アメリカは朝鮮半島政策を再考せよ

セリグ・ハリソン(Selig Harrison)
研究者、センチュリー財団、ワシントン

訳・斎藤かぐみ

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 朝鮮半島情勢は最終局面を迎えている。2000年6月の南北首脳会談、それに続く対話と相互訪問の開始。そして今や、最も厄介で、長期的な和睦の障害となる問題、つまり南北の軍事対立をいかに緩和するかという問題が、両国の協議にのぼるようになった。この問題はアメリカにもダイレクトに関わってくる。アメリカは現在、韓国に3万7000人規模の兵力と最新鋭戦闘機100機を置き、「核の傘」を差し掛け、半島の力関係を韓国に有利に傾けている国だからだ。

 対決のリスクを減らすには、南北だけで部隊の縮小・移転・再編を協議しても充分ではない、と北朝鮮は主張する。北朝鮮は、前方に展開した通常戦力を削減し、ミサイルと核の計画を放棄する準備があると言い、その対価として、在韓米軍の帰趨を含めた幅広い協議を求めている。国防総省は今のところ、そのような協議は拒否との姿勢だ。米軍の存在は抑止力となっているだけでなく、北東アジア全体の安定にとって重要な意味を持つ、と同省広報官は主張する。

 経済問題に苦しむ北朝鮮は、いずれ一方的な譲歩に追い込まれることになる。そう考えるクリントン政権は、経済援助と国交正常化の代償として、射程180マイル(290キロ)以上の全ミサイルの実験・開発・製造・配備を放棄し、1994年の米朝合意に定める期限に先立って核施設を解体することを北朝鮮側に求めてきた。

 だが、ここには重要な見落としがある。米軍の存在、その技術的優位、またミグ戦闘機に対する韓国空軍の優位について、北朝鮮は真剣に安全保障上の懸念を抱き、アメリカから先制攻撃されたらかなわないと感じているのである。大統領の命による訪朝調査を行ったペリー元国防長官は、99年9月、質問に答えて長距離弾道ミサイル計画について次のように述べた。「抑止の対象はどこかといえばアメリカだ。われわれは北朝鮮の脅威になっているとは思わない。しかし、彼らはわれわれを確実に脅威と見ていると思う」

 他方、北朝鮮経済の見通しはといえば、相変わらず厳しい状況にあるものの、一時期ほど追い詰められているわけではない。アメリカでは、イデオロギーに囚われた金正日(キム・ジョンイル)が国民の不満を呼び起こすような経済改革に乗り出すはずがない、といった見方が広まっている。だが実際には、この指導者は慎重に慎重を重ねながら、「隠密改革」とでも言うべき政策を押し進めている。

 95年の食糧危機で農産物の調達・配給制度が崩れ、私設市場が農村地帯に続々と現れた際も、金正日は私設市場を強権的に閉鎖することはせず、このような変化が市場経済に向かう歩みを促すとする改革派官僚の側に付いた。北朝鮮に入った外国の食糧援助関係者の見たところ、私設市場は300以上を数え、日用品も農産物も扱っていたという。ただし、それを当局者が公式に認めた声明はない。

 北朝鮮は依然として窮乏状態にあるが、もはや飢餓あるいは飢餓同然といった状況は一部の地域にしか見られない(1)。状況の改善にはアメリカなどからの食糧援助が寄与している。150人以上の食糧援助関係者が平壌(ピョンヤン)入りし、全国210州中163州で配給を行うことを許可した事実からしても、金正日は労働党の守旧派幹部の排外的、孤立主義的な姿勢を共有していない。

 2000年10月にオルブライト国務長官が訪朝した際、金正日は驚くべき発言をした。北朝鮮にとっての代替経済モデルとして、「スウェーデン・モデル」の名前を挙げたのだ。とはいえ、今後の変化がどれほどの速度と規模で進むかは、党内守旧派の抵抗の度合いや、政治基盤の動揺を避けようとする金正日の意向にかかってくる。彼はおそらく80年代の中国のような間接的改革を志し、外国の援助・貿易・投資に門戸を開き、特に韓国との関係を発展させようとするだろう。

