コロンビア、もう一つの挫折した和平

モーリス・ルモワーヌ特派員(Maurice Lemoine)
ル・モンド・ディプロマティーク編集部

訳・北浦春香

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 国軍、右翼民兵、左翼ゲリラの三つ巴の内戦が続くコロンビア。1998年に就任したパストラナ大統領は、ゲリラとの対話路線を掲げ、同年11月、最大組織コロンビア革命軍(FARC)との間で南部に「緊張緩和地域」を設定した。これは国軍が撤退し、ゲリラの実効支配を認め、和平交渉の足がかりとするものであり、中断と再開を繰り返しながらも対話の糸はつながっている。他方、第二の組織である民族解放軍(ELN)との間でも、北部に緊張緩和地域と設定するとの案が浮上していた。しかし、麻薬利権を有する右翼民兵組織コロンビア自警軍連合(AUC)の攻撃によって失敗に終わった。戦いに巻き込まれた村人たちの目には、民兵を支援する国軍兵士の姿が焼き付いていた。[日本語版編集部]

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 その中に彼らが入って行くのを見ているのは辛い。胸が締め付けられる。しかし他に選択肢があるだろうか。女の目が一瞬、感情に揺れた。「幸運を祈って、そして爆発物に気をつけてねって言うんです」。その中というのは鉱山のことだ。鉱山の中には、夫や恋人である男たちがいる。彼らはコロンビア北部、ボリバル州南部の山々の中でひときわ高くそびえ立つこのサン・ルカスの山岳地帯に、金で一山あてようとしてやって来た。不毛な農村や冷たい都会を捨てて移った町は、「金持ちには犬にまで学校があって、貧乏人は朝食をとれば昼食は抜きで、昼食をとれば夜にはもう食べるものがない」ところだった。

 鉱山か。そこに口を開けているのは忌わしい坑道だ。場所によっては膝をついて何百メートルも、闇の奥底へと沈んで行く。光もなく、換気システムもない。額にゴムで巻き付けた懐中電灯の光だけが頼りだ。支柱はない。水が滲み出て、からだを濡らし、足元でひたひたと音をたてる。その真っ黒な沼を、時には這いつくばるようにして進まなければならない。深い淵の中から、垂直にくり抜かれた竪坑が現れる。屈強な鉱夫が腕の力だけで支えるロープにつかまりながら、その底へと吸い込まれて行く。

 暗闇の奥で、この国の富を、爪の先で掻き出す。荒くてきつい仕事だ。「運がよければ、20、50、100グラムの金が取れる。でも、100万ペソ(約5万円)稼いだ日があったとしても、また次に掘りあてるまでには3カ月も4カ月もかかるだろうよ」

 雲を突く高さにあるミナビエハの村は、同じように山岳地帯のてっぺんにあり、ラス・ミナス(鉱山)とまとめて呼ばれる他の集落と、とりたてて違ったところはない。ぬかるんだ路地、ビニールシートを掛けた粗末な小屋、何軒かの商店、騒がしい酒場、発電装置の回る音、夜になれば球の弾ける音とビールの栓を抜く音であふれるビリヤード場。干された洗濯物の間から、持たざる者の群れ、つまり子供たちの群れが顔を出す。この不衛生な小さな学校は、村人が自分たちの手で、自分たちの金で建てたものだ。教師の給料は政府が払っているが、彼女が飢え死にしないよう、生徒の親が上乗せをしている。もう一人の教師の分は、村が全額を負担している。村に通じる道はない。カトリック教会でさえ、ここの子供に洗礼を授けるのを忘れている。

 それでも、そんなラス・ミナスの集落で耳にしたのは心の叫び、正気を失っているのではないかと思うような叫び声だった。「私はここで幸せにやっています。昔いたところよりずっといい。政府には余計な手を出さないでもらいたいですよ」。女はそう言って、カラシニコフ銃を背負った軍服の男にさりげなく挨拶した。ゲリラ兵である。

 これらの村は政府の援助をまったく受けずに、どうにかこうにか社会を営んでいる。以前ならば、山岳地帯のふもと、マグダレナ川沿いのサン・パブロ、サンタ・ロサ、モンテクリストといった役場のある町まで下りて行くこともできた。それは今では絶対にできない。村の幹部や活動団員、組合員、何らかの活動家にとっては、なおさら考えられない真似である。

