「近代化」を模索するレバノンの苦悩

ルドルフ・エル・カレー特派員(Rudolf El Kareh)
社会学者、作家

訳・斎藤かぐみ

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 2001年6月、かなりの規模のシリア軍がベイルート周辺から撤退した。しかし、それにどのような政治的意味があるのか、両国政府は公にコメントしていない。中東一帯では緊迫した状況が続いている。シリア軍のレバノン駐留を批判する声は、ことにイスラエル軍が南部から撤退して以来、国内の政治家からも上がっていた。とはいえ大部分の国民の関心は、何よりもまず経済問題にある。[訳出]

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 ベイルートの中心部で進む復興工事は、レバノン再建の牽引力となってきた。近代化を夢みてマンハッタンを目指したベイルートの復興は、やがて不動産バブルに、次いでその反動に揺さぶられた。評論でも知られる建築家のジャド・タベト氏は、これを次のように分析した。「不死鳥伝説などと言われるが、現実に働いているのは都市の論理だ。ニュータウンから逸脱や異常とされる要素を取り除くことで、無秩序や混乱のない理想空間に仕立て上げていく」。そうした論理が「規範と秩序と規律に従う社会を空間として体現し、とめどないネオリベラリズムを支えている」と言う。

 ベイルートの随所で目にする「近代性」の傷跡は、自らの姿を探し続けるこの町とこの国の矛盾を浮かび上がらせる。エアターミナルは無個性の国際規格にのっとって整備されているが、滑走路のかたわらに広がる砂丘には、都市人口の増大につれてベイルート南郊に建て増しされたコンクリートブロックの住宅がひしめいている。首都を貫く大通りがあるにしても、公共交通の観念が浸透せず、2人に1人が自家用車を持っている現状では、日中は狭い路地で渋滞に悩まされる。流行の移り変わりが激しく、多くのショッピングセンターや無数のカフェテラスが現れては消えるなか、企業はうさんくさいスローガンでブランド名を売り込もうとする。たとえばネスレがミネラルウォーターの宣伝で、「きれいで良質な水を飲むことは得がたい特権となったのです」と訴えてみせる。

 ベイルート南端部の高級住宅・ホテル街には、フランス企業(BHVとモノプリ)と提携する大規模店舗が店開きした。高速道路の出口にハイパーマーケットが並んでいる先進国にならって、自動車が商品流通の中心的な役割を果たす消費スタイルを丸ごと移植したわけだ。今でも旧市街に残る地中海周辺独特の地域商店は、この種の近代的な流通形式に押されつつある。建設工事や遺跡発掘の現場に行けば、ネオトスカーナ様式ともネオコロニアル様式ともつかぬ小ぎれいな建物が、後ろに書き割りのように建ち並んでいる。ガラスと鉄でできた国連事務所では、地域の中心都市としての復活を目指すベイルートの意気込みを示すかのように、ありとあらゆる活動が繰り広げられている。

 異色のエコノミスト、カマル・ハムダン氏は、無限の経済成長というマスコミの楽観論にあおられた復興工事の責任者たちが、「政府報告によれば1990年代初頭の一人当たりGDP(国内総生産)は74年に比べて45%も落ちていたというのに、これを10年かそこらで倍増させるなどと大げさな目標を掲げるようになった」と語る。90年代を通じて推進された積極投資政策は、2000年現在でほぼ260億ドルという債務の山を築いた。長年の内戦でずたずたにされ、イスラエルの空爆によって発電所、道路網、橋などのインフラを大々的に破壊されたレバノン経済にとって、この負担は重い。

 中東の「和平プロセス」に後戻りはないという幻想が広がった時期、レバノン南部の占領に対する抵抗運動は、最後まで残ったイスラエルとの軍事的対立の一例と見なされていた。さらに1996年に停戦合意が結ばれた後は(1)、衝突は占領地内部に限られるようになっていた。こうした楽観論の広がりは、イスラエル軍が予定よりも早く撤退を実施した2000年5月に、レバノン銀行総裁が述べたコメントにもうかがわれる。「もし中東和平が実現すれば、レバノンの政治的リスクは減少する。(中略)金利は公的部門も民間部門も潤すようなレベルにまで下がる」。彼は重ねて言う。「民間部門は、アラブ市場を狙ってレバノンに進出する国際企業の投資先や提携相手として、大いに利益を得ることになるだろう(2)

 2000年6月にシリアで大統領が世代交替したことも、レバノン国内の高揚感を増幅させた。バシャール新大統領の就任演説は、シリア社会の風通しがよくなって、レバノンとの関係(財産管理にまで口出しする後見人のような関係)も様変わりしていくことを期待させた。

