「低強度紛争」の地政学

ピエール・コヌザ(Pierre Conesa)
フランス政府高官、パリ

訳・ジャヤラット好子、安東里佳子

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 今回の米国大統領選の二人の候補者には、あきれたとしか言えないような見解の一致があった。ジェノサイドの続くルワンダにクリントンが米軍部隊を派遣しなかったのは正しかったという。これについて新聞はさほど騒ぎ立てもしなかった。とはいえ、この米国内の「無関心の神聖同盟」は、単極世界や米国の覇権に触れたどんな演説にも匹敵するほど、地球の安全保障の行く末をくっきりと照らし出している。

 ソ連崩壊後のこの10年、国際関係の理論は勝者意識に染め上げられてきた。「グローバリゼーション」や「単極世界 vs 多極世界」あるいは「歴史の終焉」といった概念が台頭した。その一方で、地球上の「グレーゾーン」の拡大という問題にあえて取り組もうという研究者はほとんどいない(1)。この索漠とした地帯では、まだ分析の糸口が見つからないような変化が進んでいて、確かな理論が作れない。そこでは、政治的解決も軍事的解決もない数々の危機が、無力な国際社会の慇懃な無関心の中で長期化している。近年の国際関係の変化に見られるこの暗い一面は、単極世界に向けた再編と同じぐらい重要な意味をもつ。

 この「グレーワールド」を地図に描けば、世界の多くの地域が塗りつぶされていく。

 黒海にまで及ぶ南北カフカス全体(旧ソ連領アルメニア、グルジアなど)は動乱地帯と化しつつある。チェチェンの戦争は、その中で最もマスコミに取り上げられる事例にすぎない。

 グルジア、アルメニア、アゼルバイジャンが、それぞれ抱える問題は未解決のままだ。18世紀にロシア皇帝の支配下に置かれたこの地域は、今や自らの伝統に目覚めている。中東では、タジキスタンからアフガニスタンを抜け、パキスタン北部およびバルチスタン(2)のイラン部分(このイスラム共和国の国境検問所は西方に後退していると見られる)にまで広がる数々の問題は、1979年のカブールへのソ連介入とともに始まったとされる。実際は、この地域の危機は過去にさかのぼる。大英帝国とロシア帝国による植民地化が難しかったことを思い起こせばよい。パキスタンも、その短い歴史のうち25年間は軍事政権、25年間は文民政権で、将来どうなるかは何とも言えない。クルド危機もくすぶっていて、クルディスタンのイラク部分(トルコ反政府勢力の拠点)は依然としてマスコミの注目を集めている。

 南部アフリカを今のところ除くサハラ以南アフリカ諸国の大多数は、ゆっくりと解体の段階にさしかかっている。長く「大陸の優等生」とされていたコートジヴォワールやウガンダもまた、危うさを免れない。

 麻薬密売組織の支配下にある南米アンデスとアマゾン(コロンビア、ペルー、ボリビア、またブラジルのアマゾン地域など)およびアジア(黄金の三角地帯)の一帯には、中央政府の統治が及ばない。

 東南アジアでは、1万3000の島から成るインドネシア諸島が、オランダの植民地政策によってジャワ人の政権の下に急速に統一されていたが、現在は分裂の途上にある。東ティモールの独立はその先駆けにすぎない。

 バルカン半島の危機は収まったとは言えない。コソヴォの独立が問われているからだ。この地帯はモルドヴァのドニエストル地域(3)まで広がっていると見るべきだ。

 上で言及した数百万平方キロメートルの土地には、3億から3億5000万の人々が住んでいる。そこで起きている数々の紛争には、地理的な距離を超えた地政学上の共通点が見られる。それらは大きく二つに分類できる。

 ソ連崩壊前にさかのぼる数々の紛争が、第一のグループとしてまとめられる。その舞台は、過去に植民地化されたことがまったく、あるいはほとんどない国々である。ビルマ(ミャンマー)、イエメン、リベリア、シエラレオネ、アフガニスタン、スーダン、ソマリアなどがそうだ。これらの国々では、欧米諸国への抵抗はアフガニスタン、ソマリアで見られたように強力で、旧態依然の社会契約を強化する方向に働いた。民族や部族の戦士としての誇りの上に成り立っていた強烈な帰属意識が、あたかも国民感情のように考えられてきたのだ。これらの国々に、国家の基盤となるような近代的な政治的意志は存在しない。

