模索するロシア外交

ポール=マリー・ド=ラ=ゴルス(Paul-Marie de La Gorce)
ジャーナリスト

訳・柏原竜一

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 アメリカの新政権が発足してからというもの、アジア地域で緊張緩和が実現する見込みは急速に遠のいた。北朝鮮との協議は凍結され、繰り返される事件(たとえば4月2日に起きた中国の戦闘機とアメリカのEP3偵察機の接触など)が緊張を高めている。対ロシア関係でも、アメリカのミサイル防衛構想はロシアにとって挑発と受け止められている。そして、ロシアは新たな勢力均衡に向けた外交政策を展開しつつある。[訳出]

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 ボリス・エリツィンとウィリアム・クリントンが好意や時にはお世辞まで交わしていた時代は、もう遠い昔のことのように思える。ホワイトハウスがロシア連邦の前大統領に対してとかく甘い対応をとるようなことはなくなった。ワシントンは、ミサイル防衛構想(NMD)に対してロシアが発した警告については真剣に受け取っていないようなそぶりを見せながら(1)、ウラジーミル・プーチンがキューバを訪問すれば挑発であると言う。国家安全保障会議の幹部だったコンドリーザ・ライス女史(現政権では国家安全保障担当大統領補佐官)が、ロシアは常に「脅威」であると断言したという話もある。

 他方、アメリカのメディアはチェチェンでのロシアの態度を厳しく批判しているが、これはまあ当然だろう。しかし、ロシアのメディアの大部分を所有する実業界の大物、ボリス・ベレゾフスキーやウラジーミル・グシンスキーとロシア政府との対立を、言論の自由に対する脅威であると報じているのは、いささか問題があるだろう。数カ月前は、これらの「オリガーキー(寡頭制すなわち新興財閥)」の破廉恥漢ぶりを批判していたというのに。

 一言でいえば、エリツィンの時代からプーチンの時代になって、ロシアとアメリカの溝は深まった。その原因の大部分は、ロシア政治の変化に求められる。外交政策の立案と推進に携わる人々の心情、態度、言葉づかいが、その間にがらりと変わったのだ。1990年代初頭にエリツィンが大統領に就任して間もない頃、「政治階級」はこぞって「西洋的なもの」に対する無制限ともいえる心酔を表明していた。とにもかくにもアメリカとの協調を追求するということが、最優先事項となっていた。教条であったともいえる。エリツィン政権初期の内閣の公式計画によれば、ロシアは「500日で」近代的な資本主義国への転換を完了する予定だった。エゴール・ガイダル経済担当第一副首相(当時)は、ジェフリー・サックス率いるアメリカ人顧問団の指示に、政府として従っていた。その結果もたらされたのは、経済、社会、それに道徳の瓦解であった。ロシアの夢は消え、期待も計算も崩れ去ったのだ。

 政治的な帰結も今や明らかである。ロシアのヨーロッパ国境は17世紀初頭のものに近づいている。2500万のロシア人が現在の国境の外に住んでいる。すでに数百万のロシア人が中央アジアの共和国からロシア連邦に移住した。ロシア人社会が事実上消滅したチェチェンのような極端な例については語るまでもない。

 国際関係におけるロシアの存在感は、ほぼ全世界的に消滅した。ソ連の政治介入が最も大胆だった中央アメリカやアフリカ南部だけでなく、ソ連がきわめて積極的で時には決定的な役割を果たした東南アジア、そして中東でも、ロシアの影は消えた。

 ロシアの希薄化はユーゴスラヴィア問題によって最高潮に達した。この10年間に起きた国際関係上の危機の中でも、ユーゴスラヴィア問題は間違いなく、ロシアの痛いところをついた唯一の出来事であった。情勢の推移に影響を与えようとしたロシア政府の努力は実を結ばなかった。ワシントンに向かっていたエフゲニー・プリマコフが空の上で引き返した姿は、ロシア国民の多くの記憶に残っている。彼らの首相はコソヴォ紛争の勃発を機内で知ったのだった。彼らはそこに、アメリカ政府の上層部がロシアを軽んじていることを、まざまざと見てとった。

 それ以降ロシアの政治家や外交官の心理が変わってしまったとしても、驚くには及ばない。それまで西側の交渉相手、とりわけアメリカとの曇りなき友好を信じきっていたロシアの指導者たちは、実際には双方の利害が一致をみていないことに気づいたのだ。ユーゴ以降、アメリカの主要目的はかつてのソ連のような競合的大国の復活を妨げることにあるのだと言ったところで、顰蹙をかうようなことはなくなった。アメリカはロシアを弱体化した現状に留め置き、さらに弱体化させようとしているのだといった主張も、普通に聞かれるようになった。

