首相公選をめぐるイスラエル政局

ミシェル・ワルシャウスキ(Michel Warschawski)
ジャーナリスト、オルターナティブ情報センター主宰、イスラエル

訳・安東里佳子

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 インティファーダが続いているにもかかわらず、バラク首相が最終的にパレスチナ自治政府との交渉再開を受け入れたことは、彼の方針転換をうかがわせる。パレスチナとの新たな接触には情勢の沈静化が先決、という条件を放棄したのだから。バラク氏は、交渉の意思を示すことが自らの政治的延命につながると結論したと言える。

 これが、2000年12月10日の突然の首相辞任、19日のワシントンへの代表団派遣という展開に結びつく。バラク氏は、国会議員選挙と切り離して首相公選だけを前倒しにする策に出たため、右派のネタニヤフ氏、左派のペレス氏とも立候補をあきらめざるを得なかった。バラク氏は、激しい抑圧にもかかわらずパレスチナ人の暴動が続いていること、そしてイスラエル世論も変化しつつあることを悟ったのだ。とりわけ、ようやく冬眠状態から覚めた左派の変化は大きかった。

 さかのぼって経緯をたどってみよう。バラク辞任発表の数日前、左派与党は首相に対し、「パレスチナとの合意が1月20日(クリントン米大統領任期満了日)までに得られないなら、労働党内の予備選挙に対立候補を立てる用意がある」と最終通告を突きつけた。「真のハト派でなければ、アラブ系の有権者からも支持を集めて選挙に勝つことは見込めないからだ(1)

 この動きの背後には、ペレス、ラモン両大臣、バラム元書記長、そしてブルグ国会議長といった党内の重鎮が、首相の椅子を狙っているという要素もあった。しかし、労働党を突き動かしたのは、左派政党メレツからのプレッシャーだった。メレツは、現在のような状況下ではサリド党首を擁立する可能性がある、とほのめかしていた。

 左派内部の動きは、彼らが活気を取り戻した証拠だろうか? それとも、確固とした意志をもって和平協議を再開せよと、バラク首相にプレッシャーをかけているとみるべきなのだろうか? あるいは、もはや完全に信頼を失ったと思われる筆頭候補を、ブルグ派が厄介払いにしようと試みたのだろうか?

 政党は選挙が近づけば、支持者を確保あるいは拡大するために、自らの政策方針を明確にすることを強いられる。左派諸党にとって、とりわけメレツにとっては、緊急の対策が必要だった。というのも、昨年7月のキャンプ・デーヴィッド三者会談の際、バラク首相がメレツ以上に急進的な和平方針を示してみせたからだ。少なくとも、会談とその失敗について周到にセットされたマスコミ報道をみる限り、そのように受け取れる(2)。ヨルダン川西岸地域を93%まで返還し、東エルサレムの一部についてパレスチナの主権を認めるなどとは、メレツの党首ですら言い出さなかった。サリド党首は、レバノン南部からの一方的撤退についても反対したほどである。

 バラク首相が実際にそのような提案をしたかどうかは別にしても、イスラエル左派与党としては、彼の勇気と決意を讃え、会談の失敗の責任はアラファト議長にあるとみる以外にない。彼らもまた、中道・右派と同様、「交渉は取引」という考え方を共有している。そこでは法が度外視され、すべてが力関係で動いていく。法の見地に立てば、定義からしても「占領地」はすべてパレスチナ人に返還し、非合法であるところのすべての入植地は解体しなければならず、帰還を望むすべての難民にはそれを認めなければならない。逆に、「交渉は取引」という立場で力関係を考慮すれば、93%「も」パレスチナに返還し、全入植地中3つの区域「しか」イスラエルに併合しないのは、非常に寛大な譲歩ということになる。

平和の果実

 和平推進を掲げるリベラル左派は、バラク首相を全面的に支持し、すべての責任はアラファト議長にあるとする。作家のエホシュア氏は次のようにまくしたてる。「バラクが寛大な提案をしたというのに、(アラファトは)暴力と国際社会のプレッシャーを使えば上積みできると欲目を出して、すべてをぶち壊しにしてしまった。彼は大きな過ちを犯したのだ。交渉相手はネタニヤフやシャロンではなく、バラクだったのだから。ほんとうに、パレスチナにとって、これまでで最良の部類に入る提案だったというのに。神殿の丘は別としても、エルサレムの分割にまで踏み込んでいたのだ。このように有利な交渉を続ける代わりに、彼らは私の理解を超えた理由から、暴力の道を選びとった(3)