米朝合意の頓挫

 韓国からすれば、北朝鮮の崩壊という事態は、何百万もの難民を南に押し出し、今でも不振な経済にいっそうの重圧をかけることになるから、何としても食い止めたい。この論理が金大中(キム・デジュン)の「太陽政策」の背景にある。韓国はドイツの教訓を酌んで、もし唐突に北を吸収合併するようなことにでもなれば、一定の枠組みに沿って徐々に統合を進めるよりも遥かに大きなコストがかかると考えている。

 南北の対話が進展したのは、米朝間の協議が8年を経てもなお行き詰まっていたからだ。北朝鮮は94年の米朝合意で核計画の凍結を受け入れ、その見返りとして、朝鮮戦争(1950〜53年)の際に課された経済制裁の段階的解除を約束させた。

 98年末、クリントン大統領が共和党議員の抵抗にあって約束を守れないと見ると、金正日は長距離ミサイルの実験を行って、アメリカに圧力をかけようとした。これが99年9月の米朝合意につながった。ホワイトハウスは改めて制裁の緩和を約束し、交換条件としてミサイル実験の一時的凍結を取り付けた。だが、ホワイトハウスはまたしても約束を守らなかった。2000年3月18日、両国の協議は失敗に終わり、アメリカはミサイル問題について新たな譲歩を要求した。

 これに対し、金正日は2000年6月に金大中と首脳会談をもつことに同意し、アメリカとの取引の材料とした。南北首脳会談はクリントン大統領にとって、制裁緩和の実現に必要な政治イベントとして働いた。その結果、金正日の右腕である趙明録(チョ・ミンロク)次帥の訪米と、オルブライト国務長官の訪朝が実現した。

 金正日は父親と違って、絶対的な権威をもったカリスマ指導者ではなく、守旧派幹部の抵抗に苦労してきた(2)。そのため、彼は憲法を改正して制度を変え、軍を自らの権力基盤とした。粛清により、800人以上の将軍を入れ替えた。これらの士官と軍が金正日の政治基盤をなしており、もし彼が失脚したとしても、その後継者を支えていくものと考えられる。

 いずれにせよ、金正日がクーデタで倒される可能性は低いだろう。軍の主要ポストは、義弟の張成沢(チャン・ソンテク)の兄弟が押さえている。長兄の張スンウー将軍は平壌を受け持つ軍団の司令官、次の張スンキル将軍は別の首都警備部隊の政治委員、最年少の張ソンウ将軍は社会安全部の政治局長を務める。

 金日成(キム・イルソン)の死後6年を経た今日でも、国民の大部分は「金日成主義」とも呼ばれる国家イデオロギーの下に結束している。金日成崇拝は、日本の植民地支配に対するゲリラ闘争での彼の活躍から生まれ、朝鮮戦争中に民衆が分かち合った艱難辛苦の経験によって永遠化した。朝鮮戦争が北に残した傷跡は、きわめて深いものだった。

 北朝鮮側の空軍援護は限られていたため、韓国は1950年末のごく短い期間に損害を受けるにとどまったが、北朝鮮は鴨緑江(ヤールー)の地上戦に続き、3年に及ぶ空爆にさらされた。ハーヴァード朝鮮問題研究所のエッカート所長は、北朝鮮の「恒常的強迫観念」に触れて次のように述べる。「国民全体が3年にわたり、地下の防空壕で生活と労働を営んだ。仮借ない爆撃を浴びせる米軍機は、北朝鮮から見れば、どれもこれも原爆を積んでいる可能性があった(3)

朝鮮戦争の和平条約

 戦闘の終息から半世紀近くを経た現在もなお、朝鮮戦争は正式には終結していない。53年の休戦協定に替わるべき和平条約はいまだに結ばれていない。戦争の両当事者が手続き問題で泥沼にはまり込んでいるのだが、そこにはアメリカが和平条約に調印するか否かという基本問題が隠されている。休戦の枠組みから和平の枠組みへの移行をどのように進めるべきか、これと北朝鮮が前方展開している通常戦力の引き揚げとの前後関係をどう決めるかについても、アメリカと北朝鮮の見解は対立している。

