バレンボイムとワーグナーをめぐる論争に寄せて

エドワード・W・サイード(Edward W. Said)
著書『文化と帝国主義』など

訳・三浦礼恒、瀬尾じゅん

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 2001年7月、リヒャルト・ワーグナーの作品がイスラエルで初めて演奏された。クネセト(国会)の文化委員会は、このタブーを破ったダニエル・バレンボイムに対するボイコットを訴えた。今回の出来事は、パレスチナ系アメリカ人であるエドワード・W・サイードによれば、次の2つの問題を提起している。ヒトラーの好んだ音楽家であったワーグナーを、その歴史的関係を切り離して愛せるものか。さらに言えば、他者を知ることを最初から拒否する姿勢は正当化されうるか。イスラエルとの一切の接触を拒否するアラブの知識人は、この点について深く考えてみる必要があるだろう。[訳出]

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 2001年7月7日、素晴らしいピアニストであり、指揮者であるダニエル・バレンボイムの率いるオーケストラがイスラエルで開いたコンサートは、大きな嵐を巻き起こした。アンコールの途中でリヒャルト・ワーグナーのオペラが演奏されたのだ。最初に断っておかなければならないが、バレンボイムは私にとって親しい友人である。この一件以来、彼は非難や侮辱、猛烈な糾弾を浴びせられている。なぜなら、リヒャルト・ワーグナー(1813−83年)は非常に偉大な作曲家であると同時に、有名な(極めて不快な)反ユダヤ主義者であったからだ。そして死後も、ヒトラーによって愛された音楽家として、ナチス体制とその下で撲滅の対象とされた何百万人ものユダヤ人その他の「劣等」民族の惨劇と結びつけられるのももっともであるからだ。

 ワーグナーはイスラエルでは、時折ラジオで流されたり、店頭で売られることがあったとしても、公衆の前で演奏することは事実上禁じられている。イスラエルに住む多くのユダヤ人にとって、この豊饒かつ極めて複雑で、世界の音楽に多大な影響を与えた楽曲は、ドイツで渦巻いた恐るべき反ユダヤ主義の象徴のように感じられているのだ。 

 またユダヤ人ではない多くのヨーロッパ人にとって、特に第二次世界大戦中にナチスに占領された国々において、同様の理由からワーグナーが受け容れられていないことも指摘しておく。オペラしか作曲せず、雄壮で、「ゲルマン的」(と執拗に呼ばれ)、尊大であるという作品の特徴。ゲルマン的な過去や神話、伝統や功績へのこだわり。劣等人種と至高の(ゲルマン的な)英雄をめぐる、飽くことなき、饒舌な、仰々しい散文。これらがワーグナーを、愛好や称賛はもとより、容認もしがたい人物とした。

 とはいえ、彼が作劇と音楽に関しては偉大な天才であったことは疑いない。ワーグナーはオペラの概念に革新を起こし、音階法を書き換え、現在も西洋音楽の最高峰に輝く10本のオペラという10本の傑作を生み出した。そして彼は、イスラエルのユダヤ人のみならず、すべての人間に対し、次のような難題を投げかけた。どうすれば、彼の忌まわしい文筆や、そのナチスによる利用から切り離した形で、彼の音楽を称賛し、演奏することができるのか。

 バレンボイムが折に触れて強調するように、ワーグナーのオペラはいずれも反ユダヤ主義な要素を直接的に含んでいるわけではない。はっきり言って、ワーグナーが攻撃文書の中でユダヤ人に対する憎悪を述べていたとしても、それを彼の作品中においてユダヤ人、もしくはユダヤ的人物の類型として見いだすことはできないのである。ワーグナーがオペラの劇中で軽蔑し、愚弄する幾人かの登場人物は、反ユダヤ主義の表れであるとする評論家も多い。だが、それは反ユダヤ主義の嫌疑であり、証拠とは言えない。ワーグナー唯一の喜劇作品『ニュルンベルクのマイスタージンガー』の中で愚弄されるベックメッサーと、当時ユダヤ人について言われていたカリカチュアとの類似が明らかであるとしても、ベックメッサーという劇中人物はドイツのクリスチャンであって、ユダヤ人とはされていない。ワーグナーはその心中で、現実のユダヤ人と自作におけるユダヤ人を区別していた。つまり、文筆では多弁であったが、音楽作品の中では沈黙していたのである。