 市民団体「今こそ和平を」の広報を担当するアヴィアド女史も、ある種の左派にありがちの高飛車な口ぶりで言う。「過ちを犯したのは私たちではなく、アラファトの側です。しかも大きなところで過ちを犯した。それを償うことになるのは私たちです。今でも彼はパートナーとはいうものの、かなり問題があると言わざるを得ません。ルールを破ったからです。アラファトの過ちは今に始まったことではないし、これが最後というわけでもないでしょう(4)

 暴力的な衝突が始まった当初、和平推進を掲げるリベラル左派の挫折、と日刊紙ハアレツは書き立てた。しかし、彼らはむしろ憤慨していた。それは、祝杯に水を差したパレスチナ人に対する怒りである。この7年間というもの、イスラエルは平和に酔っていた。治安、繁栄、国際的承認、良心の負担の軽減といった果実を口いっぱいに噛みしめていた。だが、その代金は払わないままできた。左派もバラク首相と同様、パレスチナ人から格安で和平合意をもぎ取れると考えていた。そうすれば、国内の右派勢力との溝も深めずにすむ。その結果がどうなったかといえば、パレスチナ人たちは自分たちの要求が真剣に聞き入れられないと危機感を強め、13年前の最初のインティファーダのときのように、投石によって、時には銃撃をもって、自己主張を始めたのだ。

 その効果はてきめんだった。左派は当初、身のほどを知らないパレスチナ人を懲らしめ、もっと低姿勢で交渉に臨ませるために、暴力的な抑圧を支持し、唱道すらした。しかし、彼らはやがて現実に引き戻された。暴力に訴えても何の解決にもつながらず、全面戦争に突入する危険があること、占領に終止符を打たない限り平和が得られないことを、改めて理解するようになったのだ。

 2カ月前にはアラファト議長を信じた罪をひたすら懺悔した知識人たちは、最近ハアレツ紙上に半頁ぶち抜きで、次のような声明を出した。「イスラエル政府は直ちに入植地の凍結を決定し、(イスラエルと)パレスチナとの国境交渉の基盤として、1967年6月4日時点の境界線(5)を承認せよ。領土の交換の共同決定こそ、国境問題解決の最も適切な手段である。入植地の大部分は、これを解体すべきである(6)

 現実に引き戻されたのは左派だけではない。レバノン南部からのイスラエル軍撤退を求める運動を繰り広げていた市民団体「4人の母」も声を上げた。「息子たちをレバノンから連れ戻したのは、入植地で殺されるためではない」

 さらに意味深いことに、ごく最近まで治安機関シン・ベトの長官を務めていたアヤロン司令官が、先日次のような見解を表明した。「(パレスチナ側は)イスラエルの領土を1948年当時の国境内に画定することを断念するという、彼らにとって大きな妥協を受け入れる代わりに、存続可能な国家を手に入れ、ある程度の正義を得ることを期待した。今日パレスチナ人の一部は、われわれが提案する妥協は卑劣だと言う。彼らの目には、われわれは脅しに対してしか譲らないと映っている。つまり、交渉を中断し、そして暴力という圧力を受けたから再開したと言うのだ。はたしてユダヤの民主主義は、アパルトヘイトを許容できるのか。私の答えは否だ(7)

 これを受けてハアレツ紙の論説は次のように書いた。「テロ対策という国家安全保障上の最重要部門の責任を最近まで負っていたアヤロン司令官がはっきりと断言したように、イスラエルの安全は治安部隊だけでは築けない。敵をパートナーとして認め、政治・経済・社会の全体を見通すような考え方が必要である。アパルトヘイトの概念が適切でなければ、民主主義と占領政策は相容れないと言えばよい。われわれの指導者は、長期的な平和をもたらすべきプロセスを語る言葉に嘘がないというのなら、このような考え方を指針としなければならない。まだ政治家の言葉はそこまでに至らず、技術的・軍事的・経済的な措置で片づけているのが現状である(8)

争点の変化

 他方、世論調査の示すところによると、イスラエル人は和平を断念しているわけではない。ネタニヤフ氏に投票するという有権者が46%に上り、バラク氏を支持する有権者がわずか27%にすぎないとしても、また、中道・左派連合の議席10前後が右派に流れることが予測されているとしても(9)、イスラエル人の60%近くはパレスチナとの和平に賛成している。さらに重要と思われることに、国民の52%は入植地の大半を解体すべきだと考えている。

