欧州連合の再構築のために

アンヌ=セシル・ロベール(Anne-Cecile Robert)
ル・モンド・ディプロマティーク編集部

訳・吉田徹

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 2000年12月にニースで行われた首脳会議で欧州連合(EU)が機構改革に実質的に失敗したという認識は、ヨーロッパ各国でも世界の政治家の間でも広く共有されている(1)。しかし、早ければ2004年には中東欧諸国の加盟が実現することを考えると(2)、この機構改革は急務である。

 ニース会議の失敗は、欧州統合が政治的、社会的に手詰まりに陥っている現状を考えればしかたのないものだった。とはいえ、2004年に招集される予定の政府間会議(IGC)を目前に、EU諸国が欧州統合の矛盾を解決しようとせず、EUの「機構・制度論」、つまり「連邦」とするか、「国民国家からなる連邦」とするか、「憲法」を起草するかといった論争に明け暮れているのは事実である。実際には、EUは多くの点ですでに連邦的であるといえる。但し、それは普通選挙に基づいた政治的な連邦制度ではなく、自由主義的な巨大市場の形成を軸とし、民主的な基盤を欠いた法的・経済的な連邦制度なのである。

 こうなってしまった背景として、2つの要素が絡み合っている。

 第1に、「連動式」と呼ばれる方式を想定した欧州統合は、刻々と変化する妥協の連続であるが、その方向は常に変わらない。つまり、一方では加盟国の主権を温存しつつ、他方では主として経済分野に限った超国家機関へと主権を委譲しつつ、その中間の道を進み続けているのだ。そのための手法として、欧州共同体(EC)は法律を含めた国内法規に優越する法規を定める権限を持っている。さらに、閣僚理事会の全会一致ではなく、特定多数決(3)によって採択する共同体法規の割合が、段階的に増えていくことも決められている(つまり、ある国が反対票を投じても、採択された法規の実施を義務付けられる可能性がある)。1987年に単一欧州議定書が発効して以来、共同市場に関する多くの指令は特定多数決によって実施されてきた。そして、欧州司法裁判所が野心的な判例を示し、欧州委員会が共同体立法の発議権と競争政策に関する固有の権限を発揮することによって、この制度の持つ統合効果が最大限に引き出されてきたのである(4)

 第2に、欧州経済共同体(EEC)を設立したローマ条約の基本目標は、共同市場の創設にある。加盟国が6カ国であった当時も15カ国へと増えた現在も、この目標を疑問とした国はない。ことに80年代には、欧州統合はかつてないほど自由主義的な目標の下に進められた。それは徐々に加盟国間の最小公約数となっていった。但し、その他の領域では、加盟国の政治的な不一致は甚だしい。だからこそ、共同市場に関する事柄では特定多数決が受け入れられても、税制や多くの社会政策など、一部の国や諸国が政治的に微妙とみなす問題に関しては全会一致の原則が維持されている。この全会一致の原則を覆すには、まさにその全会一致が必要とされるのだ。さらにEUの第1の柱であるECと並ぶ第2の柱(司法内務協力)と第3の柱(共通外交安全保障政策)では、全会一致が鉄則となっている。こうしてEU15カ国はユーロを導入し、独立した中央銀行を設置し、さらにニース首脳会議で基本権憲章を採択したことで、民主的な対抗機関を設けることのないまま経済的な連邦制度を完成させた。

 そして今や、欧州統合の道は八方塞がりとなった。新たな構想もなく、それぞれが自分の立場に固執している状況である。ある勢力は、全会一致の原則という「かんぬき」を外して連邦を構築すべきだと主張する(欧州議会における緑の党、ドイツやベルギーの政府)。例えばリピエッツ議員(緑の党)は、「国益とは資本の利益の謂いであう」という(5)。また別の勢力は、自由経済が社会に深刻な問題をもたらしている現状で、各国政府に対する社会運動の実効性を担保する全会一致の原則こそが、商業主義の全面化に対抗する唯一の手だてなのだと主張する。あるいは英国のように、共同市場に限定された欧州統合の実現に喜々とする国々もある。しかし、これら三者のいずれも根本的な問い、つまり何のためのヨーロッパなのか、という問いは立てていない。だが、全会一致か特定多数決か、欧州委員会の役割をどうするかといったEUの機構問題は、新たな統合構想への合意があって初めて解決できるものだ。