 いずれにしても2001年7月7日以前には、イスラエルではワーグナーの作品を演奏しないという共通の了解があった。シカゴ交響楽団の指揮者でもあるバレンボイムは、ベルリン国立歌劇場管弦楽団を率いてイスラエルに赴き、エルサレムで3回にわたるコンサートを行った。7月7日のコンサートでは、もともとワーグナーのオペラ『ワルキューレ』第1幕の演奏を予定していたが、最初に彼らを招聘したイスラエル・フェスティバルの責任者から変更を求められ、演目をシューマンとストラビンスキーに変更していた。そしてバレンボイムはコンサートの最後に、アンコールとして『トリスタンとイゾルデ』の抜粋を演奏することを聴衆に提案した。彼は聴衆と議論を始め、演奏を行うとの結論を出した。ただし、そのことで不快感を持つ人は退場してかまわないと述べ、実際にそうする人もいた。ワーグナーの作品は、イスラエルの2800人の聴衆から熱烈に歓迎された。それはきっと、たいへん素晴らしい演奏であったに違いない。

 しかし、バレンボイムへの攻撃は収まらなかった。2001年7月25日の報道によると、クネセトの文化教育委員会は、「ヒトラーが好んだ作曲家の音楽をイスラエル最大の文化行事の際に演奏した指揮者に対し、彼が謝罪するまでボイコットを行うよう(中略)イスラエルの諸文化団体に求める」ことを決議した。幼少期をアルゼンチンで過ごしつつも自分をイスラエル人と考えるバレンボイムに対し、文化省その他のお偉方は悪意に満ちた攻撃を向けた。

 バレンボイムはイスラエルで成長し、ヘブライ語で教育を受け、アルゼンチン国籍に加えてイスラエル国籍も持っている。青年期以降は活動拠点をヨーロッパやアメリカに移しているにしても、長年にわたってイスラエル音楽界の中心的人物として、イスラエルの偉大な文化人と見なされてきた。彼の在外生活は仕事上の理由による。国内にとどまるよりも外に出た方が、大きく展望が広がったのである。住所は一カ所という単純な事実は、ベルリン、パリ、ロンドン、ウィーン、ザルツブルク、バイロイト、ニューヨーク、シカゴ、ブエノスアイレスなど、世界各地で指揮や演奏を行ってきた経歴の陰で忘れられている。後に述べるように、ある意味で、彼のコスモポリタン的で偶像破壊的とすら呼べる生き方も、ワーグナー事件を機として彼に向けられた怒りの原因となっている。

バレンボイムの非凡さ

 バレンボイムが複雑な人間であるということも、反発をかった要因である。社会というものは多くの平均的市民(決められたレールの上を進む人々)と、才能豊かで自立心が強く、並はずれた少数の人々から構成されている。概して従順な多数派にとって、後者の人々は彼らに挑み、ひいては侮辱する存在のように映る。問題が生じるのは、従順な多数派が自らのものの見方に従って、複雑で常識はずれの超少数派を矮小化し、単純化し、記号化しようとする時だ。この衝突は必然的なものであり(多数派の人々は彼らよりも才能や独創性に恵まれた突出した人々をなかなか容認しない)、多数派のうちに必然的に怒りと理不尽を引き起こす。アテネがソクラテスにしたことを見るがいい。ソクラテスは、物事を自分の頭で懐疑的に考える方法を若者に教える天才であったがために、死刑を宣告された。アムステルダムのユダヤ人たちは、彼らの理解を超える思想を生み出したスピノザを破門にした。ガリレオは教会から罰された。ハッラージュ(1)はその慧眼ゆえに磔刑にされた。こうしたことが何世紀にもわたって続いているのだ。才能に溢れた非凡な人間であるバレンボイムは、イスラエル社会に横たわる数々の一線を飛び越え、数々のタブーを破ってきた。この点は詳しく論ずるに値する。

 音楽に関してバレンボイムが特別な存在であるということを改めて述べる必要はないだろう。彼は偉大なソリストと指揮者に求められる、あらゆる才能を持っている。完全な記憶力を誇り、技術面では力も華もあり、聴衆を魅了する。そして何よりも、自分の仕事に限りない愛を抱いている。音楽に関する限り、彼にとって不可能や困難というものはない。彼の妙技には努力の跡が感じられず、その点は今日のすべての音楽家が認める才能だ。