 南ボリバル農鉱業連盟の会長であるホセ・セディエルは、20カ月このかた地元から外に出ていない。そのおかげで、彼にはまだ命がある。「幹部と名のつく者は一人として外に出ることはできません。殺されてしまいますから。我々は塀の外の囚人ですよ」。いちばん板挟みになっているのは農民だと、黒くて割れた爪をした男が苦々しげにつぶやいた。少し離れたところでは、2人の鉱夫が「パブロ」とすれ違った。民族解放軍(ELN)の分隊の司令官で、ミナガジョ村の近くに拠点をおいている。「やあパブロ、元気かい」

 人々は土地への愛着からここに留まっているが、状況はきわめて複雑だ。「ゲリラが山の中にいて、ここまで来ていることは、みな知っていることだ。でも自分たちが銃を手にしたことはない」。ボリバル州南部の北部にあるミコアウマド村でも、同じ科白を聞いた。「我々の中にゲリラは入り込んでいないなんて、そんな馬鹿なことは言えない。みな自分の目で見ているんだから。だからといって、この村がゲリラの村になったわけではない」

農民とゲリラ、そしてパラミリ

 役場のある町々の出口には、コロンビア自警軍連合(AUC)が検問所を設けている。パラミリ(1)である。彼らが狙うのは商人だ。ゲリラを兵糧責めにすると称して(ゲリラは独自の補給ルートを持っているのだが)商品の輸送を制限し、電池、ブーツ、燃料、食料、医薬品の運搬を禁止して、村落の一般住民を苦しめる封鎖網を作り出している。「仕入れのために借金をしても、商品は巻き上げられてしまう」とミナカリベ村の商人がため息をつく。この村は、パラミリのために壊滅に近い状態にある。「金はなくすものと思った方がいい。命でなければ、だがね」

 建て前としては「違法」なパラミリによる検問と殺害が繰り返されているのは、国軍の目の届かない場所ではない。モラレスでは目と鼻の先に分隊が駐屯しており、サン・パブロでは20分も行ったところに第47部隊とヌエバ・グラナダ部隊の分隊、サンタ・ロサでは30分のところにグアネス部隊がいる。モンテレー、サン・ブラス、シミティに至っては、「パラミリの横に堂々と国軍兵士がいる」ありさまだ。これらの町より南方(マグダレナ川上流)にあるバランカベルメハについては言わずもがなである。この港町はコロンビアの石油産業の中心地で、殺人者集団が好き勝手にふるまっている。その一方で、第45部隊とヌエバ・グラナダ部隊、特殊部隊、警察、合わせて5000人の兵士が駐屯している。国軍とパラミリにはなんのつながりもない、と政府は「主の祈り」のごとく繰り返すが、彼らが共存して、苦しむ住民を仕切っているのは事実である。

 ミコアウマド村でも、多くの犠牲者が出ている。最も新しい犠牲者は、マグダレナ・メディオ(2)の開発・和平プログラムを担っていた弁護士、アルマ・ロサ・パラミジョだった。彼女は今年6月末にモラレスで尋問され、生きたままチェーンソーで切り刻まれた。ここ何年かの間に拷問の犠牲となった人々の遺体をすべて集めれば、優に山が一つできるだろう。マグダレナ・メディオ全体はもとより、南ボリバルに限ってもだ。政府の説明によれば、彼らは血に飢えたゲリラおよびAUCの犠牲者、だそうだ。首都ボゴタでは、パラミリという言葉(おそらく余りに的確すぎる表現)は次第に使われなくなってきた。少なくとも、一部のメディアでは禁句である。

 ELNは1964年に川の東側のサンタンダル州で結成され、ここ20年ほどは西側のボリバル州南部を拠点の一つとしている(3)。戦線はどこかといえば、どこでもない。彼らの戦争は奇襲であり、待ち伏せであり、突撃である。悪路だろうが、山道だろうが、どこまでも延々と、へとへとになるまで歩き続けなくてはならない。ゲリラは少しずつ、このジャングルと山が錯綜した土地、国軍が地元の有力者と取引する地域に、抵抗の拠点を築いていった。

