広告の中の革命

トム・フランク(Tom Frank)
著書 The Conquest of Cool, The University of Chicago Press, Chicago, 1997 ;
One Market Under God : Extreme Capitalism, Market Populism and the End of Economic Democracy, Doubleday, New York, 2000

訳・渡部由紀子

line

 30年以上にわたってアメリカ社会を引き裂いてきた「カルチャー・ウォーズ」の背景として、若者のカウンターカルチャーはもともと社会のルールを踏み破る力を持っているという説が、まことしやかに語られる。ヒッピーと工場労働者、ディスコフリークと敬虔な信者、個人主義者と順応主義者といった対立は、かつての階級闘争と同じくらい重要な意義を持っているのだという。

 こうした見方は、「カルチュラル・スタディーズ」を推進する大学研究者ばかりでなく、メーカーやレジャー産業のトップにも共有されている。ゴールデンタイムにアメリカのテレビをつけてみるがいい。社長やビジネスマン、がちがちの信者も出てきていろんなことを言うが、ほとんどの広告で売り手がやっているのは、「革命」をうたい、慣習やルールの打破を訴え、究極を目指そうと呼び掛けることなのだ。ライム味の炭酸飲料はもちろんのこと、RV車からテニスシューズに至るまで、各種の商品は、ジミ・ヘンドリクスの音楽やジャック・ケルアックの短編、そしてストリート・カルチャーのリズムに夢中の反逆児たちの必須アイテムとして示される。コードレス製品の提供者は、これであなたは何よりも自分でいられるという。香水メーカーは先住民族の文化を讃え(1)、ソフトハウスは大衆に力を取り戻させると意気込む。証券会社は、市場の法則をひっくり返そうと奮闘する。

 アジアの少年少女を薄給で働かせていることで有名なナイキは、アメリカの少年少女には「革命」の旗手というイメージを振りまいている。コンピュータのアップルやカジュアルウェアのギャップの店は、入り口にアバンギャルドな有名人の写真を掲げる。広告は反骨精神でいっぱいだ。セブンアップは、世界規模の陰謀が企てられていることをほのめかす。消費者がセブンアップを飲むのを阻止しようとするやつらがいるというわけだ。

 アメリカの商品文化が、なぜこんなに「クール」で反逆精神に満ちているかというと、原因の一つは現代の人口構成にある。広告業界は若者にうまくアピールしようと、若者文化を研究する。もっとスプライトやリーボックやリーバイスを売り込むために、高校生や中学生の価値基準をなぞろうとする。とはいえ、それより年上の消費者に向けた商品の場合にも広告代理店が徹底的に「クール」さを演出し、あの手この手で「反発」をあおり立てるなど、業界を挙げて「反逆精神」を抱き込もうとする傾向は、こうした切り口だけでは説明しきれない。RV車のメーカーがジミ・ヘンドリクスの音楽を使うのは、どう考えても高校生にアピールするためではない。

 「最先端文化」の中には、売り手が若者に向ける関心を超えた何かがある。1920年代以来の消費者主義は、生産サイド主導の古い価値観に対する反発に立脚してきた。ピューリタニズムの伝統に基づく自制や抑圧に抵抗し、喜びや満足感を強調した。この動きは、ものを長く大事に使う代わりに時代後れのものを捨てて流行を追うことを、経験よりも若さを、伝統ではなく変化を、そして古いものより新しいものを称揚してきた。

 広告が必死に「時代に敏感」であろうとするのには、広告業界特有の問題も働いている。マーケティング会社の幹部は60年代以来、広告の掲げる主張や夢に対し、ターゲットが日増しに疑り深くなっていく様子をつぶさに見てきた。広告はテレビ番組を中断させ、食事の時間に宣伝の電話を鳴らす。しかも人をばかにしたものやくだらないものが非常に多い。そして何よりも、広告はあまりに氾濫しすぎている。平均的アメリカ人は、1年間に100万件近いこの種の「コミュニケーション」にさらされる。こうした喧騒の中でなんとか聞く耳を持ってもらうこと、そして相手の不信感を克服することが、広告制作者の頭を悩ませる2つの大きな問題なのだ。

 広告制作者はショックを与えたり驚かせたりすることで人々の目を引こうと、クリエイティビティを絶対視するようになっていった。新しいものを絶賛するのは、今日の製品の方が昨年のモデルより間違いなく優れているという構造的な理由だけからではない。新しさがなければ、広告のメッセージがターゲットをその気にさせることはできないからだ。そうした理由から、広告業界は長年にわたり、上下関係を捨てるべきだと言い続けてきた。間仕切りのない広々としたオフィスや、ネクタイを締めないカジュアルな服装は、マディソン・アベニュー(2)から始まった流れだ。

 フランスの広告業界人ジャン=マリー・ドリュは、96年にアメリカで出版した著書“Disruption(破砕)”の中で、どうやってクリエイティブな広告を作り出すかについて述べている。脱臭剤やアスピリンの販売促進を手がける「クリエイター」は、まず社会の決まりきった慣習、すなわち「現状を維持するような既成概念」がどういうものかを見極める。次いで、それをめちゃめちゃに叩きつぶす。このほとんど快感に近いプロセスが「破砕」だ。「尽きかけた水脈を刺激し、決まりを打ち破り、消費者を目覚めさせ、変化を作り出すこと」とドリュは言う。そして、自分のメシの種となる商品を、人間性の解放という大きな「ビジョン」と連動させるのである。