 しかし、ことはそれほど単純ではない。バレンボイムは人生の初期をスペイン語圏のアルゼンチンで過ごし、その後ヘブライ語圏のイスラエルに移住し、2つの国籍を持っているが、いずれも真の国籍とはいいがたい。10代後半以降はイスラエルに住んでいるとはいえず、コスモポリタンで文化的な欧米の雰囲気を好むようになった。彼は現在、そこで音楽界の中でも最高に名誉ある2つの地位に就いている。おそらくアメリカで最も優れたオーケストラであるシカゴ交響楽団の指揮者と、世界で最も偉大で歴史ある楽団のひとつであるベルリン国立歌劇場管弦楽団の監督である。さらに、ソロのピアニストとしての活動も続けている。彼は各地を転々とする生活を選び、世界的に知られるようになった。それができたのも、普通の人々の規律に生真面目に従ったからではなく、まったく逆に、常識を破り障壁を無視してきたからだ。

 こうしたことは、普通のブルジョワ社会の慣習の枠からはみ出してしまう非凡な人物すべてに当てはまる。社会的、政治的に生活を束縛するような枠の中で、芸術や科学の偉業が育まれた例はほとんどない。

 しかし、ことはさらに複雑である。生活が豊かで各地を飛び回り、語学の才能に恵まれた(7カ国語を流暢に操る)バレンボイムにとって、世界中が自分の家であるとともに、どこも自分の家ではない。1年のうち何日かはイスラエルに滞在しても、周りの事情は電話や新聞を通じて知るだけだ。その一方で、彼はアメリカやイギリスなど外国でしか生活したことがなく、現在はドイツで最も多くの時間を過ごしている。

 これが多くのユダヤ人にとって耐えがたいことは想像できる。ドイツは彼らにとって、いまだに邪悪と反ユダヤ主義を体現する国だからである。しかも、彼が好んで演奏するレパートリーは、ワーグナーのオペラを中心としたドイツ=オーストリアのクラシック音楽なのだ(バレンボイムはその点では、20世紀で最も偉大なドイツの指揮者であり、同じように複雑な政治性を帯びていたヴィルヘルム・フルトヴェングラーに似ている)。

 美学的な視点から見れば、クラシックの音楽家としては良質の選択であり、避けられない選択ともいえる。彼が得意とするのはモーツァルト、ハイドン、ベートーヴェン、ブラームス、シューマン、ブルックナー、マーラー、ワーグナー、リヒャルト・シュトラウスなどの偉大な作品である。その他フランス、ロシア、スペインの多くの作曲家の作品でも冴えた腕を見せるものの、中心的なレパートリーはドイツ=オーストリア音楽である。この音楽は特に第二次世界大戦後、一部のユダヤ人哲学者や芸術家にとって大きな問題となってきた。偉大なピアニストで、バレンボイムの良き友人であり恩師でもあったアルトゥール・ルービンシュタインは、いろいろと理由を付けてドイツでの演奏を断り続けた。ユダヤ人である彼にとって、多くの同胞が虐殺に遭ったドイツの地に赴くのは耐えがたいものであったに違いない。バレンボイムが、かつての第三帝国の首都であり、今日も多くのユダヤ人にとって過去の邪悪の痕跡をとどめるベルリンを居住地としたことは、イスラエルにおける彼の多くの称賛者の胸を締めつけた。

  芸術家というものは開放的な精神を持つべきであり、芸術と政治は別々の事柄であるといった主張は現実に反しており、我々が称賛する多くの芸術家や音楽家もその例にもれない。すべての偉大な作曲家たちは何らかの形で政治に関心を寄せ、強烈な政治思想を持っていた。ナポレオンを偉大な征服者として崇拝した初期のベートーヴェン、あるいはフランスの右翼ナショナリストであったドビュッシーのように、今日の見方からすると非難すべき思想を抱いていた音楽家もいる。別の例を挙げれば、ハイドンは芸術を庇護したハンガリーの大貴族、エステルハージ侯の従順な下僕であったし、天才中の天才であったヨハン・セバスチャン・バッハでさえも、大司教のテーブルや公爵の宮廷で愛想を振りまいていたのである。