必然的に軍事・政治的な接近政策

 とはいえ、ロシアの外交政策が極端から極端へと振れたわけではない。ロシアの外交政策は、まったく経験則的なやり方で、一方ではかつて最優先事項であったアメリカとの政策的協調、他方ではアメリカの「ハイパーパワー」への懸念から新しい勢力均衡を求める他の諸国との連携、その両者の折り合いを探っている。そうした調停者の役割を独特の方法で演じているのが、現在のプーチン大統領である。エリツィンの政権運営にかかわっていたプーチンは、米ロ対話を優先せざる得なかった当時の事情を間違いなく記憶にとどめている。しかし、彼はまた、国内の政治基盤が崩壊しつつある中で、ソ連の外交政策が世界各地で大成功を収めていた時代を知る世代に属している。そしてソ連の崩壊後は、ロシアの没落という苛酷な変化を体験した。このように、部分的に相容れないとはいえ、ともに決定的な重みを持つ厳しい体験が、プーチンの政策を特徴付けているのである。

 プーチン政権が発足する前から、ことに外相を経て首相となったプリマコフの主導のもとで、新たな外交政策の基軸の一つとして中国との接近が図られるようになっていた。両国はいくつかの懸念をともにする。アメリカと、世界的に見て受け入れがたい均衡破綻をもたらすその「ハイパーパワー」に対する懸念。極東におけるアメリカの政治的・戦略的な補佐役である日本に対する懸念。イスラム原理主義勢力に対する懸念。ロシアはこれがチェチェンの反逆、ダゲスタンにおける反乱のように、中央アジアや国内イスラム社会に拡大していくことを非常に警戒している。他方、中国は新彊(シンチャン)のような例を懸念している。

 両国の接近は経済的・金融的なものではあり得ない。それは必然的に外交的・軍事的接近という性格を帯びることになる。具体的には、中国政府は軍の近代化を支えるパートナーにロシアを選んだ。これは中国にとってもロシアの軍事産業にとっても大きな意義を持つ決定であった。中国の軍事予算は、公式発表によれば2001年で190億ユーロ(約2兆600億円)にすぎないが、前年に比べて17.7%も増加しており、過去20年で最高の伸び率である。西側の専門家の推定によれば、中国の軍事支出は実際にはさまざまな予算項目に分割計上されているから、総額は公表値の二倍から三倍に達するという(2)

 中国の軍事支出の伸びが衰えるとは思われない。アメリカと台湾の当局者は、10年間で総額500億ドルに上る台湾の軍備増強を交渉している。中国がそれに対抗することは確実だろう(3)。中国があらゆる種類のハイテク兵器、とりわけ航空機、中距離・遠距離弾道ミサイル、戦車の売り手として当てにしているのが、ロシアなのだ(4)。すでに中国はスホーイSU27をライセンス生産しており、レーザー誘導式の地対地ミサイルを備えたロシアの最新式戦車T90も、いずれ手に入れようとするだろう(5)。ロシアは大勢として、中国の「武器庫」になりつつあるといっても過言ではない。

 モスクワのもう一つの得意先がインドである。ソ連時代、インド政府はロシアと特別な関係を維持することで、アメリカに対して政治的均衡を図ろうとしていた。ソ連の崩壊後、インド政府は新たな外交方針を立てていた。ロシア外交はその後、以前のような対話を再開したほうが利益になるということを、インド政府に納得させるのに成功したのだ。

 ここでもやはり、ロシアはもはや経済・金融上の手段を持っておらず、政治・軍事方面に頼らざるを得ない。つまり、武器の売却契約が何にもまして、ロシアの姿勢を象徴することになる。インドとの契約は、2000年度のロシアの武器売却総額440億ユーロ(約4兆7800億円)の三分の一を占めていた。

焦点となる戦略ミサイル

 イランはある意味で、ロシアの新戦略の最も極端な適用例を示している。根底のところでは、両国の立場には大きな隔たりがある。イランの体制は、原理主義的で民族主義的なムスリム世界の潮流を体現している。そうした潮流がカフカスで活発化し、激化しているのはロシアにとって懸念材料であり、中央アジアで影響力を強めているのはロシアの利害とあからさまに対立する。しかし、イランがアメリカから潜在敵国と考えられているというだけで、テヘランとモスクワの間に密接な対話が行われるには十分だった。そして、ここでもまた、ロシア外交は現在手にしている唯一の切り札を利用した。イラン側によれば、ロシアの協力で原子力発電所が建設され、予定より1年遅れで運転が開始された後に、武器が売却されることになっている。最新兵器や中距離ミサイルがかかわっているだけに、アメリカはただちに敵対的な反応を表明した。

