途上国のエイズ治療に向けて

フィリップ・リヴィエール(Philippe Riviere)
ル・モンド・ディプロマティーク編集部

訳・渡部由紀子

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 何年もの間、沈黙を続けていた国際社会が、ついにエイズとの「戦闘」を開始した。国連の特別総会が6月末に、G8(主要8カ国)首脳会議が7月中旬に開かれ、2001年末には多国間基金が設立される見通しが立った。しかし、これは国際機関と利益重視の製薬業界との取り決めであって、「治療を待つ何百万もの途上国の患者にケアを」という公の目標に反するおそれも捨てきれない。[訳出]

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 「エイズ戦争」は南アフリカ共和国で始まった。2000年7月にダーバンで開かれた国際会議の際、アフリカ人患者たちは、エイズの犠牲者の大半が途上国に、薬剤が先進国に集中している状況を「衛生アパルトヘイト」として告発し、すべての人が抗ウイルス治療を受けられるよう強く要求した。2001年4月19日にはプレトリアで、南ア政府を相手に訴訟を起こしていた39の製薬会社が、特許を死守するという態度によって世界的に大きく評判を落としていることを自覚して、急に訴訟を取り下げた。これらの企業は、患者の払える価格で薬を供給するという南アの法律が、世界貿易機関(WTO)の「知的財産権の貿易関連の側面に関する協定(TRIPS)」に明らかに違反すると主張していたのだった。

 この最初の大勝利は、しかし後が続かなかった。南ア政府には、エイズ患者の治療プログラムを大々的に実行するような力がない。保健衛生省のコリンジ広報官は、「抗レトロウイルス剤は依然として高価だ」と言う(1)。国境なき医師団(MSF)のぺクール博士は、こうした政府の姿勢を非難する。「300万人が住むケープタウンのスラムでは、いくつもの団体によって開設された無料診療所が、1年半前から予防プログラムを実施し、また日和見感染症の治療に結びつく検診を行っている。さらに5月の初めからは抗レトロウイルス剤を提供しているが、これは政府見解とは真っ向から対立する」

 フランスのクシュネル保健衛生相は、製薬会社が申し出た寄付や値下げを「恐るべき犠牲」と評した(2)が、それらはなお不十分であった。治療の財源を確保するためには国際社会を新たに動かすことが必要であり、アナン国連事務総長がその先頭に立った。彼は国連安全保障理事会で4回にわたって感染症を議題に取り上げさせた後、エイズ、結核およびマラリア撲滅に向けた世界規模の基金設立に自ら携わっている。

 アナン氏のイニシアティブに続けて(3)、ハーヴァード大学(ボストン)の経済学者ジェフリー・サックスを中心とする諸国の研究者や専門家が提言を発した。さまざまな国際機関によるエイズ対策は医療面でも道徳面でも破綻しているとの認識のもと、彼らは2001年4月4日、「貧しい国々における抗ウイルス剤によるエイズ治療に関する合意枠組み」を公表した。これは、各国の報道機関に大きく取り上げられた(4)

 ハーヴァード大の文書は、まず多剤併用療法の推進を訴える。多剤併用療法は豊かな国では成功しているが、「地球上の最も貧しい国々では、この療法は依然として手が届かず、対策はもっぱら予防を中心としてきた。所得の低い国々ではエイズによる死亡率が急激に上昇しており、ウイルス感染の防止と感染者への治療の双方をもって、世界の公衆衛生の最優先事項とすべきである」

 文書は続けて、これに対する「過去の反対意見」に反論する。

  1. 「貧しい国々には、安全で効果的な治療を行うのに適した医療基盤がない」という。それならば、援助の一部を衛生設備の強化に回せばよい。ぺクール博士によれば、ケープタウンのスラムでの経験からも、「国連エイズ計画(UNAIDS)の実験事業のような実益のない巨大プロジェクトに比べ、ずっとわずかな費用でも、質の高い治療ができる」ことは明らかだ。

  2. 「複雑な薬物療法は困難を伴うため、副作用をもたらすおそれがある」という。米国際開発庁(USAID)のナツィオス長官は、アフリカ人の多くが「一生のうち一度も時計というものを見たことがなく」、決まった時間に薬を飲むことなど問題外だ、とまで言う(5)。それならなぜ、先進国の非識字者に対する治療を禁止しないか。この主張はまた、厳格な薬物療法が、ごく一部の病人、すなわち初期治療が効かなかった、もしくは効かなくなった人にのみ関係していることを見過ごしている。