 乱闘、報復、策略・・・。鉈で、銃で、人々が殺しあう。「20グラム、30グラムの金をめぐって、森のそこかしこで人が殺される」。政府から見捨てられたこの地獄の地に出現したELNは、人や村が共存するための一連の規律を定めた。また、カステニョ(流域の住民)とカチャコ(奥地の住民)の紛争にも終止符をうった。「今ではもう大々的な攻撃はない」と司令官パブロはコーヒーをすすりながら微笑する。「集落の中で非難すべき行為が起こった場合、村の社会組織が介入する。もっと扱いが微妙なものであれば、我々が呼ばれる。今までに、鉱山をめぐる黙約の破棄や、土地泥棒、酒の上での争いなどを調停した」。さらに「重大な罪、たとえば殺人の場合は、彼らが処刑する」と後日ある農民が淡々と付け加えた。彼らのもたらした平穏の代償として、ELNは鉱山活動に税金を課している(彼ら自身は「産出者との合意」と表現する)。その代わり、コカ栽培の売上に手を出すことは自粛している。

 そう、ここにもコカはあるのだ。1980年代、パブロ・エスコバル(4)はゲリラに対し、貴重な銃を1000丁やるから飛行場を造らせろと持ちかけた。ELNはこれを拒否した。「我々は麻薬取引に手を染めたことはないし、これからもしない」。ELNの最高指導者、ニコラス・ロドリゲス・バウチスタ、通称「ガビノ」は、7月に「南ボリバルのどこか」でインタビューした際にこう言い切った。「我々は、麻薬を人類の災いのもととみる人々に同感する。私が言っているのは政府とそのダブルスタンダードのことではない。国家の機関はどれも汚いカネに毒されている。そして我々としては、そこに加わるぐらいなら貧しいままの方がましだ」

 こうした立場は、コロンビア革命軍(FARC)の対極に位置するものだ。FARCは、長いこと逡巡したのちに、現実的な見地からコカに税を課すことを決めた(それをもってFARCが麻薬カルテルとなったということにはならない)。しかしELNが逆の立場にたつからといって、農民を厳しく取り締まればいいというものでもない。ELNはこの悪魔の植物の存在に眉をひそめ、農民が(モラレスの町の200世帯がしたように)栽培をやめることを求めている。だが、その温床が社会的窮乏にあるとの認識から、「不法栽培」を禁じることまではしていない。「我々には既に国軍とパラミリという敵がいる。これに農民まで加えるわけにはいかないさ」とプエブロガト村の近くで若いゲリラが大笑いした。

 プラン・コロンビア(5)の影は、この地域にも伸びているのだ。空から飛行機が、何であれ植物に見えるものには片端から化学薬品を撒いて行く(6)。「あそこで」毒を撒き散らし、「向こうの方で」バナナを枯らし、「あっちの方でも」生活の糧となる作物を壊滅させた。「でも、ここは大丈夫」と、カネロス村とプエブロガト村の境界地帯で人々が笑う。「ELNが山の中にいて、飛行機を銃撃で迎えてやったからね」

 このコロンビアの危険地帯では、何もかもがねじれ、もつれあい、どこにも論理などないように見える。悲惨な状況から抜け出せない農民は、コカからペースト(コカイン製造の第一段階)を作る。そして何頭ものラバを連ねて、サン・パブロやサンタ・ロサの町へと運ぶ。商品を引き取った仲買人がこれを売る相手は、農民にとっては不倶戴天の敵、殺人者にほかならぬパラミリである。コカを売る農民もまた、麻薬根絶を標榜するELNに庇護されている。ELN自体は、麻薬に手を染めたパラミリの攻撃を受けている。そのパラミリは、警察や国軍と手を結んでいる。警察や国軍は、ワシントンからの資金を手に、FARCと死闘を繰り広げている。そして、その目的は麻薬取引の根絶だというのである。

ELNの行動

 生き延びるために口をつぐまなければならない状況におかれた人々が、ほんとうは何を思っているのかをどうして知ることができようか。ミコアウマド村のある女性は、困った顔で言い訳するように言った。「心情的な関係ではありません。ゲリラがやって来て、私たちに挨拶をし、水を一杯くれと言う。そうしたら水をあげるのが人情でしょう」。ラス・ミナス地域に特有の寒気の中で、長老派の牧師が述べる。「聖書はあらゆる法を尊重しなくてはならないと私たちに教えています。それで私たちはゲリラの法を尊重するのです。私たちに武器があればいざ知らず、でも武器を持っているのはゲリラの方なのです」。山道のうだるような暑さの中からも、かなりはっきりとした抵抗の声が聞こえてくる。「ゲリラがどこにいて、何をして、どこへ移動するか、誰もが知っている。なぜパラミリは、それを攻撃しないのだ。やつらの間だけで戦って、私たちにはかまわないでもらいたい」

