アメリカのムスリム、ヨーロッパのムスリム

ジョスリーヌ・セザリ(Joceline Cesari)
国立学術研究センター聖俗社会学グループ、コロンビア大学客員教授

訳・北浦春香

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 フランス国内のムスリムの組織化について、内務省の主導する協議が難航している。このように、他方では政教分離を謳う国家が直接的な介入を試みている現実は、ヨーロッパにおけるムスリムの組織化が持つ特殊性を露わにするものだ。様々な点でアメリカとの違いが見出せる。こうした相違の原因は、ムスリム人口の出身地や、国家と宗教との関係に求められる。とはいえ、ヨーロッパでもアメリカでも、イスラム教が何百万もの市民の社会への定着と統合にとって、中心的要素を占めると考えられることに変わりはない。[訳出]

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 ヨーロッパの主要国には、およそ1100万人のムスリムが生活している(1)。そのルーツは、アジア、アフリカ、カリブの旧植民地から1960年代に流入した移民である。労働力としての移民の受け入れは74年に公式に停止されたが、既に移民してきた人々は定住の傾向を強めた。家族の呼び寄せを認める政策が推進されたこともあり、ヨーロッパ諸国のムスリム人口は再編と拡大を重ねていく。こうした定住化のもたらす大きな要素の一つに、イスラム的な価値の表出を目にする機会が増えてきたことがあげられる。そして、こうしたイスラム教の目に見える存在感をめぐって、様々な問いが立てられ、時に暴力を伴うような対立が生まれつつある。

 アメリカの場合、イスラム教徒の存在が目に見えるようになったのは最近の現象であり、これは移民間の活発な宗教活動に関連している。奴隷の中にムスリムがいたことは確認されているが、アメリカにおけるイスラムの歴史が実際にはじまったのは、20世紀全般にわたって移民の流入が続くようになってからといえる。それ以降、インドやパキスタン、インドネシアやアフガニスタン出身のムスリムが、中東出身者を上回るようになった。70年代以降、この新たな移民たちはモスクや学校を建て、雑誌や新聞を発行するなど、活発な宗教活動を展開した。彼らは、アメリカ社会への同化を目指そうとした20世紀初頭のアラブ系移民とは異なっている。黒人社会におけるイスラム教への改宗者の増大がこの存在感をさらに強めている。400万から600万人のアメリカのムスリム人口のうち、半分近くが黒人の改宗者なのだ。

 ヨーロッパやアメリカのムスリム移民の大多数は、イスラム教がたとえ国教ではないにしても、多数派の宗教となっている国々の出身である。イスラム世界の外、多元主義で世俗的な国に移り住んだムスリムたちは、多様な出身国の文化だけでなく、移住先の伝統や論理からも影響を受け、新たなイスラムの伝統をかたちづくって生きるようになる。

 その結果、ムスリム移民の統合の過程には、二重の方向性が認められる。彼らは一方ではダール・アル・イスラーム(2)を目指しつつ、他方では移住先の国の事情のもとに定着をはかる。ダール・アル・イスラームの側面としては、アメリカやヨーロッパに住む者とイスラム世界の地域や国々とを結びつける連帯ネットワークがつくられている。移民先の社会への定着という側面では、ムスリムが提起する課題は国によって様々だ。フランスでは学校でのへジャブ(スカーフ)着用をめぐる論争、ドイツでは社会からの疎外、イギリスやアメリカでは社会経済的なゲットー化の問題がおこっている。

 アメリカでムスリムの宗教活動が活発なのは、移民たちの信ずるイスラム教の特徴だけが原因ではない。市民生活の中に宗教が一体となって組み込まれているという、アメリカにおける宗教の特別な地位にも起因する。ヨーロッパでは、生活慣習や意識の世俗化が進んでいるために、イスラム教の認知はアメリカ以上に難しい問題となっている。

 イスラムの制度上の組織化の問題は、ヨーロッパ特有のものと考えられる。それは、ムスリムが政教分離の原則に適応できないというよりも、国家と教会の関係の特殊性に結びついている。ヨーロッパでは、どの国でも信教の自由が認められているとはいうものの、国家と教会の分離が一般原則になっているとは言い難い。そのため、ムスリムの組織化や社会的要求は、彼らが生活する国の制度を枠組みとすることになる。彼らは政教分離の原則を揺さぶろうとしているのではなく、イスラム教を既存の法的枠組みの中に組み込ませるためにあらゆる努力を傾けているのである。

 あらゆる宗教を法的に認知している国々(ベルギー、イタリア、ドイツ、スペイン)では、イスラム教の制度上の合法化の動きがいっそう進められている。スペインでは92年1月26日の法律により、イスラム教の団体や連合組織の大半を束ねるスペイン・イスラム委員会を公認することで、イスラム教を認知した。ベルギーは74年と早くから、他のヨーロッパ諸国に先駆けてイスラム教を認知している。ただし、政府公認のイスラム評議会の選挙が行われるようになったのは、ようやく98年になってからのことである。