ハリリ首相の開放政策

 2000年の総選挙で返り咲いたハリリ首相のブレーンは、アメリカの大学に留学し、ネオリベラルな思想に染まった人物で固められている。彼が引き継いだレバノン経済は、過去の自分の政策のせいもあって、破綻寸前の状態だった。地域経済の発展が封じられているなかで、レバノンの経済的低迷は歴然としていた(エコノミスト誌によれば、2000年度はわずか1%成長)。「復興期」に受けた高金利融資(主に国内債務)の利払いで、金は次々と消えていく。2000年には財政赤字がGDPの24%、歳出の56%相当の39億ドルに達し(3)、レバノンはジンバブエに次ぐ世界第二の重債務国にランキングされた。

 ハリリ首相は国際的な支援を訴えた。フランスと欧州連合(EU)の後押しにより、世界銀行などが融資を約束した。首相と親交の深い湾岸諸国も支援に乗り出した結果、レバノン銀行の準備金はやや回復した。金融政策の目標は、通貨の切り下げを回避することに置かれている。切り下げに追い込まれれば、戦中から戦後を通じて富の偏在化、貧困化、人口流出の圧力にさらされてきた中間層が直撃され、壊滅的な事態となるからだ。さらに、外国金融機関から低金利の長期融資を取り付けて、金利負担の重い国内債務を買い戻し、債務繰り延べを求める方策も立てなければならない。

 今回の「新しい経済政策」の基盤には、90年代のハリリ内閣時代に見られた「地域和平」への期待に代わって、「グローバリゼーションは不可避の必然」との一致した見解がある。大手貿易会社の一つ、KFF社のベルナール・ファッタル会長は、次のような魔法の公式を口にする。「制約の減少は成長に等しく、成長プラス政府介入の減少は繁栄に等しい」

 資金力があり、アメリカ的な文化が主流に返り咲いた私立大学の復権も、こうした時流に適した「知的環境」づくりに加担している。金融・サービス分野などのエリート層は、社会学者ジャック・カッバンジの言葉を借りれば「昨今はグローバリゼーションによってフォーマットされて」いて、とってつけたような「近代性」を装おうとする。「何が近代的なのかは流行を見ればわかる」と、ベイルートを昔から知る評論家は言う。彼によると、現在ベイルートの各種インテリ・グループでもてはやされているのは、ニューヨーク・タイムズ紙のウルトラリベラルなトーマス・フリードマン記者だということだ。

 そして、経済省は主要目標として、世界貿易機関(WTO)入りを果たすことを目指している。「われわれの経済・貿易システムを近代化し、貿易、投資、生産部門に関する法制を抜本的に変革するための手段」なのだという。だが、ここで言う生産部門とは何を指すのか。

 農業は打ち捨てられ、必要な配慮を受けられないでいる。レバノン南部の肥沃な高原の開発はNGO(非政府組織)と国連開発計画(UNDP)任せで、わずかな資金しか投じられていない。いずれは投資ラッシュが期待できるのだろうか。2001年夏に締結予定のEUとの自由貿易協定にも、生産者を真剣に保護するような条項は見られない。一例を挙げれば、レバノンのオリーブオイルは味わい深い良質のものが多く、特産品の一つになっているのだが、今でさえギリシャやトルコ、スペインからの輸入品との競合にさらされており、さらに壊滅的な打撃を受けるようなことになりかねない。

 2000年11月に実施された関税の引き下げは、輸入業者から「満足」なものとして歓迎された反面、製造業者にとっては「恐るべき衝撃」となった。産業家協会のジャック・サッラフ会長は、近隣地域を含めた総合的な経済力に活路を求め、「企業合併まで視野に入れたレバノン産業とシリア産業の補完関係拡大」を訴える。

 先端分野を担う製紙業連盟のファディ・ゲマイエル会長は、「戦前の好況期には、貨幣化率(4)がアメリカで0.97だったところ、レバノンでは1.3にも達しており、この資金が生産部門ではなく、主に不動産と三角貿易に流れていた」ことを指摘する。当時のレバノンは、輸出元と最終仕向地を結ぶ中継国にとどまっていたが、「かのフェニキア」に始まる由緒ある交易なのだと論ずる者もいた。すさまじい勢いで規制緩和の続く今日もまた、他に解はないのだろうか。

宗教共同体の圧力

 この懸念に対し、政府は処方箋を持ち合わせていない。「経済開発に関する(中略)唯一かつ確定の方針、すなわち貿易自由化と市場開放は、一丸となってグローバリゼーションに参入すること(を要請する)」と、現内閣の経済相はアラブ産業開発評議会の席で言い放った(5)

 政府は公共機関と準公共機関(固定電話事業、たばこ公社、レバノン電気)の民営化によって50億ドル近くの収入を見込んでおり、それを債務削減と「投資家の信認回復」に役立てるつもりでいる。ハリリ首相は次のように説く。「高い投資収益は(中略)安定と繁栄のある国では得られない。(中略)わが国の物価はきわめて低い水準にある。目端の利く投資家は、値上がり益を見込んで価格の安い時に買い入れるものだ(6)