  3. 治療に資金を投じれば、予防に回す財源がなくなるという。これに対し、ハーヴァードの研究者たちは次の点を強調する。「適切な治療は感染者の死亡を防ぐだけでなく、治療を受けた人のウイルス量を減少させ、予防プログラムへより多くの人々を参加させることによって、予防に関しても大きな役割を果たす」
 ハーヴァード文書では数値目標も提示されている。現在の1万人に対し、3年後には100万人が治療を受けられるようにする。さらに63億ドルをかけて、5年後には300万人が、予防も治療も含めた総合プログラムを利用できるようにする。

治療なき予防

 薬物療法は突如、国際的に現実味を帯びてきた。プレトリアでは、製薬会社が軟化姿勢に転じた。アナン国連事務総長は、各国の政府や企業、慈善団体からの特別拠出金により、毎年70億から100億ドルを支出するつもりでいる(6)

 希望がよみがえった。とうとう事態は動いたのだ。しかし、米国が5月の初めに発表した最初の拠出はわずかな金額(期待された10分の1の2億ドル)でしかなく、その感銘も薄れてしまった。6月4日にジュネーヴで開かれた会議には、綱紀粛正といった雰囲気が漂っていた。治療普及の資金を調達するために設けられた世界基金は、その目的から逸れてしまった感があり、国際社会の連帯は再び予防に向けて収束している。ブルントラント女史が事務局長を務めるWHOのナバルロ事務局長室長は、会議出席者の間に「並外れた見解の一致」が見られた、と自賛する。この会議の結果、エイズ感染者は、「注意深く選択された少量の薬物による治療」を受けることになった(7)

 サックス氏にとって、「(予防と治療の)バランスの取れた方針から、治療なき予防という選択肢への脱線は、破滅にも等しい。(中略)予防と治療は不可分の関係にある。現在の資金不足は衝撃的だが、そのことは治療の推進をあきらめる言い訳にはならない。せめて70億なければ、大したことはできない。感染症の対策資金不足は、このうえもなく道徳的に無責任で、政治的に長期的視野を欠いた行為の一つとして、記憶にとどまるであろう(8)

 世界のトップで発せられる勇ましい掛け声は、いったい何の役に立ったのだろうか。パウエル米国務長官は5月末、ケニアを訪れた際に、こう宣言している。「世界にこれほど重要な戦いはない。私は合衆国の国務長官であって、保健衛生長官ではない。では、どうして私がこの問題に関心を持つのか。(中略)もはや公衆衛生の域を超えているからだ。これは社会問題であり、政治問題であり、経済および貧困の問題なのだ(9)

 米国家安全保障会議(NSC)はかつて、感染症を世界の安定に対する最も重大な脅威の一つと位置付けていた。ことは保健衛生上の危機にとどまらず、予測される人口バランスの崩壊が、感染国の国境を越えて劇的な影響をもたらすだろう。もし成人の半数が死んでしまったら、その国はいったいどうなるのだろう。1320万人のエイズ孤児は?

 とはいえ、米国の新政権が感染症問題に再び関心を向けたのは、それが大きな利害のからむ法律問題となったからでもある。ブッシュ政権のゼーリック通商代表にとって、薬の供給をめぐる論争は「米国および全世界で自由貿易原則の採用を推進する上での(米国政権の)実力テストの意味をもつ。(中略)製薬業界への逆風は、深刻な保健衛生上の危機に直面しながらも、彼らが特許権を振りかざすなかで起こった。(中略)こうして生まれた反発は、知的財産権制度全体を危機に陥れかねない(10)

 工業所有権に関する国際協定をきわめて限定的に読むならば、途上国での類似医薬品の製造や、他国で安価に製造された類似医薬品の最貧国への輸入は、事実上、禁止されているといえる。しかし、この解釈についてはMSF、南アフリカ治療普及キャンペーン、アクト・アップなど多数の団体が疑問を示し、各国政府や国際機関に対し、あるいは街頭行動により、「強制実施権」と「並行輸入」の規定の利用拡大を訴えている。TRIPSには、この2つの手段を衛生上の非常事態における例外的措置として認める規定があるからだ。

「取引」の成果

 2001年初頭、「逆風」が激しくなった。WTOの会議で米国から非難されたブラジルは、抗エイズ剤の無料配布政策にとって特許ライセンス料が負担となっていることに強く抗議した。6月25日、米国はある米国特許について、強制実施権が発動される際には必ず「事前交渉」を行うとの約束を取り付け、それと引き換えに苦情を取り下げた。国際的な会合では、ブラジル、インド、タイ、南アが足並みをそろえている。フランスは、次のような控えめな提案を行った。「発展途上国が自力で新薬を生産するなど、他の道も探るべきだ」(2000年7月9日、ダーバンで開かれた会議でのシラク大統領の発言。ジョスパン首相も2001年6月5日、南ア訪問の際に、同じ趣旨の発言をしている)。また、欧州連合(EU)はTRIPSの解釈に当たり、保健衛生上の要請への配慮を広げようと努めている(2001年6月11日の通達)。