 時とともに状況がますます錯綜してきているのは明らかだ。人前では大声で、「この争いから救い出してもらいたいよ、俺たちにはなんの関係もないんだから」と言った屈強な50代の男は、数時間後にビールを飲みながら、そっと耳打ちした。「まあ、こういうことだ。ゲリラは完璧じゃないが、それでもいつも友人の顔をしてやって来る。俺たちに暴力を振るったりはしないのさ」。2つの勢力の間に板挟みになっていると息巻いていたこの鉱夫は、翌朝には次のように真情を吐露した。「静かに落ち着いて暮らせるようになったのはゲリラのおかけだ。パラミリが俺たちをたくさん殺すのに比べ、同志はどうすればいいのか教えてくれるし、ここの社会の生活がわかってるからね」。さらに2日後、でも「不法集団」ではないかと吐き捨てるように言った男に対し、彼は静かに言い放った。「ゲリラの中には貧しい兵士や労働者たちがいて、みんなのために働いている。どうしようもなくなった俺たちの村が生き延びるのを助けてくれてるんだ。彼らには恩がある」

 厳しい顔をしていた長老派の牧師でさえ、口振りを変えて言う。「彼らの決定に納得できないことがあれば、みなで集まって、私たちはそんなことはいやだと言います。実際にもあったことです。彼らは自分たちの立場を説明し、私たちも同じことをして、多くの場合は合意に達します。私たちの意見は尊重されているのです」。ELNの側では、司令官パブロが冷静に解説を加えた。「多くの者は恐怖心から、自分の考えを我々に伝えようとはしない。現実には、そうしようとするのは我々にごく近い人間と、強い精神力を持った牧師たちだけだ。それから、必ずしも好意的ではないにしても、我々のことをよく知る人々だ。彼らの知恵や抵抗の力は、我々がこれらの村の支配者になってしまうのを抑えてくれる。村には自分たちのものの見方があり、我々は彼らに奉仕すべきなのだ。我々はずっとそう言い続けてきた」。その言葉を福音のように受け止めるかどうかは別として、南ボリバルの山を歩き回れば、ある揺るぎない事実を目の当たりにする。ゲリラが通ると和やかな空気が流れることがままあるのだ。「もし人民と離れてしまったと感じていれば、私はここを去って故郷へ帰っているだろう」。サン・フアン分隊の司令官は、灼熱の太陽のもとラバと小型トラックで鉱山地区の南側を行軍しながら、こう口にした。

 しかしコロンビアにはもう余力がない。1998年、ELNは紛争を終結させるための構想を明らかにした。国民会議の開催である。社会全体の合意を基本としなければ、和平は確固たるものとはならない。最高権力の地位に就いたアンドレス・パストラナは、これを快く思わなかった。彼がコロンビア人の大統領であり、政府の長であり、この先4年間の芝居の座長を務める以上、交渉は人民ではなく彼を通さなければならないのだ。その点、FARCはしっかりしていて、現実をわきまえていたから、パストラナはこちらを相手に「国家と国家」の対話に臨み(7)、軍事的に弱体化したと言われていたELNには目もくれなかった。

 ELNのゲリラはこれに対抗した。彼らには彼らの方法があった。ELNは革命軍というよりは武装政治組織であり、その力は武力よりも人心に依拠している。彼らには、コロンビア南東部のラス・デリシアスやミトゥで国軍を攻撃したFARCのような軍事力はない。ELNは1999年4月12日、アビアンカ航空の41人乗りフォッカー機をブカラマンガ(サンタンデル州)とボゴタの間でハイジャックし、ボリバル州南部に着陸させた。同年5月29日には、西部カリ市のラ・マリア教会でミサに参列していた150人の信徒を誘拐した。