 イスラム教の認知に対する抵抗は、受け入れ国の制度上の障害よりも人々の意識に起因する。ドイツでは、宗教団体として認めて(税の減免を含めた種々の優遇措置を与えて)ほしいという主要イスラム教団体の要求は、イスラム教を定着し認められた宗教として受け入れる準備が社会に整っていないという事実にぶつかっている。

宗教の地位

 国教を定めている国(イギリス、デンマーク、ギリシャ)や、多数派の宗教がある国の場合、少数派の宗教にも対等な権利が与えられるが、多かれ少なかれ「立ち遅れ」のあることは否めない。イギリスのムスリムは長年にわたって、イスラム教の学校の政府認可を求めて活動を続けてきた。ユスフ・イスラム(3)の資金援助を受けている学校が最近になって認可されたとはいえ、これはわずかな前進でしかない。

 フランスのように厳格な政教分離を定める国もまた、イスラム教の制度上の合法性の問題に無縁ではない。89年以降、イスラム教の組織化は国家的問題となっている。内務省は、フランス国内でイスラム教の指導的立場にある様々な宗派や団体の間の対話を促し、歩み寄りを求めてきた。これはなかなか功を奏さなかったが、最近になって新たな展開が見られている。1999年10月、内務省は様々なイスラム教団体に対し、ある文書への署名を求めた。そこには、国家と宗教との関係についての基本的な法原則が列挙され、それらがイスラム教組織に適用される旨が記載されていた。こうしたやり方は「子ども扱い」であり、政教分離の精神にも反していると難色を示した指導者もいたものの、2000年1月28日にはフランスにおけるムスリム代表者のほぼ全てがこの文書に署名した。それ以来、協議が続けられている。

 フランスのケースでは、政教分離の考え方が非常に厳格で、公的な場に宗教のしるしを持ち込んではならないとされることが困難のもととなっている。この考え方が教育機関で支配的であることが、へジャブの着用の可否をめぐる終わりなき紛争の背後にある。しかしながら、国務院は1989年以来、宗教のしるしを身につけることは政教分離原則に反するものではないとの見解を維持しているのである(4)

 アメリカにおいては、ムスリムの組織化や制度上の合法性といった問題は提起されない。宗教に関わるものごとは市民社会に属すると考えられており、連邦政府や州政府がそこに介入するのは場違い、ことによると厚かましいとされる。

 ヨーロッパとアメリカの最も大きな違いは、社会の中で宗教が占める地位にある。こうした国々に移住したムスリムは初めて世俗的な社会の中で生きることを余儀なくされる。そこでは、宗教的な規準は、もはや社会生活においても政治においても中心的な位置を占めることがなく、ますます私的な領域へと追いやられていく。その点で、ヨーロッパとアメリカとでは状況は異なった様相を見せている。

 国家と宗教との厳格な分離にもかかわらず、アメリカは依然として西洋の中で最も宗教的な国である。70%の市民が神を信じ、90%が毎日ないし週に1回は祈りを捧げている。70%が何らかの宗教団体に属し、40%が毎週礼拝に出かけている。しかし同時に、ヨーロッパで見られるような宗教心の衰えを示す指標(宗教的行事への無関心、性的な自由など)が上昇している。こうした逆説的な状況は、宗教的慣行が個人の問題になりつつあることを示している。そこでは、新たなかたちのもとでの宗教の再生と、宗教からの離脱とが併存する。宗教が脱制度化され、宗教的信条の地位が下がることを世俗化と限定するならば、ヨーロッパは世俗化が完結した唯一の地域だといえる。

 従って、アメリカのムスリムは、ヨーロッパのムスリムよりも日常生活を送りやすい。宗教活動が当然のこととして認められているため、イスラムの信仰表明も社会に受け入れられる。イスラム教はアメリカの宗教地図の中の、他の宗教と同等の構成要素にすぎないのだ。また、イスラム教は、高い改宗率が示すように、ヨーロッパの状況とは比較にならないほど伸長している。これは黒人系だけでなく、ラテン系やアングロ・サクソン系のアメリカ人にまであてはまる(5)

 とはいえ、アメリカ社会がイスラム教を完全に受容していると結論づけるのは早計だ。アメリカ社会の矛盾を象徴する偏見と差別は、いまだに根強い。こうしたことは、例えばメディアにも見受けられる。テレビのニュースからハリウッドのフィクションに至るまで、どれもこれもイスラムといえばテロリズムであるかのような扱いをしている。こうした見方は、ムスリムの日常生活にも影響を及ぼしかねない。ワールド・トレード・センターでおこったテロのあと、アメリカのムスリムは様々なかたちで脅迫や威嚇を受けた。これはアルジェリアの内戦の際、とりわけ95年にパリでおこったテロ事件のあとで、フランスのマグレブ系(6)青年に対する差別が激化したことを思いおこさせる。