 ソマリアの場合、民族または宗教が同じソマリア人であるという意識が氏族を超えた国家構想に結びつくことはなく、国内の氏族は抗争を続け、国家の建設を妨げている。南北イエメンの統一も、全土にまたがる中央政権を打ち立てはしなかった。これらの紛争はマスコミに注目されず、世界平和を脅かすほどのものではないという意味で「低強度の危機」と呼ばれながら、現在も続いている。

危機の構造

 第二のグループは第一のグループよりも歴史的に新しく、「帝国の終焉」による危機と呼ぶことができる。過去にはフランス、オランダ、ポルトガル、そして大英帝国の植民地、近年では東ヨーロッパにおけるロシア帝国とその変形であるソヴィエト連邦、あるいはエリトリアの併合を最盛期とするエチオピア帝国などがある。オスマン帝国およびオーストリア=ハンガリー帝国の消滅が、バルカン半島、東ヨーロッパおよび近東に残した傷跡は、今でも膿んでいる。1989年のソ連崩壊は、ソ連の支配によって抑え込まれていた数々の問題をよみがえらせた。

 これらの危機は、帝国の辺境に関わっている。征服が及んだ限界、地理的には辺縁地帯ということだが、そこでは人口と宗教がモザイクのように入り組んでいる。そして多くの場合、山岳地域が避難地として利用されてきた(ロシアにとってのカフカス、オスマン帝国にとってのクルディスタン、バルカン、レバノン、あるいはシャム帝国とヴェトナム帝国にとってのインドシナ高地など)。特筆すべきは、ロシアによる植民地化が(イラン帝国の政策もまた同様だったが)地理的に連続した土地を対象とし、帝国行政に現地エリートを組み入れるという形で進められていたことだ。ロシアがカフカスの危機を「脱植民地化」とは考えず、手足をもがれる危険のように感じているのは、そうした背景があるからだ。

 複数の「国民文化」の管理に向けられた帝国内の境界線は、分割によって統治を容易にすることを目的として引かれ、一部の共和国には内部に民族の飛び地すら創られた(ウクライナ内部でロシア人が多数派のクリミア、アゼルバイジャン内部でアルメニア人が多数派のナゴルノ・カラバフ、アゼルバイジャンとアルメニアの狭間のメグリ、セルビア内部でモスレム人が住むノヴィ・パザール周辺のサンジャクなど)。時には、チトー時代のユーゴスラヴィアのモスレム、ソ連のユダヤ人地域ビロビジャンのように、新しい民族集団が創られることもあった。スターリン式の民族管理は露骨であった。今日、独立を宣言しているこれらの民族集団は、争いのある旧時代の行政区分でしかない国境に取り囲まれている(ボスニア、クロアチア、カフカス諸国、モルドヴァとドニエストル、旧ユーゴスラヴィアのマケドニア、複数の国家に分割されたアフリカ旧植民地など)。こうして、ボスニア、アフリカのサヘル諸国、カフカスなどは「一触即発地帯」となったのだ。

 帝国の秩序は、強制だけでは維持できなかった。少数民族の中から帝国の方針に沿ってエリートを養成し、彼らを基盤として統治するという手法も用いられた。これらの現地エリートには独自の権限が与えられた(キリスト教に改宗した旧フランス領のアフリカ諸民族、インドネシアのジャワ民族、中央アジアの共産党幹部など)。帝国の住民は「臣民」として等しく服従させるべき対象でしかなかった。中央政権が分裂し、民族主義が確立すると、彼らは「市民」となり、それぞれの民族集団ごとの法治の成立に従って権利を競い合うようになった。

 帝国の終焉は、時には民族意識の高まりによって加速された。これに対し、瀕死状態の政権は武力と追放をもって応じた(オスマン帝国末期のマロン派キリスト教徒やアルメニア人の迫害、ユーゴスラヴィアのセルビア人地域のクロアチア人やボスニア人の迫害など)。帝国の終焉はまた、中央政権の崩壊によって引き起こされた(ソ連、アフリカのポルトガル植民地やフランス植民地の場合)。こうして、国境がはっきりせず、政治的な土壌もなく、雑多な民族を抱えた国家が出現する(旧ソ連圏の中央アジア諸国、アフリカ諸国)。

