンググライダーが舞っている。スラム街の住民は頭上にグライダーを目にしても、自分たちが空を飛ぶことはない。グライダーで飛び回っているのは金持ちだけだ。彼らは空からスラム街を見下ろす。だがそこに足を踏み入れることはない」。次の瞬間、わたしたちは映画作家とともに空にいる。「この映画では、ちょっと冒険もしてみようとした。だが結局、私には何ひとつ失うものなどなかった。どうだ、空を飛んでいる。恐怖はまったくない。現実から遙か高みにいることは、むしろ快適な経験だった。そこには貧困のつらさもなく、墜落の危険もほとんどなかった」

私もまた、彼らのようであったかもしれない

 そしてさらに、画面の外で自分を語ったり、監督が語るさまざまな場所の顔、顔、顔・・・。ある者はカメラの前でポーズをとり、ある者はカメラの存在を忘れる。マルセイユ港をゆっくりと大型客船が過ぎる。見知らぬ顔の群れが、既知の顔ぶれを窺っている。あれは大統領、あれは大臣だ。新婚のカップルにポーズをつけるカメラマン。人びとは仕事や中絶、失業、女性差別、CNNの戦争報道を語る。「社会主義はあまりに右翼的だと考えていた」祖父をもつこの監督のドキュメンタリー作品世界は、ひとつまたひとつと、ひたむきに紡がれた。ひとつの瞬間は大きな鎖の輪のひとつであり、ひとつの作品は大きな環のつらなりのひとつで、それが地球を包み込む大きな網になっているのだ。さまざまな言語が交錯する。英語、フランス語、オランダ語、ポルトガル語、スペイン語、手話。そして身振りや沈黙、あるいは呻き声のようなサックスの響きへと。次々と現れる街や山、浮かび上がる砂漠、世界のあらゆる色彩、白と黒の世界、世界の息遣い、そして木々の枝を渡る風のそよぎ。

 プラハでは、二人の男が刺青をひけらかし、困窮を語る。グラウンドの中へ押し寄せるサッカーのサポーターたちをあとに、映画作家とともにマルセイユへ戻ると、そこでは若者たちがイスラム教について話している。アムステルダムには、難聴の自分と格闘する女がいる。だれしも社会への適応力をもっていると信じて疑わない金融人のすばらしい楽天主義に続けて、ごみためをあさり他人の捨てたものを拾い集める人びとが映し出される。大陸から大陸へ、同じリズムで、同じ飽くなき眼差しで、群衆から集団へ、集団から家族へ、家族から個人へ、そして再び集団へと、映像は移りかわる。

 「北−南」三部作について、ファン・デル・コイケンは1974年にこう語っている。「撮影のあいだずっと私を捉えていた感情は、次のようなものでした。この私も、カメルーンのあの黒人小学生だったかもしれない(『ダイアリー』(2))。コロンバスのゲットーに暮らす、疲れ果て老けこんだあの女だったかもしれない(『白い城』)。アンデス山脈に未来もなく生きるインディオのひとりとして、コカや酒に明け暮れていたかもしれない。リマ近くの砂漠にあるスラム街、ビジャ・エルサルバドルの住民だったかもしれない(『新氷河期』)。私もまた、『ダイアリー』の中で廊下をさまよう、あの奴隷のようなホワイト・カラーになっていたかもしれない。しかし、つぶさに眺めてみると、この男は、遠くの地に住む無数の人びとよりも見知らぬ他人のように感じられるのでした(3)

 われわれは世界の中にいる。そうである以上、いかに世界との関わりを受け入れるのか。他人との関わりを拒否することがどうしてできようか。われわれは他人とともに同じ流れのなかで生きている。彼らを見ず、声を聞かないことなどどうしてできようか。どうしたら彼らとともにあり、彼らが何者であるか、自分が何者であるかを見定められるのか。われわれの現存を、いまあることを、そして彼らの後に、自分の後にやがて訪れることを、どうしたら人に伝えることができるのか。ファン・デル・コイケンの作品を貫いているのはこれらの問いだ。「私」の場所と目的をめぐる謙虚な問いかけだ。

 肉体をがんに冒されながらも、監督はあきらめなかった。「くつろいだ観察者」として、彼は30年来連れ添った妻ノッシュとともに、デジタルカメラで世界と対峙しつづけた。「撮影をつづけなければならない。映像を生みだすことができなくなれば、それは私の死を意味する」。こうして彼は、映像と音とともに出発する。「もう何十年もやってきたように、さまざまな生の状況へと向けて。暑い場所や寒い場所、人のいないところ、人の溢れる場所。どんな場所にも障害がなんであれそれをのり越えてゆく人びとがいます。虚無へと直面した自分を支えるために、自らへ語る美しい物語に助けられて」。それは『ロング・ホリデー』へと結実する。彼は最後まで生とともにあり、最期に至るまで光の中にあった。

 ドキュメンタリー映画推進協会の主催により、ファン・デル・コイケンの作品15本ほどがフランスとベルギーで回顧上映される。「市場によって報われるのは、セクシーなテクノロジーだけだ。製鉄、工作機械その他の産業は、昔のような利益を上げられなくなった」。ビジネスマンが『アイ・ラヴ・ダラー』の中でそう語る。ヨハン・ファン・デル・コイケンの映画はセクシーではない。彼の映画は「お定まりの期待」に応えるものではない。1968年の短編作品『猫』で監督自身がいっていたように、それは「人間の可能性を締めつける」われわれの社会にあって「変化のための手段」であろうとする。

 運河の上、日没後の空に星が輝き始める。映画の製鉄屋であり、世界の真の架け橋であった映画監督ヨハン・ファン・デル・コイケンは2001年1月7日に逝去した。「芸術は解放の手段となりうるだろう」。彼はそう考えていた。

(1) 「ヨハン・ファン・デル・コイケン−眼差しの冒険」(レ・カイエ・デュ・シネマ誌、1998年)
(2) Diary、1972/オランダ/78分。以下、本文登場順に、The White Castle、1973/オランダ/78分;New Ice Age、1974/オランダ/80分;The Long Holiday、2000/オランダ/142分;I Love $、1986/オランダ/145分:The Cat、1968/オランダ/5分。[訳註]
(3) 前掲


(2001年11月号)

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