同床異夢の連邦論

 この問題を直視しないまま、ドイツのシュレーダー首相やフランスのシラク大統領、ジョスパン首相、ベルギーのフェルホフスタット首相など、多くの首脳が欧州憲法の制定を提案している。しかし、条約に善し悪しがあるように、憲法にも善し悪しがある。法的な道具立てを用意しても、それ自体が問題を根本的に解決するわけではない。ある憲法を選定するということは、純粋に技術的な議論の域にとどまるものではない。法学的に見れば、憲法とは、条約に基づいた国際機構に対し、国家をならしめるものである。欧州憲法を起草しようということは、EUを国家に変身させようということに他ならない。憲法の制定は、欧州人民主権と「共生の意思」の明確化を前提とするという意味で、今後のEUのあり方を根本的に変える。

 ドイツ政府首脳は、欧州統合はそうした段階に達したと考えている。どのみちグローバリゼーションの中でそう多くの選択肢はない。彼らは口先では国民感情が大切であるといいつつも、それは克服できると思っている。フランクフルト学派の社会学者、ユルゲン・ハーバーマスは彼らの主張を援護射撃し、ドイツの例に見られるように、アイデンティティーを異にする人間によって構成された共同体は「憲法的愛国主義」によって固められるとする。ドロール元欧州委員会委員長はもっと懐疑的である。「私は連邦主義者と袂を分かった。なぜなら国民というものが消滅するとは考えられないからだ。グローバリゼーションの中で国民は重要な存在となる」とドロールは述べる(6)。そもそも、「欧州人民としての感情」や、欧州大の公論の場がない現状で、どこでどう決めれば正統な欧州憲法だというのだろうか。

  EUの機構制度を明確にするには、正統性をめぐる争いに決着をつける必要がある。つまり問題は、EUのどこに民主的代表制を見いだすことができるのか、という点にある。加盟国の政府や議会、あるいはEUの諸機関、とりわけ欧州議会をそう見ることができるのか。ドイツ首脳の見解では、国民感情の問題と同様の発想から、民主的正統性は明らかに欧州議会にあり、その権限を今後拡大すべきだという。そしてシュレーダー首相は、閣僚理事会を上院に改編し、欧州委員会を「強い」行政府にすべきだと提言する。

 その一方、フランス首脳の見解では行政府は主権の象徴として、そのままで市民を正統に代表しうる。ヴェドリーヌ外相は「わが国では、政府が民主的でないなどとは考えない」という(7)。ジョスパン首相もまた、国家代表からなる機関を重視した欧州統合構想を示している。しかし他方では、彼の唱える「国民国家の連邦」はまったく意味をなさない。というのは、そこでは2つの対立的な概念が結び付けられ、相互排他的な2つの愛国主義が一括りにされているからだ。彼がこのような表現に訴えようとするのは、連邦主義的な言葉を語らない者は欧州人に非ずという、またしても画一的な「欧州主義」を前にして政治的に劣勢にあることを意味するのだろうか。しかし、「連邦化」をめぐる議論は現行加盟国を真っ二つに割っており、ごく最近になって政治的主権を回復したところが大半の新規加盟候補国では、大きな警戒を呼び起こしているのが実状である。

議員の役割

 だからこそ、EUの再構築は憲法によってではなく、新しい憲章と条約によって実現すべきなのだ。この欧州憲章の第一の目的は、統合構想をいくつかの大きな共通政策にまとめ直すことにある。欧州とは何かと考えるに当たって、連邦制をとるかどうかという議論以前に、全てのことに関与しようとする巨大な国家としてではなく、大きな構想を中軸とし、人民主権を体現する国家連合として捉えるほうが現実的ではないだろうか。憲章の第二の目的は、補完性の原則(8)、所定の目標とそのための行動の均衡、国家間の誠実な協力のように、EUと加盟国との関係を規定する基本原則を明確にすることにある。従来これらの基本原則は欧州裁判所によって機会あるごとに明確化されてきたが、それは本来ならば選挙の洗礼を受けた政治機構が担うべき役割である。欧州憲章は、例えば自由貿易や自由競争よりも経済的・社会的連帯や雇用、環境を重視するといったように、EUの目標に優先順位を付けるものとなる。そして、このような憲章を起草するために、加盟国の国会議員からなる欧州総議会を招集するのである。

