生物兵器とダブル・スタンダード

スーザン・ライト(Susan Wright)
科学史家、元国連軍縮研究所員、
現在は米ミシガン大学で生物戦および南北関係に関する国際研究プロジェクトを主宰

訳・逸見龍生

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 敵対的ないし「無責任」な非欧米諸国が「貧者の核兵器」と呼ばれる生物兵器を持ち出すのではないかという不安は、これまでにもたびたび欧米諸国でかきたてられてきた。しかし、この種の大量破壊兵器を最初に開発したのは、米国、英国、フランス、旧ソ連、ドイツ、日本、カナダなどの先進諸国である(1)。うち数カ国は、以前より生物兵器廃絶を唱えつつも、他の大量破壊手段は手放そうとしない。特に核の保有は自国の防衛、そして地政学上の目標達成の手段として活用されてきた。

 1968年、ウィルソン英労働党政権は、国際条約によって生物兵器を禁止するという構想を打ち出した。英国の化学・生物兵器開発計画に向けられた抗議に対処しようとしたのである(2)。生物兵器に特に焦点を絞ったのには二つの理由がある。第一に、米国と手を組んできた英国政府は、米国が化学兵器の開発は放棄しないことを知っていた。第二に、政府顧問によれば、生物兵器は気候条件と遺伝子変異の影響を受けやすく、効果が不確実で利用価値が疑わしかった。ウィルソン首相の科学顧問ソーリー・ズッカーマンは、生物兵器を指して「軍事価値のない鉄玉」と呼んだ(3)

 実際には、欧米諸国は生物兵器を放棄しても(核兵器があるのだから)損をしないどころか、非核保有国が安価な大量破壊手段をもつのを封じるという点で大きく得をする(4)。ほどなく米国も同様の結論に達する。1969年11月、ニクソン米大統領は生物兵器開発計画を放棄し、英国が発案した国際条約の支持に回った。1969年から73年まで彼の御用ジャーナリストを務めたウィリアム・サファイアが、次の科白を書きとめている。「われわれに対して病原菌を使うような奴らには、核兵器をくらわしてやる(5)

 1971年に採択された生物兵器禁止条約に表れているのは、このような欧米諸国とそれ以外の諸国との戦略的非対称である。大国が核の傘をあいかわらず保持しているのに対し、生物兵器禁止条約に調印した小国はいかなる抑止力ももたなかった。付け加えていえば、これら小国の多くは核拡散防止条約にも調印していた。

 米国が冷戦終結に際して、化学・生物兵器の保有が疑われるいわゆる「ならず者国家」には厳しい経済制裁で臨むと決定したことも、こうした非対称をさらに増幅した。中東地域で、欧米諸国はダブル・スタンダード政策をとった。一方では、イスラエルが核兵器を保有し、ネス・ツィオナで極秘に生物・化学兵器を開発していたことに関しては、ほぼ完全に沈黙を守った。他方、その近隣のアラブ諸国で、この種の兵器に関心をもちすぎた国々については、激しい宣伝攻撃をかけ、次いで経済制裁の対象とした。

 こうした政策の最も極端な例が、イラクへの軍縮の強制である。イラクの核兵器開発計画は1991年の湾岸戦争以後、数年がかりで国際原子力機関(IAEA)によって廃棄された。生物・化学兵器開発計画は1998年に国連大量破壊兵器廃棄特別委員会(UNSCOM)によって全面的に解体された。これらの措置が成果を上げたにもかかわらず、イラクへの経済制裁は継続され、イラク国民を悲惨な状況においている。だがフセイン大統領と彼の側近へは、なにひとつ影響を及ぼさなかった。

 「ならず者国家」への制裁には熱意を示した米国も、自国に適用される生物兵器禁止条約上の措置を支持したり、強化したりという段になると、なんら積極的な姿勢を示さなかった。それどころか、クリントン政権もブッシュ政権も、もともと規定の曖昧だった条約の実効性をさらに弱める政策をとった。

 この条約は生物・毒素兵器の「開発、生産、保有」を禁止している。しかし実は、この禁止条項には大きな穴がある。ワクチンや治療、あるいは特殊防護服などの防護手段を生産することを目的とする場合には、少量の病原体を開発、製造、そしておそらくは保有することでさえも許可されている。同様に、条約に記載がないことから生物兵器の研究も事実上認められている。検証・管理機構に関する規定もない。生物兵器として保有しているという極端な場合は別として、その国の意図をあえて推測でもしない限り、防護用か攻撃用かを区別することは難しい。

明かるみに出たプロジェクト

 1995年、この条約の締約国は検証と管理、特に生物戦に関わるあらゆる活動の申告を義務付ける査察制度に関する議定書案の交渉開始に同意した。しかしこの情報公開の試みは大きな障害に突き当たった。とりわけクリントン政権のかたくなな外交姿勢が躓きの石となった。

 クリントン前大統領は生物兵器禁止条約を強く支持していたが、バイオ産業や製薬産業の圧力に逆らえなかった。これらの産業界では、自社が国際査察団の厳格な管理の対象とならないよう、穏便な制度をつくることを求めていた(6)。その意を受けた米国交渉団が議定書案にセーフガード条項を押し込んだ結果、査察の条件は大幅に緩められ、管理の大部分は被査察国自身に委ねられることになった。米国政府はさらに、大規模な生物兵器防衛計画を進める国については、軍事施設の査察は最小限に留めることを主張した。換言すれば、米国の生物兵器防衛施設については、ごく一部しか査察対象とはしないということだ。