自己主張の担い手

 しかしヨーロッパとは異なって、アメリカのムスリムは対抗措置をとるための手段を手にしている。信仰の自由と表現の自由は市民社会の基本として、市民が利用できる法的手段の増大により担保されている。このように、アメリカのムスリムは自己表現という点で、イスラム諸国はもとよりヨーロッパの同胞とも比べものにならない力を持っている。様々な新聞、機関、組織がイスラム教を悪に仕立てようとする支配的な論調への対抗を試みている。

 この点で大きな意義を持つと思われるのが米イスラム関係評議会の活動である。この団体は、ムスリムやイスラム教が受けたあらゆる差別を追及し、その補償を求める。イスラム教に関わるものを信者の信仰心を踏みにじるような方法で使用したり、ムスリムの従業員をその信仰ゆえに差別したりしたとして、ナイキやバドワイザーといった名だたる企業を相手に勝訴した事例は数えきれない。

 ここ10年で、この他にも数多くのロビー団体が誕生した。ムスリムの知識人や活動家を核として90年に設立された全米ムスリム評議会は、ホワイトハウスや議会に働きかけることで、ムスリム共同体のアイデンティティーと権利を守り、共同体と政治機構の間をつなごうとしている。主だった活動目標の一つとして、ムスリム共同体が他の宗教共同体と同等の政治的認知を得ることを掲げる。とりわけ、有名な「ユダヤ=キリスト教」社会という決まり文句を「ユダヤ=キリスト=イスラム教」社会に替えることで、イスラム教が他の宗教と同じ価値を奉じているのだと人々に認めさせたいと考えている。

 ヨーロッパでは、ムスリムがこれに類するような方法で自分の主張を押し出すには至っていない。最近、米イスラム関係評議会は、ある若いムスリム女性がパスポートの写真を撮る際へジャブを着用できるよう、シカゴのフランス領事館に働きかけた。これは、フランスに住むムスリムが未だかつて認められたことのない措置であった。

 実際のところ、市民が信仰の自由に関わる偏見に対する補償を得られるかという点では、明らかにアメリカの方が上をいっている。アメリカの裁判官の役割は、宗教の自由を個人の尊厳の基本に見る思想のもとで、法の柔軟な対応によって宗教上の少数派を保護するところにある。これはムスリムにとって有利に働き、支配的社会への統合という面でイスラム教が肯定的な要素となり得ることを示している。

 しかし、アメリカでムスリムの声が聞かれるようになってきたのは、移民人口の社会的、経済的な特徴にもよる。ムスリムのエリートはどこよりもアメリカに集まっている。医師、学者、エンジニア、企業経営者などは、イスラム諸国よりもアメリカの方が多い。大学に籍をおくムスリムの数は、ヨーロッパを大きく上回る。こうした人口構成が、アメリカのムスリムの思想的なバイタリティーとダイナミズムの背景に認められる。

 ヨーロッパには、このようなエリートが未だ形成されていないと言わざるを得ない。ヨーロッパのムスリム移民はマグレブ諸国やアフリカ、インド、パキスタンの貧困化と結びついている。ヨーロッパへの移民を志すのは、一般的に出身国の社会の中で最も経済的に弱く、教育レベルの低い人々である。ヨーロッパでも、第二世代以降は中産階級が出現し、ヨーロッパで教育を受けた知識人も登場して、状況は目に見えて改善されている(7)。とはいえ、ヨーロッパ社会の内部で埋めるべき格差は依然として大きい。

(1) ヨーロッパにおいてもアメリカにおいても、宗教に関する国勢調査は行われていないため、正確な統計は存在しない。ヨーロッパについては、フェリーチェ・ダセット『ヨーロッパのイスラムの構築−社会的・人類学的アプローチ』(ラルマッタン社、パリ、1996年)を参照。
(2) イスラム法が律する空間を指す。
(3) 70年代の歌手で、イスラム教に改宗した、キャット・スティーヴンスのムスリム名。
(4) 2000年12月14日にジョスパン首相あてに提出された、フランスにおけるイスラム教に関するフォルー報告書は、国務院と同じ見解をとっている。委員会のメンバーのうち、より厳格な政教分離を主張する者は辞表を出した。
(5) 世論調査によると、人口の3分の1から半数が死ぬまでに改宗するという。ここ15年でプロテスタントに改宗したヒスパニック系人口は100万人にのぼる。
(6) モロッコ、アルジェリア、チュニジアの三国を指す。[訳註]
(7) 最近、イスラム系の雑誌や新聞(例えばフランスではイスラム・ド・フランスやラ・メディナ、ハワ)の創刊が相次いでいる事実にも、ヨーロッパにおけるムスリム知識人の出現が明白に示されている。イギリスでも、レスターにあるイスラム財団が出版・教育活動に力を入れている。


(2001年4月号)

All rights reserved, 2001, Le Monde diplomatique + Kitaura Haruka + Saito Kagumi

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