 これらの特徴の多くは旧ユーゴスラヴィア連邦の危機のときに認められた。第一次世界大戦の終わりに創設されたユーゴスラヴィア連邦は、ハプスブルク帝国とオスマン帝国の残滓を引き継いだ。チトーは民族意識よりも階級の分断が重要であるとする政策をとった。この連邦の分裂はきわめて暴力的に起こり、他民族を「人種差別」する強烈な拒絶を伴った。

 アフリカ大陸では、二つのタイプの危機が交錯している。まず「帝国の終焉」について言えば、西欧諸国が植民地政策から撤退するときに残した末期的な国家組織は、かねてから脈々と続く紛争に向き合わされることになった。サヘル全域(マリ、ニジェール、チャド、スーダン)を揺り動かす数々の危機では、植民地化によって落ちぶれたかつての奴隷商人(トゥブ族、トゥアレグ族など)と、本国政府が権力を残していったかつての奴隷民族(サラ族など)が対立している。どの国を見ても、このような南北対立の構図がある。

 他方、「国家の欠如」は、ほとんど植民地化されなかった地域にも中央アフリカやチャドのように植民地化が表面にとどまった地域にも及んでいる。このように常態とも言える状況を「危機」と呼ぶべきかは疑問である。フランスに対抗して国民感情を育んだアルジェリアの場合は複雑だ。その国民意識の発揚は、独立後も他に正統性を主張できない国家によって徹底的に活用された。

 ここに言及した危機の一部は、政治的解決の論理になじまないがために長期化している。軍事的な強度は様々だが、これといった外部勢力の支援もないまま、東西冷戦時代に蓄積された莫大な武器備蓄が紛争の糧となっている点は同じだ(ユーゴスラヴィア、アルジェリア、ソマリア、カフカス、エチオピアなど)。国連が禁輸措置をとっている小火器も密輸ルートを通じて流れ込む。

 軍事的な強度が低いからといって、集団殺戮が起きないわけではない。時として、民族的な同質性を回復するために住民集団を根こそぎ国外追放するといった手段も用いられる(ルワンダ難民100万人、旧ユーゴスラヴィア難民80万人、シエラレオネ死者7万5000人・難民200万人、コンゴの北キヴ住民の国外追放など)。国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)が設置した数カ所のキャンプに収容された人々は、受け入れ国にとっては不安定要因になるという以上に、敵対行動に向かう要員の供給源となっているように見える。

 これらの危機では、社会学的な構造がその存続を保証する。公的権力が存在しないか、存在しても住民の武装解除を進めることはない以上、武装を解いた人間は格好の標的となる(アフガニスタン、イエメン、コロンビア)。氏族の仇打ちは通常の、時には洗練された決着の方法であり、紛争に民族的な基盤を与え続けている(イエメンやソマリアの名誉の掟)。いくつもの世代が戦争以外の物事をまったく知らずに育ち、少年兵士の問題が未来を暗くする。その上、投降は必ずしも旧戦闘員の保護を保証しない(コロンビアのM19、アイルランド共和軍の離脱者の例)。

 トルコにとってのカフカスのように、追放された住民の避難地の存在が重要な要因となるのは事実だが、それ以上に重要なのが、富裕国へ移住したディアスポラ(離散民)からの援助である(ナゴルノ・カラバフにとってのアルメニア人、ドイツに逃れたクロアチア人、各地に逃れたアルバニア人、イタリアに逃れたエリトリア人、ヨルダンに逃れたチェチェン人など)。ダイヤモンド、木材、麻薬の密売、人道援助の横領、イエメンやフィリピンのホロ島の人質のように、交戦者の戦略を左右する資源が現地で見つかることもある(4)。この10年でアフガニスタンは、阿片の主要生産国になった。紛争の目的は、もはや首都の奪取ではなく、鉱物資源や人道援助物資のコントロールにあるのだ。

「リスク外交」に傾く主要国

 とはいえ、拡大の危険は限られている。なぜなら、これらの危機はそれぞれの民族的な性格が強く、他の地域には当てはまらないからだ。つまり「将棋倒し」は起こらない。チャド、チェチェン、アフガニスタンの紛争は、押し寄せる難民の波以外、近隣地域には影響しなかった。アルジェリア危機も、モロッコとチュニジアに大きな影響は与えていない。