 この「経済計画」を推進する論法では、「最小限の政府」という観念が、多すぎる公務員の削減と同一視される。政府は「最も戦略的な任務のみを維持」すべきであり、「市民社会との相互交流(定義は今のところ不明)」を通じて、市民社会も「国の経済・社会政策の構想と遂行に責任をもつ」ようにしなければならないという(7)

 しかしながら、政府が「近代化」を志す(多数の中小企業が続々と破産するのを受け入れる)としても、制約にぶつかる可能性が高い。レバノンという国は、複数の共同体を制度化した上に成り立っており、その点は内戦を終結させたタイフ合意でも確認されている(8)。富の再分配を担ってきた共同体制度が、政府の計画を妨げるものとなるかもしれない。従来、各共同体からの利益分配圧力の大きな吸収先となってきたのが公務員だった。その結果、国営テレビなどは管理不能なほど肥大化してしまった。ビジネス番組と娯楽番組を民間部門に任せ、「政治番組」とニュース番組を広報省の管轄とするいう最近の政府決定は、深い亀裂を内に抱えたレバノン社会の限界を明らかにしている。民営化が進めば、市場論理が幅を利かすようになるだけでなく、共同体単位の圧力集団が国家財産を私物化する傾向が強まるのではないか、と懸念する者も多い。そして、このような国内状況に加え、地域情勢の変化も進んでいる。

 レバノンは現在、自力ではどうにもできない激動に翻弄されている。中東和平プロセスが失敗に終わるなか、イスラエルとパレスチナの緊張が高まり、アリエル・シャロンがイスラエル首相に選出され、ジョージ・W・ブッシュがアメリカ大統領に就任した。中東の力関係は激変した。

 レバノン政府と国民の支持を受け、90年代以降はヒズボラが先兵となった反イスラエル抵抗運動は、占領軍とそれに協力する民兵部隊を死闘に引きずり込んだ。そして戦闘が激化した結果、イスラエル軍は2000年5月にレバノン南部から撤退した。国連は急遽、包括的地域合意の成立を前提とする暫定境界線(ブルーライン)を設定した。しかし、レバノン政府の公式見解によれば撤退は完了していない。イスラエル軍は、1967年6月の戦争(第三次中東戦争)の際、シリア軍との戦闘の末に占領した高原地帯「シェバア農場」からは撤退していないからだ。

 イスラエル軍の撤退は、シリア軍の駐留をめぐる議論を再燃させた。ドルーズ派イスラム教徒の指導者で、シリア政府と緊密な関係にあるワリド・ジュンブラット氏は、両国が同盟関係にあるからといってシリアがレバノンに日常的に介入するいわれはないと述べた。この発言は、シリア軍の完全撤退を求めるマロン派キリスト教の大司教の声明を意識したものだった。シリア問題をめぐる論争は、宗教間のつばぜり合いに転じた。内戦時代の対立軸の一つを誇張する言葉(ベイルートの「東はキリスト教徒」「西はイスラム教徒」)が持ち出され、よそ者への恨みを晴らすという発想でしか将来を考えてこなかった旧民兵の活動が目立つようになった。ラフード大統領がシリア問題に関する協議を提唱したことで、争いはようやく沈静化した。折しも、この6月中旬にはシリア軍の撤退が始まった。そして、経済危機に直撃された国民は、何にもまして生活の向上を待ち望んでいる。

(1) 「怒りの葡萄」作戦の失敗と、100人以上の民間人が犠牲になったUNIFIL(国連レバノン暫定軍)キャンプの虐殺事件を受けて、抵抗運動は正当と見なすが、「逸脱」については仏米両国の高官を共同議長とする監視委員会に委ねることが取り決められた。
(2) アラビー誌(パリ)2000年5月号、36ページ参照。
(3) The Economist Intelligence Unit, Lebanon, Country report, London, April 2001, pp.18-19.
(4) 市中に流通する貨幣と預貯金の合計の対GNP(国民総生産)比のこと。
(5) アン・ナハル紙(ベイルート)2001年5月10日、11日、12日付の発言採録を参照。
(6) 2001年5月11日に開かれたアラブ投資家の年次集会での発言。
(7) ロリヤン・ル・ジュール紙(ベイルート)2001年6月16日付参照。
(8) 14年間の内戦を終結させた1989年10月22日のタイフ合意により、宗教に基づく権力の分配が確立された。大統領にはマロン派キリスト教徒、首相にはスンニ派イスラム教徒、国会議長にはシーア派イスラム教徒が就任し、国会の議席はキリスト教徒、イスラム教徒それぞれ半数ずつとする。


(2001年7月号)

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