脳工学に挑む日本のカミカゼ神経科学者たち

マリアーノ・シグマン特派員(Mariano Sigman)
ロックフェラー大学神経科学研究者、ニューヨーク

訳・三浦礼恒

line

 1963年、フランシス・クリックと共同で遺伝コードを発見したシドニー・ブレンナーは、過去数十年の科学の動向を要約した手紙をマックス・ペルツに送った(1)。ペルツは、結晶学の先駆的な研究を行って、クリックにデオキシリボ核酸(DNA)の二重らせん構造を解明する手がかりを与えた人物である(2)。ブレンナーとクリックは当時、彼が所長を務める、かのケンブリッジ大学分子生物学研究所で働いていた。ブレンナーはこの手紙の中で、分子生物学は終わった、と憂慮に満ちた様子で述べた。そして新たな基本問題として、神経科学を研究することを提案した。

 ブレンナーの考えは間違っていなかった。分子生物学の基本問題は、フランスのジャック・モノーとフランソワ・ジャコブ、イギリスのジェームズ・D・ワトソン、クリックとブレンナーによって解決されていた。分子生物学は既に産業化応用の段階にさしかかり、研究者たちは新しい先端分野を探し求めていた。今日では、実際に分子生物学は産業化の段階に達した。そして、この分野につきまとう幻想は、概念の革新というよりもむしろ産業化の現実によって駆り立てられている。スコットランドでイアン・ウィルムットがクローン羊ドリーを生み出した実験(3)は、メディアで激しい論争を引き起こしたが、クローンそのものは決して新しい技術ではない。50年ほど前にジョン・ガードン(現ケンブリッジ大学教授)が、既にウィルムットと同様の技術を用いてヒキガエルのクローンを作っている。今日において牛や羊、ヤギやハツカネズミのクローン化に使われ、明日にはヒトのクローン化に使われるかもしれないのも、まったく同じ技術である(4)

 あまり知られていないことだが、日本もまたクローン分野の研究にはかなり力を入れてきた。概念の革新よりも技術の習熟が物を言う領域において、日本は無敵の存在となっている。事実、日本人は理論科学の領域で独自の理論をほとんど生み出していないにもかかわらず、目を見張るような技術の開発に成功している。その証拠に、科学分野のノーベル賞受賞者がアメリカからは191人、イギリス、ドイツ、フランスからは合わせて152人も出ているのに対して、日本からは6人しか出ていない。だが、クローン技術となると、日本の研究者たちは子牛(5)、ハツカネズミ(6)のクローンを作り、2000年初頭には、クローン化された成牛を使ったクローンを作ることに初めて成功した。つまり、クローンのクローンである。その目的は、最初から老化した組織をもって生まれたクローンの老化現象を調べることにあった(7)

 しかし、既に述べたとおり、クローン技術の実践は古くから行われている。現在、大きな変革が起こりつつある科学分野は神経生物学、つまり脳の機能や精神のプロセス、意識、記憶、思考、想像、夢についての研究である。ブレンナーは例の手紙の中で、このことを予告していた。だが彼は同時に、神経生物学の進歩にとって何が主要な障害となるかも予想していた。「大きな困難の一つは、所与のプロセスに対応する単位的思考が確立できない点にあるように思われる」

 分子生物学は遺伝子メカニズムの分析によって進歩した。遺伝学者たちが「1遺伝子=1酵素」という概念を確立したからである。さらに、目の色や羽の長さなどに表れた遺伝子の発現は、容易に分析できる単位に還元することができる。

 神経生物学の場合、異なる個体の集団に適用できる思考単位がないという事実が、飛躍的な発展を妨げてきた。しかし、手の届くところに大きな前進があるかもしれない。「脳の10年」という言い方が大げさにすぎたとしても、この10年間で神経科学は新しい着想こそなかったものの、データと技術の面では大きな成果を上げてきたのだ。

 今日の神経生物学は、1950年代末期の分子生物学や20世紀初頭の物理学と同様の段階、つまり基礎研究の段階にある。大きく様変わりしたのは、今回は日本が素晴らしく野心的な計画を引っさげてレースに加わっていることだ。その顔となっているのが理化学研究所(理研)である。理研は1917年に民間の研究所として創設され、過去50年にわたって公的資金と民間資金の両方によって運営されてきた。

 理事長の小林俊一氏によれば、理研の第一の特徴は、目標と研究計画が明確で、大きな志を持っていることだという。「志のない人は舵のない船のように行く先が定まりません。研究所も同じで、目標を高く掲げて進まないと、科学の激しい進歩に翻弄されて、行く手を見失ってしまいます(8)

夢でも悪夢でもなく

 研究所(脳科学総合研究センター)は東京から電車で30分ばかりの和光市にあり、奇妙にも米軍基地(9)のそばにある。その飾り気のない大きなビルは、全館が神経科学の研究に当てられている。この神経生物学の日の出づる殿堂に集められた研究員はみな、3つの主要目標のいずれかに関わる部門に配置されている。それは、脳を知ること、脳を守ること、そして脳を創ることである。これらの目的に向けて必要な体制も整備されている。MIT(米マサチューセッツ工科大学)との緊密な連絡体制により、世界の他の研究所の機先を制する。技術センターを通じた研究グループの協同により、必要な技術の開発を図る。情報センターの付設により、世界中で生み出される大量のデータを管理する。脳を知る、守る、創るという3つの目標のそれぞれについて、理研は5年、10年、15年、20年の単位で計画を設定している。