 これらの事実をそれほど重要視する必要はない。これらはすべて、かなり過去の話であるからだ。これらの逸話は、トーマス・カーライル(2)が1860年代に発表した人種差別的な攻撃文書ほどショッキングではない。しかし、次の2つの点について考えてみる必要がある。第一に、音楽は言語とは違った形式による芸術である。「猫」や「馬」といった言葉と違って、音符は定まった意味を持たない。第二に、音楽には多くの場合、国の壁がない。音楽は、国境も国家も、そして言語も超えていく。モーツァルトの音楽を味わうためにドイツ語を知る必要はなく、ベルリオーズの楽譜を読むためにフランス人である必要もない。知るべきことは音楽に尽きる。この特別な技法は、歴史や文学とはまったく無関係に、修練によって会得される。ただ個人的には、ある音楽作品を真に理解し、演奏するためには、その楽曲の生まれた背景や伝統を知る必要があると思う。ある意味で、音楽は代数学に似ているといえるが、ワーグナーの例が示すように、完全に同じというわけではない。

他者を知る

 彼がこれほど有名でなく、閉じられた世界で、少なくとも波風を立てずに活動した作曲家であったなら、ワーグナーの矛盾も多少は受け入れられ、寛大に見られたかもしれない。しかし、ワーグナーは驚くほど多弁だった。彼の声明、計画、そして音楽はヨーロッパ中に、寄せては返す波のごとく溢れかえった。ほかのどんな音楽家にもまして、常におそろしく壮大で、聴衆を圧倒しようとした。彼はその全作品を通じて、ナルシスティックとさえいえるほどの巨大な自意識を核として、ドイツ人の魂と宿命、そして特権を歌い上げていたのだ。

 ここでワーグナーの作品について立ち入ることはもちろんできないが、この作曲家が世間に議論を巻き起こし、注目を集めようとしていた点は強調しておきたい。彼がドイツの大義と同一視し、極めて尖鋭的な表現をもって描き出した自らの大義は、彼の全作品に盛り込まれていた。その音楽は新しい音楽、新しい芸術、新しい美学となり、ベートーヴェンとゲーテの伝統を体現しつつ、それを新たな宇宙的総括において超えることを目指していた。芸術の歴史の中で、ワーグナーほど人々の関心を集め、数々の文献や論述を書かしめた者はいない。

 たとえナチスの愛用音楽になるべくしてなったにしても、ほかの音楽家たちがワーグナーを英雄視し、天才と認め、彼によって西洋音楽の流れが変わったという理解を持っていることは、記憶にとどめておこう。彼は生前からバイロイトの小さな町に、自作のオペラを上演するために、ほとんど聖地のごときオペラ劇場を私設していた。そこでは、今でもワーグナー作品のみを上演する音楽祭が毎年開かれている。バイロイトの町とワーグナーの一族はヒトラーのお気に入りであった。そして、さらに複雑なことに、バレンボイムがここ20年ほど定期的に客演している夏の音楽祭は、今でもリヒャルト・ワーグナーの孫息子、ヴォルフガングが運営しているのである。

 しかし、それですべてではない。バレンボイムは障害物をひっくり返し、禁断の一線を越え、タブーの地へと入り込む芸術家である。それだけで彼がことさら政治的な人間であるということにはならないが、イスラエルによるパレスチナ占領に公然と反対し、1999年初頭にはヨルダン川西岸のビル・ゼイト大学で無料コンサートを開いた初めてのイスラエル人となったのも事実である。ここ3年間は(最初の2年はワイマール、3年目はシカゴで)、イスラエルとアラブの若い音楽家による合奏会を開いている。政治や闘争を超越し、政治の介在しない音楽の演奏という芸術による結びつきを創り出そうとする大胆な試みといえる。

 彼は他者に魅了され、知らない方がましだという態度にひそむ理不尽さを断固として拒絶する。私も彼と同じように、知らないままでいるのは人々にとって政治的に適切な戦略ではなく、禁じられた他者についても、それぞれが自分なりに理解し、知っていくことが必要であると思う。同様の考え方を持つ人間は少ないが、私から見て、また少しずつ増えている賛同者の目から見て、これが唯一、知的に見て筋の通った立場と思われるのだ。とはいえ、正義を擁護することや、抑圧された人々と連帯することを放棄してよいと言っているのではない。自分のよりどころを捨てたり、政治的現実に背を向けることを勧めているわけでもない。市民を形成するのは理性や理解、知的な分析であって、原理主義者を突き動かしているような集団的情熱の組織化や助長ではないことを主張したいのだ。私はこの考え方をかなり以前より唱えている。おそらくそれゆえに、2人の立場の違いにもかかわらず、バレンボイムとの友情が続いてきたのだろう。