 東西冷戦の末期に世界のいくつかの地域を襲った「戦略的価値の切り下げ」には、「観念的価値の切り下げ」が反映されている。アンゴラの共産党政権に対抗する「自由の戦士」とされていたサヴィンビ議長は、今では本来の姿に落ち着いている。民族集団の親分であり、その戦略はもはや権力の奪取ではなくダイヤモンド鉱山地帯の支配に向けられているということだ。

 悠久の時間の再来は、危機の周辺地域への波及のみならず内政の論理においても認められる。たとえばカメルーン(5)、ムリッド教団の力が強いセネガル(6)、あるいはイスラム教団が浸透した中央アジア諸国(7)の例に見られるように、長い伝統をもった政治的、社会的組織が、国家の不振によって復活している。これらの国々の不安定化の兆しは、第一に指導者層による公共資源の独占や、国家の解体(公務員への給料未払い、兵士による道路封鎖など)、脈々と続く民族意識や部族意識(コートジヴォワール)、土地の奪い合い(セネガルのカザマンス、ルワンダ、ブルンジなど)となって現われる。破滅状態の政権エリートは、崩れかけた秩序を立て直すためには、ガッサン・サラメ(8)が定式化したような、旧宗主国に対する「帝国の要請」をもいとわない。

 他方では、帝国支配によって抑え込まれていた伝統的な地政学的対立の再燃も見られる(ヴェトナムのカンボジア侵攻、ヴェトナムに対抗した中国の南シナ海進出など)。もっとフランスに近い地域のソ連崩壊後の事例をあげれば、トルコがカフカス(アゼルバイジャンと北カフカス)への関心を復活させている。というのも黒海は18世紀まで、オスマン帝国の内海だったからだ。英国の影響の下、1925年に国際連盟が決定したモスル州のイラクへの帰属についても、1991 年、トルコのオザル大統領は公式に抗議している。そして、中央アジア一帯で最も人口の多いウズベキスタン人(トルコ系)の問題に、諸国の指導者は頭を悩ませている。

 しかし、歴史を振り返っても、現代の事実の一部しか理解することはできない。たとえば、トルコはバルカン紛争に対し、この地域への伝統的な利害を棚上げにして静観する姿勢をとった。またハンガリーは、周辺諸国に住むハンガリー人の民族意識を鼓舞しようとはしなかった。

 周知のように、本稿で言及した国の現状について国連決議や主要国の公式声明は「強い懸念」を表明している。言葉を費やしたあとは、それぞれ自分の仕事に舞い戻るということだ。グローバリゼーションがいかに地政学的な格差をもたらしているかは驚くばかりだ。東西が対立していた時代は、たとえ対立陣営に奪われるかもしれないという懸念からにすぎないにしても、どの地域も戦略上、相対的な重要性を帯びていた。こうして冷戦は、朝鮮半島、アンゴラ、キューバ、ニカラグア、モザンビークなどの国々に波及した。今日では、主要諸国は、世界の状況悪化をもっと冷めた目で見ていればいいと感じている。軍事的介入の是非は、もはや利害関係だけでは決まらない。リスクも考えなければならない。欧米諸国がボスニアやコソヴォで示した軍事的手腕も、現在の紛争に役立つとは限らないことが明らかになっている。軍事的介入の前に、「われわれの部隊に危険がないだろうか」という点が問われるようになった。「死亡者ゼロ」のコンセプトが実務的、実戦的に追求されるのだ。国際社会が関心を向けない地帯では、「リスク外交」が突出するようになる。

 こうしたことが、米国のソマリア介入から引き出された主な教訓だった。マスコミで大きく取り上げられたソマリア介入は、湾岸戦争の勝利で示された技術的優位に立脚していた。目的は対象人口への食糧援助にあったが、米国の世界的な責任という観念は、数人の米兵の死によって完全に吹き飛ばされた。どんな紛争でも、たとえルワンダのジェノサイドであっても、一人の米兵の命には代えられない。

 世界の諸大国がどこにも介入しなくなると結論付けるのはまだ早い。しかし、介入の動機は割り引いて見るべきだろう。従来より、第一の理由とされてきたのは現地の資源確保である。湾岸戦争のときの米国がそうだった。この政策は、アフリカの危機に際しても具体化されている。アンゴラとナイジェリアにはかなりの原油が埋蔵されているし、「地質学上の奇跡」と呼ばれるアフリカ南部には多様な鉱物資源がある。反対に、中央アフリカ共和国やブルキナファソには大した価値は見出せない。コンゴ民主共和国(旧ザイール)の場合、問題は複雑だ。この国は膨大な天然資源をもちながら、ベルリン会議(1884〜85年)で決められた国境を抱え、統治不能に陥っている。