 それはまさにロシア指導部ができる限り避けようとした事態であった。確かにロシアはアメリカの「ハイパーパワー」の影響を制限し、それに挑もうとする政策をとっている。しかし彼らはワシントンとの対話が依然として主要な関心事であるとの見方も捨ててはいない。そうした見方をとらざるを得ないともいえる。対外債務とその利払いはロシアにとって重荷になっている。確かにここ2年ほど、原油と天然ガスの価格上昇のおかげで、ソ連崩壊以降は半減していたロシアの国民総生産(GDP)も持ち直しかけている。

 しかしロシア政府はより差し迫った支出、とりわけ公務員の給料支払いと、完全に崩壊した年金制度の建て直しに対処しなければならない。言い換えれば、ロシア政府は国際金融機関と絶えず交渉を続けなければならない。そしてそこではアメリカの介入が圧倒的な力を持っているのだ。

 それに加えて、アメリカが決定的に優位を占めている力関係のもたらす影響を考察しなくてはならない。ロシアの軍事予算はもはやアメリカの軍事予算に比べてごくわずか(10%)でしかない。現在のモスクワとワシントンの対話にも、このことは明瞭に表れている。その中心を占めているのがNMD、すなわちアメリカのミサイル防衛構想である。ロシアの戦略ミサイルはもはやアメリカ領内の目標に達し得ないが、その一方でアメリカのミサイルはいつでもロシアに到達し得る。長距離ミサイルが実際に有効な唯一の軍備となっているロシアは、NMDに反対しないわけにいかない。

 ロシアはまず戦略兵器制限交渉の再開を求め、いわゆるSTART III(第三次戦略兵器削減条約)が開始された。ロシア側の提案は、核弾頭の保有数を現在ロシアが3000発、アメリカが3500発で合意されているところを、ロシア1500発、アメリカ2500発に削減するというものだった(6)。これはアメリカ政府をジレンマに陥れた。世界中のいかなる国家にも耐えがたい破壊をもたらす手段は維持しつつ、冷戦の遺産である軍備を削減する方向に新たな一歩を踏み出すべきか。それともミサイル防衛構想を押し進めるべきか。しかしその場合、ロシアは先の場合よりも多数の戦略核兵器を保持し、さらには増産を行うおそれがある。アメリカの構想するミサイル防衛システムを挫折させるためにロシアが持つ対抗手段は、核兵器の飽和状態を作り出すことにしかないからだ。

 同時に、ロシア政府はヨーロッパ諸国に対し、アメリカのシステムと並ぶミサイル防衛システムをロシアとともに開発することを公式に持ちかけている(7)。ヨーロッパ諸国がロシアに応ずるかどうかは疑問だが、この動きは、ブッシュ政権が技術的に見込みありとなればミサイル防衛構想を推進させるだろうと、ロシア当局が確信していることを示している。

 結局のところ、ロシア外交の未来は、国外よりもむしろ国内の情勢にかかっている。というのも、それを推進する指導者が権力を現に維持すること、つまり「オリガーキー」を抑えつけることが必要となるからだ。「オリガーキー」が権力を握れば、エリツィン時代に立ち戻り、とにもかくにもアメリカと角を立てずにやっていくということになる。またロシア経済を再建し、外国からの融資への依存を終わらせることも必要だ。そして、チェチェン危機の進展が政府の機能不全や信用失墜、さらにはロシア連邦の不安定化につながらないようにすることが必要とされるだろう。

(1) 「NMDに向かうアメリカ」(ル・モンド・ディプロマティーク2000年9月号)参照
(2) フランス通信(AFP)電2001年3月6日付
(3) AFP電およびル・モンド2001年3月7日、8日付
(4) 昨年締結された契約によりラーダーA50が6機、艦対艦超音速ミサイル「モスキート」を搭載したフリゲート艦が1隻、訓練機スホーイSU27UBKが28機、それにスホーイSU30MKKが40機、ロシアから中国に引き渡されることになっている。
(5) ル・モンド2001年2月10日付
(6) AFP電2001年11月14日、15日付
(7) AFP電およびロイター電2001年2月20日付


(2001年5月号)

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