 存在感を示すという観点からは、これらの作戦は成功だった。非難と断罪の嵐が巻き起こった。「テロリスト」に対する「市民社会」の憤慨が、堰を切ったように溢れ出した。なぜなら当然のことながら、血をもって血を洗うことで、ゲリラは度を超すという罪を犯したからだ。彼らはインフラの破壊工作で、完全に常軌を逸した(8)。さらに、誘拐して身代金を要求するというやり方は、人々に言いしれぬ不安感をかき立てた。「わかっている」と司令官「ガビノ」は、開き直ったふうもなく嘆息した。「巨額の戦費を調達するために、こうした『経済上の拉致』という手段に訴えているのだ。我々はこれを一種の税であると見なしている。あまり、その、エレガントな方法でないことは承知しているが。我々は政府にも、国際社会に向けても、こうした事態を避ける道を考えようと呼び掛けた。我々には対話の準備がある。例えば、政府は税金を徴収しているが、コロンビア社会全体を代表しているとはいえない。政府は強者の代表でしかない。我々もコロンビア人であり、国を愛することに変わりはない。我々には力があり、言ってみれば別の政府をつくったようなものだ。税金について交渉しようではないか。国家が税金の一部を我々に渡すなら、誘拐から手を引く用意がある」

 この提案は、「ロコンビア語」(9)で語られているにしても、あまりに非現実的と思われよう。国家が反政府武装勢力に補助金を与えるなんて聞いたことがない。むろん、話は先へは進まなかった。熱血的なロマンティシズムのかけらもない「ガビノ」は続けて言う。「戦争というものは怪物だ。凶行を際限なく生み出していく。しかし我々には社会変革の構想がある。我々は富の再分配を望んでおり、多くの人々の支持を受けている。ほんとうに人道的な論理にたつならば、紛争をやめ、それを生み出した元凶を叩くべきなのだ」

緊張緩和地域の設置をめぐって

 ELNが圧力をかけ、あらゆる武装行動に訴えた結果、緊張緩和地域を設けて国民会議を開催するとの案が、実現に向けて動き出した。南ボリバルが候補地に上がった。そこへ右翼勢力が乗り出して来た。利害関係があるからだ。カルロス・カスタニョ率いるAUCのパラミリは、この近辺で月に5トンのコカ・ペーストを入手している。自分の都合しか考えず、権益に汚れきった政財界の好戦勢力も、陰謀に加担した。国軍上層部も同じだった。

 国軍上層部は、FARCがカグアン近辺に4万2000平方キロメートルの非武装地帯を獲得したコロンビア南部については、多かれ少なかれ国軍勢力の衰退を織り込み済みである。しかし、人口も多く、管理下にあることになっている北部で弱気に出れば、軍事政策の根幹にかかわる。こうして突撃部隊に出動命令が出された(彼らは人権の尊重など眼中にない)。カスタニョとその参謀たちは寒冷なヌド・デ・パラミジョ(西隣のコルドバ州)を放棄して、サン・ルカスの山岳地帯のふもと、サン・パブロとサンタ・ロサの間にあるポソ・アスルに陣営を構えた。迎合的なメディアのマイクとカメラの前で、このパラミリの隊長は胸を張った。「1年以内に、山岳地帯からゲリラを追い出して、テタ・デ・サン・ルカス(ミナビエハ村から2時間の山頂)にハンモックを吊ってやるよ」

 国軍の元最高司令官ハロルド・ベドヤと北部アンティオキア州の元知事アルバロ・ウリベ・ベレス(2002年の大統領選での右翼候補)が、当時の内務大臣ウンベルト・マルティネスとの連携のもと、すべてを仕組んだ。パラミリの支配下にある村にアソシパス、ノ・アル・デスペヘという2つの運動を組織し、緊張緩和地域に反対するようにけしかけたのだ。ピストルをこめかみにあてられたに等しい状態で、交渉地域の設置への反対を叫んでやまない住民たちが行進する様子は、自発的な示威行動の頻発としてメディアで大きく報じられた。山の奥では、鉱夫や農夫のほとんどが交渉地域の設置を熱望していたが、そんなことは誰の目にもとまらなかった。

 そして辺り一帯は、閃光と煙、銃声に包まれた。パラミリが、マグダレナ川沿いの基地から出撃し、村々に激しい攻撃を加えたのだ。しかしそれでも、政府は2000年4月24日、サン・パブロ、カンタガジョ(ボリバル州南部)およびヨンド(アンティオキア州)の間を緊張緩和地域とすることを確約した。のべ4727平方キロメートルの地域に、国内外の検証団が入る予定となった。続く7月25日、ゲリラと政府がジュネーヴで会合していた際、ELNの代表が急遽、引き揚げを決めた。「ガビノ」の基地が、200人のパラミリに攻撃されたとの知らせが届いたのだ。数時間の間、彼の生死はわからなかった。山岳地帯の中、エル・ディアマンテとバレシトの近くにあるこの暫定基地は、数日前にジュネーヴ会合の詳細を詰めるために、ELN、和平特使、「市民社会」が集まった場所だった。その場所を知っているのは国軍しかない。