 1990年代末には、検証議定書案は骨抜きになったと見る専門家が増えていた。折から政権が交替し、断固として単独主義外交を進めるブッシュ政権(7)は、強烈な反軍縮姿勢を打ち出した。そして2001年7月25日、議定書案は効果がないばかりか米国の安全保障にとって危険であるとして、交渉自体を拒絶した(8)

 2001年9月11日の攻撃の一週間前、ニューヨーク・タイムズ紙がこの決定の背景を明らかにした。米政府は生物兵器関連計画のいくつかを隠蔽しようとしたのだ(9)。同紙の調査によれば、三つのプロジェクトにとりわけ問題があると思われた。まず、一般的には無害とされるものの、生物兵器用の病原体に近い特性をもつ微生物を用いた実験施設のテスト。第二に、部分的に未完成の細菌爆弾のテスト。第三に、遺伝子工学によって炭疽菌の耐性種を作り出そうという計画である。

 二番目の細菌爆弾プロジェクトは、生物兵器の装置と運搬手段の開発、生産、保有を明示的に禁止する生物兵器禁止条約に直接抵触する。しかし実際には、これらのプロジェクトはいずれも条約の禁止対象の境界線上にあり、このダークゾーンでは法的な区別の意味は薄い。もしウサマ・ビン・ラディン氏が同じことをアフガニスタンの山中でおこなっているところを押さえたなら、欧米諸国がどんな反応をしたかは容易に想像がつく。

 これらのプロジェクトはいずれも生物兵器禁止条約を空文化し、新型生物兵器の開発を世界中に促すものだ。いつの日かだれかの手で、防護不可能な新種の病原体が開発されてしまうのではないかという悪夢のシナリオは、遺伝子工学の初期から語られてきた(10)。1975年以来この種の遺伝子改変の全面的禁止が唱えられてきたのもそのためだった。ワクチン開発のために病原体に関する遺伝子工学を推進すべきだという議論にはまったく根拠がない。自然が生み出す無数の病原体が改造可能で、その無数の遺伝子が改変可能である以上、一種類のワクチンができたところでたちうちはできない。このことは生物兵器防衛の専門家ならだれでも知っている。ならばなぜ米国はこのプロジェクトを続行するのか。

 9月11日以来、米国は生物テロ対策に向けて動き出している。議会は生物テロ防衛予算として軍事・民生あわせて15億ドルの予算を計上する準備を整えている。たしかにその一部は市民をよりよく守るためには必要かもしれない。だが民主的な情報公開なしに生物兵器防衛計画へ巨額の資金を投入するなら、生物兵器禁止条約の空文化をさらに進めることになる。いま必要なのは、条約を強化して、危険な病原体や関連機器を扱うすべての機関に情報公開を義務付ける厳格な査察体制をしくことなのだ。さらに、条約の禁止対象を拡張し、軍事目的の微生物改造と、それにつながる研究を全面的に禁止すべきである。この禁止にはいかなる例外も絶対に許されてはならない。自然の病原体に対するワクチンや治療法の開発を目的とする遺伝子操作は、国際的な規制と査察のもと、民間の研究所に委ねられるべきだ。それが唯一、市民を守るための道である。

(1) Erhard Geissler and John Ellis van Courtland Moon (eds.), Biological and Toxin Weapons : Research, Development and Use from the Middle Ages to 1945, Oxford University Press, Oxford, 1999. ジルベール・アシュカール「『生物テロ』の危険」(ル・モンド・ディプロマティーク1998年7月号)参照。
(2) See Susan Wright, << The Geopolitical Origins of the 1972 Biological Weapons Convention >>, forthcoming in S. Wright (ed.), The Biological Warfare Question : A Reappraisal for the 21st Century.
(3) See UK Foreign Office, Ronald Hope-Jones to Moss, 4 July 1968, FCO 10/181, UK Public Records Office.
(4) See US Department of State, American Embassy London to State Department, 30 July 1968, telegram 11 305, << UK Working Paper on Biological Weapons >>, 30 July 1968, classified << secret >>, RG 59, POL 27-10, National Archives.
(5) William Safire, << On Language : Weapons of Mass Destruction >>, The New York Times, 19 April 1998.
(6) See Susan Wright and David Wallace, << Varieties of Secrets and Secret Varieties : The Case of Biotechnology >>, Politics and the Life Sciences 19 (1), University of Maryland (United States), March 2000, pp. 33-45.
(7) フィリップ・S・ゴラブ「アメリカの単極主義思考」(ル・モンド・ディプロマティーク2001年7月号)参照。
(8) Elizabeth Olson, << U.S. Rejects New Accord Covering Germ Warfare >>, New York Times, 26 July 2001.
(9) 以下の筆者による記事と共著を参照。Judith Miller, Stephen Engelberg and William J. Broad, in New York Times, 4 September 2001 ; Germs : Biological Weapons and Americaユs Secret War, Simon and Schuster, New York, 2001.
(10) Royston C. Clowes et al., << Proposed Guide-lines on Potential Biohazards Associated with Experiments Involving Genetically Altered Microorganisms >> 24 February 1975, Recombinant DNA History Collection, MC100, Institute Archives, MIT Libraries, Cambridge, Massachusetts, United States.


(2001年11月号)

All rights reserved, 2001, Le Monde diplomatique + Hemmi Tatsuo + Saito Kagumi

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参考
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