飢餓問題をめぐる国連機関の分裂

ジャン・ジグレール(Jean Ziegler)
作家、ジュネーヴ大学教授、食べる権利に関する国連特別報告者

訳・安東里佳子

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 「国際情勢」にかんがみ、国連食糧農業機関(FAO)は11月初めにローマで開催するはずだった第2回世界食糧会議の延期を決めた。その一方で、世界中で8億の人々が満足に食べられないでいる。1996年に、国際社会は2015年までにこの数字を半分に減らすという目標を掲げた。だが、現行の経済秩序が不問にされる中で、「食べる権利」は掛け声だけにとどまっている。[訳出]

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 周知の事実となった恐るべき数字がある。2000年の1年間で、飢餓やそれに伴う様々な欠乏症、クワシオルコル(1)などの病気で死亡した人々は3600万人にのぼる。しかし、現在の農業生産力をもってすれば、地球は120億人を問題なく養うことができる。現在の世界人口はその半分でしかない。問題なく養うというのは、一人あたり一日2700カロリー相当の食糧を生産するという意味だ。

 飢餓による大量死は、宿命などではなく、ジェノサイドというにふさわしい。ジョズエ・デ・カストロは、すでに50年も前に「金のある者は食べ、ない者は死ぬか身体障害者となる」と書いた(2)。飢えて死ぬのは、殺されるに等しい。

 しかし、国連や非政府機関(NGO)、いわゆる「文明国」は、この陰のジェノサイドに真っ二つの対応で臨んでいる。二つの立場が完全に対立しているのだ。

 1993年のウィーン世界人権会議で、世界の諸国は経済的、社会的、文化的権利をうたいあげた。そして、1948年の人権宣言に記された公民権と同じ人類普遍の権利に加えた。これらの新しい権利はアメリカを除くすべての国々によって認められた。なかでも注目されるのが、食べる権利である。これがどのように定義されるかといえば、安定的、恒常的かつ自由に、直接的または間接的に有料購入を通じ、量も質も適切かつ十分で、消費者となる人々の文化的伝統に適合し、個人および集団が心身ともに不安なく、充足し、品位ある生活を送れるだけの食糧を得る権利であるとされる(3)

 食べる権利は、国連食糧農業機関(FAO)が主催した1996年の世界食糧サミットでも確認され、それまでの認識をくつがえした。従来は、世界における食糧の生産、流通、運搬その他は完全に市場経済に属していた。1袋の米、1リットルの牛乳、1キンタル(100キロ)の小麦は、他のどんな品物とも変わらない商品として考えられていた。これらは完全に資本主義経済の自由市場の下にあった。そして、今でも主要食糧の価格はシカゴ商品取引所の日々の相場によって決定されている。この取引を仕切っているのは、農産食品・金融部門の6大国際企業である。毎日の相場はほとんどの場合、商品先物取引やデリバティブを組み合わせた複雑な投機の結果なのだ。 

 栄養失調や飢餓の犠牲者は増大を続けている。折につけ、世界食糧計画(WFP)、ユニセフ、飢餓反対行動といった政府機関やNGOの緊急人道援助により、市場から見放された人々に手が差し伸べられているのは事実である。しかし、ほとんどの国は、もはや世界の食糧流通を需給まかせにはしておけないと考えるようになった。

 2000年4月、国連人権問題委員会は、新しい国際的な法規範を策定し、その実効性を確保するための提案を行う特別報告者を任命した(4)

ニジェールではいま

 しかし、この食べる権利に対し、アメリカ、世界貿易機関(WTO)、国際通貨基金(IMF)、世界銀行や主要国際企業は「ワシントン・コンセンサス」を持ち出す(5)。これは、歴史上のどのような時代でも、どのような経済でも、どのような大陸においても、世界中で適用される四つの不変原理から成り立っている。つまり、民営化、規制緩和、マクロ経済の安定、そして予算の圧縮である。

 このコンセンサスの実体は、1970年代から80年代を通じて国際金融機関と米連邦準備制度理事会(FRB)の間で作り上げられた一連の紳士協定だ。その目的は、国家が金融市場に課している規制措置を徐々に廃止し、最終的には市場を完全に自由化することにある(6)