パンドラの箱

 天然資源と同様、紛争地域の場所も重要な要因となる。ヨーロッパの安全保障にとって旧ユーゴスラヴィアはカフカスよりも重要であり、米国にとって朝鮮半島はインドネシアよりも重要である。さらに、世界の平和を危うくしかねない地域に対しては大国も目を向ける(印パ、朝鮮半島)。

 もう一つの要因は、非合法活動やテロ活動の激化だ。先進諸国はみな間接的な危険を感じているが、政策責任者はこの課題に対処する手段を決めかねている。これは国内警察の任務なのか、それとも国際的な警察活動の任務なのか。麻薬代替作物の耕作を進める資金を誰が負担するのか。国家主権の原則を尊重すべきなのか。コロンビアの場合は米軍の介入にまで至ったが、麻薬密売組織の問題を同様の方法で解決するには、メキシコは米国にとって距離的に近すぎる。かつてアフガニスタンで米国が鼓舞したイスラム活動家に対しては、今のところ巡航ミサイルを何発かお見舞いするぐらいしか可能な対抗策がない(スーダン、アフガニスタン)。

 その結果、スーダン南部、ウガンダ北部、サヘルのトゥアレグ危機(9)のように、国際社会の関心から見放された地帯で、まったく平然と危機が繰り広げられることになる。大国の介入のほとんどは間接的なものにとどまり、国連が手にする権限は限られる。リベリアに派遣された西アフリカ諸国平和維持軍(ECOMOG)のように、アフリカ諸国だけで編制された数々の国連平和維持軍は無力だった。これらの部隊の存在は、長いこと国際社会の気休めとなっていた。しかし、数十人の兵士が人質にとられるという事件が起こると、これらの国連軍の実態が明らかとなった。他方、大国が直接行動する場合も、フランスのルワンダ介入や英国のシエラレオネ介入などでは、国連のお墨付きが求められた。

 これらの危機の当事者は、もはや統一的な政治の論理ではなく微視的な戦略に導かれて独自に動き、状況に応じて一時的で予測不可能な同盟関係を結ぶ。選挙という手段は時として無益である(アンゴラの選挙は戦争に終止符を打てなかった)。危機の主要当事者は、武装勢力の指導者であり、ダイヤモンドのデ・ビアス社や石油会社のように地域に利害関係をもつ世界規模の合法組織や非合法組織(密売組織)であり、時にはこちら、時にはあちらの側に立って介入する雇われ兵である。

 「新たな傭兵集団」が現れている。これらの紛争諸国では、1998年までの南アのエグゼクティブ・アウトカム(10)や英国系のサンドライン・インターナショナルといった民間の軍事会社が活躍していた。世界的な大企業の中には、国家の治安や時には任務を買って出るものさえある(フランスのエルフ石油会社はコンゴで公務員の給料を支払っていた)。1980年代のコロンビア、あるいはレバノンのように、犯罪組織が同様の役割を果たし、社会保障や学校、福祉サービスを提供することもある。

 これに対して欧米諸国は、介入するよりも放置の姿勢をとっている。彼らの懸念は政治よりも経済にある。こうして、シエラレオネ産ダイヤモンドの通常の搬出経路となるリベリアの首都には、ダイヤモンド産業の発達した国の航空会社しか就航しなくなった。

 今後、グレーゾーンは拡大すると考えられる。時代の流れは大規模な多民族国家の動揺に向かっている。中華帝国も危機に陥ることが予想される。チベットの難局を見ると、新彊(シンチャン)のような中央アジアの辺境地帯などでは、いつ軍事的な抵抗運動が出現してもおかしくない。

 ソヴィエト帝国の崩壊の影響は、まだ出つくしてはいない。雑多な民族が混在する中央アジアの旧ソ連地帯は、ロシア人、ペルシア人、中国人の世界の辺縁でもある(ウズベキスタンだけでも128の民族集団がいる)。望んだわけでもない独立を果たしたこれらの諸国は、ロシア人や他のスラヴ人の流出、外国の軍隊、国境の出現による国際社会への開放など、外部で起きる歴史に翻弄されている。モルドヴァやドニエストル、シベリアの極東地域の一部などの場合では、帝国辺境の紛争は解決されたというよりも凍結されている。