 新条約では、これまで締結された全ての条約を一本化する。そこでは特に、大きな共通政策を定めるとともに、度重なる政治的妥協によって混乱に陥った機構制度(20回におよぶ意思決定手続、条文間の矛盾など)を明確にする。この条約と憲章は、全加盟国における国民投票によって採択されなければならない。

 このような条約と憲章を作ることにより、何も政治的連邦制度を仮定しなくても、EUを民主化することは可能である。欧州の三権分立の原則は、混乱に混乱を重ねた現行制度から脱却する形で、条約という枠組みの中で定めればよい。重要なのは、立法府と行政府の役割を明確な形で定義することである。立法は原則として閣僚理事会が担い、加盟国の国会議員からなる総会に対して責任を負う。欧州委員会は、「法」の完全な執行権を付与され、今までと同様に欧州議会に対して責任を負う。そして、これまで他の2つの超国家機関との事実上の連帯関係に束縛されていた欧州議会は、もはや臆することなく新たな機構を活用していくことを強く期待される。

 ニース条約では、所定数の加盟国(最低8カ国)が他の諸国を待たずに特定の政策領域で先行統合できるという「より緊密な協力」が決定されたが、これを将来の新生EUの新たな拡散要因としてはならない。新たな構想が示されるごとに、欧州議会は一般利益の名のもとに審議し、場合によっては拒否する権限を持たなければならない。さらに、先行統合の制度は軍事政策にまで拡張されなければならない。これはニース会議の際にイギリスの反対で排除されたが、NATO(北大西洋条約機構)への服従と米国の庇護下から抜け出すためには必要な措置である。

 また、新しい憲章を含む機構改革が実現されないうちは、いかなる東方拡大も行ってはならない。現加盟国はニース会議で、無責任に既定路線を踏襲しつつ、新規加盟は何があろうと実現されると宣言した(9)。その反対に、EUが根本から強化されるまでは、新規加盟に待ったをかけるモラトリアムを宣言すべきで、加盟に代わる何らかの方式(例えば汎欧州規模の国家連盟など)を提案してしかるべきである。

 そして何よりも、各加盟国内で自国政府の欧州政策について国民的な議論を喚起する必要がある。政府の欧州政策に対する議会の統制権は、ECの立法行為に関して命令委任(10)という形で政府を拘束できるデンマーク議会にならって強化すべきである。欧州統合をめぐる思想が一つに収束して、国家が存在感を薄めるというのでは、欧州の行く末が危ぶまれる。欧州統合の新たな段階は、必ず全加盟国の国民の投票行動を介して承認されたものでなければならない。EUの再構築のためには、こうした手続が不可欠である。ニース条約には、いわば危機的な発作の「種」が蒔かれていた。それが欧州という病人の命を最終的に救うように持っていくことが必要なのである。

(1) ジャン=ルイ・ブルランジュ、ル・モンド紙2000年12月30日付;緑の党所属の欧州議会議員、ル・モンド紙2001年5月8日付;フランソワ・バイルー、リベラシオン紙2001年6月14日付。
(2) 進展の度合いはそれぞれ異なるが、新規加盟交渉はキプロス、エストニア、ハンガリー、ポーランド、チェコ、スロヴェニア、ブルガリア、ラトヴィア、リトアニア、マルタ、ルーマニア、スロヴァキアとの間で行われている。
(3) 各国が一律ではない所定の票数を行使できる加重方式の多数決。適用分野は条約の規定により、これまでも拡大されてきた。[訳註]
(4) 「指令」は、直接的な法的効果を有する「規則」と違って、各加盟国による具体的な立法行為を必要とするが、欧州司法裁判所は、こうした加盟国政府の裁量権を条文解釈によって制限する傾向にあるのみならず、一部の指令規定については直接的な効果を認め、加盟国の立法行為を排除すらしている。
(5) 「ニース会議のあられもない失敗」、ル・モンド紙2000年12月13日付。
(6) フランス下院「欧州火曜演説会」での発言、2001年6月19日。
(7) リベラシオン紙2001年5月10日付。
(8) 下位レベルの権限を重視し、上位レベルの権限はそれを補完するにとどまるとする政治原則。[訳註]
(9) 政府間会議は「いかなる場合も拡大過程の障害とも前提条件ともなってはならない」(ニース首脳会議最終宣言)。
(10) 代表者が被代表者の意思に拘束される関係のことをいう。[訳註]


(2001年9月号)

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