 IMF、WTO、世界銀行、米財務省の官僚にとって、ワシントン・コンセンサスはアルファにしてオメガ、揺るぎなき真理であり、彼らの日常業務を決定づけるものだ。これを金科玉条として、通貨政策が絶対視されるようになってきた。食べる権利とワシントン・コンセンサスとの対立は、開発途上国の人々に破滅的な結果をもたらしている。ブレトン・ウッズ協定で設けられた金融機関、WTO、米財務省の側は、FAO、WFP、ユニセフ、世界保健機関(WHO)、国連人権委員会をはるかにしのぐ強制力、つまり財力をもっているのだ。

 ニジェール共和国の例をみてみよう。この国は、国連開発計画(UNDP)の人間開発指標によると2000年に第2の最貧国となっている。ハウサ、ジェルマ、トゥアレグ、プールのような人類史の中でもすばらしい文明を築いた人々が住み、国土は120万キロ平米に広がっている。しかし、耕作可能地はわずか3%にすぎない。この10年間に2回の軍事クーデタが起こったが、現在では民主制が定着しているように思われる。しかし目下、IMFと食糧難という二つの災厄がニジェールを襲っている。2000年は不作の年となり、穀物備蓄の不足は16万トンを超える。アマドゥ内閣が国際機関、欧米諸国、日本に対して懸命に働きかけた結果、何とか食糧難を免れている。今のところ、飢餓による死亡者は一人も出ていない。しかし同時に、IMFは16億ドルの債務を抱えたこの国に対し、厳格このうえない構造調整プログラム、そして極度の民営化や自由化を押し付けている。

 職業意識をもった牧畜民と塩分が豊富な土壌のおかげで、ニジェールではサハラ一帯で評判の牛、羊、駱駝が育つ。2000万頭の様々な家畜のうち、多くはナイジェリア北部のイスラム法諸州、バマコ(マリ)、アフリカ大西洋岸の大都市に輸出される。家畜は、数百万世帯の主要収入源なのだ。しかし、国家獣医局が民営化されると、破滅的な結果がもたらされた。多くの牧畜民は、民間業者が要求する法外な値段では、ワクチンやビタミン飼料、寄生虫予防薬を購入することはできない。これらの畜産用製品の効力については何の規制もない。首都ニアメは、コトヌー(ベナン)、ロメ(トーゴ)、アビジャン(コートジヴォワール)などの大西洋岸の港湾から1000キロ近く離れた所にあり、業者が使用期限切れのワクチンや製品を持ってくることも多い。家畜は死に、人間は窮乏する。

 民営化の波は、ニジェール国家食糧生産物局にも押し寄せている。ここには、経験豊かなドライバーが運転する一群の高性能トラックがある。しかし、1万1000カ所におよぶ村や宿営地が広大な国土に散在し、大抵がアクセスの難しい所にある。これまでは、食糧生産物局が飢饉の被害地に作付け用の種子や援助物資を届けてきた。それが今では、民間の運送会社がトラックを引き取り、こうした活動の存続が危ぶまれるようになっている。民間企業は当然ながら、あくまで収益を基準に行動する。穴ぼこだらけの道路でも走ろうものなら、運転手は即座にくびになる。その結果、多くの村に物資が行き渡らなくなってしまった。

 さらに、感染症が発生した地域や感染源となった地域からの動物の輸出禁止が、当然の措置としてWTOで定められている。その一方で、ニジェール政府が全面的に服従するIMFの厳しい制度の下では、畜産農家に非感染証明書を出せるような、まともな中央検査所が存在しない。にもかかわらず、週一回開かれるベラヤラの定期市で、ナイジェリア、ベナン、マリの商人に家畜が売られている。これらの商人たちは非感染証明書の不備を巧みに突いて、市場価格を押し下げているのだ。

 ニジェールと同様の事態は、ギニア共和国やモーリタニア、チャドで、そして第三世界の大部分で繰りひろげられている。IMFから強制された構造調整プログラムは、ほとんどの国の食糧事情や社会状況にマイナスの結果を招いた。イギリスの大きなNGOであるオックスファムは、1990年代初頭にザンビアが強制されたプログラムについての調査を行い、「国民総生産(GNP)は1991年より伸びていない。経済の安定は達成されなかった。国民一人あたり所得は下がり、今日では国民の70%が極度の貧困状態にある」と結論した(7)

事務総長の企業への提案

 国連内部は開発をめぐって完全に分裂している。毎夏、ジュネーヴ本部で開催される経済社会理事会(ECOSOC)が、様々な国連機関の支援や投資の計画について整合や調整を図ることになっている。あらゆる専門組織や「プログラム」、基金や機関の幹部がここで一堂に会する。