 バラク首相の落選が予測されるからといって、イスラエルが右旋回しているというわけではない。ほとんどのイスラエル人は紛争に疲れきっている。それなりに平和な7年間を過ごし、その利益を享受してきたイスラエル人は、再燃した紛争の代償を払うことに以前よりずっと消極的になっている。その上、パレスチナとの紛争が続けば、アラブ諸国との全面的な衝突を引き起こすか、少なくとも国交正常化に支障をきたすおそれが高い、といった解説も増えている。人々は、エジプト大使が召還され、ヨルダンのイスラエル人外交官に対する度重なるテロが起きていることを知っている。こうなったら行き着くところに行ってやれといった主張もある中で、いったい将来はどうなるのかと現実の不安が高まる。

 そういった世情をバラク首相は承知している。国軍は報復作戦の強化を訴え、シン・ベトは前長官の発言の通り、パレスチナの自治政府や治安機関と絶縁するのはまずいと言う。この相反する主張を前にどっちつかずだった首相は、最終的には紛争激化に終止符を打つ道を選んだ。交渉を再開することで、和平に関する国民投票といった性質を首相公選に与えるつもりだろう。残る問題は、5年前のラビン首相のように政策転換に踏み切り、アラファト議長との協議の道を探るような度量がバラク将軍にあるかどうかだ。

 世論調査が示すように有権者が右派への地滑りを起こしているのは、ネタニヤフ前首相の無責任な政策のせいでバラク氏に流れた右派・中道のエリート層が、元のところに戻ってきたからだ。さらに、アラブ系有権者の大量棄権が予測されることも働いている。10月初めにイスラエル国内で起こったアラブ系住民の抗議運動に対し、流血の弾圧をもって臨んだバラク首相とベン=アミ警察相の責任は、彼らの心に刻みつけられている(10)

 バラク氏は、和平をもって選挙を戦おうと決意しているようだ。アラファト議長が手を貸してくれれば、新たなイスラエル=アラブ戦争を避ける唯一の解決策として、パレスチナ和平の枠組み合意という得点を上げられると考えているのだ。しかし、今回の選挙の争点は、和平と安全保障の問題になるのだろうか? それともまたしても、内政問題が有権者の選択を左右することになるのだろうか?

 メレツの議員ガロン女史は、「選挙キャンペーンが占領地問題に終始し、前回の選挙で争われた世俗性、経済状況、社会の分極化といった問題が影を潜めることは疑いない」と言う。「だからこそ、バラク首相がこの数週間の内に合意にたどり着くことが、絶対に不可欠なのだ」

 アラブ文化に詳しいユダヤのインテリの一人で、テル・アヴィヴ大学で社会学を教えるシェンハヴ教授は、もう少し複雑な見解を示す。「今回の選挙は、この15年間で最も政治色の薄いものとなるおそれがある。というのも、争点が安全保障と休戦ラインに絞られているからだ。その一方で、占領地問題とイスラエル自身の国内問題は、もはや分けて考えることができない。ガリラヤのパレスチナ人の蜂起は、いったいイスラエルの社会問題なのか、それともイスラエル=パレスチナ紛争と密接に結びついているのか。休戦ラインの意味は薄れた。政治論争のルールを根本的に変える必要がある。しかし、それを今度の選挙に期待できるかは疑問である」

(1) イディオト・アハロノト紙2000年12月1日付(テル・アヴィヴ)
(2) アムノン・カペリュク「キャンプ・デーヴィッドの陰険なシナリオ」(ル・モンド・ディプロマティーク2000年9月号)、ファイサル・フセイニ「キャンプ・デーヴィッド会談で失われた機会」(同12月号)参照
(3) ハアレツ紙2000年10月20日付(テル・アヴィヴ)
(4) ハアレツ紙2000年10月20日付
(5) イスラエルは1967年の第三次中東戦争によりパレスチナを占領した。パレスチナ自治政府は1948〜49年の第一次中東戦争の休戦ラインへの全面的撤退をイスラエルに求めている。[訳註]
(6) ハアレツ紙2000年11月17日付
(7) イディオト・アハロノト紙2000年12月5日付
(8) ハアレツ紙2000年12月6日付
(9) マアリヴ紙2000年12月7日付(テル・アヴィヴ)、およびテル・アヴィブ大学タミ・スタインメッツ・センターの月刊「平和指標」による。
(10) ヨゼフ・アルガジー「アラブ系イスラエル人の立場」(ル・モンド・ディプロマティーク2000年11月号)参照


(2001年1月号)

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