 ワーグナーのような複雑な現象が、完全に拒絶され、まったく筋の通らない糾弾を受け、全面的に非難されるのは、非合理的で結局のところ受け入れがたい。我々アラブ人が「シオニスト集団」などという表現を用い、パレスチナにナクバ(破局)を引き起こしたとの理由から、イスラエルやイスラエル人の理解と分析を完全に拒否する政策をとるのも、同じように愚かで非生産的である。歴史というものは独自の力学を持っている。イスラエルのユダヤ人たちがホロコーストを持ち出して、パレスチナ人の権利の恐るべき侵害を正当化するのが気に入らないというのであれば、我々もまた、ホロコーストなど起こらなかったとか、イスラエル人は老若男女を問わず我々の永遠の敵となる定めであるなどという愚論をやめるべきだ。

 歴史には、時の流れの中で凍りついたものなどなく、変化を免れるものはない。そして、理性や理解、分析や影響を超越するものもない。政治家やプロの扇動家は、自分たちの都合に応じて、どんな愚かな言動も行うものである。しかし、知識人や芸術家、自由な市民の間では、意見の相違、別の考え方を認める余地がなければならない。多数派の横暴に疑問を呈するとともに、さらに重要なこととして、人類の自由と光明を前進させるための手段をとる余地を確保しなければならない。

 そのような考え方は「西洋」で生まれたもので、アラブ人やムスリム、あるいはユダヤの社会や伝統には当てはまらないといって却下するのはむずかしい。こうした考え方は私の知る限り、すべての伝統を通じて見いだせる普遍的な価値観である。どの社会にも、正義と悪、知識と無知、自由と抑圧の間の闘争がある。誰かに言われたからいずれかに加担するというのではなく、慎重な選択のもとに、状況のあらゆる側面を考慮した判断に至ることが重要だ。教育の目的は知識を集積し、「正解」を暗記することにではなく、自分自身で批判精神をもって考え、自分自身で物事の意義を理解する方法を学ぶことにある。

アラブの状況

 ワーグナーとバレンボイムの事例では、この指揮者を日和見的であるとか猪突猛進であるとか、単純に決めつけて終わりにするのは安易な発想である。ワーグナーについても同様に、反動的な思想を持つ恐るべき人物であり、したがって彼の音楽もまた、いかに素晴らしかろうと文章と同じ毒に満ちているがゆえに容認できないと言うことも、やはり事態を単純化しすぎている。それをどのように証明できるのか。作家や音楽家、詩人、画家の芸術を彼らの道徳を基準に評価したならば、そのうち何人が残るだろうか。そして、ある芸術家の芸術的所産が醜悪であり卑劣であったとして、ここまでなら容認できるという限度は誰が決めるのか。

 いったん検閲を始めたが最後、理論的な限度はなくなる。私はそれよりも、イスラエルにおけるワーグナーの演奏(あるいは別の例を挙げれば、ナイジェリアの聡明な作家、チヌア・アチェベが書いた有名な評論にあるように、今日のアフリカ人がジョセフ・コンラッドの『闇の奥』をどう読むかという問題)のように複雑な現象を分析し、悪と芸術とを区別できるのは、結局は精神であると思う。

 成熟した精神の持ち主であれば、ワーグナーが偉大な音楽家であり、おぞましい人間であるという相反する二つの事実をともに把握することができるはずである。不幸なことに、この二つは表裏一体となっている。だからといって、ワーグナーを聴いてはいけないということになるのだろうか。まったくそんなことはない。とはいえ、今でもワーグナーとホロコーストを結びつけて胸を締めつけられる人々にまで、無理に聴かせるには及ばない。しかし私は、芸術に対しては虚心坦懐に向き合う必要があることを強調したい。芸術家の非道徳的で邪悪な態度を道徳的に判断すべきでないということではない。一人の芸術家の作品がその観点だけから判断され、糾弾されてはならないのだ。

 最後に、アラブ人に関わる状況でもうひとつ、これに類する事例について述べる。昨年クネセトで、マフムード・ダルウィーシュを高校生に読ませてよいかどうかという議論が起こった。我々の多くにとって、この発案が激しく非難されたことは、正統派シオニストの閉鎖的精神の証拠として受け止められた。多くの者は、イスラエルの若者たちに偉大なパレスチナ人作家を読む機会を与えるという考えに対して反対があることを嘆いた。そして、歴史や現実は永久に隠しおおせるものではなく、そのような検閲を教育に持ち込むべきではないと主張した。