 しかし、(WTCとは違って)国連の機関であるIMFと世界銀行は、ひたすら金融市場の効率化を追求し、食べる権利を退けている。こうして、ユニセフやFAO、WFP、WHO、そして開発途上諸国の国際機関が人間的な開発に向けてわずかな前進を獲得しても、常に水の泡になってしまう。

 2001年のノーベル経済学賞を受賞した世銀のチーフ・エコノミスト経験者、ジョセフ・スティグリッツ氏らのように(8)、国連上層部の政治判断がまずいと糾弾すべきなのだろうか。そうとも言いがたい。

 アナン国連事務総長は勇気と決断をもって、彼にできる限りの努力をしている。しかし、国際的な金融財閥とその軍門下にあるブレトン・ウッズ機関やWTOの強大な力を向こうにまわして、どのように渡り合えばよいのか。アナン事務総長は、食べる権利を断乎として擁護しているが、世界銀行やIMFを改革し、WTOに対抗し、米財務省を道理に立ちもどらせるのは、どう考えても難しい。

 アナン事務総長は、世界の支配層に直接訴えることにした。そして、彼らと国連の間で「グローバル・コンパクト」を交わすことを提案した。彼が最初にこれを公表したのは1999年1月31日、ダヴォス世界経済フォーラムでのことだった。このフォーラムには年に一度、世界のトップ企業1000社の代表が集まる。1000社クラブ(こそ正式名称だ)に入るためには、金融、産業、サービスなどで年間売上高が10億ドルを超える企業帝国を経営している必要がある。グローバル・コンパクトは九つの原則から成っている。それぞれの原則は、事務総長官房が準備した公式文書で詳しく解説されている。そこには環境保全、雇用維持、公的自由の尊重、社会的公正、南北関係といった原則が盛り込まれている。

 厳寒の2001年1月、このスイスの小都市の中心部にある隠れ家のような会議場で、アナン事務総長は世界の支配層に対し、グローバル・コンパクトを「受け入れ、推進すること(9)」を求めた。掲げられた原則を自社の日常業務の中で実施し、公共機関や国家による実施を支援するように求めたのだ。

 事務総長の演説は、狼のそばで子羊が草をはむ野原といった通俗的なユートピアを現代風に語るものだった。これは、ダヴォスに集まった有力者たちに絶賛された。数分間にわたって、事務総長と彼の提案に対し、総立ちの拍手喝采が送られた。それも当然だった。盟約を交わした企業には、カタログやドキュメント、広告郵便物の中に白と青の国連マークを入れる権利が認められる。加盟企業の中には、国際的な大手食品会社が何社か含まれている。そこで当然、グローバル・コンパクトに参加した国際企業による原則の実施状況をどうやって管理するのかが問題となってくる。

 食べる権利と「ワシントン・コンセンサス」との闘争がどのような帰結を迎えるのかは、全く予測できない。しかし、新しい地球規模の市民社会が立ち上がり、闘争に加わっていくことが、その帰趨を分けることになる。

(1) タンパク質などの欠乏による小児の重大な栄養失調症。腹部の膨張などを呈し、特にアフリカに見られる。[訳註]
(2) ジョズエ・デ・カストロ『飢えの地理学』(国際食糧農業協会訳、理論社、1955年)
(3) 経済的、社会的、文化的権利に関する規約11条への一般的意見書12号(UN document HRI/GEN/1/Rev 5, 26 April 2001)
(4) 2000年4月27日付の決議20000/10号(第56回国連人権委員会、ジュネーヴ、2000年)
(5) モイセズ・ナイム「ワシントン・コンセンサスの栄枯盛衰」(ル・モンド・ディプロマティーク2000年3月号)
(6) ワシントン・コンセンサスの解説として、「代替策を求めて−もう一つの世界は可能か?」(アルテルナティヴ・シュッド第8巻、2001年第2号、ルーヴァン大学ラ・ヌーヴ校三大陸センター、アルマタン社、パリ、2001年)を参照。
(7) Oxfam, Liberalisation and poverty. An Oxfam research project, London, 2000. Appendix B : Zambia.
(8) Joseph Stilglitz, in New Republic, New York, 4 June 2000.
(9) 英語原本は、より明瞭に“to embrace and to enhance”と述べている。


(2001年11月号)

* 筆者名の欧文表記「Jigler」を「Ziegler」に訂正(2003年7月27日)

All rights reserved, 2001, Le Monde diplomatique + Ando Rikako + Saito Kagumi

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