 53年の休戦協定に調印したのは北朝鮮、中国、そして、米軍による紛争介入を多国籍軍の旗の下に進めたクラーク国連軍司令官であった。休戦協定に替わるものとして、北朝鮮は米朝間の和平条約を求めているが、米韓両国は南北間の和平条約を考えている。韓国が休戦協定の当事者でないばかりか、その履行を積極的に妨げようとしてきたことを見れば、米韓の立場にはいささか無理がある。

 53年当時、韓国の李承晩(イ・スンマン)大統領は戦闘の継続を望んでいた。しぶしぶ休戦協定を受け入れたのは、アメリカと相互防衛条約を結び、一連の経済援助を取り付けた後のことであった。これまでの援助総額は220億ドル以上にのぼる。

 だがアメリカの主張によれば、クラーク将軍は国連軍司令官として53年協定に調印したのであって、アメリカは協定の当事者ではない。しかし、国連軍が多国籍軍というのは名目でしかない。リー国連事務総長(1946年〜52年)はその回想録の中で、国連軍の活動に対する統制権を確立しようとしてもアメリカが邪魔をした、と厳しく批判している(4)

 在韓国連軍司令部の軍事的機能は20年あまり前に解体されているが、それは見かけ上のことでしかない。休戦協定の当事者ではないというアメリカの主張は、法的なものではなく、政治的なものである。その根底には国防総省の懸念が見え隠れする。北朝鮮と国交を正常化し、休戦を和平に替えたとすれば、朝鮮半島におけるアメリカの軍事的プレゼンスが危うくなりかねない、ということだ。

 北朝鮮がアメリカとの二国間和平条約に固執するのは、戦時には米韓連合軍のアメリカ人司令官が韓国軍の指揮をとると見るからだ。つまり北朝鮮にとって主要な敵はアメリカになる。とはいえ、北朝鮮は飽くまで和平条約の正式締結にこだわる代わりに、次善の策としてアメリカと「和平合意」を交わし、それを足がかりとして国交正常化を目指し、ミサイル問題による緊張の緩和を図るという案を出してきた。

 98年6月16日の声明で、北朝鮮は「アメリカと和平合意が交わされ、アメリカの軍事的脅威が完全に取り除かれた段階で、ミサイル開発の休止」を検討すると述べた。北朝鮮の外交筋は、「条約」ではなく「合意」とした点を強調した。「軍事的プレゼンス」ではなく「軍事的脅威」としたことにも、同様に重要な意思表示があったが、アメリカは今に至るまでそれに注意を払ってこなかった。北朝鮮が反対しているのは、アメリカの軍事的プレゼンスそのものではなく、「軍事的脅威」となるようなプレゼンスなのである。北朝鮮は、アメリカがロシアや中国のように南北間の誠実な仲介人の役割を果たすことすら期待している。

 それによると、駐留米軍は韓国の防衛にとどまらず朝鮮半島全体の安定化に寄与するものとして、南北両国とともに三者間の「相互安全保障委員会」を創設することになる。北朝鮮の外務第一次官は、ミサイル開発に関する98年の声明の直前、このような委員会が「北に対する南の脅威であれ、南に対する北の脅威であれ、平和に対する脅威を拭い去るのに役立つだろう」とわれわれに語った。北朝鮮は繰り返し、機構の再編を主張している。

  つまり、国連軍司令部と53年協定で創設された軍事休戦委員会という、敵対関係を象徴する二つの機関を廃絶し、相互安全保障委員会が38度線の監視に当たるようにする。アメリカは直接(名目上の存在でしかない国連軍司令部を通じてではなく)新機関に代表を置く。この委員会には、緊張緩和と軍備管理を協議するフォーラムの役割も担わせる。