 第一の目標である「脳を知る」ことに関し、日本人研究者たちは5年以内に記憶と学習のメカニズムを明らかにし、言語の表象システムを見いだすことを期している。10年後には、感覚や感情、多様な行動を生み出すメカニズム、生物リズム、時間の認識、そして言語を構成する単語の記号化の仕組みを解明できると予測する。さらに5年後には、注意力と思考のメカニズム、および言語の習得の秘密を明らかにすることを目指す。そしてわずか20年で、社会的、個人的意識のメカニズムを解明できるものと考えている。

 理研の第二のプロジェクトである「脳を守る」ことも、大きく前進するだろう。5年以内に、脳の発育に関与する遺伝子と精神病のメカニズムがわかるようになる。10年後には、動物の脳の正常な発育の調整メカニズムを解明し、培養ニューロンの老化を制御し、神経組織の移植を実現することを目指している。

 2015年頃には、脳の正常な発育を確保する方法が人類にも応用され、ニューロンの老化を制御する技術が動物の脳について確立し、精神病や神経病患者に対する遺伝子治療の技術が相当な進歩を遂げているだろう。

 そして20年以内に、人間の老化の制御、(神経や筋肉の)人工組織の開発、精神病や神経病の根絶といった成果が達成されると考えられている。

 第三の目標である「脳を創る」ことは、最も驚異的である。5年もあれば、対象を認識できる電子チップや、脳の機能を模した記憶システムを開発できるという。2010年頃には、思考する能力を(思考する意識に先立って)構造化することに成功し、プログラミング不要な記憶能力とともに、直感的思考と論理的推論の能力を備えたマシンを製作できるだろう。15年後には、知的で感情を持ち、欲求などの感覚を抱くコンピューターができる。20年後には、人間社会と友好関係を築くようなスーパーコンピューターが生まれている。というか実際には、研究者が人間とコンピューターの共生関係を作り上げる。人類の知的生活に参加できるようなロボットも登場しているだろう。

 これだけの才能の集結した理研が生み出すであろう20年後の世界を想像すると、気が遠くなってくる。そして、恐怖すら覚える。これではまるで科学というよりもSFではないか。もし理研の目標が現実となり、そしてこれらの研究が未来のあるべき姿を予言しているとしたら、2020年頃には脳(と精神)の神秘が暴かれていることになる。人類は脳を不死身にし、その自己表現や存続を助ける技術を生み出しているはずだ。日本人はやり遂げるだろう。プロジェクトの責任者たちは、あらかじめ、日本が世界的に優位に立つ情報部門とエレクトロニクス部門を選んで投資した。目下のところ、沖縄の民族舞踊をおそろしく人間的に踊る川人ロボット(10)のようなものを開発してのけたのは、日本人だけである。

 今後20年のうちに達成されると日本人研究者が考える科学の進歩は、きっと単なる夢にも、はたまた悪夢にも終わらないだろう。それは、ゲノムやインターネット、クローン以上に度肝を抜くような変化をはらんでおり、人間とは何かということを、かつてないほど激しく揺さぶることになる。そして我々は否応なしに、ポスト・ヒューマニティの時代へと追い立てられていくのだ。

(1) William B. Wood and the community of C. elegans reseachers, The Nematode Caenorhabditis elegans, ed. Cold Spring Harbor Laboratory Press, Cold Spring Harbor, 1988.
(2) James D. Watson, The Double Helix : A Personal Account of the Discovery of the Structure of DNA, W. W. Norton & Company, 1981.
(3) Ian Wilmut, et al., << Viable Offspring Derived From Fetal and Adult Mammalian Cells >>, Nature, No.385, pp.810-813, 1997.
(4) John B. Gurdon and Alan Colman, << The future of cloning >>, Nature, No.402, pp.743-746, 1999.
(5) Yoko Kato, Tetsuya Tani, Yusuke Sotomaru, Kazuo Kurokawa, Jun-ya Kato, Hiroshi Doguchi, Hiroshi Yasue, and Yukio Tsunoda, << Eight Calves Cloned from Somatic Cells of a Single Adult >>, Science, pp.2095-2098, 1998.
(6) Teruhiko Wakayama et al., << Full-Term Development of Mice From Enucleated Ovocites Injected with Cumulus Cell Nuclei >>, Nature, pp.394, 369, 374, 1998.
(7) New York Times, 25 January 2000.
(8) http://www.riken.go.jp/
(9) キャンプ朝霞を指すものと思われるが、現在では返還されている。[訳註]
(10) http://www.erato.atr.co.jp/DB/


(2001年8月号)

* 第二段落「ジェローム・モノー」を「ジャック・モノー」に訂正(2001年9月23日)

All rights reserved, 2001, Le Monde diplomatique + Miura Noritsune + Watanabe Yukiko + Saito Kagumi

line
表紙ページ 本紙の位置づけ 有志スタッフ
記事を読む 記事目録・月別 記事目録・分野別
メール版・お申込 読者の横顔
リンク(国際) リンク(フランス)