 ワーグナーの音楽もまた同様の問題を提起している。この音楽家がナチスの御用達になるべくしてなったと考える人々にとって、ワーグナーの音楽や思想が恐るべき事実と結びついていることが、紛れもなくトラウマとなっているのは否定できない。しかし、ワーグナーほど偉大な作曲家となると、その存在を永久に無視することもできなかった。イスラエルにおいてバレンボイムが2001年7月7日にワーグナーを演奏しなかったとしても、遅かれ早かれ、誰かほかの者が同じことをしただろう。複雑な現実はいつか必ずその封印を解かれることになる。問題は、ワーグナーという現象を理解することであって、その存在を認知するか否定するかということではないのである。

 アラブの状況を見てみよう。イスラエルが34年間にわたり、不法に占領した土地の住民全体を相手に集団的な制裁と殺人を繰り返している現状が、火急の問題となっているなかで、対イスラエル関係の「正常化」やイスラエル社会との一切の接触への反対運動が起きているという図式は、必然的にパレスチナ詩人やワーグナーに関するイスラエルのタブーを思い起こさせる。この問題の原因は、アラブ諸国がイスラエルと経済的、政治的な関係を結んでいる一方で、一部のグループがイスラエル人との関係を全面的に禁じていることにある。正常化を禁止するというのは筋が通らない。その根拠とされるパレスチナ人に対するイスラエルの抑圧が、反対運動によって軽減されるわけではないからである。正常化に反対する措置によって、どれほどのパレスチナ人の家が破壊を免れたというのか。正常化反対を貫くことによって、どれほどのパレスチナの大学が講義を再開できたというのか。残念ながら皆無である。それゆえ私の見解では、高名なエジプトの知識人にとって、連帯を示すためにパレスチナにやってきて、講義や講演を行い、医療援助をすることのほうが、自国にとどまって、そのような行動を起こそうとする者の妨害をするよりも望ましい態度である。全面的な正常化反対という手段は、力の弱い側が用いて意味のある武器ではない。象徴としても価値は低く、その実際上の効果は受動的で否定的なものにすぎない。

 インド、南米、ヴェトナム、マレーシアなどの例に見られるように、弱者の武器が効果を上げるのは、常にそれが能動的、さらには攻撃的な場合である。つまり、強大な抑圧者が道徳的にも政治的にも厄介で危うくなるような状況を作り出すのだ。自爆というやり方では、そのような効果を生み出すことはできない。正常化反対もしかりであり、南アフリカの人種差別撤廃闘争の場合には、外国の大学によるボイコットも含んだ広範な措置がとられていた。

 だからこそ、我々はあらゆる手段でイスラエル人の意識の中へ入り込むように努力すべきだと思う。イスラエルの人々に向けて実際に、あるいは文章を通じて語りかけることで、「我々」に対する「彼ら」のタブーを打ち破るのだ。パレスチナ文学をめぐる論争の根底には、まさにイスラエルの共通の記憶が消し去ったものを呼び覚まされることへの恐れがあった。シオニズムはユダヤ人以外の民族を排除しようとしてきた。そして我々は「イスラエル」の名前さえもひたすらボイコットすることで、それを阻止するよりもむしろ助けてきたといえる。別の文脈でいえば、バレンボイムによるワーグナーの演奏は、いまだに反ユダヤ主義による民族虐殺のトラウマに苦しむ多くの人々を深く傷つけたとしても、服喪から抜け出して次の段階、つまり人生それ自体へと進んでいく力を回復させる効果があった。人は生き、先に進んでいかなければならず、過去の中に立ちすくんだままではいけないのである。おそらくこの複雑な問題の微妙なひだに私が余すことなく触れたとはいえないだろうが、最も強調したいのは次のことだ。人生は、批判精神や解放体験を打ちのめそうとするタブーや禁止事項によって支配されるものではない。この心構えは、常に第一に掲げるだけの意義がある。知らないでいることや知ろうしないことが、現在の道を切り開くことはないのである。

(1) イスラム神秘主義運動スーフィズムの伝導者で、聖霊を受けたというハッラージュは、神と自分の合一を主張した。そして神を冒涜した罪により、922年にバグダッドで処刑された。
(2) イギリスの歴史家、批評家(1795−1881年)


(2001年10月号)

* 改訳の上『力の論理を超えて』に収録、NTT出版、2003年8月

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