「脅威」の意義

 北朝鮮はさらに、アメリカの軍事的プレゼンスのうち、戦闘機のように脅威と考えられる戦力の引き揚げを求めている。アメリカがミサイル計画の中止を求めるならなおさらだ。アメリカの役割変化と並行して10年程度、暫定的に陸軍を駐屯させることは、北朝鮮も受け入れるだろう。前方展開している米韓両軍の砲兵隊と戦車部隊の撤退、および米陸軍の部分的撤退と同時並行であれば、北朝鮮もソウルを脅かす砲兵隊と戦車部隊を引っ込めるだろう。

 北朝鮮のミサイルと核兵器の問題は最も厄介である。オルブライト国務長官の訪朝時とその後の協議の中で、北朝鮮は長距離ミサイル開発の凍結を持ちかけた。だが、それでは収まらなかった。アメリカは、長距離のテポドンの実験にとどまらず、日本と在日米軍基地が射程に入る中距離のノドンの製造と配備も含めて、ミサイル計画を完全に中止することを求めていた。

 ペリー元国防長官が指摘したように、北朝鮮は「アメリカの脅威」に対する抑止力としてミサイルを活用している。彼らにとってミサイル放棄の対価は、アメリカによる通常戦力の大幅な削減と「核の傘」についての譲歩でなければならない。94年の米朝合意の第3条の1で、アメリカは「朝鮮人民民主共和国に対し、アメリカによる核兵器の威嚇または使用はしないことを公式に保証する」と約束した。

 6年後の現在、その約束は実現を見ていない。ヨーロッパについてと同じく韓国についても、アメリカは冷戦時代のドクトリンに従って、通常兵器による軍事攻撃と見られる事件があれば核兵器を先制使用する権利を堅持しているからだ。

 北朝鮮の幹部は、体制を維持できるなら協議に前向きという姿勢を示している。ではなぜ、アメリカは協議を進めようとしないのだろうか。オーウェルの小説を思わせるような全体主義体制に対する不信感がアメリカ人の多くにあるのはもちろんだが、そこには軍や産業界の利害も関わっている。

 北朝鮮のミサイルの脅威は、ミサイル防衛システムを推進するアメリカの防衛産業と政治家(5)によって誇張されており、太平洋地域への米軍展開の主要な根拠にもなっている。その脅威が緩和されれば、年間420億ドルという多大な予算をかけて駐留米軍を維持することは政治的に難しくなる。

 韓国の金大中大統領はといえば、アメリカが「誠実な仲介人」を務めるという発想に理解を示すものの、それを自ら言い出せば、軍や軍需産業の「太陽政策」反対勢力に火をつけてしまうおそれがある。130カ所の工場で119種類の装備を製造する防衛企業83社のほとんどは、アメリカの企業と密接に結びついている。さらに、大統領は一方的に譲歩しすぎだと非難する強力な野党勢力が、朝鮮戦争以来の北朝鮮への不信感を煽り立てるおそれもある。

 金正日も金大中も、それぞれ悪循環にはまり込んでいる。どちらも行動の余地をせばめる内政問題に縛られて、相手が先に難題に取りかかることを期待している。アメリカはここで誠実な仲介人の役割を引き受けて、煮詰まった状況を打開し、朝鮮半島全体を冷戦の終結へと導くべきである。

(1) 「38度線の向こうに目を凝らせば 」(ル・モンド・ディプロマティーク1999年11月号)参照
(2) 「北朝鮮のベールをめくると」(ル・モンド・ディプロマティーク1998年9月号)参照
(3) Carter J. Eckert, << Korean Reunification in Historical Perspective >>, ソウル新聞の後援による統一シンポジウムのために書かれた論文(ソウル、1996年2月3日、7ページ)
(4) In The Cause of Peace, Macmillan, New York, 1954, p. 334.
(5) ポール=マリー・ド=ラ=ゴルス「NMDに向かうアメリカ」(ル・モンド・ディプロマティーク2000年9月号)参照


(2001年1月号)

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