 バレシトとエル・パライソは壊滅し、エル・ディアマンテも半壊した。住民はなんとか生き延び(詳しくは後で述べる)、この時の様子を証言した。「AUCの腕章の下から、グアネス部隊やエロエス・デ・マハグアル部隊のバッジが見えてたんだ」。別の部隊はミナカリベとミナガジョに攻撃を加え、ラ・グアラペラにある禿山の頂を占拠した。小さな塹壕に身を伏せ、ELNが応戦する。弾丸が乱れ飛び、銃撃戦が一日中続いた。パラミリは手ひどくやられ、ミナビエハに退却した。「全部で300人ほどだったが、パラミリは40人もいなかった」と、黒くてこわばった手をした鉱夫が息巻く。「あとはグアネス部隊の兵士だった。いっぱいいた。やつらは広場で、子供の目の前で、ホセ・マヌエル・キロスを殺した。それから墓地で死体を切り刻み、全員に銃を向けてそれを見るよう命令した」。ゲリラが手を出せないように自分たちが人質として使われたことに、住民は歯ぎしりした。「残れば殺される。逃げても殺される」

 一人ひとりがそれぞれ可能な方法で、夜陰に乗じ、森をつたって隠れながら逃げ出した。襲撃隊は民間のヘリコプターから食糧と弾薬の補給を受けていた。しかし56日目に至り、住民がだいぶ減ってしまうと、攻撃されやすくなった襲撃隊は退却した。ラ・トレハで彼らを脱出させたのは国軍のヘリコプターであり、シミティ、サン・ブラス、モンテレー、ポソ・アスルでも同じであった。近代的な輸送ヘリコプター、ブラック・ホークや航空部隊がAUCを支えていたのだった。

戦闘の帰趨

 2000年12月、ハバナ(キューバ)。「ガビノ」に率いられたELNの司令官たちと、和平特使カミロ・ゴメスを長とする政府代表団が、ついに緊張緩和地域の設置交渉の大詰めを迎えた。政府はパラミリの活動を食い止めることを約束した。2001年2月5日、サン・パブロで元国軍司令官ベドヤとパラミリの地区司令官「グスタボ」がまたもや示威行動に出ると、国軍は「ボリバル作戦」を展開した。3500人を動員した作戦の目的は「パラミリを叩き、コカインの製造工場を破壊する」こととされた。丁寧にも事前通告がなされた結果、サンタ・ロサの国軍基地から15キロのところにある地域最大の工場は、攻撃時にはもぬけの空となっていた。ここから毎週、AUCの貯蔵基地のあるカウカシアまで、ヘリコプターが(まったく探知されることもなく)コカインを運び出していたのである。

 作戦が続いた2カ月の間、国軍がパラミリに銃を向けることはなかった。コカインも1グラムたりと回収されていない。それとは対照的に、2月10日にカニョ・フリオ近辺で緊張緩和地域を支持する農民数千人がデモを行ったときは、軍用機が姿を現して機銃掃射を浴びせた。その後の数週間にわたり、「誰もが顔を知るパラミリに先導された」国軍部隊が、ゲリラの分隊と衝突を繰り返した。嫌がらせ、殺害事件(マチュカ村)、家畜の略奪や虐殺が住民を痛めつけた。

 国軍は4月10日に退却した。同じ日、下準備の整えられた戦場で、AUCの800人の部隊が襲撃を開始する。サン・パブロ、シミティ、サンタ・ロサ、モラレス、アレナル、モンテクリストなどの地域で戦闘が繰り広げられた。エル・パライソ、エル・ディアマンテ、バレシトは再び灰塵に帰した。「ゲリラがこれらの戦略拠点にいてくれなかったら、我々は皆殺しになっていただろう」と犠牲者の一人は語る。

 広大な南ボリバルのそれぞれの村の近辺には、20名ほどのゲリラの分隊が展開している。数百人規模のパラミリの襲撃が始まれば、抗戦することは不可能だ。ELNの役目は、襲撃者を足止めするとともに、山の中に逃げ込む数百人の農民を守り、助け、まとめることだ。それからゲリラは集まって精鋭部隊を再編し、手痛い打撃を加えてパラミリを退却させる。すると住民が山道を戻って来る。