 クルディスタンの将来は、その周辺国家の安定度にかかっている。人口の大半をクルド人とシーア派のアラブ人が占めているのに、少数派のスンニ派が統治するイラクや、少数派のアラウィ派が権力を握るシリアの将来について、疑問に思うのは当然だろう。

 地政学的に見ると、単極世界は「有益な世界」の地勢を浮かび上がらせるとともに、その陰画として「無益な世界」という地勢も浮かび上がらせた。この地帯の危機は、世界を不安定化させる可能性が低く、外部の利害関係も薄いため、長期化するだろう。普遍的な平和を探求するのではなく現状維持でよしとするのなら、大国が目をそらすだけでよい。とはいえ、説教じみたコメントがなくなるわけでもない。

 1945年以降の国際関係を動かしてきた外交ルールは限界に達している。この10年の国際関係を冷めた目で眺めれば、数々の新しい動きが出現しているのに、それらを理論化する議論が欠けていることが見えてくる。国境の不可侵はアフリカでさえ、かなり前から単なる理論上の原則と化しており、モロッコによる西サハラの併合やエリトリアの独立によって痛烈な打撃をこうむった。欧米諸国がコソヴォに適用した手法は、紛争の平和的解決を原則に据えた国連の創設メンバーですら、戦争行為を正当化するようになったことを示している。

 ある種の集団虐殺や破壊行為は、新しい手法を使えば避けられるかもしれない。たとえば、強制ではなく管理による住民の移住、国境ラインの再交渉(1万2000キロメートル近くの新しい国境が主として紛争によらない方法でヨーロッパに出現した)や、領土交換などだ。ナゴルノ・カラバフとメグリを交換するという米国上院の提案(本号の記事参照)は、国際社会からとんでもないと拒絶された。パンドラの箱を開けないまでも、その中身について、そろそろ議論を始めるべきではないだろうか。

(1) アルノー・ド=ラ=グランジュ『反抗する世界』(ミシャロン社、パリ、1999年)参照
(2) 遊牧民族バルーチーの居住地域で、大英帝国がイランからインドに割譲させた部分が現在はパキスタン領となっている。[訳註]
(3) ロシア系住民による分離独立運動が起きている地域。[訳註]
(4) ジャン=クリストフ・リュファン『内戦の経済学』(アシェット社、パリ、1999年)
(5) ジャン=フランソワ・バヤール『アフリカの国家−食の政治』(ファヤール社、パリ、1989年)
(6) ムリッド教団は、セネガルのトゥーバを聖地とするイスラム神秘主義教団。[訳註]
(7) オリヴィエ・ロワ『中央アジアの新たな相貌』(スーユ社、パリ、1997年)
(8) レバノン出身の政治学者。著書『帝国の要請−グローバリゼーション時代の介入と抵抗』(パリ、ファヤール社、1996年)など。[訳註]
(9) スーダン南部はウガンダ政府が支援するとされるスーダン人民解放軍の拠点、ウガンダ北部はスーダン政府が支援するとされる「神の抵抗軍」の拠点となっている。トゥアレグ族の反政府運動は、マリやニジェールで尖鋭化している。[訳註]
(10) 同社は1998年に南ア政府によって活動制限を受けた。[訳註]

参考

(2001年3月号)

* 改訳の上『力の論理を超えて』に収録、NTT出版、2003年8月

* 小見出し「パンドラの箱」直前および直後の段落の「アメリカ」を「米国」に訂正(2003年4月3日)
* 小見出し「危機の構造」から三つ目の段落の「アフリカのサハラ諸国」を「アフリカのサヘル諸国」に、同じ小見出しから七つ目の段落の「サハラ全域」を「サヘル全域」に、小見出し「『リスク外交』に傾く主要国」から六つ目の段落の「韓国、アンゴラ、キューバ、ニカラグア、モザンビークなどの国々」を「朝鮮半島、アンゴラ、キューバ、ニカラグア、モザンビークなど」に、小見出し「パンドラの箱」直後の段落の「韓国」を「朝鮮半島」に(二カ所)、同じ小見出しから三つ目の段落の「サハラのトゥアレグ危機」を「サヘルのトゥアレグ危機」に訂正(2003年4月6日)

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