 成功しているブランドは、ありとあらゆる社会的慣習に立ち向かってきたといえる。快楽を追う若者に上品ぶった年寄りがばかにされるCMや、ギネスビールが「個性を表現する新しい手段」を求める迎合しない若者のトレードマークとなるCM、「反体制企業」のマッキントッシュが古くさい経営のやり方をあざ笑うCMを、ドリュは愛着を込めて振り返る。

 こうした「破砕」によっても崩されずにいる社会的慣習が一つある。ブランドに対するこだわりである。そこには何の矛盾もない。「もし企業やブランドが破砕をやらなければ、消費者は飽きてしまう。『破砕』があればこそ、消費者の関心や愛着をつなぎとめておけるのだ」

ホンモノとニセモノ

 こうしたことが重々しい予言のように語られている。経営を論ずる者は、だれしも自分を革命的だと思っている。しかし、中には、さらに大胆なことを考える者もいる。社会正義という思想を企業が乗っ取ってしまおうというのだ。ドリュはこう説明する。ブランドが成功するためには、それが「夢でできている」ように見せなければならない。進歩主義運動や革命運動で名を残した人々を彩りに用いるのも、その目的のためだ。左翼の政治的敗走は、広告が文化としてそれに代わる好機をもたらした。それらは毒を抜かれているものの、カリスマ的な力や反体制的な言葉に満ちている。ベネトンは人種差別との闘いの旗手となり、アップルは技術エリート支配との闘いのシンボルとなることを目指す。ペプシは若者の反逆をいわば系列に収める。ボディショップは優しさ、リーボックは主流に乗らないこと、MTVはアンダーグランドを体現する。今や社会正義の分野では、ブランドが社会運動に取って代わっているといえる。

 マーケティングはこうして、社会批判を行い、消費社会のあり方を問い掛ける体裁をとることで、自らの姿を変えていく。最先端の広告の中には、どうも何かがうまく行っていないことや、市場というやつが約束をすべてかなえてくれるわけでも、資本主義の発展から生じた問題を解決してくれるわけでもないことを認めるようなものもある。仕事が生活に入り込み、車が街にはびこる事態に対しても、広告は白人の肌をいっそう白くする石鹸を提案するだけだ。

 「解放のマーケティング」は、そこをうまく突いている。消費者はブランドのおかげで、口うるさい御意見番から解放され、産業社会が私たちを縛り付ける鎖を断ち切り、面倒な手続きや上下関係のしがらみを逃れ、自分たちが本来あるべき姿を取り戻せるという。そして、消費者のだれもが求めてやまぬホンモノを手に入れられるのだという。

 年間数千億ドルに上る広告費が紡ぎ出す「大きな物語」によれば、私たちの社会の大きな問題は順応主義にあり、それを解消するのがイベントである。この細分化された世界で共有できる何かが私たちに残っているとすれば、それは永遠の闘いだけだ。敵はもはや共産主義者ではなく、堅苦しいピューリタンであり、消費社会に巣くうニセモノ製造装置である。それらを断ち切り、それらに抵抗しようとして、私たちは「エスニック」系レストランに行き、マドンナのビデオを見る。もっと簡単に、そうした行為を実践する消費者を礼賛するのでもいい。

 社会学者のダニエル・ベルは、仕事における絶え間ない効率の追求と、余暇における快楽への執着との対立が、資本主義に見られる最も激しい「文化的矛盾」の一つであると主張した。現実を振り返ると、市場は自らの問題を、少なくとも表面的には自力で解決してきた。資本主義に向けられた批判は、閉じた思想体系の中で、その活力の源と化したのだ。そこでは何もかもが対象として取り上げられ、解決される。ただし、あくまで象徴レベルの話である。

 この20年間が、革命や社会秩序の崩壊、あらゆる方面に及ぶ大きな変化、個人による権力の掌握、限界からの逸脱などの時代でなかったことは言うまでもない。それは第一に、マルチメディア企業の巨大化の時代であり、マイクロソフトの躍進、銀行や広告代理店、出版社や新聞社の合併の時代であった。また、労働運動が下火になり、富の再分配を行う強力な国家という概念が欧米で葬られた時代であった。そして、これらの変化と並行して、企業の力が日常生活のますます多くの側面に次々と入り込んでいった。

 この10年間は、アメリカ人が1945年以降で最もがむしゃらに働いた時代だった。彼らはこの10年間、ますます多くの媒体で、ますます多くの広告を目にし、人格テストやドラッグテストを受けさせられ、後先を考えずに借金を重ねていった。この50年間で、彼らがこれほど自分の生活や仕事の条件について無力だったことはない。企業スポンサーの付いたロゴだらけの車でドライブする家族を見掛けるのは、もはや珍しくもなくなった。

 こうした環境で、人々の怒りはたまりにたまっていった。そして、解放のマーケティングを手がけるマディソン・アベニューの業界人の中でも、アメリカ社会で最大の成功を収めたのは、この怒りをうまく広告に利用することに最も長けていた者たちだった。

(1) フランスの香水メーカー・キャロンは最近、「アナーキスト」という名の男性用オードトワレを売り出すに当たり、自社が狙われるようなことはないと思ったのだろうか、ラヴァショル(19世紀フランスのアナーキスト)と爆弾テロリスト集団の映像を広告に用いた。
(2) 広告代理店の本社が集まるニューヨークの地区名。


(2001年5月号)

All rights reserved, 2001, Le Monde diplomatique + Watanabe Yukiko + Saito Kagumi

line
表紙ページ 本紙の位置づけ 有志スタッフ
記事を読む 記事目録・月別 記事目録・分野別
メール版・お申込 読者の横顔
リンク(国際) リンク(フランス)