 しかし、これにはまだ続きがあった。カスタニョと彼を後援する国軍部隊は、何としても決定的な勝利を手にしようと焦って、賭けに出た。あとはどう抵抗されても簡単に打ち砕けるとの確信のもと、ゲリラの立てこもる山岳地帯のただ中に、数百人規模の傭兵部隊の基地を築いたのだ。機動性はまったく失われ、補給はヘリコプターから受けられるものの、これではやられに来たようなものだった。実際に戦いを始めてみると、ELNは単に惰性でゲリラ活動を行っている抵抗勢力などではなく、戦法を熟知した手強い相手だった。さらに事態を厄介にしたのは、ELNの側に増援部隊が現れたことだった。

 FARCのマグダレナ・メディオ部隊数千人を束ねる司令官パストル・アラペは言う。「政治的、思想的な違いはいくつかあるが、私の配下の兵士はELNに加勢した」。これは一つの転換点だった。2つのゲリラ組織は必ずしも良好な関係を保っているわけではないからだ。特別合同部隊はFARCのアラペとELNの「ガジェロ」の指揮のもと、サン・ロレンソからパラミリを追い出した。別の合同部隊は、ノ・テ・パセス=パティオ・ボニト基地を破壊した。ELNはポソ・アスル、ブエナビスタ、カニャブラバル、ラ・プンタなどを叩いた。

 バレシトで、ELNの精鋭部隊を率いる司令官マルコスは、憔悴した顔でこう話した。「3年にわたる戦いの中、この狂気で最大の犠牲を蒙ったのは住民だ。我々は物資を失ったが、これは戦争の常だ。戦闘員およそ60人を失ったが、これもいつものことだ。それでも我々の持つ力に変わりはなく、司令官も全員無事だ」

 パラミリにとっては軍事的敗北であった。損失は多大で、とりわけ多くの幹部が戦死した。カルロス・カスタニョが最高司令官の地位を去った事実が端的に示すように、パラミリは非常に重大な危機を迎えた。部隊を立て直し、サン・ブラスとモンテレーの間に集結させた。しかし、軍事的には敗北しても、パラミリの背後にいる勢力にとって政治的には勝利であった。これほど紛争が多発し、住民が緊張緩和地域を拒否し、さらにはFARCまで派手に作戦活動を行うような地域で、和平を語ることなどできるものだろうかというわけだ。「ELNは、ボリバル州南部を非武装地帯とし、国民会議を開くという考えを完全に捨て去るべきだ」と国軍の最高司令官、フェルナンド・タピアスは言い放った。これを鵜呑みにしたかのように、パストラナ大統領は8月8日、軍の行進を閲兵した席で、ゲリラとの一切の接触を中止すると宣言した。その理由は、「ゲリラ組織には和平プロセスを進めようという意思がない」というものであった。

(1) 「民兵」と訳されるのが通例であるが、直訳するなら「準軍人」となる。記事の後段で言及されているのは、このニュアンスである。[訳註]
(2) マグダレナ・メディオ(マグダレナ川中流域)は、川沿いの8つの州の総称である。この地域の麻薬商人、大地主、軍人、政治家が、1980年代初めに民兵部隊を組織した。
(3) 第2の規模を持つゲリラであるELNには、およそ5000人の戦闘員がいる。コロンビア革命軍・人民軍(FARC-EP)は1万6000から1万8000人である。
(4) メディジン・カルテルの最高幹部で、逮捕の後に脱走し、1993年末に射殺された。[訳註]
(5) 麻薬対策などをうたった政府の社会経済計画。アメリカが強力に支援しており、左翼ゲリラ対策の色合いも強い。[訳註]
(6) 「麻薬撲滅作戦で虐げられる農民たち」(ル・モンド・ディプロマティーク2001年1月号)参照。
(7) 「コロンビア国内のもう一つの国家」(ル・モンド・ディプロマティーク2000年5月号)参照。
(8) 1998年10月18日、カニョ・リモンとコベニャスの間の石油パイプラインが爆破され、およそ100人の死者と数十人の負傷者が出た。
(9) 頭がおかしいという意味の「ロコ」に引っかけた駄洒落。


(2001年10月号)

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