 こうしたムードの中で、インドの製薬会社シプラがMSFに対し、「ビッグ・ファーマ」の製品ならば年間1万ドルはする抗レトロウイルス混合薬を年間350ドル以下で提供することに決め、大きな反響を呼び起こした。突如として、類似医薬品を途上国で安価に生産するメーカーの出現という話が、現実味を帯びるようになったのだ。

 ワシントンの市民団体「技術に関する消費者プロジェクト」のコーディネーターで、シプラ社の決定に中心的な役割を果たしたジェームズ・ラヴ氏は、こう強調する。「途上国メーカーが他の途上国で成功することは大いに意義がある。彼らなしに、本当の価格引き下げはあり得ない。それゆえ、世界基金を欧米メーカーからの購入を前提としたひも付きにするのではなく、競争を原則とし、許容できる品質の製品を最も安く提供する企業から購入できるようにすることが大切だ。この点、ジェフリー・サックスは頑迷で、医薬品購入を『ビッグ・ファーマ』に限るよう推奨していた」

 だからこそ、ハーヴァード提案はブッシュ政権や欧州委員会、WHOの専門家、UNAIDS、ビル・アンド・メリンダ・ゲイツ財団、そして製薬業界の賛同を得ているのだろうか。この提案は「衛生アパルトヘイト」への対応策ではあったが、特許権の主張を控えようとするものではなかった。

 それでも、シプラに続いて、多数の「類似薬品メーカー」が参入し、年間200ドルの治療法まで登場した。ハーヴァード提案の枠組みなら、約1000ドルかかるところだ。MSFのぺクール博士は、「世界基金が製薬企業と米国政府の『取引』の上に成立するのは、非常に危険だ」と指摘する。「TRIPSの第30条を柔軟に解釈すれば、基金が類似医薬品メーカーに資金提供してもよいはずだ。そうすれば、患者500万人に対する薬代の総額は、50億の代わりに10億ドルで済む。これで予防か治療かというジレンマも解消し、資金をインフラ整備や患者の予後観察に回すことも可能になる」

 1955年、世界初のポリオワクチンを発見したジョナス・ソーク博士は、英雄としてテレビ番組でインタビューを受けた。ジャーナリストは彼に、特許はだれに属するのかと尋ねた。「そうですね、人類みんなのものでしょう。特許はありません。太陽の特許なんてものを取れますか」。ソーク博士は晩年、エイズワクチンの研究に身を捧げた。彼の後継者たちは、ひたすら治療を阻止しようとする潮流に逆らって、太陽の光を輝かせることができるだろうか。

(1) Financial Times, London, 5 June 2001.
(2) 2001年5月31日のテレビ局「フランス2」の放送より。大臣はおそらく、寄付を行ったメーカーが薬の市価の25%分を税金から控除されること、また、アメリカの納税者が類似医薬品なら2倍から10倍の量を購入できることを知らなかったのだろう(出典:MSF)。
(3) 唯一の前例として、1999年、クシュネル氏が立ち上げた国際治療連帯基金があるが、期待外れに終わっている。国連コソヴォ暫定統治機構(UNMIC)特別代表を退任してジョスパン内閣に戻ったクシュネル氏は、最近では、欧州諸国の病院間協力を提案している。
(4) http://aids.harvard.edu/
(5) John Donnelly, << Prevention urged in AIDS fight >>, Boston Globe, 7 June 2001.
(6) 巨額と思われるかもしれないが、仮にEUだけが出資するとしても、住民一人当たり年額240フラン(約4000円)出せば済む。
(7) Financial Times, art, cit.
(8) 2001年6月5日、メーリングリスト「ファーム・ポリシー」(http://lists.essential.org/)で配布された電子メールより。
(9) Karl Vick, << General Powell's War : AIDS in Africa >>, International Herald Tribune, Paris, 29 May 2001.
(10) Paul Blustein, << U.S. Trade Envoy Signals a New Approach to Tough Issues >, International Herald Tribune, 14 March 2001.


(2001年7月号)

All rights reserved, 2001, Le Monde diplomatique + Watanabe Yukiko + Saito Kagumi

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